第1話 世界が動き始めた日
タクトはこの日、わずか五歳というあまりにも幼すぎる年頃で、自分がいかに非力で無知で愚鈍であったか、世界がどれだけ理不尽に動き人々を弄ぶのかを思い知ることになる。
悲鳴、絶叫、轟音。 いくつもの負の音が重なることで、辺りは絶望で埋め尽くされていく。
圧倒的な力を持つ化け物を前に、人々は徒らにその命を散らしていく。
「はあ……はあ……」
少年は変わり行く街中を一直線に駆け抜け、家まで全力で逃げる。
「父さん! 大変だ! 街が、街が……」
少年は必死に伝えようとしたのだろう。しかし、声が震えて肝心な事は何一つ話せていない。
「……タクト、お前はシュナイザーを連れて来なさい」
タクトと呼ばれた少年の父親は、息子の瞳をじっと見つめてからなだめるように優しく言った。と言うのも、彼は魔法における知識と技量がずば抜けて高く、他人の伝えたい事を読み取ることなど造作もない。
「おう、レイどうし–––– 」
タクトの父親に陽気に話しかけるシュナイザーの言葉を遮り、レイは彼に要点だけを伝えた。
「シュナイザー、悪いが今は一刻を争う。どうやらヤツらが予定より早い段階で攻めてきたらしい」
「なに? まだ一年あるはずじゃ?」
シュナイザーは驚愕に顔をしかめる。
「この五年間ヤツらの干渉を防げただけでも奇跡的だ。むしろもっと早くに対策を練るべきだった」
「話はとりあえず後だ、時間がない! 行くぞ––––転移」
レイが呟いた途端、三人の足元に魔方陣が生まれグルグルと回り始める。そして淡い光が彼らを包み込むと再びあの場所へ移動した。
––––五年前、空間を切り裂き突如現れた謎の生命体《アモルファス》、彼らの侵攻を許したこの国はわずか半日で壊滅状態に陥ったが、王国最高戦力を誇る魔法騎士団の活躍により事態は終息を迎えることに成功した。そしてメンバーの一人が魔法結界を施したことによって、人々は五年間《アモルファス》の脅威に怯えることなく安寧の日々を過ごした。しかし、五年という歳月は《アモルファス》に対抗する魔法体系を確立するにはあまりにも短過ぎた––––
「生存者は……六人、か。たった三体でこれ程の力だとは。シュナイザー悪いがここの掃除はお前に任せる。片付けたら、生存者を連れて安全な場所に逃げろ」
「別に構わんがお前はどうする?」
「王都の方を見てみろ。まだ昼時なのに異常なほど空が暗い。あちらも相当マズイ状況になってるはずだ」
「私は王都の方へ向かう。それと……タクトのことを頼む」
一瞬の逡巡の後、レイはタクトの頭を優しく撫でた。そして、タクトの目の前に手をかざすと、聞こえないほど小さな声で呟いた。
「父さん? 一体何を––––」
言葉はそこまで。
瞬間、タクトの全身に灼けるほどの鋭い痛みが駆け巡り、タクトはもがき苦しむ。
「ぐっがっ、ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「レイ! お前まさか【アルファの因子】を!!」
「ああ、タクトに託す」
「やめろ! まだこの子には早過ぎる。下手したら制御出来ずに死ぬことになる!!」
「大丈夫、私の息子だ。いつかきっと世界を変えるカギになる。タクトを……頼む」
レイは両眼から深紅の涙を流しながらも微笑を浮かべ、魔法を唱える。
「《全てを切り裂く慈愛の光、魔をも穢す光の矢––––シャイニング・ジャッジメント》!」
青白い穏やかな光が彼らを優しく包み込む。
すると、今までタクトを襲っていた激痛が無かったかのように消え去る。
さらに光は収束し光球となって上昇して行き、静止したかと思うと、何千もの光の矢と成り放物線を描いて王都の方へ向かった。それらはこの国を覆い隠すほどの勢いで爆ぜ、そして––––