かけ離れていく日常
放課後。
朝から降り続いている雨はまだやまない。
学校の昇降口から出て、傘を差して下校しようとしていた。
部活は集団行動というのがあまり好きではないため入る気はしなかった。
明日の五限にある、新入生歓迎会で部活紹介をするらしく、その時に気になるのがあれば入るのかもしれないが。
本来なら、通学は自転車なのだが、今日のように朝から雨が降っている日は徒歩で登下校をするようにした。学校と家との距離は、徒歩二十分程度なので歩くのはそこまで苦ではなかった。
校門から出ると、すぐ近くにある信号機に目が入った。そこで待っている数人の女子生徒の中に彩紗を見かけた。
他の女子生徒はグループでお喋りを楽しんでいるようにみえるが、彼女はただ一人、傘を持って雨に打たれていた。
そんな彼女を見て、話しかけようとするが、何を話したらいいのかが分からず、結局、彼女にばれないように尾行することにした。
昼休みに、今日は詮索するのを辞めようと思ったのに、尾行をしている自分が情けない。
彼女を尾行していると、学校から東側を通ることになった。
自宅は学校から西側に自宅があり、買い物や遊びに出かける時もその周辺しか行動しないため、東側には全くと言っていいほど無縁な土地だ。俺自身、やや方向音痴気味なので、帰る時が少しだけ心配になるが、尾行を続けた。
それから、十五分は経過しただろうか、時間が経つにつれて人通りや建物が少なくなっていき、しまいには彩紗以外の人は誰も見当たらなかった。
尾行開始時には人ごみに紛れていたが、現在は彩紗が視界にギリギリ入るくらいの距離で追っている。ここまで人がいないとなると、俺の存在に気付いていて、わざと人がいない場所へと移動しているのではないかと思ってしまう。尾行経験は今日の昼休みが最初なため、気付かれていてもおかしくはないだろう。
それから一、二分して、彩紗はとある建物の中に入った。
気付かれないように、慎重に近付いて、彼女が入った建物を見た。
その建物は高さが五メートルほどの朽ち果てた廃ビルだった。
年頃の女の子が一人で危険が漂う建物の中に入るのを俺は確かに見た。
誰かが脅迫して彩紗の身体を汚そうとしているのだと考えてしまうと、いてもたってもいられず、折りたたみ傘を雑にバックにしまい込み、全力で駆けぬける。
何階のどの部屋にいるか全く分からないため、一階から全ての部屋を見て彩紗を探す。
この廃ビルは廊下の両端に階段が設置しているらしく、端から端まで全部の部屋を見て上の階に行くことにした。
その結果、一、二階はどの部屋も誰もいなかった。次の三階へ続く階段を上り終え、角を曲がると、三十代前半くらいの一人の男が誠の目に入った。
「お前か……。彩紗に手を出しているのは」
男は誠の声に気付きこちらを向く。
その男は黒髪のセミロングで、中世のヨーロッパの方々が着ていそうなお洒落な黒いスーツを着ていた。
「下の階が騒がしいと思いましたら、貴方の仕業ですか?」
冷めた口調で静かに言う。
「何もないこの建物に入ってくるという事は恐らく、彩紗様を尾行したのでしょうが、そういうことをなさる、貴方の方が彩紗様に手を出しているのではないかと私は考えますがね……」
その言葉に火が点き、近くにあった鉄パイプを拾い上げ、男に襲いかかった。
男は微笑して、ポケットから白いハンカチを取り出し、俺に向かって広げると、何故かそれは徐々に拡大していき、俺を包みこんだ。
包まれたハンカチから脱出としたとき、この廊下の端にいた。振り返ると先程会話していた場所にさっきの男が立っていた。つまり、俺は一瞬にして男の背後に瞬間移動したのだった。
一体何が起こったのか全く分からず、その恐怖からなのか、体中に冷や汗をかいていた。
「君ね。下で騒ぎを起こしているのは」
四階から階段を下りて、喋りかけてきたのは彩紗だった。
でも、様子が昼休みに女子と会話していた時と比べると、冷徹な雰囲気を醸し出しているのは気のせいだろうか?
「お前は確か私が教科書を買う時に、私を見つめていた男ではないか」
どうやら俺の熱い視線に気付いていたらしい。
「なるほど。私のことを知りたくて、尾行してきたわけか。カワイイな」
彩紗は少しだけ微笑み、一段一段階段を下りてくる。
「そういえば、昨日の昼休みにも見たわ。確か、亜美と会話をしているとき。ガン見していたよね?」
彩紗が階段を下り終えると、ゆっくりと距離が縮まる。
彼女が瞬きすると、彼女の瞳の色が黒から青に変化したのが分かった。途端、俺の周りが一瞬にして凍りついたのだった。
この光景を目の当たりにして、俺はつい、大声で笑ってしまった。
「何がおかしいの?」
彼女は戸惑いの顔を浮かべて俺に質問をする。
「彩紗さんが暴行されているのではないかと心配してこの廃ビルに入ったのに、どうやらそういうのは無縁みたいだし、彩紗さんが元気そうで良かった。目の色が青に変わった時に、氷が出てきたけど。もしかして、超人? 俺こうゆう少年漫画好きだから羨ましいな。俺にも出来るかな?」
彼女は俺の言動が気に食わなかったのか、彼の胸倉を掴む。それもそのはず、普通ならこの状況に置かれた場合、驚きや恐怖を感じたりするのが普通だろうが、俺は笑ったのだから。彼女が怒るのは何となく分かっていた。
「次、喋ったら殺すよ?」
「大好きな人に殺されるとか、最高のシチュレーションで、本望だ。殺せ」
どうせ、生きていたって、今までどおり幸せなことは滅多にないだろう。それだったら、君に殺された方が良い。
すると、彩紗はもう一方の手で、氷でできた刀を創造する。
「フッ、お前のような馬鹿者は初めてだ。じゃあ、死――」
彩紗が言い終わろうとした瞬間、彼女の背中にクナイが三本突き刺さり、爆発した。すると、爆煙で視界が埋め尽くされる。
「彩紗様」
ハンカチの男の声がする。どうやら、彩紗の所在を確かめているらしい。
「大丈夫かい? 君?」
いつの間にか俺の横に、鼻から上にかけて仮面で素顔を隠している人物が現れ、話しかけてきた。
高い声からして女性だろう。
「はい。大丈夫です」
「だったら、早く私の背中に乗って」
仮面の女性に従うと、彼女は俺を背負ったまま近くにある窓から飛び降りて着地し、自動車よりも速いスピードで移動をする。
彩紗の叫び声が途中聞こえたが、俺達は振り返らずにこの場を去った。
瞳が緑に変色した彩紗は、廊下に充満していた爆煙を、突然発生した風で吹き飛ばした。
彩紗は先程、背中にクナイが刺さった箇所に手を当て流血の有無を確かめると、一滴もしていないことを確認した。
「洋治……。まただ。また、身体が勝手に動いた……」
彼女は恐怖で振るえている両腕を見つめる。そのときには瞳の色は元の黒に戻っていた。
「いつの間にか、刀を持って、一般人を殺そうとした……」
「彩紗様。さっきの記憶はどこまで覚えていらっしゃいますか?」
「胸倉を掴んで、あの男を脅したとき。あの後、私は彼を気絶させて、洋治にその子を連れて、この場から去ってと頼もうと思ったのに……。急に意識がなくなって、気付いたら私は《忍》らしき者に不意打ちをくらっていた……。私、大丈夫かな? 暴走したりしないよね……」
「《オーラ》の暴走だとしましたら、大丈夫ですよ。さっきの彼が救ってくれるでしょう」
「な……何馬鹿のことを言っているの洋治。彼が私を救ってくれるとは到底思えない」
その時、階段が下りる音が聞こえてきたので、二人はそちらに目を向けた。
現れたのは、白衣を着た二十代後半にみえるメガネの青年だった。
「用事は済んだかい? 黒部彩紗さん。僕のアジトで騒いでいたみたいだけど内輪揉めは外でしてくれないかな? もしかして、この件を僕に見せるのがここに来た理由だったりしないよね?」
男は彩紗を睨みつける。
「まさか。さっきのはたまたま起きた事。ここに来たのは、例の話の件で来たの」
それを聞いた男の表情は固まり、メガネを中指で上げる。
「……そう。まあ、ひとまずお茶を飲みながらゆっくりと話しません?」
「ええ。頂くわ」
彩紗が頷くと、三人は階段をゆっくりと上っていった。
仮面の女性に担がされて辿り着いた場所は、廃ビルと学校の中間地点の距離にある緑が生い茂る山の中であり、ここに辿り着いたときには雨は止んでいた。
移動が終わったようなので、俺は仮面の女から降りた。
仮面の女性はショートヘアで、深緑色の服を着ており、胸囲、肘、膝に甲冑のようなものを装備していた。
「ふー。間一髪だったね。あともう少し遅かったら、殺されていたね」
謎の仮面の女性は素顔を見せずに喋り始める。
「貴方は一体何者ですか?」
「私は《忍》の一人。まあ、表社会に生きている君には分からないか。仕事内容は大雑把に説明すると、お金さえ払えばどんな依頼でも請け負うのが仕事。今も仕事の最中だったけど、君が心配で助けちゃった。ハハハハ」
この《忍》というのは世間でいうところの忍者なのだろうな。
しかし、彼女の発した『表社会』という言葉に少しだけ気になった。
「いや、笑い事ではないでしょう……。俺のせいでお仕事を邪魔してごめんなさい」
頭を下げて謝罪する。
「気にしなくていいよ。そういえば、君は黒部彩紗さんが好きなのよね?」
どうやら、さっきのやり取りを一通り聞いていたらしい。少し恥ずかしかったが、今の発言で、彩紗の苗字は黒部って言うのが分かったから良しとしよう。
「……はい」
少し赤らめて答える。
「どれくらい好きで何処が好きなの?」
「この世で一番好きで、彼女の全てが好きです」
なぜだろう。言葉に出すと、何だが恥ずかしくなってきた。
「じゃあ、黒部さんが助けを求めていたらすぐに駆けつける?」
「もちろん。火の中、水の中何処だって駆けつけますよ」
「じゃあ、私が黒部さんを殺そうとしたら貴方はどうする?」
瞬時に後退し、彼女との距離をとった。
「それ、本気で言っているのか?」
静かに問う。
「半分って事かしら。現在、私が請けている任務は黒部彩紗の暗殺。私はあまりこの仕事をしたくないけど、任務は上司が決めるから、私に拒否権は無い。私は裏社会の人間でもあり、表社会の人間でもある。そして、黒部彩紗の小学生時代の友達でもあるから、あまり彼女を殺したくないの。だから、賭けることにしたの。貴方の彩紗を想う心が彼女を救えるのではないかって」
「仮に、俺が彩紗のことが誰よりも想っていたとしても、彼女を救えることが出来るとは思えない」
「何故、そう思う?」
「簡単だ。俺は彩紗の事をよく知らないし、裏社会の事だって知らないからだ。一つだけ確かなのは、あの漫画みたいな能力は裏社会においてはそう珍しくはないということだ。さっきの貴女のスピードは化け物染みている」
「君が言っているのはおそらく《オーラ》のことだろうね。それは裏社会においては日常的な力。まあ、使おう思えば、表の人でも使える。彩紗を助けてくれるというのなら、教えてあげなくはないけれど」
「教えなくて貰えなくったって、俺は多分。《オーラ》というものを扱える」
俺は掌を近くにあった木に向けて、腕を押し出すと、それは綺麗に真っ二つになった。
それを見た彼女は、口がポカンと開いていた。
「ど……どうして、《オーラ》を使えるの……?」
「絶望していた時、漫画みたいに腕を押しただけで吹っ飛ばないかなと、試したら近くにあったものが切断した。それっきり、何もしてなかったから、出なかったらどうしようと内心思っていたけど、そうそう忘れないみたいだね」
「……ええ。《オーラ》は基本覚えたら忘れない。それに、貴方が《オーラ》を使える理由は《心の闇》を受け入れたからでしょうね。《オーラ》の根源は《心の闇》だから」
「《心の闇》か。確かにその当時は生き地獄の日々だったが、受け入れた気はしないけどな……」
当時を思い返すと、散々な日々だった。
今でもトラウマであり、死んでも忘れないであろう心の傷を負い。それが、闇となった。
それを気に、人と関わるのを極力避けるようになった。
高校生になったから、それを乗り越えようと頑張ろうとした。
しかし、思うようにはいかなかった。
その結果が、今日の昼休みだ。
でも、明日は誘ってくれたクラスメイトと一緒に食事をすることになった。
信じていいのか分からないけど、信じてみようと思う。
「―――――――って、聞いている?」
彼女の声が、少し大きめに発した事により我に返った。
「ごめんなさい。聞いていませんでした」
《心の闇》と言うから、過去を少し思い出しかけた。
「もう一回言うけど、《オーラ》はこの世で一番強い力があるといわれる《闇》の力を使うもの。そのため、自信の《心の闇》を許容しきれないほど膨大したり、《オーラ》を限界以上に引き出したりすると、《心の闇》が制御しきれなくなり、暴走する。だから、気をつけてね」
「『気をつけて』なんて言っているけど、その気になれば教えようとしていたのによく言うよ。で、彩紗を暗殺する理由は何? 仕事を躊躇う程度なら、そこまで大したことないの?」
「全部は話せないけど、彼女は近い内の起こるであろう事件の元凶となりうる存在だから、暗殺命令が出た。彩紗はそのことに気付いてなさそうだけどね。ノコノコと黒幕のアジトに行っていたし」
「そいつは彩紗をどうしようとしている?」
俺は生唾を飲み込む。
「それは言えない。これ以上話すと、君の頭は混乱するかもしれないし、盗聴されているかもしれないしね」
《忍》は何かを瞬時に投げつけると、その先の木にクナイが刺さった蝶がいた。
その蝶から、火花のようなものが出たのをはっきりと見えた。
「どこから聞かれていたかしらね? 私を追っていた気配はなかったし、別の輩。もしくは、近隣のいたるところに、このようなものがいるのか……」
《忍》はクナイを木から引っこ抜き、懐にしまう。
「そういえば、君の名前は?」
俺の方に振り向きながら喋る。
「喜田村誠です。貴方の名前は?」
「アミ。よろしく」
アミさんは辺りを見渡しながら、こちらに近付く。
「相手はどうでるかは分からないけど、長居できないのは確かだろうね。今直ぐにでも逃げたいけど、喜田川君に《オーラ》の基本を教えないと、無闇に使用したときに暴走したりしたら困るしね。急ぎめで説明するわ」
「川じゃなくて、村です」
たまにあるんだよな。この間違い……。
「ああ。ゴメンゴメン。気をつけるわ」
すると、アミさんが先程よりも、威圧的な雰囲気になった。
「先程、喜田村君が木を切断したのは《オーラ》の放出であり、今の私がしているのは《オーラ》を纏い、維持している状態。そうすることで、身体能力が上がるわ。君は《オーラ》の放出ができるから、全身を包み込むようなイメージをすればできると思う。数十秒時間をあげるからしてみて。出来なかったら、私がここから去った後にでも一人でやってね」
全身を包み込むイメージか……。
放出している際、手に空気の塊みたいなのが掴んでいる感じがした。それを皮膚全体に行き渡るイメージをした。
すると、長い間、知らない内に縛り付けていた何かから、急に解放された気分になり、今まで出来なかったことが、全てできるような感じがした。
俺に纏っている白に近い灰色の湯気のようなものが俺の《オーラ》だろう。《オーラ》を纏ったせいか、似たようなのがアミさんの身体を纏っている。
「《オーラ》を纏えたようね。どう? 高調な気分でしょう?」
「ああ。今の俺には不可能がないと傲慢している。多分。この気分に酔いしれると暴走する。違う?」
アミさんは首を縦に振った。
「そのついでに言うけど、《オーラ》の根源である《心の闇》は生き物のように意思があるから、聞きなれない声を聞いたら、貴方の《心の闇》が喋りかけていると考えた方がいい。うまい話の交渉があったら、それは大概、《心の闇》が貴方を乗っ取る目的の可能性が高いわ。まあ、それをどうするかは自分で判断してね。自分の《心の闇》なのだから」
《心の闇》の意思か……。
過去に、不思議な体験をしたことがある。思い返せば、《オーラ》が使えるようになったのはその後からだ。夢でたまにその子にあうが、そいつの容姿が俺好みなのは、俺の《心の闇》が生んだものだからだろう。
突然。アミさんの《オーラ》が膨れ上がり、色が徐々に黒色に近い色になってくる。
「《オーラ》は黒色に近いほど、《オーラ》の質が良く、多く纏っているほど《オーラ》が強いことになるわ。二つとも訓練すれば増減できる。気をつけておくことは質が高ければ高いほど、自我が弱くなりやすい。慣れないうちは質のコントロールはしない方がいいでしょうね。質が良い程、《オーラ》の消費が少量でも力が発揮できるのが、一般的な解釈」
説明し終えたアミさんは、《オーラ》を纏うのをやめたので、俺も同様にする。
「一応、《オーラ》の基礎は一通り教えたけれど、何か質問はある?」
「能力について。詳しくはわからないけど、俺は物体を切り刻む能力。彩紗は氷を操る能力といったように、各個人に能力は一人一個ってことで、認識していいですか?」
「いいえ。そうとは限らない。現に彩紗は氷を操る能力だけではない。彼女は自身の瞳の色を変えて能力を扱える。私が知っているのは赤色の炎。青色の氷。緑色の風。私の推測だと、彼女はその三色をベースに複数の色に変えて、能力を変化できる」
「もしかして、『光の三原色』というやつですか?」
「そう、それ。多分、彩紗の瞳の色はそれに準じていると思う」
『光の三原色』。赤、緑、青の三色が全ての色の元となり、これら三色を混ぜ合わせるにつれて、明るくなり最終的には白色になる。でも、それらはテレビやカラーディスプレイのような光を発する場合である。
印刷やカラー写真のように光の発さないものは『色材の三原色』といい、マゼンタ、シアン、イエローの三色になり、混ぜ合わせると暗くなって、最終的には黒色になる。
人間の目は光を受容する感覚器であるため、どちらかといったら『色材の三原色』の方がしっくりするのだが、彩紗はミスリードで、『光の三原色』の原色を使っているかもしれない。原色が一番の力を発揮するのなら、尚更。
そのことをアミさんに言った方がいいのだろうか?
いや、さっきとは違う場所に盗聴器が仕掛けられているかもしれない。彩紗にとっての黒幕に知られたら不味いだろう。
「他に質問ある?」
「《オーラ》の強化方法は?」
「身体と精神の修行。コントロールや能力面は実際に使用してコツを取得した方がいいわね。他は?」
「そうだな……」
十秒程考えるが、これっといって聞きたい事は思いつかなかった。
「質問はもうないです」
「そう。私はこの場から離れるから、喜田川君も去った方がいいよ。盗聴したやつらが来る恐れがあるから。またね」
「また、間違えてますよ……」
「ああ。村だったね。村」
そう言って、彼女は《オーラ》を纏い木の枝を飛び渡りながらこの場を去った。
俺はそういうのをする気がおきなかったので、普通に地面に足を付けてこの場を後にした。
誠が去った後、アミは現時点の仮宿に帰宅した。
この仮宿、外装は塗装が剥がれていたり、金属が錆びついていたりしているため、大きな地震や台風が発生したら崩れてしまいそうな見た目の家だが、室内は外とは間逆であり、新築同様にリフォームされている。そのため、実際に大きな災害が発生しても崩壊する可能性は低くなっている。
こんな山奥にあるボロボロな家をわざわざリフォームしているのは、他人に人がいるとは思わせないようにしているためである。
実はこの仮宿、《忍》が保有している隠れ家の一つである。隠れ家の数は日本国内だけで数万戸。主な用途としてはその地域にある依頼をより円滑にするためである。
この仮宿は2LDKで水道、トイレ、バスが完備されており、蓄電さえすれば電気も使える。
アミは扉を開けると、彼女と同じ服を着た、少し小柄な体型の仮面を被った少年がクナイの整備をしていた。
「ただいま、ユウキ」
「おかえり、姉ちゃん。任務のほうは?」
「少し、面白いものがあったからそっち優先しちゃった」
ユウキは呆れたようにため息を吐く。
「相手はあの強さで発展途上の生意気な娘だぜ? 更に強くなったらどうするんだよ……。失敗したら隊長に怒られるぞ」
「良いわよ。私は自分の意思を貫き通すためなら何だってするわ。そういえば、遠目で見たから見間違いだったらいいけれど、彼女の瞳の色が緑になっていたかも」
それを聞いたユウキは目が点になっていた。
「おいおいおい。それってかなりまずいんじゃね? 隊長の話だと能力が発動する瞳の色は三色なんだろ? 期限内に遂行できるのかよ……」
「恐らく無理でしょうね。だから、面白いものに時間を使って良かったと思っているの」
ルイは少し誇らしげに微笑する。
「ところで、その面白いものってなんだよ?」
「さあね。貴方が任務している時に何かわかるかもしれないわよ」
「それってどういう……」
アミは懐にしまいこんでいたUSBメモリをユウキに向かって優しく投げ、それをユウキは受け取る。
「ユウキに言われたとおり、任務のついでに彼のデータ。コピーしてきたわよ。それを辿っていけばもしかしたら分かるかもしれないわ」
ユウキは受け取ったUSBメモリをすぐさまノートパソコンに差込み、情報を閲覧し、目を大きく見開く。
「やっぱり……。こいつの中に師匠のDNAが含まれているのか……。しかも、黒部彩紗の側近の一人である苅野豪のDNAを組み合わせることで、素早いパワーファイターを製造してやがる……。だが、量産できないのが何よりも救いだ」
ユウキはそう呟いて、誰かにメールを送った。
「で、勝算は?」
「一人だったら、勝ち目はないけど、これから起こるであろう襲撃事件で、きっと《RP》の友達と組むと思う」
「襲撃事件……?」
傍にあったソファにアミは腰掛ける。
「ああ。《財団》の管理している《INS》って会社、あれが近い内に崩壊される。このホムンクルスによってね」
ユウキはPCに映し出された画面をアミに見せる。
「その情報は確かなの?」
「ああ。《RP》は八白大のアジトの近隣に潜んでいる移動型盗聴器を模したものを作り、それを忍び込ませ情報収集をしたらしい。すると、今日の黒部達との話し合いに乗じて《INS》を襲撃すると分かったらしい」
「《INS》……。でも、数ヶ月前の件で、《財団》にとっては用済みでしょ? そこの研究員は全員死亡しているみたいだし、今の存在意義は表側に向けて、害虫駆除商品を売っているだけの会社。シェアはそこそこあるみたいだけど、《財団》にとっては小銭稼ぎ程度しか思っていないでしょうに、消滅したって無意味」
「《INS》が主に取り扱っている虫は数千京匹いるとされているからな。研究次第でものすごく延びしろがあるから今の内に潰す魂胆だろう」
「なるほどね。じゃあ、私、宿題があるから自分の部屋に戻るね」
「ああ」
アミは大きく背伸びをして、この部屋を後にした。
廃ビル最上階のとある一室。
黒部彩紗と八白大は、両者の仲間を携えて議論をしていた。
「何故だ。俺のホムンクルスは完璧だ。相手のDNAさえ採取し、合成すれば複数の能力を得た最強生物ができる。これこそが、《財団》が求めているものではないのか?」
八白は机を強く叩き、激昂する。
「貴方が成功しているのは二種類の合成のみ。三種類以上組み合わせていないのは、失敗しやすく、自分で制御できないから。違うかしら?」
「その通りだが、《財団》の技術力があれば可能だと思い、これを申請した。それに、数ヶ月前の《INS》の件で、《財団》は失敗のリスクをそこまで考えていないはずだが?」
それを聞いた彩紗は鼻で笑う。
「《財団》の目的は、地球上の全てのことを解読し、平和を維持すること。リスク以前に、貴方のホムンクルスはそれに貢献できていないだけ。それだけのこと」
彩紗がそう言うと、八白は《オーラ》を纏った。
「平和維持? あの組織体がそんなこと言うとは思えないんだよ」
八白は彩紗に襲いかかろうとすると、彩紗の瞳は黄色に変わり、両者がいる位置の真ん中付近に、稲妻が一本、天井を貫いた。
「《財団》の悪い噂が流れるのは仕方がない。組織内が大きすぎて、把握しきれないから。そのため、人事はその元の会社に任せている。その中で、悪事を働かせた場合はその会社の存在意義を上層部が話し合い、崩壊。もしくは、人事総入れ替えを行う。この作業をあまりしたくないから、審査はきちんとしている。暴れるなら、好きなだけ暴れていいわ、私達が始末してあげる」
彩紗は薄笑いをして、八白達を見る。
「……いや、やめておこう。今の発言で疑惑から確信に変わったよ」
そう言って、八白は《オーラ》を纏うのをやめた。
「あらあら。怖気ついt――――」
『お嬢。《INS》が、襲撃されている。近くにいれば、応援を頼みたい』
そこに存在しない男の声が、室内に響き渡る。
彩紗は八白を静かに見つめると、ポケットの中から、水色のハンカチを取り出した。
「間に合うかは分からないけど、そちらに向かう。それと、豪。《オーラ》注ぎすぎて、貴方の声が室内全体に響き渡っているわ」
『悪ぃ。洋治の《布》は俺には使いづらくてな。じゃあな、お嬢。後で待ってるぜ』
布越しから聞こえていた声は消えていった。
「少し、喋りすぎた……。いいわ。今日は元々話をしに来ただけだし、処分は近い内にすればいいから。今日は見逃してあげる」
「その余裕が、命取りになると思いますよ」
八白はニヤリと笑う。
その言葉を最後に、彩紗と洋治はこの部屋を去った。
「いいの? 追わなくて」
後ろにいる痩せた色白い肌を持った童顔の少年が静かに喋り、八白はティーカップで口を潤す。
「ええ。もう少し彼女達を泳がしておいてもいいでしょう。それよりも、《忍》からホムンクルスのデータを盗まれた方が痛手だ。依頼主を探して、ぶっ潰す」