暗躍
広々とした部屋に、赤茶色の長髪をした若い女性が椅子に座り、大きなデスクでパソコンを弄っていると、扉からノックが聞こえてきた。
「入りなさい」
女はハスキーボイスで応答する。
扉から現れたのは橘吼であった。
「どうだった?」
女はパソコンを閉じて、橘の目を見る。
「《闇の穴》は小規模なものでしたので、排除しました。そして、喜多村誠という少年は素人にしては良い人材でした」
「そう。それで、あの場にあの子を行かせたのでしょ? 反応はどうだった?」
「彼に反応はありませんでしたが、彼女は私に彼の事を迫られて大変です。私は彼女と彼の関係をよくご存知ではないですから、下手に口出しできないですし、何ならここに連れて来ましょうか? また、暴走したら困りますし」
「ええ。呼んで頂戴」
「御意」
橘は一瞬にして姿を消すと、数秒後に再び橘とその彼女がその場に現れたのであった。
「千早お姉様。一体どういうことでしょうか? 私は彼に会いたいから、今日あの場に来てみれば、私と目が合ったのにまるで、覚えていない様子ではないですか。私を改造したときになにかしたでしょ?」
橘が連れて来た少女は、デスク越しの女性にけんまくになって近付こうとするが、橘に袖を掴まれて、動けないでいた。
「私達が貴女に施したのは、蘇生術と、年齢経過に伴う身体の成長剤。そして、地球の蜂の細胞を使って、《合成人間》にしただけよ。貴女の顔に手を加えたりしていないわ。考えられるとしたら、貴女の事を忘れたか、気付かなかったか、貴女を女として認識していなかったとかね。問題は彼の方にあるのでは?」
「私を女として認識していないですって? 喧嘩を売っているの?」
少女は《オーラ》を纏い増幅させる。
「顔が中性的で、髪型がボーイッシュだし、まな板なお胸に、日本の成人男性の平均的な身長に、ズボンを着ていれば、見る人によっては男の子に見えるでしょ?」
少女は背中に四枚の透明な翅が生え、お尻が服と共に大きくなり、昆虫の腹部のような形に変化した。
そして、その腹部の先端から針が現れると、千早向けて発射された。
千早の顔面に向かってくる針は、首を動かしてかわすが、右耳にかすりそこから赤い血が血が流れ出した。
千早は怪我した箇所を押さえて、少女を睨む。
「今のは毒針ではないから安心して、千早お姉様。彼は私の騎士様なの。だから、どうしても気付いて貰わないと困るの」
少女は千早を冷たい視線で見つめる。
すると、千早は大声で笑い始めた。
「さすがは、私の従妹。そいつに会ってもいいが、条件がある」
「条件?」
少女は眉をピクリと動かす。
「ええ。千春は、身体の成長は出来たけれど、知能の発達はどうしようもならなかった。そのため、死んだ十歳のままの知能。あれから五年が経った今、普通に生きていれば、千春は高校一年生。彼に会いたければそれ相応の学力や知識がないと私は許さない」
「どうして? 世界には学校も受けられない子どもがいる。それなら、私もそれと同じ扱いで構わない」
千早は溜息をつく。
「学を学べる環境があるからこその言い訳ね。低レベルすぎて呆れるわ。貴女が何と言おうと、明日から教師を呼ぶから。その時の年齢相応の知識を学ぶまで、彼と会うのは禁止。十八歳過ぎてもこの状況の場合は、高校三年生程度の学力で許すわ」
それを聞いた千春は徐々に普通の人間の姿に戻っていく。
「分かった。でも、約束を破ったら、お姉様に毒針をたくさん刺すから覚悟しておいてね」
そう言い残し、千春は扉を開けてこの部屋から去っていった。
「良いのですか? そのような約束をして?」
橘は千早の前に手を伸ばす。
「構わないわ。彼と会うのは反対ではないからね。それに、あの騒動から千春に教育つけようと思っていたしね」
千早は橘が差し伸べた手に掴み、立ち上がる。
「千春以外に、《INS》の研究で成功した彼等はどう? いい戦力になっている?」
「はい。数人死者が出ているものの、《闇の穴》の討伐に役立てている模様」
「《INS》の日本支部は今後再建する予定はないから、特に出来の良い四人を本人の尊厳を損なわないように大切にして頂戴」
「御意。ところで、その怪我どうされます? 私がお呼びましょうか」
「いや、私が直接お願いするから遠慮しておくわ」
「失礼致しました。では、私はこれにて退室させていただきます」
橘は千早に敬礼して、この部屋から出て行ったのであった。
森林を生い茂る何処かの山奥。
水無楽を担いだアミは、濃い黒髭を生やした顔上半分を仮面で隠している男性にUSBメモリーを渡していた。
「罠ではないのか?」
男は野太い声を発す。
「仮にそうだとしても、私達にはそれに関する知識が少なすぎる。それに、隊長のように疑り深い人達の配慮なのか、直接的ではなく、間接的な情報」
「その間接的な情報自体が間違いだとしたらどうする?」
「責任は私が取る。それなら、いいでしょう?」
静かな沈黙が訪れる。
それは、たったの数十秒の出来事が数分経過したかのような緊張感を漂わせていた。
「……良かろう。では、私は水無を連れて帰る。お前らではどうにもならんだろう」
「……ええ。お願いするわ」
アミは担いでいる水無楽をその男の背に乗せる。
そして、男は自身を覆うほどの煙を発生させ、その場から姿を眩ましたのであった。
「どういうことだ……。主様の気配が感じられない……」
黒部彩紗によって蒸発させられた力は、夜が更けた頃に元の姿に戻った。
「誰かに殺されたのか? それとも見捨てられたのか。いずれにしても、アジトに戻ったほうがいいか……」
力が移動を試みたとき、彼の視界に《オーラ》を纏った学ランを雑に着ている男がゆっくりと彼に近付いてきた。
「お前か? 主様を殺したのは?」
力は《オーラ》を纏い戦闘態勢をとる。
「知らねえよ。俺はテメェの能力を盗りに来ただけだ」
その男が言い終わる前に、力は彼の目の前に移動し、彼に向けて右腕を振るっていた。
男はそれを右の拳で受け止めると、力の腕は肉片となり、飛散してしまった。
「痛っっっってぇぇぇ。とでも言うと思ったか?」
力はニヤリと笑い、左手で何かのサインを出す。
しかし、何も起こらない。
「ど……どういうことだ…………?」
力は焦り、次第に額から冷や汗が出てくる。
「言ったろ? 能力を盗りに来たってな」
男は右腕で力の左胸を貫く。
「じゃあな。ありがたく貰っておくわ」
男はそう言いながら、腕を身体から抜くと、力の身体は一気に縮み、銅で出来た小さなメダルになった。
「銅か……。能力は強そうなのに。まあ、人工のものらしいから仕方がねえな……」
男は綺麗な方の手で、そのメダルを拾う。
「いたいたいたいたよ窪田が。テメェ。言っている事が違うじゃねえか。俺様たちをナメてるのか。エエ?」
背の低いスキンヘッドを筆頭に四人のチンピラが、窪田の前に現れた。
「お前らのようなザコには使い道の無い胴メダルで十分だろ。それとも、女の方か? まあ、お前らなんか眼中に無いだろうよ」
「俺らを利用したってか? 絶てぇ許さねえゼ」
先頭にいる男がメダルを飲み込むと、窪田も同じタイミングで拾ったメダルを飲み込む。
スキンヘッドの男は、拳を鋼鉄化して窪田の顔面を殴ると、顔は散り散りになった。
「ハン。俺らを舐めるからヴぁ」
喋り途中の男は窪田の拳によって顔を殴られ吹っ飛ばされると、頭から電柱にぶつかり、流血しながら意識を失う。
「うわあああああ。頭がないのに動いたああああああ」
後ろにいた面長の男は両腕をガトリングに変形させて、窪田の身体に弾丸を射出するが、頭を捥がれた身体はゆっくりと、面長の男に近付いてくる。
そして、窪田は射出された弾を掴み、彼の脳天に向けてそれを発射すると、それは見事命中し、面長の男は大人しくなった。
途端。不意を付くように窪田の上半身と下半身は真っ二つに分断された。
「これなら、動かねえよな…………」
モヒカン頭の男は巨大な西洋剣を両腕で持ちながら呟く。
窪田の上半身が地面に落ちると、それは液状化する。そして、液状化したそれは、モヒカン男の心臓にめがけて貫くと、液体は下半身と合体し、首が再生して元の窪田に戻ったのだった。
「ん? お前は攻撃しないの?」
生き残った最期の一人の童顔の男に窪田は問いかける。
「ば……化け物」
童顔男は逃げ出そうとするが、足がすくんで動けずに言葉で窪田に抵抗する。
窪田はゆっくりと、その男との距離を詰めると、童顔男に優しく肩に手を置く。
「いい判断だ。お前に俺は殺せない。その判断力に免じて生かしておくか。まあ、一生お前とは会わないだろうがな」
そう言って肩に置いた手を放すと、童顔男の手に拳銃が現れたのだった。
「こ…これは?」
男は不思議そうに拳銃を見つめる。
「それ? お前がコイツらを殺したという物的証拠。弾の太さもガトリング使ったのと同じやつ。そして、俺が刺殺したように見せかけたモヒカンのやつは、その銃で撃ったことになっていると思うから一致するだろうよ。落ちていた何十発の薬きょうも数発しか落ちていないだろうし、この辺監視カメラとか無いから矛盾はしていないはずだぜ。じゃあな。ブタ箱で暮らしてろ」
「俺は何もやっていない。それに、お前がやったという証拠は他にも出てくるはずだ」
男は拳銃を構えて、銃口を窪田に向ける。
「心配しなくても俺が盗って使っている能力《責任転嫁》は、対象者に責任や罪を背負う能力。矛盾したものでも、対象者が百パーセント責任転嫁できるように実際にあった証拠さえもが消える。俺が死ぬまではな」
童顔男は銃の引き金を何度も引くが、何も発射されなかった。
「残念。弾は入ってませーーん。ついでに、お前達に貸した銅の中で最弱クラスのメダルも俺が持ってまーーす」
窪田は笑いながら、その四枚のメダルを彼に見せる。
「じゃあな」
窪田がそう言うと、彼は数メートル後ろにある電柱付近に瞬間移動した。
「《忍》は《忍》でも、弟のユウキ君か……。お姉さん綺麗だから少し期待したのにショック」
窪田はユウキの背後に回りこんで呟く。
「な…………」
ユウキは振り返ろうと首を動かすが、その方向にナイフがあるのを気が付いたのか、その状態のまま止まった。
「落ち着けよ。俺はお前の命をとる気はねえ。下手に抵抗さえしなければな」
ナイフがユウキの首元に近付き、皮膚が触れる直前で止める。
「俺をつけているということは、誰かの依頼だろ、依頼主は誰だ?」
「法条奈央だ」
「一回の襲撃でバレたか……。流石だな。やっぱり、俺の退屈しのぎには強すぎるか……。それで、何のために尾行してやがる?」
「何を企んでいるか分からないから、一週間程度監視してほしいと頼まれた」
「好意なら超嬉しいが、違うだろうな。生徒会長さんは、先生に純愛しているらしいから、俺が好かれることは無い。ということは、俺の裏での行動を知りたいってことか。勝手にしな。邪魔だと思ったら排除するだけだ。じゃあな」
そう言い残して、窪田はこの場から姿を消したのであった。