精神世界
仰向けになっていた誠は起き上がり、景色を見回す。
「ここは……」
目を覚めるとそこには、夕焼けがかかった山々と、颯爽と生い茂る草木の中に一つの家があった。
その家は木造の建造物で屋根が藁で出来ており、江戸時代くらいまで実在していたと言ったら信じられそうなものだった。
その家の中から一人の女性が現れた。それは桃色の生地で出来た振袖を着用し、所々に描かれている様々な花弁の模様がお洒落でよく似合う、黒色のショートヘアをしていた。
髪を伸ばせば彩紗に似ているかもしれない。
「ここは、誠の精神世界。そういえば、誠の意識がハッキリとしている時に会うのは初めてね」
女は透き通る声で答えるが、表情が少しだけ、機嫌が悪そうに見えた。
「俺の精神世界ってことは、死んでいないってことか。ってか、この声……。まさか……」
その声は聞き覚えがあった。
それは、中学生時代に、体育館の裏で、リンチされ殺されそうになった時だった。
薄れていく意識の中、彼女の声を聞いた後、近くにあった木に目がけ手を押し出すと、それが倒木したのは覚えているが、その後のことは一切覚えておらず、気がつくと、俺は自分のベッドで寝ていたのであった。
「それは、私が乗っ取って、彼らを始末した後、誠のベッドで寝たから。次の日、彼らは、誠を避けたから、私に感謝しないとね」
「し……思考を読んだ」
「当たり前よ。私は誠の《闇》の一部なのだから。できて、当たり前」
「俺の《闇》……。まさか、アミさんが言っていた、《心の闇》が君?」
「半分正解で、半分不正解。さっきも言ったけれど、私は誠の《闇》であるけど、一部でしかないの。それに、私自身は生前ちゃんと人として生きているから《闇》というより、《魂》と思った方がしっくりくると思う」
「《魂》は一人に一つだと思っていたが違うのか?」
「普通はそう。でも、私みたいに、あの世の管理人を出し抜いて、この世に再誕する《魂》に入り込んだりした場合は、一人に複数の《魂》があっても不思議ではないわけ。分かる?」
「何となくな。再誕する《魂》って、生まれ変わるってことだろ? じゃあ、君と俺の前世は何らかの関わりがあったってことか?」
「ええ。誠の前世は私の夫である、黒部誠」
それを聞いた俺は、思わずむせてしまった。
「前世の頃の奥さんだと……。俺の前世は来世が知りたくなるほどのイイ男だったというのか?」
「ええ。私の愛が冷めるまで、いくらでも転生するわ」
「……新手のストーカーみたいで、怖い」
すると、彼女から、もの凄い殺気を感じた。
「……何か……言った?」
重たく、冷たい視線が向けられる。
「何も言ってないです……」
「そう。私の気のせいか」
彼女は一瞬にしてにこやかに微笑んだ。
その笑顔が思った以上に可愛く見えて、少し顔を赤らめてしまった。
そういえば、あのリンチの日以降から、たまに、夢の中で彼女のような女性が現れるのを思い出した。
具体的に何をしたり、何を喋ったりしたのかなどは全く覚えてはいなかったが、その女性の笑顔はとっても可愛くて、目が覚めたときにはそれが癒しになっていた日があった。まさか、それも――――。
「私だよ」
また、笑顔で答える彼女。
そういえば、俺の思考が読めるんだっけ?
「そう。特にこの場所は誠の思考が筒抜けになるから、私を怒らせるようなことは考えないでね」
「はい。ところで、質問いいですか?」
俺は右手を真っ直ぐに挙手する。
「何? 誠」
「君の名前は何でしょうか?」
「そういえば、ちゃんと名乗ってなかったわね。ごめんなさい。私の名前は黒部あい。旧姓は花芽美。よろしく」
「花芽美さん。どうすれば、元の世界に戻れますか?」
旧姓で呼ばれるのは嫌なのか、表情が少し曇った。
「誠は私の気が済むまでここにいて。そして、私の事は呼び捨てで、“あい”って呼びなさい」
「分かった。じゃあ、その間、俺を鍛えてくれないかな? あいは、俺の《心の闇》で、元々人間だったんだろ? 強くなりたいんだよ」
「嫌だ」
あいはそっぽ向く。
「どうして?」
「あの女の為に強さを求めているのでしょ? 私はあの女のことを好きではないの。だから、教えない」
「嫉妬か?」
あいは悪魔のように笑みを浮かべ、こちらを向いた。
「ええ。それに、私は今、誠の身体を乗っ取っているの。あの女に関わりがある人物を殺すためにね。黒部彩紗はその最期に惨殺するけど」
この女は何を言っている?
何のために彩紗を殺すのだろうか?
「おどおどした顔をしないでよ。誠のためにやっているのに」
「俺の……ため……?」
あいは、徐々に近付いてくる。
「そうよ。さっき現れた楽って言う人が言っていたじゃない。あの女とイチャついていたから殺しに来たって。だから、私がそいつ等を殺すの。誠は、あの女に惚れなければ、今日のように、生死が関わるような日なんて無かったんだよ」
すると、あいは俺の耳元に顔を近づけた。
「あの女なんか忘れて、私を愛して」
と囁き、あいは少しだけ後ろに下がる。
「嫌だ」
数十秒間無音の時間が過ぎた頃に、誠は拒否した。
「どうして?」
「あいに、トキメキを感じないからだ」
あいは呆れた顔をして、俺を見る。
「…………バカ。誠はそれでも男か? 乙女のような返答して、恥ずかしいと思わないの?」
「う……うるさい。俺の正直な気持ちをちゃんと言ったのに、そんなこと言うなよ」
鏡を見ていないのに、段々と顔が赤くなってくるのが分かった。
「そんなに、あの女が良いのなら、《オーラ》について教えてあげる」
「ありがとう。あい」
「まあ、私が教えるのは正当ではないから、お礼を言われる筋合いはないと思うけど」
「正当じゃないの……」
少しだけ不安になる。
「当たり前じゃない。私が得できるようなことを教えるの。強くなれるのだから、文句を言うな」
「すみません」
頭を下げて謝る。
「私がこれから誠に教えようとするものは、私の《オーラ》を誠が使用するという。《融合》というもの」
「俺と、あいの《融合》か……。ということは、あいの能力も使えるということか?」
「ええ。それをするには、それなりの代償があるけどね」
「代償……」
それを聞いて、思わず唾を飲み込んでしまう。
「正当ではないからね。私の《オーラ》はそれなりに強いし、楽して力を得ようとするのだから、代償くらいあっておかしくないでしょ?」
「でも、あいは、その代償に見合うくらいに強いの?」
その挑発に対して、あいはニヤリと笑う。
「何なら試してみる? きっと、度肝を抜かれるわよ」
あいが、《オーラ》を纏った。
その色は黒色であり、他のどの色を混ぜても真っ黒になってもおかしくはないほどである。
徐々に増幅する《オーラ》は、底無しなのか、俺が知っているどこの誰よりも、《オーラ》の量が多いと分かる。敵でなくてよかったと、心の底から思った。
「私の強さが分かったみたいだけど、限界まで見てみたい?」
少しあいに触っただけで、怪我をしそうなのに、未だに限界突破していないらしい。とんでもなく強い。
「いや。いい。限界のあいを見ただけで、俺は死にそうだから」
それを聞いたあいは、嬉しそうにガッツポーズをした。
「やったー。あの女に勝ったぞー」
と一人で、はしゃぐ。
「あのー。ご機嫌のところ悪いですが、代償について教えてくれないかな?」
あいは、それを思い出したかのように我に返って、咳払いをした。
「代償は基本的に、私の《欲》で決まるわ。私が今、誠を乗っ取っていられるのは、『私が黒部彩紗を殺したい』と、心の底から欲しているから。解除方法は、その《欲》が満たされる。もしくは、私自身が取り下げたときの二つのみ。《融合》はそれに準じているものがある。《融合》する際の代償は、私がどのくらい、誠と《融合》するのか、その割合によって《欲》が違う。私の比率を多くしたいのなら、その分、私の《欲》が大きくなるし、外見が私に似るわ。そして、私の比率が半分を超したところで、誠の身体は女性になり、その操作は私の意識下におかれる。その時、誠の精神は、この場所に来るか、私が目視しているのを夢で見るような感覚の状態になるわ。基本的に、私が乗っ取らない限り、私が見ているものは、誠が意識すれば見られるし、誠が《融合》を辞めたいと思えば、辞められる」
「大体分かった。代償は、あいの《欲》次第で決まるわけか。それは、《融合》する際に教えてくれるのか?」
「もちろん。それは《融合》する際の《契約》みたいのものだからね。それを承諾しないと、そもそも《融合》はできない」
「その《融合》とやらは、《契約》すれば、すぐに出来るのか?」
「いいえ。私の記憶の一部を誠に共有しないといけないわ。私の《心の闇》の共有といった方がいいのかしら?」
あいの《心の闇》の共有。
あいがすごした人生はどういうものだろうか?
俺の想像を絶するものだった場合。きちんと受け止められるか不安だった。
「怖いの?」
「いや。大丈夫」
あいは俺の手を掴んだ。すると、夕焼けに染まった場所から様々な場所が流れ込むと、真っ昼間の山林のような場所で、空を飛んでいるかのように、宙に浮かんで止まったのであった。