分身
談笑をしている内に、芽衣ちゃんの家であるマンションに辿り着いた。
マンションはベージュ色を主とした洋風のデザインであり、十五階建ての築五年の物件だ。
私は芽衣ちゃんと別れて、自宅に帰ろうとした。
「彩紗ちゃん。待って」
芽衣ちゃんが急に私の裾を掴む。
「どうしたの?」
「あれ、見て」
芽衣ちゃんの指差した方角へ視線を辿るとそこには、マンションの目の前にハット帽にサングラス、マスクを装着し、膝にまで届いていそうなコート、真っ黒なジーンズを着ている身長二メートル程の巨体の怪しげな男が、誰かを待ち伏せしているように立っていた。
しかも、この男は《オーラ》を微弱に纏っていて、苅野豪にややそっくり。
多分、昨日《INS》を襲撃したホムンクルスだろう。
学校のときの私は一切、《オーラ》を使わない。
それは、一般の人間ではないことを芽衣ちゃん達に知られたくないからだ。
それを知っていて、この男はそこにいるのだろう。なんと最低な奴だ。
「……芽衣ちゃん。今日と明日で家族での用事はある?」
「うんん。ないよ」
芽衣ちゃんは首を横に振る。
「だったら、私の家に泊まらない? 小学生ぶりにさ。芽衣ちゃんの家に二人で行っても、あの人が私達を無視するとは限らない。だったら、少しでも安全な行動を取った方がいいと思うの」
「そうだね。だったら早く行こう。万が一ストーキングされた時は、彩紗ちゃんところのボディガードで元プロレスラーの苅野さんにやっつけてもらえばいいしね」
私達は駆ける。
「オイオイ、待てよ。ちょっとお嬢ちゃん達に用があるから、逃げるなよ」
男は瞬時に私達の目の前に立ちふさがる。
「ひぃぃぃ」
芽衣ちゃんは恐怖して私の裾を震わせる。
八白が作ったホムンクルスは体型だけではなく、声も似るらしい。
「話したいことって、何かしら?」
「お前等って、黒部彩紗と穂波芽衣だよな?」
その台詞を聞いた時、芽衣ちゃんは身体の震えが、さらに増大した。
今すぐ逃げたいのが山々なのだが、彼は人間離れをしたスピードで私達の元へ近づいた。苅野にはそれほどのスピードは持ち合わせていない。ということは、彼とは別のDNAから採取したものだろう。
《オーラ》を使えれば、すぐに逃げられるが、性格が豹変した私を芽衣ちゃんが受け止めてくれるのだろうか。不安であまり使いたくはなかった。
「返事がないということは正解ととらえてもいいんだよな。だったら遠慮なくやらせてもらう」
怪しげな男はあからさまに芽衣ちゃんを狙って拳を振るう。
私は友達を守るために仕方なく瞬間的に《オーラ》を纏って助けようとするが、コンマ一秒の差で私達の前に誰かが現れてその拳を受け止めたのだ。
「誠……?」
私は昨日助けてもらった男友達の名を無意識に呼んでしまったが、ここに来たのはその彼ではなく、私を暗殺しようと企てている、昨日出会った《忍》だった。
なぜ、彼女が私達と同じ制服を着ていて、芽衣ちゃんを助けるのかは全然分からなかったが、私はこの場を彼女に任せて、私は芽衣ちゃんを引っ張り、この場から離れた。
私は芽衣ちゃんに、裏社会の自分を見られたくなかったので心の底からホッとした。
二人は駆け足で学校へ向かう。一つ目の角を曲がると、私と芽衣ちゃんの表情は一瞬にして凍りついた。
「オイ、逃げるなよ」
あの怪しげな男がまた私達の前に立ちふさがる。
「どういう……ことなの?」
私は先程助けられた《忍》が負けて、こちらに来たのではないかと思い、来た道を引き返すと《忍》は男と戦っていた。
何がどうなっているのか彩紗は全く分からずにいた。
「いくら逃げたって無駄だぜ。俺は《忍》の技で言うところの《分身》が出来るのだからな。例えこの場を振り切ったとしても俺はすぐさま《分身》をしてお前達を追うぜ」
確か《分身》は《忍》の基本《忍術》の一つ。自身の肉体をそのまま複写する技。
・《分身》の《オーラ》が無くなる。
・《分身》がまともに動けないほどの重症を負う。
・使用者が術を解く。
・使用者が死亡する。
のいずれか一つさえ条件が満たされれば《分身》は消滅する。
しかし、《忍術》は親子三代までの《忍》の血を引いている者しか使えない《血統技》であり、その血統のみ扱える《忍術》も存在する。
親子三代までしか反映されないため、長く反映させるにはその三世代の間に別の《忍》の血統を交えないといけない。その時に、より濃く出た血統が次の三代へと続いていく。
そのために、片方の血統を得た子どもが産まれるまで、妻を幾度なく出産されたり、別の血統と交えたくないために、近親相姦紛いのことをされたりといった問題もある。
稀に両方の血統を交えた者が存在するらしい。
そもそも、《忍術》を扱える者は皆《忍》特有の仮面を被っており、このサングラスマスクが《忍術》を扱えるわけがない。
「じゃあ、逃げ場がなくなって大人しくなったことだし、始めますか」
その言葉を言い終えたのと同時に瞬きをしてしまった私は、視界から男が消えていたことに気付いた。
男は芽衣ちゃんの目の前に移動しており、私が気付いたときには既に遅く、男の拳は芽衣ちゃんの鳩尾に命中していた。
芽衣ちゃんは声一つ言うことなく意識を失い、私の裾を掴んでいた手が力尽きて地面に落ちた。
私はすぐに芽衣ちゃんのもとへ寄り、生死を確認する。
左手首付近の脈拍の確認と呼吸をしているかどうかを調べると、二つとも正常に機能していたため、私は安心した。
それにしても、何の罪のない芽衣ちゃんを快楽で気絶させたのが許せなかった。
もし、死んでいたのなら私は《心の闇》に飲み込まれ暴走してもおかしくはなかっただろう。
「まずは一人。次はお前だ、黒部彩紗」
男は芽衣ちゃんを仕留めると、標的を私に変え《オーラ》を増幅させている。
おそらくこの男は《分身》ではなく、オリジナル。なぜなら、《分身》は《オーラ》の増減ができないから。
いつもの私なら余裕を持って弄ぶように戦うのだが、今回はそんな気分になれなかった。
「どうした? 俺の強さに怖気付いたのか? それとも《オーラ》を使いたくないのか? ん?」
怖気付く?
私が?
こんなに弱い奴に?
笑わせるならもっと面白いギャグを考えて発言しろ、クソゴリラ。
「遠慮なく行かせて貰うぜ」
男はそう言って私に向かって直進する。
私は青色の瞳にして、彼の全身に氷柱が無数に突き刺さるのをイメージし、彼を見る。
すると、イメージ通りになるものの、男は何事もなかったかのように、私を拳で殴ろうと襲い掛かる。
瞳の色をマゼンタにして、彼の拳を腕で受け止める。
思ったよりも威力があったため、踏ん張りが利かずに少しだけ後退するが、彼の手は蒸発して何も残っていなかった。
「な……」
手を失った事実に男は怯む。
マゼンタは熱の能力を宿している。
千度も出していない今の状態で、身体の一部が一瞬にして蒸発するのは普通の人間ではありえない。
おそらく、この男の身体は蒸発しやすい液体で出来ているのだろう。そう考えれば、物理攻撃が効かないのも説明がつく。
その隙を突いて、私は男の顔を掴み、温度を上げる。すると、男の頭部は瞬く間に蒸発して無くなった。
「私を本気で怒らせたらどうなるか分かったかゴリラ」
頭のない遺体に向けて罵倒した後、ピクリとも動いていない男のへそ辺りに手を置き、その遺体ごと蒸発させた。
しかし、思った以上に呆気なく終わったので、腹の虫が収まらなかった。
これ以上、何かに八つ当たりしてもしかたがないので、気を失った芽衣ちゃんを彼女の自宅か、私の家に運び込まないといけなかった。
私は《オーラ》を解き、芽衣ちゃんを介抱しようとすると、私の目の前に、布川洋治がやってきた。
「彩紗様のお帰りが遅いので、私がプレゼントしたハンカチで探知しましたが、いったい此処で何があったのでしょうか?」
洋治は横になっている芽衣ちゃんを見て発言する。
「奴が動き出した。さっき、ホムンクルスが現れて、私と芽衣ちゃんの命を取ろうとしたから仕留めたわ」
布川は辺りを見回して何かを探している。
「そのホムンクルスの遺体が見かけませんね? どうなさいました?」
「身体が液体で構成していたから、私の能力で蒸発してなくなった」
それを聞いた布川は眉をしかめた。
「彩紗様。相手が気化したからといって、生死の有無が確認できない以上、死んだとは断定できません。気化した水蒸気を集めて復元したらどうするのですか?」
「むしろ復元してほしくて、私はその選択をした。何の罪の無い私の友達を狙う奴は、何度でも殺す。怒りが収まるまでね」
さっきのことを無意識に思い出してしまい。《オーラ》の増幅を反射でしてしまう。
ここは我慢するより、今すぐに八白を徹底的に始末しようと思った。
「洋治。芽衣ちゃんと荷物を頼む。私は八白を殺して、橘の仕事を終わらせる。もし、ホムンクルスが再生したら、《千色の布》の能力で私の元に送って」
洋治は芽衣ちゃんを担ぎ、荷物を受け取る。
「かしこまりました。では、お気をつけて」
私はすぐに八白がいる廃ビルに急いで向かった。
「……消え……た」
今の戦闘で少々傷を負ったが、体力はそこまで消費されなかった。
奈央と話して、急ぎ気味に彼女を追っていると、大男に襲われていたので、思わず身体が動いてしまった。
彼女の実力ならこんな男は《オーラ》を使えばすぐに倒せるはずだが、使っていない様子からすると、親友である芽衣ちゃんの前では使用したくないことが窺えた。
その証拠として、彼女が気絶するとすぐに《オーラ》を使い使用者を倒した。
芽衣ちゃんの前で《オーラ》を使わないのはその副作用ともいえる性格の変化だろう。攻撃的な性格に変貌する彩紗ちゃんを、芽衣ちゃんに見られたくないのだろう。
そういうところはやっぱり、かわいい女の子だなと思う。
そんなことを思っていると、彩紗ちゃんの執事がやってきて二人で話し込んでいた。
そういえば、あの執事さんはあの事を知っているのだろうか?
もし、知らないのなら彼女の側近ともいえるあの人に告げたほうがいいだろう。もっとも、彼が信じるかは分からないが……。
それにしても、あのホムンクルス。
昨日のユウキの資料で見たとおり、苅野豪の身体に、師匠の能力を兼ね備えていたが、分身体とはいえ、想定よりも弱かった。
各長所を取り揃えたつもりなのだろうが、威力や動きのキレがまるでなかった。《財団》が投資を拒否したのもうなずける。
八白は《財団》の投資対象となっている《MON》内でも、下の研究員だった。
自分を認めてくれないため、企業を裏切り、《八岐大蛇》の力を奪った。
そいつがしたかったものの一つに、師匠が犠牲になったのが悔しかった。
それも、あんな弱い者の一部に。
どうせなら、強い奴の一部にしてもらいたかった……。
そんなことを考えていると、彩紗ちゃんの《オーラ》を感じた。
その方向に振り向くと、彼女は勢いよく《オーラ》を纏い、親友である芽衣ちゃんを執事に任せて去って行った。
執事はズボンのポケットから、ピンク色のベットシーツのようなものを取り出し、彼女に被せていた。
布川洋治。彼は黒部彩紗の執事である。彩紗ちゃんのご両親は二人とも仕事で忙しいため、彼を執事として雇い、幼い頃から彼女の面倒を見ていた。
ご両親よりも接している時間が多いために彩紗ちゃんは親よりも心を開いているらしい。
彼が何故、《オーラ》を扱えるか、その経緯は調べきれなかったが、布川家の男は《千色の布》という能力を使用するのは分かった。それは布の色によって様々な力を操る能力だ。
《オーラ》の能力は遺伝する可能性が高いため、一家のほとんどが同じ能力というのは珍しくはない。
昨日、誠を包んだ白いハンカチも彼の能力の一部である。おそらく白色の布は包んだ物体を別の場所に瞬間移動が出来る能力だろう。
そして、芽衣ちゃんが彼によって敷かれた布も、彼の能力の一つに違いない。どういった能力かは分からないが、芽衣ちゃんには害のない能力なのは分かる。
それにしても、あの大きさの布はどうやって収納していたのだろうか?
彼の被服は《千色の布》を使用したものだろうか?
そう考えれば、納得がいく。
布川洋治は私の視線に気付いたらしく、シーツを羽織った芽衣ちゃんをお姫様だっこして、私の前にやって来た。
「これは、これは昨日の《忍》のお嬢さん。少し傷がありますね。あの男にやられたのでしょうか?」
「ええ。彼の《分身》にね」
「そうですか。ところで、彩紗お嬢様の命を狙っているのですよね?」
布川は《オーラ》を纏う。
戦わないといけないのだろうか?
私も《分身》であり、《オーラ》の消費を抑えないと、維持できる時間が短くなるため、無駄な戦闘は極力避けたい。
「ええ。じゃあ、貴方に一つ質問をしてもいいでしょうか?」
「かまいませんが」
「八白の企てていることはご存知で?」
「いえ。私達は彼らと商談はしていますが、そこまでは存じません」
「そう。だったら、教えてあげましょう」
「結構。私は、お嬢様の命を狙う者を始末するのみ」
布川はポケットから、黒い大きな布を取り出すと、それを芽衣ちゃんに被せた。
「いいのかしら? そのお嬢様が八白の野望に巻きこまれるかもよ」
「心配ご無用」
布川は、芽衣ちゃんを被せていた布を剥がせると、そこに少女はいなかった。
どうやら、これも《千色の布》の力らしい。芽衣ちゃんを移動させたということは、私と戦る気のようだ。
「私としては、貴方と戦う気はない。どうしてもというのなら、私の話を聞いてからにして頂戴。それは貴方を守護する黒部彩紗にとって、有益な情報だと約束する」
「分かりました。でも、《オーラ》は解きませんよ。隙を突いて攻撃されたら、困りますので」
「それで構わないわ。それじゃ、言うわよ」
その時、布川の殺気が感じた。信用されていないらしい。
「八白は、八岐大蛇の力を得ている。そして、彼は黒部彩紗を使って、酒呑童子を産ませる気よ。止めなくてもいいの?」
「証拠は?」
「ないわ。でも、この私を殺しても《分身》だから、私自身は死なない。何なら、試してみる? 私は貴方が立ち去るまで、指一本動かさないわ」
すると、布川は紫色のハンカチをポケットから取り出し、私の方にそれを翻した。
布の裏側から、数百本のナイフが一直線に放たれ、私は身体の全身に突き刺さり、意識を失った。
今日の会議はいつも通りに、生徒会室に皆で集まり、机をくっ付けて、議題を進めていた。
次の議題に入ろうとする瞬間だった。
彩紗ちゃんを尾行していた《分身》が消滅したのが分かった。
《分身》が消滅すると、術の発動から、消滅するまでの全ての記憶の全てが、私の脳内に流れ込む。
どうやら、彩紗ちゃんは、八白のところへ殴りこみに行ったらしい。
私の《分身》が消滅した事で、布川さんが、私の事を信用して、彼女を止められればいいのだが……。
「アミ。聞いている?」
奈央は私の異変を察知したのか、声をかける。
「ゴメン。聞いてなかった」
笑って誤魔化す。
「もう一回説明するの面倒だから、プリント読んで、案出して」
いつもなら、キチンとしていないと怒る奈央は何故か怒らなかった。
どうやら、仮面を被っていない私の心は筒抜けらしい。
奈央も何かに気付いたかのようにいつもよりやや早口で議題を進めていった。