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LS柔道

作者: よしお豚

「――確認だ。貴様には我々柔道部員計百名と乱取り戦をしてもらう。もし誰か一人にでも負けるようならば即時お取引願おう。そんな弱すぎる顧問など必要ないからな」

 桜花女子高校柔道部部長である吾妻あづまあすなは俺、天津三四郎あまつさんしろうをビシッと指差し言い放った。

「あー、わかったが……まだ怒ってるのか?」

「怒ってなどいない」

 俺はつい思ったことを口にした――が、あすなはそれを即刻否定した。

「ならいいんだ。顔を赤らめながらジト目で指差されたことなんかなかったからな」

「う、うるさいっ! ヒトのスカートを無茶苦茶にや……破り裂いておいて平然な顔している鬼畜になんか言われたくないわ!」

 長く伸びたポニーテールを上下に揺らしながらキレるわキレる。やっぱり怒ってるじゃねーか。

「さっきから謝ってるじゃんか。俺にもよく分からないんだ。不可抗力ということで勘弁してくれ。なっ?」

 頭をポリポリと掻きながら答える。アレ――当事者の俺でも一切の説明のしようがないので答えられない。

「ともかく負けたら即終了だからな。分かったかこの犯罪者予備軍!」

 言うだけ言ってあすなは稽古場の中央から離れた――と同時に別の女の子が俺の眼前に立ちはだかる。この子が顧問になるための乱取り戦の一人目ということか。

 俺は覚悟を決め、深呼吸をしてから姿勢を整えた。

「……いいぜ、未来の顧問がお前たちにちっとばかし柔の道を教えてやる。天津流柔術後継者、天津三四郎――全力全開だ!」


 

 話は春の香りが溢れるゴールデンウィークより三日ほど前に遡る。

 俺が『顧問になるために女子高柔道部員百人と乱取り戦をする』なんて事態に陥ったのは親父が負った大怪我が原因である。

「親父!」

 大学の帰り、慌てて病室になだれ込むと、そこには誰だかわからないくらい全身に包帯を巻かれ「シュコー」と弱々しい息をたてながら点滴を打たれているミイラみたいなヤツがベッドを占領していた。

「これが親父……だと……?」

「それが君のお父さんだよ三四郎君」

 俺に続いてカエルみたいな顔つきの医者が入ってきた。柔術家として生傷が絶えない我が家とは長い付き合いである。

「今回こそ陰法いんぽうさんは駄目かもしれないね。道端でたまたま通りかかった速度超過のダンプカーに撥ね飛ばされ全身ムチ打ちの廃人状態……ったく、なんでこんなに事故に出くわすかね陰法さんは」

 殴り書きのカルテを眺めつつ医者は言葉を漏らした。

(また、か……)

 俺はミイラ姿と成り果てた親父を見据えた。

 天津陰法――天津流柔術の開祖でもある俺の親父は不幸の塊というか残酷な奇跡というか何というか、ここ近年ひたすらに事故に遭っては生死の境をさまようような大怪我を負ったりしている。正直なところ、下手に外出せず自宅である天津神社で念仏でも唱えてないと不慮の事故で死んでしまいそうなくらい運に見放されているのだ。

「私も出来る限りの処置を施したが……ここから先は陰法さんの気力次第だね」

「そうですか……いや、親父のことッス。そのうち五体満足で復活しますよ」

 別に初めての経験ではない。俺は医者に対して平静を以て答えた。

「そうだといいのだがね……ああそうだ三四郎君。陰法さんから大事の際に渡してほしいと頼まれていた物があるのだよ」



「ここが私立桜花女子高校か」

 メモを片手に歩き続け、ようやく目的地へたどり着いた。桜花女子高校――県屈指のお嬢様高校だそうだ。

 校門から校舎へと続く一本道を眺めてみる。ゴールデンウィーク初日ということもあり生徒――女子高生の姿もそれほど見かけない。というか俺のような二十歳の大学生が、乙女の花園みたいな場所に足を踏み入れていいものなのか。まあちょっとした侵略者気分ではあるが。

「変なこと考えていないで入校手続きを済ませてくるか。俺はここの柔道部の顧問になるのだからな」

 親父が俺に宛てた物は二つ。ひとつはメモ――まあ指示書みたいな物で、自分に大事があった際は代わりにある高校の柔道部の顧問を請け負ってほしい、という内容だった。その学校がこの桜花女子高校という訳だ。というか、親父が神社(家)の神主の他にこんなところで副業していたこと自体が初耳なのだが……いや、それよりも俺に宛てられたもう一つの方が難解だ。

 俺は既に着込んでいた柔道着の内側から『ある巻物』を取り出した。これが陰法――親父の残した秘伝書『LS』だ。メモには「万一の事態を想定して、お前に天津流柔術奥義を託しておく」と書いてあるだけ。一体どんな大技を教えてくれるのかと思って秘伝書を広げてみても「発動条件:此の秘伝書を出来るだけ近くで所持。意識を集中させれば尚良し」としか書かれてなく、あとはひたすらによくわからん梵字の羅列がびっしり。LSといわれても何の心当たりもない次第、親父は俺にプロレス技でも教えようとしたのだろうか?

 とりあえず言われたとおり今日から肌身離さず持ち歩いてはいるが、これといって変わった事などは一切なかった。

「あとは意識を集中させれば尚良し……つってもなぁ。こんな感じか?」

 俺は怪しさしか感じられない秘伝書に従って意識を集中してみた。頭の中で何かを練り合わせるように精神を研ぎ澄まして――


「いてっ」

「きゃっ!」

 

 精神を研ぎ澄ませた結果、迂闊にも誰かと頭をぶつけてしまった。何という失態か。

「すまない、立てるか?」

 俺は謝りつつ尻餅をついてしまった彼女に手を差し伸べた。スラっとした体型と腰のあたりまで伸びた綺麗な髪に優等生っぽい長めのスカート、それと大きめの丸メガネが似合う女生徒――まあ、ここの学生さんで間違いないだろうな。

「も、申し訳ございません! 少し考え事をしていまして……」

 女生徒はいそいそと正しい位置にメガネをかけ直すと、俺の手を握り返しゆっくりと立ち上がった。

「いや、俺も考え事をしながら歩いていたんだ。こちらこそ面目なかったな」

 俺の切り返しに女生徒はクスっと笑ってみせた。

「それじゃあお互い様ですね。それで……あの、失礼ですが当校にご入り用でしょうか? それも柔道着姿で……」

 女生徒は柔道着姿の俺をまじまじと見つめた。女子高ゆえに男である俺が珍しいのだろう、きっとな。

「そちらの柔道部顧問の天津先生が急病のため、当面の代理としてやって来た者だ。ちょうど手続きに向かう最中でな」

 俺はできるだけ簡潔に分り易く説明した。この際だから手続き先の場所を教えてもらおうじゃないか――そう思っていると、

「あなたがそうだったのですか! お話は伺っています、私は三年――桜花高柔道部部長の吾妻あすなと申します!」

 女生徒――あすなはキラキラと目を輝かせて俺の手を両手で握り返してきた。つーか部長かよ、世の中狭いな!

「おっ、あんたが部長さんだったか。よかったら手続き関係の案内をしてくれないか? この学校、なかなかに広くて迷いそうなんだ」

「喜んでご案内させていただきます。こちらですっ」

 俺の頼みをあすなは快諾し、校舎の方へと歩を進めた。話がトントン拍子に進んでくれてとても助かるな。

「――っと、スカートにホコリがついてるぞ」

 先ほど尻餅を付いたせいだろうか、俺に対して背を向けたあすなのスカートにホコリがついていたので軽く払ってやることにした。長めのスカートの先端の方だから問題はないだろう。問題はなかったはずなのだが……

「お、おおっ!?」

 ホコリを払おうとあすなのスカートに手を伸ばそうとした途端、まるで自分の体が何かに支配されたかのように自由が効かなくなり、右手が勝手に目的の方向へ超高速で動き出した!

「えっ――きゃああ!?」

 時すでに遅し。自由が効かなくなった俺の手はあすなのスカートを思いっきり掴むと、そのまま力任せに破り裂いてしまったのだ!

 思わず場が凍る。そこには下着が普通に見えてしまうくらいワイルドな超絶ミニスカート姿になったあすなと、スカートを破いた拍子にド派手にコケた俺がいた。

「いてて、何なんだよ一体……」

「ひ、いやあああああん!!」

 うつ伏せに倒れた状態から顔を上げると一瞬だけ目が合った。が、あすなは全力で叫びながら校舎の方に光の速さで逃げていってしまった。

「パンダの絵柄……か」

 意味不明すぎる状況を前に俺は、最後に見た下着の「動物」の名前を呟くことしかできなかった。



 それからというもの、部長であるあすなに逃げられてしまった俺は、この広い校内で色々な場所を訪ねた末、ようやくの思いで事務手続きを済ませた。

「――ねえ、さっきセンパイがすっごい短いスカート履いてるの見た?」

「見た見た! ところどころ破けてて超カッコイイの! イメチェンなのかなぁ?」

 廊下にて女生徒二名を見かける。柔道着姿の俺が珍しいのか少しだけ目が合うが、そのまま会話を弾ませながら通過していった。

「まだ午前中だってのに既にクタクタだぜ……」

 こんな状態で顧問が務まるか本気で不安だ。教える以上は中身のある指導をしたいものだが。

「……っと、ここが柔道部の活動場所っぽいな」

 渡り廊下の先に「桜花柔道場」の看板を掲げた練習場を発見。中から野郎連中ほどではないが、それなりに威勢の良い気合の入った掛け声が聞こえてくる。俺が人に物を教える立場になるなんて思ってもいなかったから、ちっとばかし緊張してきたぜ。

「うーっす」

 覚悟を決め、いざ体育会系のノリで門戸を開けるとそこは体育館と変わらぬスペースに畳がびっしりと敷き詰まっていた。道場内は一瞬では数えきれない程の女の子が柔道の練習に励んでおり、上は正規の柔道着と帯、下は動きやすさを意識してか黒いスパッツを履いている。もちろん全員女子高生だろう。二人一組でペアを組んでは準備体操から、互いに投げ合ったりして技をチェックする「約束稽古」を行っているようだ。へえ、思っていた以上に大所帯なんだな。

「――いらっしゃいませッス!」

「うおっ!」

 妙に感心していると、女の子――同じく柔道着にスパッツ姿で、小学生と間違えそうなくらい背が低くあか抜けたショートカットが特徴の柔道部員がとても元気な挨拶をしてきた。

「オッス。いい挨拶だな!」

「ウッス! 体育会系は挨拶が命ッス!」

 言うと同時に彼女は武道の精神に則った礼法を行ってみせた。やべえ、普通に輝いて見えるわ。

「偉いな。ところで吾妻――いや、部長さんはいるか?」

 ここで見学していても仕方ないので、俺はこの元気な女の子に部長である吾妻あすなを探してもらうことにした。

「ふぇ、あすなセンパイッスか? センパイなら……うーんと」

「――私ならここだ!」

 女の子が道場内をキョロキョロと見渡していると真後ろ――入り口の門戸から凛とした声が響き渡った。振り返ると同じく柔道着+スパッツ姿の吾妻あすなが仁王立ちしていた。さっきまで掛けていたメガネは無く、長い髪も上手に束ねてポニーテールになっている。ついでに気づいたのだが、先程までの明るく柔和な雰囲気が一切ない。表情と声色がまるで刃のように鋭く、まるで別人と思わされるレベルだ。

(あれが部長で合ってるんだよな? 俺が知ってるのと雰囲気が違うんだが)

 俺はさっきの女の子に小声で小突いた。

(モチのロンッスよ! センパイは県内でも『桜花の阿修羅』って呼ばれてる猛者で、メガネを外すとスッゴイ厳しいキャラになるッスよ!)

 女の子は大変わかり易く説明してくれた。メガネひとつで性格が変わる――そういう人もいたりするのか。『あすな』が『阿修羅』ねえ……。

「やはり来てしまったようだな……このヘンタイめ!」

 あすなはまるで犬を追っ払うかのように俺に罵声付きコメントを浴びせた。どうやら本気で人格が変わっているらしいな。不思議な世の中だ。

「オッス。さっきは済まなかったな。とりあえず顧問としてここに来たワケなんでよろ――」

「私は断じてお前を顧問とは認めないぞ!」

 フレンドリーな雰囲気で事を済ませようとしたら、全力で拒否られた件。俺は口をぽかーんと開け、先ほどの女の子はよく分からないといった表情でこちらを見ていた。

「……いやいや、さっき喜んで案内しようとしてたじゃん」

「気が変わった。お前のような色欲に飢えたケダモノにこの桜花の敷地を跨がせるわけがないだろう」

 何ともまあ冷たい言葉でケダモノときましたか。どうやらさっきの件――事故とはいえかなり怒っておられるご様子だ。

 しかし俺も簡単には引き下がる訳にはいかない。死にかけの親父の言うことぐらいは守ってやりたいし、何よりこの顧問の仕事が意外といい小銭稼ぎになることが先ほどの手続きの説明で判明したからだ。

「そこを何とかお願いしますよ部長サマ~! 一生懸命、誠心誠意全身全霊でご指導させて頂きますから~!!」

 ここは全力でゴマをするしかないな! そう思った矢先――、

「気持ち悪い帰れ」

 ぷちっ――と、俺の中で何かが切れた。ああ切れてしまいましたわ。年上に向かってそうきたか貴様ッ!

「……フッ、まあ所詮『パンダ』を穿いちゃうようなお子様には俺の指導なんて伝わらないだろーな」

「……ッ! やはり見えていたか、このイカレ道着男め……!」

 俺の挑発発言に対し、あすなは憎々しげに呟いた。しかし今の俺には残念ながらヘンタイは逆効果だぜ。

「まっ阿修羅だか何だか知らねーけど、天下の部長サマが帰れって言うなら帰りましょうかねェ。いやあ残念ですなあ、俺の超熱血指導で日本一確定だったのになァ! あーあ、むっさヒマだし帰ったら安土城のプラモデルでも組み立てよっかな~!」

 両腕を伸ばしながら煽りに煽り、この先の展開に期待して全力で煽る。この手のタイプの子が取る行動なんて――

「――いいだろう、ならば勝負だ!」

 あすなは俺をビシッと指差し宣言した。ホイ来た、俺の柔道は女子高生に負けるほどヤワな柔道じゃないぜ!

「お前には顧問の権利をかけて、我が柔道部全員――合計百名とサバイバル方式で乱取り戦をしてもらうぞ!!」

「上等だぜこのや――えっ?」



「――勝負あり。天津、一本!」 

 審判を務めるあすなが冷静かつ迅速に右手を上げた。

 かくして、一対百の柔道サバイバルマッチは始まってしまった。一番手の田中から始まり現在早くも十九人目。今のところ体力の消耗もなく順調だ。どうやら対戦した女の子たちはいずれも一年生らしく、まだまだ技術的に荒い部分が見受けられた。中盤以降からキャリアのある有力選手の登場といったところだろうか。

 ちなみに細いルールとしては――時間無制限の一本勝負に加え、あすな率いる柔道部側は投げ技、固め技ならなんでも有り。俺は投げ技のみという条件になった。何で固め技がNGかというと……大の男の固め技は女の子にとって明らかに力の差があり不利そのものでもあるが、「強猥男に固め技など不要」とあすながバッサリ切ったためだ。事故だと散々言っているのにひどい扱いだよな。

 試合中ではあるが自分の右手をちらっと見る。あの時、無意識に動き出した右手。まるで日めくりカレンダーを破り捨てるような速さで蛮行に及んだ右手。うーんわからん。


「天津、一本!」


 そうこうしているうちに対戦相手、鈴木から柔道において最もポピュラーとされる投げ技――内股で一本勝ちを収めた。道場の畳に強く叩きつけすぎないようギリギリのところで少しだけ体を浮かしてあげる。これは今まで対戦した女の子たちにもしてあげたことだ。

「次で二十人目――まだ五分の一だ。余裕を見せていられるのも今のうちと思え」

「だったら最後まですっぱり投げ飛ばしてやるぜ、全員な」

 さすがに審判という立ち位置で試合を見ていたあすなには気づかれていたようだ。

「……フン。次は近衛だったな、よろしく頼むぞ!」


「了解ッスあすなセンパイ! さあ、真剣勝負の始まりッスよー!」


 あすなの号令で登場した二十人目――先程元気の良い挨拶をしてくれたショートカットの女の子だった。

「二十番、三十四と書いて近衛三四このえみよ。よろしくお願いするッス!」

「三十四――俺と同じ名前だな! 同じく天津三四郎、全力全開だ!」

 お互いに気合の入った挨拶がいい刺激となり少し緊張を与えてくれる。相手は今までの対戦相手の中でもずば抜けて体が小さいが、ここは油断せずに距離をとれば……

「それじゃあ行くッスよサンシロー!」

「うおッ!?」

 掛け声と同時に三四は驚異的な早さで一気に間合いを詰め、道着の袖ごと腕を引っ張り上げてきた! 完全な背負投げの形。マズイ、持ってかれるぞ!

「くぬぉ……!」

 全体重を下半身に出来るだけ残し何とか凌ぐ。こと柔道においては体を浮かされた時点で「負け」に等しい。そういった意味では俺はもう少しでデッドラインを超えそうだったのだ。

「えへへ、秒殺とはいかなかったッスよ」

 体勢を直し笑って応対する三四。スピードといい大の男を引き抜けるパワー、こいつ……できるぞ!

「近衛は一年の中でも最も強いからな。見た目で判断していると投げ飛ばされるぞ」

 仕切り直しの状況を見てあすなは一言添えた。なんとも意地の悪い含み笑いをしてやがる。

「ああ、マジで危なかったぜ。正直、こんな逸材が早々に登場するとは思ってもいなかったからな」

 深呼吸し気持ちをリセット。ここは二十人目、まだ対戦相手は八十人もいる。意識を、精神を、気持ちを集中させるんだ。

「だらしねぇ所を見せちまったな。今度は俺の技を見せてやるぜ!」

「かかってくるッスよサンシロー!」

 互いの合図と共に道着の中袖をつかみ合う。この瞬間、改めて三四にはそこらへんの男を遥かに凌ぐパワーを持っていることに気付かされる。先程繰りだそうとした背負い投げも、自分よりも大きい相手を仕留めるのに適した技で理に適っている。だったら俺もそのパワーを利用させてもらうぜ!

「しっかり受け身を取れよ一年坊。これが天津流の一本背負い投げだ!」

 三四が再び突き出した左手の袖の先端を掴み、同時に背負の状態に移行しつつ足を最速で払い浮かせる。そこから手を固定したまま大きく軌道を描いた天津流一本背負い投げが完成――するはずだった。

「お、おおっ!?」

 再び「ありえない力」が作用した。

 三四を空中に浮かせたところまでは良かったのだが、固定したはずの両手が全力で動き始め、何と三四の左半分の柔道着を力任せに破り裂いてしまったのだ!

「ふぎゃ!」

 終わってみれば完璧な一本背負いの形で三四は畳に叩きつけられていた。左肩口から破れた道着の間から健康そうな肌が肩から腹部にかけて晒されている点を除いて。

「い……一本、勝負有り」

 信じられない物を見るようにあすなは裁定を呟いた。いや、俺も信じられない。

「俺が道着を破いた……だと……?」

「こんのぉ……怪力変態強猥魔め!」

「いやー参ったッス! サンシロー超強いッス! 今後とも柔道の指導をして欲しいッス!」

 あり得ない所業を前に呆然とする俺。

 蛮行の再来にキレるあすな。

 あられもない姿で俺に尊敬の眼差しを送る三四。

 顧問認定まで残るは八十人。どうなるんだよこれ。



「お前はそうやって部員全員を丸裸にしていくつもりか!」

「事故だって事故! 道着の縫い付けが甘かったんだよ! 不良品! どう考えたって柔道着は破れないだろ常識的に考えて!? スカートは百歩譲ってもだ!」

 鬼の形相で掴みかかってきたあすなに必死の弁明を展開する俺。

「何歩譲ったって私のスカートは関係ないだろ! おちょくっているのか!」

「んなこと思ってねえよ! あっ、さっき破いたスカートの切れ端持ってるんで返します!」

「~~~ッ! 歯を食いしばれ貴様ァ!!」

「顔はやめろ! いや、やめてください!」

 どうやら今の説明に納得がいかないようで、あすなは思いっきりグーを振りかぶってきた!

「まーまー、二人とも落ち着くッスよ! ボクの道着は昔から使っていて破けそうだったんスよ!」

 幸いにも三四が俺とあすなの間に割って入ってくれた。その甲斐もあってか、あすなも落ち着きを取り戻し始めた。

「……フン! ここからは二年生――有段者が少しずつ出てくる。さっさと負かしてつまみ出してやる。この変態インベーダーめ!」

 言うだけ言ってあすなは試合場中央に戻っていった。また怒らせないようにちゃちゃっと準備し直さなくては。

「はいサンシロー、タオルッスよ!」

 そう思っていると三四は汗ふき用のタオルを用意してくれた。

「おっサンキュー。それとさっきは場を取り持ってくれてありがとな」

「えへへ、ボクはサンシローに柔道を教えてもらいたいから応援するッスよ! 何か必要なものがあったら言ってほしいッス」

 完全にアウェーかと思っていたところになんと応援者が現れた。それだけで嬉しいどころか涙が出そうになるぜ。

「それじゃあメモっておきたいことがあるから、ノートとペンを用意してくれるか? それと――」

「それと?」

「頼むから服を着てこい」



 二十一人目以降、また三四クラスの強敵が現れると思っていたがそうでもなく、適度に様子を見つつ順調に相手から勝ちを収めていった。投げ技一本が決まる度に俺に向けて審判から舌打ちが聞こえるのは気のせいだろうか。

 そんなこんなで四十人目まで到達。まだまだ疲れちゃいないが、実際問題まだ半分も越えてないんだよな。


「四十番、水原かりんです。よろしくお願いします」


 とても落ち着いた口調で現れた四十人目の刺客――水原かりんの印象は三四と同じく『これ高校生じゃないだろ』だった。色素の薄い肌に青い瞳、肩まで伸びた茶髪、ここで柔道をやることがもったいないくらい抜群の体格で、「読者モデルやってます」とか言われれば普通に納得――

「かりんセンパイは部活をしつつ雑誌の読者モデルもやってるッスよ」

「実際にやってるんかい」

 三四の説明に軽くツッコミを入れる俺。

「水原の母方がドイツの家系でな、四分の一程の混血――俗にいうクオーターというやつだ。柔道も二年屈指の腕前だから覚悟しとけよ」

 続けてあすなの説明。なるほど、瞳も髪の色も「地」という訳か。

「オーケー、正真正銘の才色兼備を見せてもらうぜ!」

「はい!」


 かくして第四十戦目が始まった。

 俺とかりん、互いに姿勢を崩さぬようすり足で距離を取り合う。三四や他の対戦相手と違い無理に攻めてこない。他の対戦相手とは違い、明らかに間合いの取り方が巧い。踏み込もうにも近いようで遠い絶妙な距離感が場を支配している。ここは攻めるべきか否か……そんな事を考えていると、

「あっ、部長が着替えを始めましたよ。まずはスパッツからですね」

 かりんが視線を逸らしながら小さい声で俺に言った。

「はっマジかよ!?」

 俺は思わず首を思いっきり曲げあすなの方を凝視した――が、当のあすなは『何見てんだよお前』といった感じの仏頂面で俺を睨み返してきたのだ。あ、あれ着替えは?


「――ふふっ、そんな訳無いに決まっているじゃないですか」


 しまった! と、思ったときには遅かった。

 かりんは俺がそっぽを向いた瞬間を逃さず、一気に間合いを詰め掴みかかった。そして動揺からか僅かに浮いた俺の足を同じく足で送るように払ってきた――通称、送足払い。数ある投げ技の中でも番狂わせの代名詞――!

「く……おんのぉッ!!」

 俺はギリギリのところでかりんの両袖を掴み揃って倒れこんだ! 

「浅い! そのまま続行だ!」

 あすなは一本とは判定せず、間髪入れず試合続行を宣言した。正直負けたかもしれないと思ったため少しほっとした。

「まだ終わっていませんよ!」

 この展開を予測していたのだろうか、かりんは素早い動きで腕を仰向け状態の俺の首の下から差込み、首を抱え込んで前襟を掴みこんだ!

「――袈裟固め、このまま抑え込み一本で勝たせてもらいます」

「……ぐぐ、丁寧な割にはとんだペテン師じゃねえか……ッ!」

 苦しい状態ながらも不満を漏らす。

「そうですね。でも、こういうのも『勝負』って言うのでしょう?」

 俺の不満に対し、かりんは妖しさがこもった表情で笑ってみせた。くそ、確かにその通りだぜ……!

 しかしこの状況は非常にマズイ。従来のルールだと、このまま三十秒経過で一本。そして俺は一切の固め技が禁止されているため、この状況を打破するにはかりんの袈裟固めから抜け出すしかない。そう、抜け出せば問題ないのだが下手に逃げようとすると横四方固めや後袈裟固めに派生されてしまう。

 袈裟固めの特性上、俺は左手しか動かせない状態。どう抜け出すか……考えろ、意識を集中するのだ――

「お、おおっ!?」

 また発動しやがった! 

 唯一動かせる左手が勝手に動く。そして目にも留まらぬ早さのスクリューブローがかりんの背中を掠めて――

「きゃあ!?」

 一瞬間を置いてからかりんは自ら袈裟固めを解き、大きく距離を取りなおした。見ると彼女は顔を紅潮させ道着越しに左腕で胸元を抑えている。ああ、わかった――

「へへっ、これも『勝負』なんだろ?」

「……ッ! なんて汚い人……」

「へへ、それはお互い様なんだぜ?」

 とてつもなく自分が悪人っぽい台詞を吐いている気がするがこの場は良しとしよう。

 どうやら俺(の左手)は彼女の……この場合スポーツブラでいいのだろうか。ともかく彼女の下着を背中の道着越しに『外した』らしい。本当に不可解かつ意味が分からないが今は別。俺に奇襲を仕掛けたことを後悔させてやるぜ!

「最大のチャンスを逃したな。お礼っちゃあなんだが、俺がもう一度基本を教えてやるぜ――」

 俺は一気にかりんを掴み、前回りさばきで前に崩し、脇の下から腕を腰にまわし胴体を持ち上げるようにして投げた!

「天津、一本!」

 あすなは右手を鋭く上方に伸ばした。

 通称「大腰」。受け身が取りやすく初めに教わる投げ技のうちの一つだ。柔道に限らず多くの格闘技にも採用されているベーシックな投げ技でもある。

「……参りました。先に仕掛けておいてしくじるなんて恥ずかしい限りです」

「いや、正直負けたと思った。今度は真正面からよろしく頼むぜ」

 そう言って俺はかりんの手を取り立ち上がらせた。

「……」

 気がつくとあすながこっちをじーっと凝視していた。

「そういえば袈裟固めを解いた時、試合止めなかったな。あれはオーケーなのか?」

「言いたいことは山ほどあるが、不意打ちはフェアじゃないから差し引きして黙ることにした」

 どうやらあすなはかりんの不意打ちは確認済みだったらしい。だったらその時点で止めろっつうの。

 キーンコーン――

 そんな事を思っていたら校内全体にチャイムが鳴り響いた。そうか、もう昼時だったか。

 あすなも時計を確認したあと昼休憩を宣言した。

「昼だな。次の乱取り、四十一戦目は一時間後に行うとする!」



「しっかしまあ……どうしちまったんだろなあ」

 俺は自らの両の手を凝視した――変態そのものとも言える所業ながら時に驚異的なパワーを発揮し、時に窮地を脱出したこの手。今は何ともないが再び暴走するのだろうか。まあそれはそれでいいのだが(いや、ちっとも良くないけどさ)。

「さて参った。昼飯とかちっとも考えていなかったな」

 昼休憩ということで勢い良く柔道場を出てみたものの、この辺の地理にはちっとも詳しくない。下手にコンビニとか探しに行って次の試合に間に合わなかったらイヤな予感しかしないし、連休期間中ゆえに校内の購買などは期待できない。どうでもいいかもしれないが、個人的にはパンより米が食いたいんだよな。ううむ、どうしたものか……

「もしかして、お昼を持ちあわせていらっしゃらないのですか?」

「おうよ。誰か優しい人が俺に米とついでに飲み物を分け与えてくれねーかな……って誰だ?」

 ずっと自分の手を眺めていたので気がつくのに遅れてしまった。

 顔を上げると女の子が一名。例の柔道着+スパッツ姿で左右にフランスパン――もとい二の腕あたりまで伸びたご丁寧なパーマが特徴の、いかにもお嬢様学校にふさわしい女の子が目の前にいた。

「私、柔道部副部長でマネージャーも兼任してます三年の岬友紀みさきゆうきです。よろしければ一緒にお昼をご一緒しませんか?」


 

 なんとツイてるか、渡り廊下脇のベンチにて彼女――岬友紀に昼食をごちそうになることとなった。

「ムハッ、ムハッ――やっべえ超うんめぇ! やっぱ岬財閥の御令嬢ともなると食うものが別次元なんだな!」

「ふふっ、褒めても何も出ませんよ三四郎さん。はい、こちらの骨付き肉もお食べになって下さいね」

 差し出されたやたら美味そうな肉を頬張る。旨い、旨すぎるぞ!

 ……それはそうと、お嬢様っぽいと思っていたら本当に彼女はお嬢様だった。それどころか日本でも有数の財力を持つ「岬財閥」の御令嬢だということが判明。どうやら彼女は毎日食べ切れない程の豪華な弁当を持たされていて、一緒に食べてくれる人物を探していたらしい。それが今日は俺だったという話だ。

「あらあら、口元に食べかすが残っていますわよ」

 友紀はクスっと笑いながらハンカチで俺の口元を拭いてくれた。やや恥ずかしいがきっとこれが上流階級の嗜みなのだな。

「いっぱい食べてこの後の乱取り戦もがんばって下さいね」

「おっ、応援してくれるのか?」

「はいっ」

 明るくかつ上品に友紀は答えた。

「私たちの部はとても大所帯だから部長――あすなだけじゃまとめきれないところがありますの。だから三四郎さんには是非とも顧問になって部をまとめていただきたいと思っていますわ」

 四面楚歌と思われた柔道部で三四に次ぐ新たな仲間の発見に再び感動しそうになる。

「そいや、あんたもこの後の乱取りで俺と対戦するんだろ?」

「私はマネージャーという役割だけで大した腕前ではないので……私との試合でも全力で投げてくださいね」

 そう言うと友紀は控えめに笑いながら答える。

「隙あらば投げちまっていいんだぜ? なんたって試合っつうのは正々堂々とやることに意味があるんだからな」

 俺の言葉に対して彼女はがんばってみますね、と答えた。いい一戦になるといいな。

「――さて、おかげで腹八分目だ。すげえ助かったよ、ありがとうな」

 俺ばっかり食べていてもしょうがないのでそろそろ撤収するとしよう。

「三四郎さん、よかったらこちらの飲み物もいかがでしょうか」

 俺が席を立とうとすると友紀は引き止めるように飲み物を用意してきた。見たところいままで飲ませてもらっていたお茶とは別の飲み物のようだ。

「岬グループで開発中の特製スポーツドリンクですわ。浸透圧イオンというのが長い運動向けに調整されているらしいですの」

「そりゃあちょうど良いな。ありがたくいただくぜ」

 俺は何の迷いもなく渡された特製スポーツドリンクを一気に飲み干した。それを見た友紀が少しだけ不気味に笑った気がするが……まあいいや。お嬢様からしてみれば俺の飲食の仕方が雑だからウケたんだなきっと。

「それではこの後の試合もがんばって下さいね」



 昼休みも終わり試合の再開。四十一人目から順当に一本勝ちを決めてはいるのだが、時間が経過するにつれ自分の動きが妙に鈍っていることに気がついた。

「悪い、少しタンマ」

 五十人目を撃破した時点で俺はあすなに小休止を申し出た。するとあすなは「三分だぞ」と短く返答した。

 道場の隅に行き先ほど三四に用意してもらったノートにペンを走らせる。時間がないので簡単に……

「サンシローどうしたッスか?」

「天津さん、どうかしましたか?」

 俺のタンマの申し出を見て三四とかりんがやって来た。

「お、調度いいや。悪いんだけど三四でもかりんでも構わないから、俺の顔をバシーンと引っぱたいてくれねえかな」

 俺の申し出に困惑気味の二人。

「それはまた……なぜでしょうか?」

「試合の手前あんまし言っちゃいけねえんだけど、昼飯を食い過ぎたせいで少し体が重いというか――簡単に言うと眠くてな。気持ちを引き締め直す意味で一発叩いてもらいたいんだ。つーわけで、どっちでもいいからよろしく頼むよ、な?」

 そういって俺は直立不動の状態で目を瞑った。さきにポーズだけ作っちまえば否応にも叩いてくれるだろ。

「そう仰るなら……では」

「サンシローのためなら何でも手伝うッスよ!」


『せーのっ!』

 バシーン!!


「痛ってええええええ!」

 予想を遥かに超えた痛みに思わずもんどり打つ。どうやら俺は左右から三四とかりんに全力のビンタをもらったらしい。

「ふふっ、これで目が覚めましたか?」

 かりんがさぞかし楽しそうな表情で俺を見る。

「痛でえ、超痛てえよ。俺は一名分の普通のビンタが欲しかったんだぜ。何で左右から引っぱたいたん?」

「先ほどのセクハラのお返しです。これでチャラにしてあげますっ」

「ボクはサンシローのためを思って全力全開で頑張ったッスよー!」

 二人ともとても楽しそうに答えた。代わりに俺は堪えたワケなのだが……まあしゃあない。

「悪りぃ、手間かけたな」

 それから俺は道場の中央に戻り、あすなに一言謝った。

「大丈夫か? 少し動きがふらついていたみたいだが」

 あすなはなんともいえない流し目で聞いてきた。また怒られるのではないかと思ったが、意外にも心配をかけられていたようなので少し驚いた。 

「んなこたねーよ。というか心配してんのか?」

「う……うるさい! 問題ないならさっさと再開するぞ!」

 そう言ってあすなはそっぽを向いてしまった。ううむ、最近の女子高生はせっかちなのだろうか。



 それから五十一人目――試合を再開したものの、やはり動きが鈍っていくのを感じ取った。人数をこなすに連れ、相手もそことなく鋭い動きができるようになってきている。

 自分が相手を掴んでいる感覚、足が畳を擦る感触、距離感。そういったものが希薄になっていきながらも勝ち続け、どうにか六十人目に到達した。

「……なかなか粘るな。次は副部長――友紀、頼むぞ」

 初めの台詞がよく聞き取れなかったが、「副部長」という言葉は聞き取れた。ということは――

「あらあら、顔色が悪そうですわね三四郎さん。そろそろ年貢の納め時かしら?」

 フランスパン――じゃなかった。丁寧なパーマが印象的な副部長、岬友紀が眼前に立ちはだかった。昼食時のお嬢様っぽさとは違って、どことなく表情に不気味さが漂っているのは気のせいだろうか。いや、それよりもさらに体の感覚が遠のいている。マズイな……

「時に三四郎さん、私の用意した昼食は美味しかったですか?」

 ああ返事がだるい。とりあえず美味しかったぜ。

「私、やっぱり三四郎さんには顧問のお仕事は向かないと思いますの」

 へえ、そうかい。さっきとは大違いな意見だな。

「かねてから殿方は苦手ですし――だから私、三四郎さんが少しでも楽に負けていただけるよう微力ながら『応援』さしていただきましたわ」

 なるほど。お嬢様なりのささやかな悪意ってやつだな、感心感心――ていうか、やっぱり弁当のときに何か仕込んでやがったな!

「さあ、ここでおとなしく私に負けてくださいましてよ!」

 そう言って彼女は構えを取った。

「上等……だぜ」

 ゆっくりと構えを取る俺。一連の動きはまるでゾンビ――屍のよう。

 けれど、これからすることは屍の所業ではない。卑怯者に対する因果応報、天誅……ッ!

「俺が……スポーツマン精神を教え……てやる――」

 この後のことなど今はどうでもいい。集中……集……中……。

「――ッ!」

 試合が開始した瞬間、俺は体全体が「何か」に乗っ取られた。

 自分の目がまるでカメラのように映像を映し出す。

「いきますわよ、お覚悟!」

 俺が虫の息状態だと知っている友紀は迷わず突っ込んでくる。ああ、こんなフラフラなヤツくらい、ちょっと足を引っ掛ければ即刻終了だもんな。

 しかし『体』は相手に勝つために的確に動き出す。

「掴んでしまえば私の勝ちで――えっ?」

 友紀のタックルからの掴みは空振りに終わった。何故かというと、俺自身が真後ろに倒れたからだ。

(なんだよこれ!)

 無言で体は動き続ける。倒れる際に友紀の道着――胸ぐらより上あたりを掴み、倒れると同時に片足の裏を友紀の腿の付け根に当てて押し上げ頭越しに投げる。そう、これは柔道未経験者にも幅広く知られているあの技――!

「巴投げか!」

 あすなが思わず叫ぶ。柔道における捨身技――自ら倒れるというリスクを伴う大技があまりにも自然に、きれいに決まったためだ。

「そんなっ……ありえないですわ!」

 完全に中空に浮いた友紀。あとは畳に背中から落とされて決着だ。


 しかし――いややはりというべきか、ここからが『違った』。

 物理とか理屈とかそういうものが通用しない事態。何と巴投げの際、友紀の道着がスポーンと帯ごとそのまま脱げてしまったのだ!

「いやあああ!?」

 あまりにきれい決まろうとしていた巴投げも、投げっぱなしジャーマンスープレックスのように軌道を変え、友紀は上半身が下着だけの状態で畳へと叩きつけられた!

「い……一本だ、な?」

 道着がひっペがされたまま倒れる友紀、そしてその道着(いい香りがする)を頭から被さったまま倒れる俺を見てあすなは疑問形で呟いた。

「俺が、勝ったのか……?」

 一連の奇行ともいえる大技が決まり、俺はようやく自分の体が自由に動かせることに気付いた。体を起こすとこれまたあられもない姿の友紀が倒れこんでいた。

「見ないで変態痴漢淫獣!」

 友紀は俺の視線に気づくと何とか体だけ起こし、罵声を浴びせながら背中を向けた。また謎の力が作用してしまったようだが、とりあえずピンチは脱出できたということで良しとしよ――

「出ていけ犯罪者! 次の試合は十分後だ!」

 まあ目の前に下着姿の女の子がいたらそうなるわな。

 こうして犯罪者予備軍から犯罪者に見事昇格した俺はあすなに道場からつまみ出されてしまった。

「わかんねー、まじわっかんねー」

 やることもないのでぐるぐると道場前を回る。

「LS……マジでなんなんだ。手癖の問題? いやそれじゃ俺が本物の痴漢みたいじゃねえか。さっきは体全体が何かに支配された……?」

 いくら考えても一連の奇っ怪な行動の正体が見えてこない。

『でもそんなんじゃ投ーげっ♪』

 気が付くと着メロが鳴っていた。もちろん俺のだ。ちなみに今流れた曲はちょっと前に流行ったアニソンを自分で柔道らしくアレンジしたものだ。

 道着の内から携帯を取り出し画面を見るとそこには今最もあらん限りの質問をぶつけたい相手の名前が表示されていたのだ。

「親父……!」



 約束の十分が経ったので道場に戻ると入口前にあすなが待っていた。

「あー、そのなんだ。すまなかったな」

「ん、どうしたんだよ?」

 何事かと思えばあすなは視線を逸らしながら謝ってきた。

「友紀がお前に危険な飲み物を飲ませたと聞いて、な」

 あすなはそう言いつつ当事者である友紀を俺の前に突き出した。ちなみに友紀はお嬢様と思えないくらいバツの悪い表情をしている。

「すみませんでした」

「でしたわ」

 二人は揃って頭を下げた。片方は無理矢理下げさせられているが。

「おいおい、実際問題俺が負けたわけじゃないんだし気にするなよ」

「そういうわけにはいかない。勝負や決まりごとというのは公平でなくてはいけないのだ。たとえ相手が変態だとしても、だ」

 頭を下げつつあすなは自らの信条を述べた。というか変態は余計だろ。

「真面目なんだな。ならこの後も全力で俺を倒しに来いよ」

「……承知した。改めてよろしく頼む」

 あすなは頭を上げると道場の中央へ戻っていった。

「ぐぬぬ、このままじゃ終わりませんですわよ……!」

 同じく友紀が何か言ったようだがよく聞き取れなかった。ただひたすらに嫌な予感がするのは気のせいだろうか。


 

 一時的な中断ではあったが試合は再開された。既に七十人目にさしかかったがそれという苦戦はない……ないのだがどうにも浮かない表情になってしまう。全ては電話での親父の「あの言葉」が原因だ。否が応にも頭の中で反すうしてしまう――


 △▲△


「三四郎、お前に与えた奥義『LS』はな……簡単にいえば一種の呪いだ」

「呪い?」

 親父の言葉を思わずオウム返ししてしまう。

「そうだ。戦いにおける勝利が約束される代償として『ある事象』が併発してしまう――それが鬼道をベースとした天津流柔術奥義『LS』だ」

 奥義『LS』の概要を説明する親父。しかしまだぼかしている部分がある。

「結論を言うとだ三四郎、お前は戦いにおいて如何に劣勢だろうと『LS』がある限り負けることは絶対にありえないということだ」

「何となくわかったが……親父、『ある事象』って結局何なんだよ?」

 呪いと言われて簡単には飲み込めないが、そろそろ時間が迫ってきているのでこの不可解極まりない奥義について総括してもらおう。

「二つある。一つは不幸――誰かに絡まれたり憎まれたり、あるいは儂のように事故で怪我にあったりする可能性が極端に高くなる。そしてもう一つは――」


 △▲△


(親父のヤツ、こんな何の役にも立たないものを寄こしやがって……!)

 ひとまずLSの正体はわかった。親父の話を聞いてからというもの、相手を投げるときはさらに細心の注意を払って投げるようになった。今のところ数える程度しかLSは発動していないが、ともかく自分の力加減一つで対戦相手が無茶苦茶になってしまうかと思うと頭がおかしくなりそうだ。

 おまけに秘伝書を捨てようにも体がそれを拒むようで、名実ともに呪われた書物と折り合いをつけながらこの百人組手を続けていかざるを得なくなってしまったのだ。わざと負けようとしてもLSが発動してとんでもない手段で勝ってしまうだろうしどうすればいいんだ――!?



 苦悩しながらも丁寧な投げ技を心掛け七十九人目まで勝利。さて次の相手はというと、

「――岬美優みさきみゆです。よろしくお願いします」

 寸分の狂いもなく丁寧にお辞儀をした少女――岬美優は肩まできれいに揃えられた髪が特徴で、その容姿は一種の日本人形に近いものがあった。それとあまり表情に覇気というか、生気が希薄なのが気になるのだが……

「――あなたの快進撃もここまででしてよ!」

 ここぞとばかりに友紀がドヤ顔で割って入ってきた。あー、わかった。苗字が同じだから妹さんか?

「美優は私が所有する岬重工エレクトロニクスが開発した生体アンドロイド――正式名称:岬重工地上徒手格闘戦想定型生体アンドロイド・Type-μですわ!」

「ブッ!」

 予想よりも遥か斜め上過ぎて思わず吹いてしまった。徒手格闘戦って、こいつの会社は戦争でもしたいのかよ!

「彼女は試運転も兼ねて四月から編入したれっきとしたうちの生徒だ。もちろん柔道部の所属だ」

「マジかよ……しっかしまあ、よくできているな……」

 さらっと補足するあすなに対しひたすら感嘆する俺。彼女――美優は、ぱっと見て表情の起伏が少ないため軽く殺伐とした雰囲気があるが、目や息遣いによる細い肩の動きがより人間らしさを引き立たせている。いやはやスゲェな最近の機械技術ってのは。日進月歩じゃん。

「んー、まあいいや。ちゃちゃっと戦おうぜ。あんたもそれなりに強いんだろ、柔道」

「はい。一生懸命戦わせていただきます」

 なんだかんだ言って八十人目。俺は早く試合を始めるべく構えを取ると、美優も無駄のない動きで構えを取った。

「――はいはい、少々お時間をいただきましてよ!」

 今にも試合を始めようとした矢先、再び友紀の横槍が入る。というかまだいたのか。

「どうした友紀? 試合を始めたいのだが」

 あすなも首をかしげながら友紀を見た。

「わかってましてよ。でもその前に――こうですわっ」

「ひゃっ!?」

 言うと同時に友紀は手に持っていたあるモノを目にも留まらぬ早さであすなに掛けた!


「……」


 するとまるでゼンマイのネジが切れたかのようにあすなは硬直した――その顔には朝方会った時のように大きめの丸メガネが掛かっている。しばらくすると、あれだけ鋭かった表情も次第に柔和なものへと変化していった。そして――

「ほ~ら友紀ったらもう! そろそろ試合を始めちゃいますよ!? あんまり待たせると三四郎さんと一緒に怒っちゃうんだからね、プンプン!」

「うそおおおおおおん!?」

 あすなのあまりの変化っぷりに脊髄反射に等しい反応をしてしまった! プンプンとかこいつどうなってんだよ!?

「――あすな、あなたは疲れが溜まっているのですわ。この場は副部長である私に任せて図書室で読書でもしてなさいな」

 友紀はそっとあすなの肩に手を当て、諭すように語りかけた。

「……んと、わかりましたっ。それじゃあお言葉に甘えて読書してきます――あとは友紀にお任せしますね! 三四郎さん、残りの試合もがんばって下さいね☆」

 そう言ってあすなは笑顔いっぱいでスキップをしながら道場をあとにしたのだった。というか☆って何だよ、どうしちまったんだよ……

「――ふふふ、相変わらずあすなはメガネひとつでどうとでもなりますわね。さあ、これで試合の再開ですわ!」

 ドヤ顔全開の友紀。というか、あすなを場から退場させてどうするつもりなのだろうか――そう思っていると友紀は美優へと近づき、

「美優、あの男を試合中の事故に見せかけて殺しなさい。手段は柔道形式なら問いませんわ」

「――かしこまりました。あの男を排除します」

「おいいいい!?」

 なんてこと言いやがるんだこいつら!

「私に与えた辱め、命をもって払ってもらいましてよ! さあ行きなさい美優、あの男――天津三四郎をこの世から葬り去りなさい!」

 友紀のゴーサインと共に美優が動き出した。くっそ、これもLSでいうところの代償なのかよ!?

「目標捕捉――行きます」

 無機質な声とともに美優は一気に前進してくる。その早さは異常の一言で加速装置でも積み込んでいるのではないかと思わされるほどだ。

「まずは掴みから――ってオイ!?」

 潔く掴み合いから試合を展開させようと思ったが、どうにも嫌な予感がしたので大きく後退した。その判断は正解で、美優は俺がいた場所に手刀、足刀、正拳突きのコンビネーションを空を斬る早さで打ち込んできた! その一挙一撃に空気をかき分けるような重苦しい音が聞こえてくる。

「おいおい、あんなの食らったら死んじまうぞ! つーか打撃はアリなのかよ!?」

「当身技だから柔道ルール自体には背いてませんわ」

 しれっと無茶を言い放つ友紀。たしかに柔道には突く、打つ、蹴るなどの打撃技もとい当身技というものは存在する――が、当然ながら乱取りはおろか試合でも使っちゃいけない決まりになっているのだが。

「何でもありかよ……いいぜ、反則前提でも勝てない相手がいることを教えてやる!」

「攻撃を再び展開――次は必ず仕留めます」

 仕切り直しから再び美優が俺目がけて突っ込んでくる。その速さは柔道のそれではなく、もはや短距離走のスタートダッシュに近いものがあった。

「来ると分かっているなら迎え撃つだけだ!」

 美優は再び文字通り相手を切り裂くような手刀を放つ。それをギリギリのところで(かわ)し、俺の後方へ転ぶように足を引っ掛け軽くつかんだ道着の部分だけで突き飛ばす――通称、隅落(すみおとし)。この技は相手に触れずして道着部分だけで行われる投げ技で合気道にも通じている。これなら奥義LSもおそらくは発動しないで自然な形で勝てる……ッ!

「――危険感知、浮遊フロートモード起動――」

 俺の隅落によって地面へと突き飛ばされるはずだった美優は、空中で一回転すると手足から蒸気を噴出させることで浮遊し、地面に足を付けずに立ち状態へと持ち直した。

「いやー危ないところでしたわねー、ヒヤヒヤしましたわー」

「おいコラちょっと待て!」

 棒読み全開の友紀に食って掛かる俺。

「はあ、何ですの?」

「何で浮いてるんだよ! これじゃ試合になんねーぞ!?」

「何でと言われましても……岬グループの技術の粋を集めた努力の結晶ですから飛んだり撥ねたりするのは当たり前かと」

「跳ねるんじゃなくて撥ねてどうすんだよ! 殺す気か!?」

「あらやだ聞き間違いですわオホホ」

 白々しさがぶんぶん漂う友紀。あすながいない今、道場は完全に彼女の俺様ルールに支配されつつあった。

「はあ……仕切り直しか。ぜってぇ勝てたと思ったのに」

 思わず溜息ごと声に漏らしてしまう。どうせゴネてもひたすらに意味をなさない予感しかしない。なんだか意地を張っているようにも見えなくはないが、結局のところ投げ続けるしか俺にはないのだ。

(しっかしまあ実際問題どうすればいいんだ。ヘタに投げても空中で持ち直すしどうすりゃ――いや、待てよ!)

 いける。難攻不落の無理ゲーとばかし思っていたが、落ち着いて考えればなんてことはなかったぜ!

「さあ試合再開だ、ご主人様の命令通り俺を殺す気でかかって来い!」

 俺は再び構えを直して美優を見据えた。

「浮遊モード解除」

 美優が畳にゆっくりと着地すると、静かな闘気が一瞬の風となって吹いた。

 そして美優は右手の先から光源――ナイフサイズのレーザーブレードを発生させた。もう完全に柔道無視の無茶苦茶っぷりだが、おかげでこの先の展開は読めたぜ。

「出力百二十パーセント――全力であなたを殺します!」

 右手を突き出したまま一直線に迫る美優。俺は胸を目がけてきたブレードをギリギリで躱し道着の右脇下をかすかに(はつ)ると同時に彼女の右腕を右脇で挟み込んだ!

「ここだッ! 別に難関でも何でもない――このまま逃げられないよう巻き込んでやるぜ!」

 俺は挟み込んだ美優の右腕を脇に抱えながら巻き付けるようにして引きつけ、自らの体を前方に倒れ込ませながら彼女をさらに前方へと投げた――十五ある横捨身技が一つ、外巻込。腕を絡めたまま投げているから脱出は不可能なはず。これで決着――!


「……ひゃぁん!」


 ところがぎっちょん、やはり『それ』は起きてしまったのだ。

 外巻込の途中、美優は今までの無機質な声と変わって艶のある生々しい声をあげた――と同時にまるで命を吹きこまれたように彼女の履いていたスパッツが自身の足から抜け、そのまま上空へ加速を続け道場の天窓を突き破って羽ばたいていった。そう、まるで鳥のように――

「意味がわかんねえよおおお!」

 完全な投げ一本が決まったにも関わらず俺は咆哮した。

「な……何なの、ですわ……」

「私の負けになります」

 口をぱくぱくと開けたまま硬直する友紀。そして目の前にはスパッツが脱げて道着に下着一枚の状態の美優がいた。下着――肝心の部分は割れた窓から差している太陽光によって遮られ見えなかった。まるでアニメの性的描写の強いシーンを白い光で丸ごと規制する白光のように。


「――そこまでだ!」


 道場入口からの声。そこには柔道部部長でありメガネを外した吾妻あすながいた。

「もうだめだ、すみませんでした……」

 小さく呟く俺。やはりどんな形で配慮を施しても奥義LSは発動してしまうのだ。これじゃあ本当に強猥魔だ……ッ!

「乱取りはこれで終了だ……この男、天津三四郎には『絶対に勝てない』」

「!」

 あすなの一声に驚かざるをえない。乱取りの終了はともかく、まさかLSの正体に気づいたのか……?

「私は今さっき図書室でこのような記事を見つけた」

 あすなはそう言うと一冊のスクラップブック――この地方の新聞の記事の切り抜きだろうか――を出しパラパラとめくった。すると、

『無敗の天才柔道高校生、県大会個人戦の秒殺劇。優勝後まさかの退部へ』

 という切り抜き記事を見せた。この記事は……

「これは三年前、この地方に住むある高校生が柔道県大会個人戦を破竹の勢いで優勝した後、退部――事実上の引退をしたという記事だ。この高校生の名前は……天津三四郎、お前で間違いないな」

 記事には俺の姿が写った写真や名前がでかでかと書き連ねてあった。

「確かに俺だ。よくそんな記事を見つけてきたな」

「三四郎なんて名前は滅多に無いから当時圧倒的に強かった高校生選手がいたことを思い出したのだ。それよりも何故退部――柔道をやめた? インターハイでも余裕で勝てたのではないのか!?」

 あすなの言葉に力がこもる。

「お、俺は実家の神社を引き継がないといけないからな。部活動をやっても仕方ないかなーって……はは」

 実際はかなり違う。この時期あたりから頻繁に親父が事故で死にかけるようになったので(きっとLSや他の奥義が関係しているのだろう)、折を見てバイトで親父の入院費用を稼ぐようになったのだ。

「――ふざけるな!」

 俺の言葉にあすなは食って掛かる。

「そんな適当な心持ちのお前に我々は片っ端から負けているんだぞ!? 居ても立ってもいられるか!」

 適当な心持ち、か。ひょっとして俺が適当にお前たちと乱取りしていると思ったのだろうか。

 ……だとしたら『間違い』だ。

「乱取りが終了ってならこれは渡しておくぜ」

 俺はあすなに向けてこの乱取り中、休憩の合間に書き続けていたノートを投げた。

「なんだこれは? 一番、田中:組手の際の掴みの位置が甘い。胸は鎖骨より下、袖は肘より上を心がけること。二番、小林:不発に終わった足技には鋭さがあった。相手の重心の崩し方を学ぶとより良くなるだろう。これは一体……」

「今日戦った相手の簡単なチェックだよ。もちろんここまでの試合全員分だ。最初にも言ったが俺はお前たちに『柔道を教えに来た』んだ。これは嘘偽りのない本心だぜ」

 ノートを食い入るように読んでいくあすな。

「今までの全試合分の寸評……殆どの試合が一瞬で終わらなかったのはこれが原因か……!」

 ノートを読むにつれ彼女はわなわなと肩を震わせ始めた。

「納得いかない……」

「ん?」

「納得がいくものか! それならば手加減抜きで私と勝負しろ! 私は全力のお前以外を断じて認めない!!」

 


 百人には至らなかったが八十一人目――これが最後の試合。俺とあすなは柔道の作法に基づき面と向かって礼を交わした。俺はあすなに問いかける。

「全力で戦って構わないんだな」

「無論。少しでも手を抜いたら今度こそ帰ってもらう」

 表情に声色、とても真剣さが伝わってくる。

「承知。吾妻あすな、お前が見たがっていたものを見せてやるぜ」

 そう言って俺は深く、深く深呼吸をする。思い返してみれば何の役にも立たない奥義に振り回されてばかりだった……が、それは単純に俺が未熟だったから。ならばそのたるみをこの試合で振り払ってみせる!

 自分の気持ちに整理をつけ、俺はあすなに向けて右腕を伸ばした。

「なんのつもりだ」

「分かってるだろうがキャリアから考えて俺は負けない。だがその前に、できればお前の力量も測っておきたい。お前の足りない部分を見極めてやるから投げてみな」

「な……舐めるな!」

 右腕一本で構える俺を見るやあすなは恐ろしい早さで距離を詰め背負投の形に持っていった。

「なっ!?」

「どうした? 俺はなにもしちゃいないぜ」

 あすなは一刀両断するような勢いで俺を掴んだが、そこで動作がストップしてしまった。

「ビクともしない……だと!? まるで大木を引っ張っているようだ……!」

「なるほどな……この引き込みならおそらく全国大会でも十分通用するだろうな。だが俺は動かない、これが本来の実力差だ」

「うる……さい……!」

 俺との背中越しの会話が聞こえているだろうが、それでもあすなは諦めずに色々と形を変えては俺を投げようといろいろな方法を試していた。

「あすな、お前にはおそらくこれという欠点はないだろう。俺が保証する」

 これでいい。ようやくLSを発動させないで相手に勝つ方法がわかった。それは相手と戦わずして降参させること――

「だが、お前だけ強くてもしょうがないんだ。周りを見ろ。部長であるお前の戦いをみてくれている部員が何人いると思っているんだ」

「……」

 あすなが顔を上げると、そこには桜花高の柔道部員しめて約百名近くが正座をしてこの試合を見学しているのだ。

「ぶっちゃけ仕事でやってる顧問なんてアテにならない。だからこそ部長であるお前がこいつらを全国に引っ張っていってやるんだ。団体戦日本一、それが終わったらまた相手してやる。約束だ」

 それを聞いたあすなは徐々に投げようとした力を抜き、最後はくすくすと笑い出した。

「ふふ、面白い。会ってその日のうちに日本一を目指せなんて言ってきた顧問なんてお前だけだ!」

 そうそう、こんな顧問なんて滅多にいないだろ、って今なんて?

「聞こえなかったか、私の負け――降参だ。今日からよろしく頼むぞ、三四郎先生」

 あすなは振り返るととても清々しい表情で手を出してきた。

「あ、ああ! 俺にかかれば伝説残しまくりだぜ! お前たち全員覚悟しておけよ!」

 年上である俺が感極まってどうすんだよ、と思いつつ俺はあすなの手を握り返した。すると――


 バリバリバリーッ!


 なんと一切触れてすらいなかったあすなの柔道着が膨らんだ巨大風船を割ったような勢いで勝手にちぎれ飛んでしまったのだ!

「あっ、ええとその……キレイナカラダデスネ!」

 カタコトの日本語で取り繕う俺の前にはゆでダコのように赤くなっていく下着スパッツ状態のあすなが……ああもうやっぱりこうなるのかよ!?

「いやあああああああ! バカバカバカバカ変態今すぐしねぇぇぇぇぇ!!」



 天津流柔術奥義LS――その呪われた技の正体は約束された勝利と少々の不幸と『ラッキースケベ』――顧問となった三四郎の苦難の日々は始まったばかり。

 後に彼女たち桜花高柔道部が県大会を余裕で制圧し、夏のインターハイでもその名前を轟かすことになるが、それはまた別の話――。〈了〉


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