第10話 視線のその先に
「……うぅあう」
先ほど頭の中に響いた声の後遺症なのか、まだかなりと頭が痛み、金髪の少女百鬼天響は微かに呻いた。
タクトと離れてしまった彼女は、とりあえず自分が置かれている状況を把握する事から始めた。
見える範囲に人影はない。目を閉じ、気配を探り始める……。
どうやらこの辺りには、天響が探ることの出来る範囲には少なくとも人は居ないようだった。
足元を見ると、タクトが魔法で異空間に保持していた天響愛用の大鎌が転がっている。
大鎌は天響の物だが、彼女はまだ魔法が使えないため––––敵に武器を晒すわけにはいかない––––タクトに預け、使いたい時に渡してもらう事になっていた。
つまり、この大鎌は天響の物であるものの、所有権はタクトにあるわけだ。
そして、依然としてここに存在し続けているということは、タクトから今もなお一定の魔力供給が行われていることを意味していた。
魔力供給が続いていることに天響はひとまずホッと胸を撫で下ろした。
魔力供給は術者が危機的状況に陥らない限り、任意で行われる。と、タクトが昔言っていたことを天響は覚えていた。
タクトは無事なのだ。
その事実だけで、彼女の胸中を渦巻いていた一抹の不安が一気に消え去った。
これで、ひとまずの目標は定まった。タクトと合流するのだ。
「まっててねタクト。すぐ行くから……」
そう決心すると、天響は大鎌を拾い、自分の周りだけ全く木々のない開け切った場を後にした。
***
「いったた……リリト無事? なによさっきの頭の中に響くような声は?」
頭の辺りを押さえながらフローラは立ち上がる。少々怒り気味のようだ。
赤髪のポニーテールに琥珀色の勝気な瞳、簡素なワンピースを内側から押し上げる豊満な胸。すれ違えば皆が振り返るほど整った容姿。
彼女は寂光院で帳達と苦楽を共にした仲だった。そして行くあてのなかった彼女は帳達に同行する事に決めた。
「そーゆーフローラの方こそ無事なわけ?」
「なーに? 私のこと心配してくれてるの?」
「ちがっ! じゃなかった……
フン……それだけ軽口が叩けるぐらいなら、さっさと行くぞ」
言い訳がましく聞こえた最初の方は聞こえなかったことにしておこう。フローラはそう思った。
「リリトも、もうちょっと素直になれば可愛いのになー」
やっぱり駄目だ。思っただけで、つい口に出てしまう。あははと、からかうように笑ってしまう。
「……人が心配していれば––––」
「あは、やっぱり心配してたんじゃない〜!」
途端、リリトの顔がどんどん赤くなる。
「……っ!! と、とにかく行くぞ。今は時間がない」
このままではフローラのペースに乗せられると思ったのか、リリトは踵を返しスタスタと彼女との距離を離していく。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! もう、冗談だってばー! そんなに怒らないでよ〜」
「フン、僕は冗談が嫌いなんだ。遊んでないで行くぞ」
「それで? さっきの質問の答えは?」
「答えなくても分かっているんだろう? 分かっていないのならそれはそれで僕の見込み違いなわけだけど……」
フローラを試すように鋭く睨むリリト。
「そんな恐い顔で睨まないでよ……怒ってる顔も可愛いけど!」
キッとリリトが睨みつけてくる。こころなしかこめかみに青筋が浮いているような?
「ごめんごめん、私が悪かったって〜。
聞こえてたんだよね? で、帳と合流する。
でも、その帳の場所まではわからない。じゃあどうするのか……?」
思案気な表情でフローラは呟く。
からかっては来るけれど、なんだかんだいっても彼女は優秀なのだ……そう都合よく解釈しておくことにした。
先ほどの試験官の声が頭に響いてからそう時間は経っていない。にも関わらず、この短時間でフローラは状況を整理し、順応し、そこまで行き着いた。
あの孤児院––––寂光院で生き残るには、力だけでは足りない。思慮深く考え、冷静に行動し、任務を完遂する。それだけの能力がなければ、自分よりも力の劣る者にさえ足下をすくわれる。
そして、それをまだ右も左分からなかった自分達に教えてくれたのが彼女、フローラだった。
だから彼は、リリトはそんなフローラが自分達に付いてくることに何の迷いも無く、賛同した。
「心配しなくても、兄さんがそろそろ行動を起こすはずだ。だから僕たちは––––」
と、その時、遠方で小物体が青白い尾を引き勢いよく打ち上げられたのをリリトは見た。
あれが何なのか、何を意味するのか、当然だがリリトにはわからない。
ただ、一つ言える事としてはあれが帳の放った物ではなく、ひどく不穏な空気を纏っているという事だけだ。
「くそ……!」
リリトは咄嗟に動く。
「フローラ!!」
「きゃっ!」
リリトは彼女を連れて茂みに飛び込む。半ば強引に。
彼女が悲鳴を上げるのも無理はない。
瞬間、この世界のすべての光が小物体の下へと集束した。わずかだが世界に静謐が訪れる。
静謐からの解放。それと引き換えに夥しい量の光が放射状に散乱した。
「ぐっ……」
リリトはあまりの眩しさに目を開けることができない。
しばらくして謎の光は消失した。
だが、リリトはフローラを押し倒し守ることはできたものの、彼自身は光を直視してしまい、視界からの情報が一切遮断されてしまった。
「リリトっ!」
「はは僕としたことがちょっとマズったかな? ごめんフローラ。先に行ってくれる?」
自嘲気味に嗤い、腰の剣に手を添える。
敵が現れたからだ。気配から察するに五人。
隠れているつもりなのだろうが、全く気配の消し切れていない前方の四人。そして少し距離はあるものの、後方で気配の消し方を知っている一人。
「バカ言わないで。今のリリトを置いていけるわけないじゃない。後のことは私に任せて、ゆっくり休んでなさいよ!」
そう言うとフローラは迷わず腰の剣を引き抜き、上段に構える。
「よせフローラここは逃げるのが最善だ! このままじゃ二人とも––––」
言い終わる前に前方の四人が動き始めた。
いくらフローラでもリリトを庇ったまま戦うのは無理がある。
それが分からないフローラではない。
「なめないでよ、ね!」
裂帛の気合いと同時、フローラは上段に構えた剣を勢いよく振り下ろす。
前方で弧状に展開した敵の一人––––メイスを持った女を捉える。
ギャリッ! メイスを弾き、女の側頭に蹴りを叩き込む。
呻き声を上げ昏倒した女。だがこれで終わりではない。
左右から迫る銀閃、フローラは咄嗟に前転して回避。
「うおおおぉ!」
そこに大男が振り下ろすバスターソード。
これは回避出来ない、上手く誘導された!?
そう思ったフローラは最悪を避けるため、重傷覚悟で––––彼女の華奢な腕では難しいだろう––––剣を斜に構え逸らそうとする。
これもまた、彼女があの孤児院で培った技術だった。
が、そうはならなかった。リリトが投げた剣が大男の腹を抉り、鮮血が舞う。でも、それをしてしまえば……。
「––––チィ!」
大男は腹を押さえ、間合いを取ろうと後退する。
しかしそれをフローラは許さなかった。死角から大男に肉薄し、剣の腹で頭を殴りつける。
鈍い音と共に情けない声を残して大男はその場に崩折れた。
「はあ……、はあ…………」
フローラは肩を揺らし、呼吸を整える。流石にキツイ。残りの敵は、
「ばかやろう!!」
そこでフローラの後方から、リリトの怒鳴り声が飛ぶ。
ハッとしてすぐさま振り返り、剣を構える。
しかし残りの二人は彼女には襲いかかってはいなかった。
その代わり、丸腰で視力の戻り切っていないリリトへと鈍色に光る死の銀閃が二度、走った。
ここからでは到底間に合わない。おそらく、視力の戻っていない丸腰のリリトでは距離感が掴めず、対処が遅れてしまう。
そしてそのタイムラグは致命的な結果に繋がることが容易に想像出来てしまう。
「––––うそっ!? 嫌、やめて!!」
逼迫して悲痛に顔を歪めるフローラ。だが、対照的にリリトの表情には笑みにも似たものがあった。
まるで自分の考えが正しかったと言わんばかりのリリトの笑みに、どうしてこんな状況で笑っていられるのか彼女には全く理解出来なかった。
そしてリリトは言った。
「逃げろよ、バカ」
中性的な声で低く、しかしとても穏やかに。
その声に、彼女は拳を震わせ口を結ぶことしか出来なかった。
自分の判断ミスで、自分の力不足で、大切な仲間が、目の前で……。自分が憎い、狂おしいほどに。何故こんなに非力なのか? 何故こんなに浅はかなのか?
《アモルファス》を殺せる人材を育成する孤児院で血反吐を吐きながらも生き延びて、どうして四人を相手にたった一人の仲間さえ守れないのか?
そして二閃の死線はリリトへと触れ––––