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少女を襲う妄想 前編

 シャワーから水が流れる音。今この個室にはその音だけがある。

 私は今日の春彦君の行動を思い出す。

 

 いつからだろう。私は学校に居る間、ずっと春彦君を観察するようになっていた。

 授業中も、黒板を写すノートとは別に、春彦君の観察日記をつけていた。

 休み時間はただ観察し、授業中に、先生や周りの目を盗んで日記に書きこむ。


 書いている時、観察している時は、とても楽しい。

 春彦君の一挙一動が、ちょっとした仕草が。表情が。素敵に見える。


 反動が、こうして家に帰ってくると来る。

 自分はなんて惨めで卑怯で陰湿で、ああきっと、私の様な女がクズなんだ、と。

 ノートを破る事は出来ない。これが私にとっての春彦君なのだから。


 やがて、その反動から逃れるように、もう一つのノートに妄想日記まで付け始めていた。


 シャワーを止める。鏡の位置が悪い。嫌でも自分の顔が見える。


















 「少女を襲う妄想」



 宮村みやむら 春彦はるひこは平凡な高校生であった。

 平凡な高校生というのは現時点から遡り、覚えている人は四、五歳位までの記憶はあるはず。

 春彦はその、現時点以前の記憶が無い。あるのは奇妙な事にこれからの、未来の記憶だけだった。


 通学路には桜が咲いている。花びらが散り、今日の入学式を祝福するかのようだ。

「兄貴、ちゃんと撮ってくれよ」

 春彦の弟、宮村みやむら 秋人あきとは桜の花びらをキャッチする。

「ぶれたらすまんな」

 今日は秋人の入学式。両親が共に不在なため、春彦がカメラマンの役になってしまった。

「ぶらすなよ。俺の入学式だぞ?」

 念を押すような目。女顔な秋人は今こそ普通の男子用制服を着ているが、普段はもっぱら女装している。本人曰く、趣味だそうだが、春彦からすればそろそろ卒業してもらいたい。

 もうすっかり慣れてしまったが、そんな趣味をいつまでも続けていて良いとは思わない。

「……なぁ、秋人」

「ん?」

「雪舞、幸音って子に会ったらさ、俺に紹介してくれない?」

「…………まぁ、考えておく」

 怪訝な顔で秋人は頷いた。

春彦はふと、空を見上げた。空は今日もいつも通り。雲を手前に奥に青空が広がっている。

 前に感じた、天盤に空が映っているような、虚構のような違和感は感じない。そこで春彦ハッとする。

 すっかり当たり前のようになっていた。今の現状だ。

「兄貴?」

「……あ? どうした?」

「春だからってボーッとしてると、いいことないぜ」

「分かってるよ」

 本当かなぁ、と言いたげに秋人はジトッとした目を向ける。


 秋人は小さく手を降って、入学を祝う装飾のされた正面口へと向かう。春彦のような在校生や父兄は直接、会場である体育館に行く事になっている。秋人が新入生達の中へ入っていくのを見届けて、春彦は体育館へ向かう。

 春彦はこれからの出来事を思い出そうとする。

 確か……優に会うんだ。そして、放課後になにを何をしているのか聞いて、優はアルバイトをしているんだと教えてもらう。そのアルバイトは……思い出せない。が、確かなのはその事は誰にも話しては行けないということ。

 理由はどうあれ、自分がそう思うのだから余程大事な秘密なのだろう。

 それならば、忘れているのはむしろ都合がいいと言える。

 …………だけ、だっただろうか。何か、もう一つ何かなかっただろうか。

 ドンッとスーツ姿の父兄にぶつかる。

「すみません」

 春彦が謝ると、父兄は笑って「こちらこそ」と小さく頭を下げた。

 ボーッとし過ぎていた。春彦は一旦考えるのを止め、体育館へと向かった。



☆☆☆☆☆



 入学式の間、優は現れなかった。式後、下駄箱で発表されたクラス表を見て、春彦は自分のクラスへ向かう。

 教室に入り、視線を巡らせ優と金髪を探す。目立つ鮮やかな金髪は当然、すぐに見つかった。優も一緒だ。そしてもう一人、女子だ。

 長い黒髪を後ろ一本に纏めた長めのポニーテール。赤い縁のメガネ。制服を着ていても存在感のあるバスト。運動部、特にテニス部がよく似合いそうな彼女。

 華舞はなまい 奈々ななえだ。

「よう! 春彦!」

 金髪に手を降り、優と奈々枝も春彦の方に顔を向ける。

「また同じクラスだな」

 ああ、と春彦は返す。また同じクラス、なのか、と思う。

「やほー。初めまして、春彦君」

 奈々枝はニコッと人懐っこく笑う。天真爛漫、そんな四字熟語が浮かぶ。

 華舞奈々枝は、数日後に自殺する。春彦はその事を思い出す。彼女はもちろん。そんな未来、一切知る由も無い。

「……どしたの?」

 春彦は自分の目の端から涙が流れているのに気づく。

「いや、何でもない。ドライアイだ多分」

「目薬使うか?」

 優は胸内ポケットから市販の丸い目薬を取り出す。春彦は手を降って断る。

「夜更かしでもしたの?」

「まぁ、そんなとこ。大丈夫だ。問題ない」

「それは大丈夫じゃないんじゃない?」

 奈々枝はクスリと笑う。

「そういやあったな、ゲームのPVで。そんな装備で大丈夫か?」

 金髪はキリッと真面目な顔で「大丈夫だ。問題ない」とそのPVの真似をした。が、春彦はもちろん覚えていないし、どうやら優も奈々枝もそのPVを見たことは無いようだ。気まずい、反応に困る。スベッちゃった。

「……あれ、誰も分かんない?」

「すまん」

「ごめん」

「…………」

 ガララッ、と教室の扉を開けて先生が入ってきた。先生はBOXティッシュの小箱と書類の入ったクリアファイルを持っていた。

「席につけ。どこでもいいから席につけ。席決めするぞ」

 手身近な机の椅子を引いて春彦たちは座る。先生はまず、持ってきたクリアファイルから座席表を取りだし、黒板に張り出す。その座席表には名前はなく、番号だけがふられていた。

「今回の席順はくじで決める」

 先生が用意したBOXティッシュの小箱に入った沢山の二つ折りの紙。その内側に書かれた数字は、黒板に貼り出された座席表の番号に対応している。

 順番に一人ずつ席を立ち、くじを引きに行く。優と金髪の後に春彦が引きに行く。


「おい宮村、早く引け」

 先生は呆れている。他の人はスッと迷いなく一枚取っていくのだが、春彦はかれこれ三分は悩んでいる。

「…………これだ!」

 箱の左隅にあった紙を取り、開く。書かれた数字は「4」。座席表の「4」の場所。そこは――窓際後方、二番目。左に窓、前右後ろ三方はすでに男子に固められている。つまり、未来は変わらなかった。春彦は膝から崩れ落ちた。



 春彦はとある事を思い出した。

 ああ、そういや俺、青春したかったんだ。高校に入学して、一年が過ぎ二年生になった。先生は今が一番弛みやすい、という話をしている。

 だからこそ、青春したいと思う。

 だとするならば、これは試練なのだろうか。廊下側二列に女子が集まり、残り三列は全て男子だ。むさい。記憶よりも酷い現実に、春彦は泣きたくなった。

「え~……それじゃあ、クラス委員長は柴田優君。副委員長は華舞奈々枝さんに任せる」

 教室内の盛大な拍手で春彦はハッと我に返る。これに似た光景を見たことがある。でも、大きく違う。

 奈々枝だ。彼女はちょっと恥ずかしそうに頬を掻いている。春彦の覚えている光景では、もっと奈々枝は暗かった。

「春彦、どした?」

 金髪が小声で聞いてきた。

「え、何が?」

「いや、ボーッとしてるから」

「あ、ああ。何でもない」

 金髪は怪訝な顔をした。

「なぁ。奈々枝ってさ、あんな感じだったっけ?」

「さぁな。一年の時はクラス違ったし。でも笑うと可愛くって、胸もデカイ。かつ分け隔てがない。とは聞いたことがあるぜ」

「そうなのか」

「彼氏が出来なかった訳を知りたいね」

「それはどうでもいい」

 春彦の記憶が間違っているのか。正反対な彼女。少なくとも、自殺なんてするとは思えない。だが、この席決めのように、変わらずそうなるとしたら、奈々枝は自殺してしまう。



 委員会決めが終わると、そのまま解散となった。優と奈々枝は委員の仕事で職員室に行った。春彦と金髪は街中のゲームセンターへ行ってタイムクラッシャーをやりに行く事にして、今は下駄箱に来ていた。

「……あ、そういや、噂なんだけどさ」

 金髪が靴を履き替えるのを待っていると、金髪が話始めた。

「奈々枝を隣町のゲーセンで見たって奴が居たな」

「だからどうした? ゲーセンくらい、誰が行っててもおかしくないだろ」

「まぁそうなんだけど。でもほら、うちの学校の女子ってあんまりそーゆう所行かないらしくって。それで「珍しい」って話になったんだよ」

 本当に大したことない話だ。しかし一つだけ、春彦は腑に落ちない点があった。

「でも何で隣町なんだ?」

 そこだけが分からない。

「そう、それが謎なんだよ」

 そこでしか遊べないゲームがある。というのが春彦には一番に考えられる。

「奈々枝は何をやってたって?」

「ストギアだって」

 ストリートギア。2D格闘ゲームで、今そこそこ人気なアーケードゲームだ。春彦たちが今から行くゲームセンターではいつも空きがない。

 男性客だけでなく女性客もそれなりにいるので、やはり奈々枝が遊んでいたからといって特別不思議という訳ではない。

「ストギアなら別に隣町でなくても……あ」

 春彦には一つ、思い当たる所があった。

「ストーリーか」

「ああ、アーケードモードの」

「そうそう。隣町のゲーセンで過疎ってる所なら、ゆっくりストーリーが見れるじゃん。それじゃね?」

 金髪は納得したように頷く。ストーリーは、好きな人は好き、どうでもいい人にはどうでもいいものだ。全キャラクターにそれぞれストーリーがあり、アーケードモード全十戦の中で開始時、三戦目、六戦目、八戦目、九戦目、十戦目にストーリーデモが挿入される。それ目当ての人からすれば、乱入されるのは不愉快だろう。

「なるほどなー。それなら納得だわ」

 靴を履き替えた金髪は上靴を下駄箱にしまう。

「よし、行くか。戦場へ!」

「……おう!」



 ☆☆☆☆☆☆



 そのゲームは「タイムクラッシャー・クリムゾン」。主人公は時空警察特殊任務遂行班の腕はたつが問題が多いコンビ。敵は過去を改変しようと言う凶悪犯罪組織だ。

 銃声が鳴り響く。飛んでくる銃弾の数は無数。たった二人を始末するのにはあまりにも大袈裟過ぎる。それもそのはず、ここはステージ4、最終ステージ。二人はついに最終ステージに到達した。敵の弾幕の密度これまでよりもずっと厚く、刹那を見切らなくてはならない。

 拳銃型のワイヤレスコントローラーを持つ手は震えている。汗が止まらない。

 これはゲームだ。たかがアーケードの1プレイ百円のゲームだ。しかしそんなゲームの回りの空気は、例えるならオリンピック競技の決勝戦。同点で迎えた最終ラウンド。負ければ銀メダル、勝てば金メダル。選手も観客も金メダルだけを望んでいる。大袈裟な例えではない、今まさにそんな空気なのだ。

 弾幕の隙は、最早見てからでは間に合わない。感覚、反射。思考も無くてはならない。どれを撃つのか、狙いを外せば次のチャンスまで待たなくてはいけない。そして早すぎては――――

「…………っぁ」

 金髪はタイミングが早すぎた。一瞬、即死と言える速さで三つのライフが減り、声にならない悲鳴と共にゲームオーバーになった。

 声をかける事は出来ない。何故彼は、春彦はそんなに集中しているのか。それは意地だ。くだらない、ラストステージまで来れたのだから何としてもクリアしよう、という意地だ。

 今だ! 弾幕の隙に画面にコントローラーを向け、反射と感覚で一発の銃弾を放つ。それは敵リーダーの頭を貫いた。

イベントムービーが始まる。ようやく駆け付けた主人公仲間達が敵を倒す。そして敵の首領の抹殺を主人公に託された。春彦のライフは奇跡の1。画面は一歩一歩、進んでいく。

 Last chapterと表示された瞬間、画面が赤くフラッシュした。そしてゲームオーバーと表示される。

 春彦は口をあんぐりと開けて、あまりに非情で理不尽な結末を、しばらく受け入れることが出来なかった。



 無謀な挑戦者達の阿鼻叫喚地獄絵図を遠くに眺めながら、春彦は未だ放心状態だった。

「ほい」

 金髪はコーラの缶を春彦の顔の前で「振った」。

「…………おいィィィィッ!!」

「はっはっはっはっはー」

 その上ほとんど人一人分の間で春彦に投げて渡す。春彦は慌ててキャッチ。正直開けられたものではない。開けてしまえば、こちらも阿鼻叫喚地獄絵図と化すだろう。

「お前なぁ……」

「いやぁ惜しかった。実に惜しかったよなぁ」

 一応、曲がりなりにも金髪がこのコーラを買ってくれたのだ。飲まないのは悪いしモッタイナイ、とは思うが。

「…………最後であんな初見殺しがあったなんてな」

「あれ、強制的に1ダメージ食らう仕様らしいぜ。ゼッテーその仕様通した奴性格悪いよな」

「面白いと思ってやったんだろ。きっと天然なんだ」

「悪気が無いタイプかぁ」

 挑戦者達は一人、また一人と脱落していく。無言で去る者から「クソゲー」と吐き捨てていく者から泣き出す大人まで様々だ。

「……なぁ、俺達、タイムクラッシャーやりはじめてからどれくらいだっけ」

 春彦が金髪に問うと、金髪はスマートフォンを取り出した。

「えっと、始めたのは三時位で、今は五時」

「違う違う、一番初めにやったのいつだっけ、って」

「ああ。うーん、いつだっけ? でもかなりやってるのは確かだな。五十回くらい?」

「それで未だにクリアしてない、か。切ねぇ……」

 向いていない、と誰かに言われたら言い返せないな、と春彦は思った。それにしても五十回。どのくらいやっていたのだろうか。全く記憶に無いのだが、それでも最終ステージまで行けたのだ。体は覚えている、春彦にはそれが少し嬉しかった。ただでさえ今日以前の記憶がない無いのだ。体の感覚とはいえ、覚えているというのは純粋に嬉しい。

「さってと」

 金髪は手に持った缶ジュースを一気に飲み干して、缶をゴミ箱に捨てた。

「帰るか」

「そうだな」

 タイムクラッシャーの前に、もう人は居なかった。



☆☆☆☆☆☆



「じゃあな、春彦」

 金髪の携帯に届いた一通のメール。姉からのメールで、今すぐスーパーに来い、と書かれていたらしい。彼いわく、逆らうことは死を意味するらしい。

「ああ、頑張れよ」

「他人事だと思って……」

 金髪と別れて三分ほど歩いたところで、春彦の携帯電話が振動し、メールの着信を報せる。

『悪い、コンビニで牛乳とジャブ買ってきてくれ。』

 秋人からだった。ちょうど歩道の向かいにコンビニがある。まるで狙ったかのようなタイミングだった。

 車が通っていないし、来る気配もないので春彦は足早に道路を渡る。渡ったところで、春彦は外から見える雑誌コーナーに意外な人物を見つけた。その人物は春彦に気づくと慌てて立ち読みしていた雑誌を戻した。

「らっさいませーこんばんはー」

 店内に入ると、入店音と共に間延びした店員の挨拶が聞こえてきた。春彦は雑誌コーナーにいた彼女に声をかけた。

「よ、奈々枝」

 奈々枝はブリキのような、あからさまに挙動不審だ。ギギギ、と効果音が付きそうな動きで春彦の方を向く。

「ややや、ヤホー、春彦クン。奇遇ダネー」

 いつもの制服ではない、紺色のセーターに少し色のくすんだジーパン。ラフな私服だった。

「…………それか、読んでたの」

 女性雑誌と週刊の漫画雑誌「ジャブ」との間に一冊だけ大きさの違う別な雑誌が混じっていれば、春彦でなくても気づくだろう。

 春彦はその雑誌を取ってみる。奈々枝は恥ずかしさと気まずさで居心地が悪そうだ。

「なんだ、デン通か」

 デンゲキ通信。普通は「デン通」と略されて呼ばれる。週刊のゲーム雑誌だ。

 表紙に描かれた狐のようなキャラクターは剣を高く掲げている。デカデカと「発売決定!! リンクの伝説 神々の剣2」と書かれている。狐のようなキャラクターはそのゲームの主人公の格好しているのだ。

「そんな隠す程か?」

「い、いや。まぁその……」

「まぁいいけど。欲しいなら買えばいいじゃん」

「うん、そうなんだけど……」

 どうにも歯切れが悪い。

「お金が無いのか?」

「……ぁぃ」

 奈々枝は視線を逸らして、ぽつりと、蚊の鳴くような声で呟いた。雑誌の値段は四百九十円。秋人から頼まれた牛乳と、デン通。これらを纏めて買う事は出来ない。もし今日、金髪とゲームセンターに行かなければ、タイムクラッシャーに百円を投入しなければ買えていた。

 だが春彦は、デン通を買う事に決めた。

「奈々枝、幾ら持っている?」

「え?」

 奈々枝は目をぱちくりさせる。意外な質問に驚いているようだ。

「手持ち、幾らある?」

 奈々枝はポケットから小さいがま口の財布を取り出して、中身を確かめる。

「二百円、だけ」

 奈々枝の手持ちのお金が無いのはもちろん春彦の想定内だ。買えるだけの余裕があればとっくに買っているだろうし、あるいは内容で決めようとしていたとか、あれこれ色々と想像は出来る。

 おそらくは立ち読みで済まそうと思っていたに違いない。しかし読んでいたら欲しくなってしまう質なのだろう。未練がましく、チラチラとデン通に視線を向ける仕草から、春彦はそれがきっと正解なんだろうな、と思う。

「よし、じゃあ、百円渡してくれ」

「え、そんな、いいよ!」

「誰も奢るとか、立て替えるとは言ってねーよ。俺もこれ読みたいから俺が買う。後で貸すよ。だからレンタル料百円。どう?」

「レンタル料」

「何ならそのまま買取でもいいよ。どうせ秋人は読まないだろうし。俺も一通り読んだら、もう読まないしな」

「い、いいの?」

 春彦は頷く。奈々枝は表情を明るくして「ありがと」と呟いて笑った。はにかんで、少し照れたような笑顔に春彦の胸は高鳴る。

「……買ってくるよ」

 顔が熱い。春彦はデン通を雑誌の隙間から抜き取って、パック飲料のコーナーで1.5Lの牛乳パックを取って、レジに向かう。

 レジに店員の姿は無い。「す、すみません」とまだ落ち着ききっていないからか、少しどもりながら店内に声を掛ける。店員は入口近くの大型プリンターの所に居た。どうやらコピー用紙を補充していたらしい。

「は~い」と間延びした声で返事をして、コピー用紙の入った長方形の紙袋をコピー機のスキャナーの上に置いて、小走りにやってくる。

「いらっしゃいませ、お預かりします」

 店員は手早く二つの商品のバーコードをスキャンする。

「……合計で五百四十八円です。飲み物と雑誌、袋別にしますか?」

「一緒で」

「かしこまりました」

 財布から――奈々枝から受け取った百円も合わせて――五百五十円を取り出して青いトレイの上に出す。店員が先に牛乳とデン通の入った袋を差し出し、春彦はそれを受け取る。

「春彦君、外っ」

 奈々枝が慌てた様子で春彦の側に来て、手を引っ張る。

「どうした?」

「外見てよ! 雪が降ってきた!」

「はぁ?」

 店員がお釣りを差し出すが、それよりも外だ。

「あのぉ」

「あ、すみません」

 春彦はおつりを受け取って財布に乱暴にしまう。店から出ると、目の前に白い粒がゆっくりと、沢山舞い降りてくる。それは桜の花びらではない。気温は決して寒くは無い。せいぜい少し風が肌寒いかな、と言うくらいだ。

「すごいねぇ……そんなに寒くないのに」

 奈々枝は手に雪を受ける。

「冷たい」

「雪、だからな」

 春彦も真似して掌に雪を受ける。舞い降りた雪は、体温で瞬く間に溶けて液体に変わる。冷たいし、どうみても雪だ。東北地方ならば、四月に雪が多少降ってもおかしくは無い。

「……ここって、確か関東らへんじゃなかったっけ?」

「ね、珍しいよね」

 奈々枝は目を輝かせて、珍しい四月の雪にはしゃいでいる。

 冷静に考えて見れば今は四月、その一日。五月や六月ならば異常かもしれない。だけどまぁ、そういう事もあるか。春彦は納得する。

「積もるかな」

「さぁな、積もったらきっと桜と雪のコラボレーションだな」

「いいね! 積もらないかなぁ」

 楽しそうに、嬉しそうに、楽しいという感情が春彦にまで伝わる。

「さ、送ってくよ。家どこ?」

「えっと、あっち」

 奈々枝が指差す方向は春彦の家と反対方向だ。

「ふぅん」

「反対?」

「まぁ、ちょっと遠回りかな」

「じゃあ、別にいいよ」

「デン通いつ渡すんだよ」

「春彦君読んでからでいいよ」

「……そしたらいつ渡すんだよ」

「……えっと」

 奈々枝は自分がゲーム好きなのを人に知られたくないという一面がある。そんな彼女に学校で渡す訳には行かない。実際に渡して、彼女の様子が変わってしまった。

 春彦はハッとする。何だそれは。何で俺はそんな事を知ってる? 奈々枝とは今日初めて会ったんだ。奈々枝の事なんて何も知らないのは当たり前だ。

 ……いや、未来の記憶か。そう考えれば、強引ではあるが春彦は納得できる。

「明日の放課後、暇か?」

「え、うん」

「なら、明日の放課後に俺ん家で渡す。それなら問題ねーな」

「そうだね、それでいいよ。じゃ、また明日ね」

 奈々枝は手を振って先程指した方へ歩いていく。その足取りはどこか軽い。

 春彦も家に帰る事にした。



 ☆☆☆☆☆



「――で、それはジャブを買い忘れた言い訳にはならねぇぞ、兄貴」

 春彦はすっかり忘れていた。一体いつ摩り替わったのだろう。奈々枝とデン通の話をしたあたりだろうか。あるいは初めから買う気など無かったのかもしれない。

 帰った時、すでに夕食は出来ていた。今日のメニューは焼き鮭の切り身、味噌汁、白米。至って質素な和風。何となく、朝食のように思えてしまう。

「ごめん。デン通もとなると金が足りなくて」

「ほー。完璧に頭からすっ飛んでたんだろ。そうすれば奈々枝がよろこぶかなー。あわよくばこれをきっかけに、奈々枝と接点がもてればナー、位の下心があったんだろ」

 春彦は思わず、あ、と声をあげた。

「そ、それは思いつかなかった」

 というか、奈々枝を救うとか自分で思っておきながら、接点を持とうという考え自体、思い至ってなかった。新しいクラスで金髪や優と一緒に居たところで出会ってしまったから、それで接点を持ったものだと思っていたのか。

「……あっそ。まぁいい、とりあえず後でデン通よこせ」

「読むの?」

「さして興味は無いけどな。あるなら読みたい」

 春彦は味噌汁を啜る。

「あれ、なんかやけに薄い?」

「…………」

 秋人はほんの一瞬、表情を強張らせた。

「そんなはずない」

 自分の味噌汁を啜る。手を止めて、味噌汁を注視する。信じられない、と言った表情を浮かべながら。

「味噌足んないんじゃないの?」

「…………」

 秋人は立ち上がり台所の、まだ少しだけ味噌汁の入った小鍋の蓋を開けて、お玉で掬って一口啜った。そして今度は春彦の味噌汁を啜る。

「何か、鮭も味足りないような」

 春彦は切り身を口に運んで言った。薄く塩味と鮭の味はする。だけどそれが本当に薄い。自分の味覚のせいだろうか。

「……兄貴、その鮭、大丈夫か?」

「は? 何で?」

「兄貴があんまり遅いから、塩多めにしたんだ。一部分だけ。ちょうど、今兄貴が食べたところ」

 春彦は箸を止める。

「……全然。ちょっと塩味が濃いけど、それでもかなり薄味だぜ?」

「そんなはずは……」

 秋人は腕を組んで、右手で口元を隠す。

「…………俺の、味覚が悪くなってんのかも」

 春彦は白米を口に含む。殆ど味を感じない。コメの甘みを感じない。むしろ妙な、シャリ、シャリという砂を噛むような食感がある。

「兄貴、それ、塩かかってるはずなんだけど」

「どんだけ俺を塩まみれにしたいんだよ。血圧上がるぞ!」

「しょっぱくない?」

「全然」

 秋人は席に戻って、切り身を口に運ぶ。飲み込んで、次に春彦の切り身を少しだけ取って口に運ぶ。少し咀嚼した所で口を押さえてむせた。

「……っ! げほっ、しょっぱ!」

「はぁ?」

 オーバーに程に咳き込む秋人。春彦は秋人が取った切り身の辺りを口に運ぶ。

「……そんなにか?」

「ごふ、げふ。兄貴、病院行って来い……」

「てゆーかそんなになる程塩かけたのかよ!!」

「当たり前だ。ちょっとじゃ罰にならないだろ」

「自滅してんじゃん! ざまぁみろ!」

「ちっきしょー」

 秋人は目の端に涙を浮かべながら台所に向かい、コップに水を注いでうがいした。



 食後、春彦は冷蔵庫の中からタバスコを探し出す。秋人はテーブルに座ってデン通を読んでいる。ただどこか、心ここに在らずといった雰囲気だ。

 春彦はタバスコの蓋を開けて、一滴を指に垂らす。舐めれば、間違いなく辛い。舌が痛くなるかもしれない。わさびの方がよかったかもなぁ、と今更後悔する。意を決して、その一滴を舐めた。

 目を閉じて、口の中の感覚に全てを神経を集中させる。

「…………あれ」

 辛味を、殆ど感じない。舌も何とも無い。いくら待っても辛味が出てくることも無い。まるで、水を舐めたように、何とも無い。不気味だ。

「なぁ、秋人」

「ん?」

 秋人は振り返る。

「タバスコって辛いよな」

「辛いな。舐めたの?」

「うん」

「兄貴……」

 秋人は何か言いたいのかもしれない。口を閉じて、一度目を伏せた。

「何か、思い当たることでもあるの?」

「……っ…………病院行け」

 無理やり出したかのような、裏に何かを隠したような言い方だった。

「秋人、何か知ってるんなら教えてくれよ。俺達兄弟なんだ、隠し事なんてすぐバレる」

「…………」

「俺も、一つ隠してた事がある。実は俺、未来の事が少しだけ分かるんだ」

 言葉にすると、まるで思春期の妄想設定のようで、気恥ずかしくなり、自嘲したくなる。

「断片的なんだけど、幸音って子――」

 そこまで言って、秋人が口を挿む。

「なぁ、兄貴」

 秋人は言いづらそうに続ける。

「その……幸音、ってさ。二学期から登校するんだ。なんで幸音の事を知ってるんだ?」

「は……? 幸音、学校に来てないのか!?」

「入学式の時に居た?」

 春彦は思い出そうとする。だが、ひな壇に並んだ顔の中に、あの水色のふんわり髪の少女の姿を思い出せない。

「そんなバカな。居たはずだ」

 居た。そう言った自分に驚く。過去形だ。

「兄貴、何か、何日も「繰り返してる」感覚は無い?」

「繰り返す……」

 言われてもピンと来ない。

「未来じゃなくて、全部あったことだとしたら」

「だと、したら?」

「兄貴は何度も一定期間を繰り返してる。だから未来の記憶じゃない、全部あった事なんだ。だけど、きっと兄貴は何か大きな変化を幸音に与えたんだ。だから展開が変わって、幸音の登校日がズレた」

「幸音がこの学校に来るって言う展開は変わらないけど……」

「幸音自身の身辺や、人生自体にかなりの影響があったんじゃない? それで兄貴、まだループは続いてる?」

「分からない」

「だよね。 ……次は奈々枝かな」

 そうなるのだろう。春彦の中には「奈々枝を救う」という目的が、漠然とある。どうしてそう思うのかは、ぼやけてしまっているが。

「兄貴、気をつけて」

「何を?」

「言えない。だけど、気をつけて」

 それ以上はもう、言ってはくれない。春彦に向けられた真っ直ぐな瞳が追及を許さない。



 デン通の内容は頭に入ってこない。

 未来の事がわかるのではなく、全てあった事だと秋人は言った。正直、春彦は信じきれていない。話がいきなりすぎる。

 ただ全てあったことならば、どうして春彦はループ巻き込まれてしまっているのか。

「…………」

 分かるわけがない。次第にループなんて話もどうでも良くなってきて、春彦は寝ることにした。

 あまりにも現実離れし過ぎている。秋人のいつものからかいだったのかもしれない。



☆☆☆☆☆



 どうして奈々枝を助けたいんだ。


 自分自身からの問いかけだ。


 幸音に「頼まれたから」だ。救ってあげて下さいと「頼まれた」。


 幸音からのメール。そして本と指輪。それは俺と幸音の時間があった証拠だ。

 ……そうだ、秋人の言うことは本当だったんだ。思い出せる。幸音のふわりとした笑顔。青い髪。抱きしめたときの温もり。間違いなく、あったことだ。



 春彦は後ろから、視線を感じる。気づくと、学校の廊下に立っていた。

 後ろを振り返ろうとすると――――


「春彦!」


☆☆☆☆☆



「――そろそろ起きなさい春彦! 本当に春彦ってお寝坊さんだよね! 毎日起こしに来る私の為にもっと早起きしてよね!」

 今日の目覚ましは、女装した幼馴染み風の弟だった。快活そうなポニーテール、天星川高校のではないセーラー服。いったいどこから手に入れてきたのか。悪夢だと諦めて、春彦は布団を深く被る。

「…………兄貴は幼馴染み好きではない、か」

「それ以前の問題だろ」

「明日はツンデレな妹か、ヤンデレな妹か、鉛筆で決めておくよ」

「やめろっ」

 朝から悪夢、いや地獄を見てしまって春彦はげんなりする。春彦がベットから出るのを確認して、秋人は部屋のドアに手をかける。

「飯は出来てるからな。俺は着替えるから」

「わざわざ着替えるのかよ」

「当たり前だろ」

 秋人はわざわざ、春彦の寝起きに地獄を見せるためだけに女装していたのか。春彦にはその意図は全く理解できないし、理解しようとも思わない。

 ため息をついて、さっさと着替えを始める。制服は学ランスタイルで、適当なインナーを中に着て、上に学ランを羽織るだけでいい。実に楽で、それだけで春彦には天星川高校を選んでよかったと思わせる。学ランを羽織ってふと、机の上に置かれた本に目が留まる。

「……幸音」

 幸音は確かに居たんだ。幸音と一緒に買った本。幸音の指に嵌めたのと同じ指輪。間違いなく春彦は幸音と共に、華良かりょう 幸雄ゆきおの起こした通り魔事件に巻き込まれた。

 それは「あった」出来事だと、秋人は言う。弟の言うことだ、信じたい。

「…………」

 今すべき事は、幸音との思い出に浸る事でも、弟の秋人を疑うことでもない。朝食を食べて学校に行くことだ。


 

 昨日の雪は積もらなかった。空は快晴で、雪など降って無かったと言われれば、その気になりそうだ。桜はまだ、鮮やかなピンク色で桜の木を彩っている。

「秋人」

「ん?」

 春彦は隣を歩く、至って普通の学ランを着た秋人に声を掛ける。

「昨日、雪降ってたんだ」

「マジで? いつ頃?」

「ちょうど夕方、コンビニを出た位に。珍しいよな」

 秋人は目をぱちくりとさせてから、徐々に目に疑いをこめてくる。

「……ホントかよ」

 残念ながら証拠は無い。積もらなかったのだから。

「ねぇ、昨日雪降ったんだよ」

「見た見た! 珍しいよね、四月なのに!」

 秋人と春彦の後ろから、女生徒の会話が聞こえてきた。

「……なるほど、珍しいな、確かに」

 その会話を聞いて、秋人はぽつりと呟いた。

「東北の方なら珍しくないかもしんないけどな」

「四月に雪、か。積もればそこら中で写メの音が鳴り響くな」

「雪と桜か」

「あれさー、一度見て見たいんだよねー」

 秋人は少し残念そうに言った。春彦はニュースで一度、見た事があった気がした。

 春彦はふと、少し先に奈々枝の姿を見つけた。特に何か、変わった素振りは無い。ただ普通に歩いている。声を掛けるべきか、春彦は悩む。

「秋人」

「ん?」

「知ってる顔を見つけたんだ」

「ああ、行けよ。この歳までお兄ちゃん離れできてないわけじゃないんだ」

「悪い」

 春彦は早足に、通学中の生徒や出勤する会社員の間を縫って、奈々枝に近づく。

「奈々枝」

 声を掛けると、奈々枝は振り返り、微笑んだ。

「おはよー」

「おはよう。昨日、雪降ったなんて嘘みたいだな」

「そうだねー。結構降ってた気がしたけど、積もんなかったね」

 奈々枝もまた、秋人のように残念そうな顔をした。

「今度降るときは積もるといいよな」

「出来れば桜が咲いてるうちにね」

 交差点で信号に止められる。会話もそこで止まってしまった。話題、話題、と春彦は必死に何か無いかと脳内を探る。

「春彦君てさ」

「……あ、うん」

 不意に声を掛けられて春彦は少しうろたえた。

「春彦君て、兄妹いる?」

 反対側の信号が変わり、少し間を開けて車道の信号が変わる。気づけば周りは学生や会社員で混雑していた。春彦達の目の前の信号が変わると、その人ごみは一斉に前進を始める。

「弟が居る。えっと……」

 振り返って探そうとするが、後ろも前も人だらけ。人を隠すなら人ごみ。

「……後ろの方に居るはずだ」

「一緒に登校してないの?」

「いや、奈々枝を見つけたから声かけようと思ってさ。てっきり付いてくるもんだと」

「混んでるからねー。はぐれちゃったんじゃない?」

 別にはぐれたからと言って、探す必要も無い。

「弟かぁ。いいなー」

「そうでもないって。まぁ、頼りにはなるけどさ」

「兄弟居る人ってみんなそう言うよね。で、春彦君に似てるの?」

「いや似てない。秋人のが中性的な顔してる。女装すると違和感ないんだ」

「え、女装するの?」

「あ」

 春彦は思わず口が滑った。とんでもない事を喋ってしまった。奈々枝は目を丸くして驚いている。当然といえば当然だ。

「性同一性障害って奴?」

「どうだろうな。でもそれって確か、あれだろ、オネェ的な」

「私もよくは知らないけどさ、人間って、精神も自分の性別に対する認識を持ってるんだって。だから体は男でも、自分は本当は女なんだ、って精神が思ってしまって、肉体と精神に矛盾が出てるって言うのが「性同一性障害」らしいよ」

 大分前にネットで見た知識だけどね、と奈々枝は苦笑する。

「……でもアイツ、女装はしても言葉使いとかは男……なんだよな」

「じゃあ、趣味なのかな?」

「趣味なんじゃないかなぁ」

 女装に関しては春彦はあまり聞かないようにしている。聞きたくもないし、本人の事だからだ。時が来ればいずれやめるだろう、と投げやりに思っている。

「大変だねー」

「それでも兄弟欲しい?」

「欲しいよ。なんなら春彦君がお兄ちゃんになってよ」

 冗談、だよな。春彦は一瞬何故か不安になった。不安の根拠は無い。

「いいよ」

 気にしないことにして、軽い返事を返した。

 他愛のない話をしていると、あっという間に学校に到着した。



 数学の小テスト。

 一時限目から面倒な事になってしまった。内容は去年の復習で、問題自体は優しい。が、四十分の制限時間でこなすには少々問題数が多い。春彦は決して計算が速くは無く、むしろ遅い方だ。しかも真面目に一問目から解いていくため時間ばかりが掛かる。分かるところ、出来るところからやればいいのだが。

「…………はいしゅーりょー。終わりだ終わり。後ろから集めて来い。集め終わったらそのままこの時間は終わり、五分休みにしていいぞ」

 金髪はどんよりとした顔で問題用紙を集めていく。どうやらダメダメだったらしい。先生に用紙を渡して戻ってきた金髪は机に座ってそのまま顔を伏せた。

「けいさんなんてできなくてもいきていけるぅ…………」

 消え入りそうな声だった。クラスの中も良い空気ではない。誰が小テストなんて予想しただろう。頭を抱えた生徒や不貞腐れた生徒は、間違いなく予想外の悲劇だったに違いない。

「復習、してないのか?」

「ゆーとーせーじゃないんでね」

 皮肉を込めて金髪は言った。

「復習くらいしててもいいだろう」

「俺は春休みは忙しかったんだよ。父さんの実家で畑仕事してたんだから」

「畑仕事。大変だったな」

「ああ。まぁ、じいちゃんがもう歳だからな」

「それは偉いな。畑、継ぐのか?」

「……まぁ、俺は継いでもいいと思ってる。思い出もあるし」

「何何? なんの話?」

 奈々枝が好奇心に目を輝かせて歩いてきた。

「こいつが将来畑を継ぐって話だ」

「へぇー、それはすごいね。何作ってるの?」

「白菜とトマト、ラ・フランスにさくらんぼ、じゃがいもだよ。トマトはあくまで家庭菜園レベルだけどな」

 金髪がそういう農業をしている所を春彦は想像できずにいた。ついでに、確か金髪はトマトが苦手だったような気が春彦にはした。

「ま、じいちゃんは「お前なんぞにまだ畑は渡さん! 三世紀早い!」とか言ってっけどさ」

「三世紀って」

「間違いなくお前の祖父だな」

「失礼な奴だな、メガネに薄いフィルム張るぞ」

「サングラスなら夏になってからやってくれ。お前がな」

 奈々枝が噴出して、その笑いが春彦に、春彦からメガネに、最後に金髪に伝染した。

 小テストで沈んだ気分が、大分楽になった。



 二時限目の国語の時間。まだ授業時間は半分以上残っているところで春彦に不運が降りかかった。シャープペンシルの芯が無くなった。慌てて筆箱の中を探るが予備は無い。後ろの金髪から借りようにも、彼は鉛筆の気分だそうで持ってなかった。慌て狼狽えいると、先生が気づいて、鉛筆を貸してくれた。かなり短くなった奴だが。約二センチ。

「僕、実家が貧乏で、鉛筆は最後の最後まで使ってたんだよ」

 その話を聞いて、春彦は感動も感銘も受けるわけが無かった。せめてキャップくらいつけてもいいだろう、と不満しかなかった。

 何とか授業は乗り切って、先生に鉛筆を返して、席に戻ろうとする春彦に奈々枝が声を掛けた。

「お疲れ、大変だったね。はいこれ」

 差し出されたのはシャープペンシルの芯だった。

「ありがとう! 奈々枝様!」

「大袈裟だよ」

 奈々枝は困ったようにはにかんで笑う。

 次の科目は科学。一階の科学室へ行かなくてはならない。

「春彦、行こうぜ」

 金髪は教科書と鉛筆と消しゴムと定規しか入っていない筆箱を持って席を立った。



 国語以上に退屈な科学の授業が終わり、四時限目の現代社会もまた淡々と過ぎた。

 今日は午前授業。四時限で終わりだ。

 春彦は奈々枝にデン通を貸す約束をしていたのを思い出した。しかし教室内を見渡すが、奈々枝の姿は無い。

「帰ろう」

 春彦と金髪の元に優がやってくる。鞄を持って、帰り支度は済んでいる。

「優、奈々枝知らない?」

「いや?」

「そっか」

 春彦は鞄を持って立ち、教室の出口へ向かう。

「春彦ー、いーんちょーと三人でゲーセンいかねー?」

 後ろから金髪が声を掛ける。春彦は振り返って首と手を小さく振った。

「悪い、奈々枝に用事があるんだわ。また今度な」

「こんな機会滅多にないのに。しゃーねーなー」

 春彦は教室を出て、そのまま真っ直ぐ階段を降りる。すでに下駄箱にいるのだろうか。それとも、どこか、別な場所にいるのか。下駄箱にいなければ、春彦には予想もつかない。デン通の事を、奈々枝は忘れているのだろうか。

 下駄箱に行くが奈々枝の姿は無い。保健室や職員室を見に行くが、どこにも奈々枝の姿は無い。仕方なく、下駄箱に戻って靴を履き替え、昇降口を出る。校門まで行く途中に何度か振り返ったり、同級生に聞いてみるが誰も知らない。

「春彦君」

 ようやく奈々枝を見つけた。彼女はすでに校門に居たのだ。丁度、壁に隠れていて見つけられなかった。

「こんなとこに居たのかよ。つーか、いつの間に」

「意外と素早いんだよ、私。それよりも、アレ、取りに行こう」

 奈々枝は何の躊躇もなく春彦の手を握って、子供の様に引っ張る。少し低体温なのだろうか、少し冷たい手だが、春彦はそれよりも手を握られた事で顔が熱くなる。

「ちょ、奈々枝」

「あー、春彦君が先導してくれないと。私春彦君の家、知らないから」

 奈々枝は笑う。奈々枝はこういう風に誰かと手を繋いで歩く事に抵抗が無いのだろうか。ならば春彦は自分一人で勝手に舞い上がっている、そう自覚し、少し気持ちが落ち着いた。

「全く、欲望に忠実なんだな」

「えへへ」

 


「奈々枝は、こうやって誰かと手を繋ぐの、平気なのか?」

「春彦君は、こうやって誰かと手を繋ぐの、お母さん以外だと初めて?」

「うーん。 …………覚えてない」

 無い、とは言い切れない。が、あったか、と聞かれれば、なんとなくそんな事があったような。曖昧な記憶では全く頼りにならない。

「もしそれが女の子だったら、その子かわいそうだなー」

「思い出せないんじゃあ、謝りようもないよ」

「そうだね。思い出せるといいね」

「それは微妙。転校とか、引っ越した奴だったら謝れねぇよ」

「確かに」

 まだ手は繋いでいる。最初は冷えていた奈々枝の手も、春彦の手で温められて、温かくなった。

「もしさもしさ、その子と鉢合わせたら春彦君大変だねぇ」

 悪戯っぽく、にやにやと奈々枝は笑う。

「やめろよ。それで修羅場とか、昼ドラじゃあるまいし」

「私、殺される側かなぁ」

「縁起でもねぇ……」

 あはは、と楽しそうに笑う。春彦は奈々枝が笑うたび、その笑顔に見惚れてしまう。

「…………あ、やべ、今のとこ曲がるんだ」

「ありゃ」

 しょうもない凡ミスをやらかす程だった。



「おじゃまします」

「ただいま」

 奈々枝と春彦は同時に挨拶をした。

「おかえり、いらっしゃい」

 居間の方から良い匂いと返事が返ってきた。

「弟君?」

「ああ、先に帰ってきてたのか」

 二人は靴を脱いで、居間へと向かう。

 居間では秋人が昼食の用意をしていた。今日はパスタだ。ちょうど、鍋に三人前位のパスタを入れるところだった。秋人も春彦も、一人前半は食べる。ソースはレトルトだ。

「なんだ、友達連れてくるんなら先に言えよな」

「お前が先に帰ってるなんて知らなかったんだよ」

 鞄をソファに置いて、春彦はポカンとしている奈々枝に気づいた。その理由はすぐに察しがついた、秋人はいつも通り女装している。

 セミロングの栗色ストレート。白いブラウスの上に赤いカーディガン。藍色のジーンズ地のロングスカート。

 料理をする様は、知らない人から見れば姉か妹だと勘違いする。

「お、弟?」

 奈々枝はふるふると震えた指で秋人を指差す。

「ああ、俺は春彦の弟。秋人だ、よろしくー」

 その声は、例えるなら男の子役の声を出す女性声優。声が少し低めな女性。

「妹とか、お姉さんだとか、お母さんとかじゃなくて!?」

「そこまで飛ぶか」

 秋人は苦笑する。

「だ、だって……女の子にしか見えないよ!」

「よかったな秋人」

「……別に女の子に見られたいからしてるわけじゃねーよ」

「違うのか」

「違うよ」



 三人分のパスタはきれいに三等分に皿に分けて、ソースは秋人と奈々枝がミートソース。春彦はなすトマトソース、ミートソースは二人分しか無かった。

「悪いな兄貴。今日は簡単で」

「別にいいけど。たまには」

「秋人君、いつもはソースも作ってるの?」 

 普段はね、と言って秋人は丁寧にフォークにパスタを巻き付けて、だまになったパスタを口にいれた。

 春彦は、いつもは蕎麦のように啜ってしまうのだが、今は奈々枝がいる手前、苦手で時間はかかるが秋人のようにフォークに巻いて食べている。

「秋人君も春彦君も器用なんだね。私、つい啜っちゃいそうになるなー」

「慣れだよ。何度も意識してやれば身に付く」

「家、あまりパスタ食べないからなぁ」

 奈々枝はパスタを巻くのに苦戦している。

「って、ごく自然にここで昼飯食ってるけど、いいのか?」

 春彦はパスタを巻く手を止めて言った。奈々枝は困ったように笑う。

「大丈夫。家は誰もいないし」

「共働き?」

「お父さんは失踪中。だからお母さんが遅くまで」

「家と逆みたいなもんか」

 母は入院。父は仕事が忙しく帰ってこない。

「……そうだ、秋人。母さんは?」

 秋人は一瞬手を止めて視線を泳がせた。

「先月から入院してるだろ」

「先月……?」

「春彦君?」

「あ、いや。うん、そうだったな。一昨日くらいからかと思った」

 ほかならぬ、秋人から聞いたのだ。四月一日、入学式の朝、秋人から「一昨日位から」と。ただそれは、何週間も前に聞いたような気がした。

「入院、って、何か重い病気?」

 ああ、と春彦は答えるが、母がどんな病気を患っているのか、それにどうして入院したのか、全く思い出せない。

「体が弱くて、しょっちゅう入退院を繰り返してるんだ。父さんは元々仕事一筋みたいな感じで、多分心配はしてるけど」

 秋人が淡々と答えた。本来であれば、それは春彦も知っているはずなのだ。だというのに。

「そっか……大変だね」

「大変だったのは最初だけだよ。なぁ、兄貴」

「あ、ああ」

「慣れちまったら、大変なんて思わないもんだよ。俺もすっかり家事が板に着いてさ」

「主夫だ」

「生まれる性別を間違えた気がしてならないよ」

 秋人と奈々枝は笑う。春彦も表面的に笑顔を作る。


 大変だった。一体何が大変だったんだ。

 何も覚えていない。父の顔も、母の顔も。まるで、そんなものは居なかったような。


「春彦君?」

 春彦は奈々枝の声で我に返る。

「……秋人には、苦労かけっぱなしだな」

「ホントだよ、全く。ま、どっちかがやらなきゃいけない事なんだ」

「いい弟でよかったね、春彦君」

「ああ、自慢の弟だ」



「ほい、目的のブツだ」

「ブツて」

 玄関で、春彦は奈々枝にデン通を渡す。

「何か、袋無い?」

「あー、ごめん。入れとくべきだった。ちょっと待ってて」

 居間の台所に行って、ゴミ箱の側にある、レジ袋入れから黒いビニール袋を取る。雑誌を入れるには丁度いいサイズだ。玄関に戻ると、奈々枝はデン通を開いて読んでいた。

「ストギアの新作出るんだってー」

「そうなんだ」

「ん、春彦君読んでないの?」

 読んだ、というよりもただ一ページ目から最後まで淡々と捲っただけだ。

「まぁ、色々あって忘れてただけ」

「もう一回読む?」

「いやいいよ。それよりストギア、やるんだ?」

「うん。まぁ、下手の横好きというか、ストーリーが面白くて」

 以前金髪と話した、奈々枝が隣町のゲーセンに居た、という話。そこで春彦が推理した事は当たっていたようだ。

「それで、わざわざ隣町のゲーセンまで行ったのか」


「…………え」


 奈々枝の表情が一変した。

 突然、隠し事、それも絶対にバレてはならない事がバレてしまったような、絶望に落ちた表情。

「なんで、春彦君がその事を」

「なんでって。学校で噂になってたんだよ。何で奈々枝がわざわざ、隣町のゲーセンにいたのかって」

「…………帰るね」

「あ、ああ」

 奈々枝はふらふらと、おぼつかない足取りで戸を開けて出て行く。

「追わないのか、兄貴」

「……追って、どうするんだ」

 自分に問いかけるように呟いた。

「どうして奈々枝は、あんな顔をしたんだ……」

 バレては不味い事だったのか。だとしたら春彦は軽率な行動を取った。

「兄貴、今のは軽率だ」

「……」

 春彦には、どうして奈々枝があんな顔をしたのか全く想像もつかない。理由に見当がつかない。

「なんで、奈々枝はあんな顔を」

 秋人に問うように、春彦は言った。振り替えって秋人の顔を見る。その表情は、いつかのように何かを知っていて、隠しているように春彦には映った。

「秋人は何か思い当たるか?」

「…………いや」

「何か知ってるんじゃないのか!」

 春彦は少しでもヒントが欲しい。もし奈々枝の心情を察せるなら教えて欲しい。焦りのような感情が春彦の足取りを乱暴にする。

 どがどがと音を立てて秋人に詰めよる。

「なんか分かるんだろ!? 教えてくれ!」

 秋人は唇をつぐんだまま黙りこむ。

「俺は奈々枝を救いたいんだ! だから――」

「――春彦」

 秋人は口を開いて、春彦をまっすぐに見つめる。

「分かるよ。焦ってるのは。間違えたんだもんな、焦るよ……だけど落ち着け。落ち着いて…………」

 秋人は右手を伸ばして、春彦の目元を親指で拭う。

「涙を拭いて」

 春彦はハッとして、自分が涙を流していることに気づく。

「…………っ」

 ごしごしと乱暴で、袖で涙を拭く。

「俺が教えても良いんだ。だけど、そうすると……そうしたとしても、ああなるんだ」

「どうあがいても俺は奈々枝にあの顔をさせる、ってことか」

「そうだよ。春彦の発言、あるいは何かの拍子にトリガーに指をかけるんだ。今はまだトリガーに指をかけただけ」

「トリガーって?」

「自殺の為の、引き金」

 春彦は息を飲む。

「いいか、指をかけても引かなければ、引かずにゆっくりと指を離せばいい」

「どうやって」

「それは……分からない。例えだから」

「例えだけじゃ、どうしようもねぇよ……」

 秋人は春彦の肩に手を乗せる。

「どうにかするんだ。そうしないと、また自殺させてしまう」

「秋人も、何度も「繰り返してる」のか?」

「春彦はいつも忘れるけど、俺は覚えてる。だけど覚えていても、その記憶を生かす事はできない、そういう歯がゆい立場だよ」

「…………」

「幸音の運命を変えた時のように、何か大きな変化を与えるんだ。そうすれば、幸音のように」

「幸音のとき……のように、ったって」

 もうどうしたらいいか、春彦には分からない。大体、明日だってどんな顔をして、どんな風に声をかけたらいいかさえも分からない。

「明日、普通どおりに声をかけるんだ。なんでもないように。そして、そうだな、隣町のゲーセンの話は絶対にするな」

「それはわかってる」

「分かってればいいんだ。 ……兄貴、気分転換に買い物に行こう。米が無くなるんだ」

「……ああ」

 そんな気分ではないが、いつまでも落ち込んでアレコレ考えては否定してを繰り返していても何の意味も無い。気分が変わればきっと、もう少しマシになれるかもしれない。春彦はそう自分に言い聞かせた。



 ☆☆☆☆☆



 秋人と春彦が向かったスーパーは、近所で一番品揃えが良いと評判だ。店の規模もそれなりに大きく、ピーク時は恐ろしい程に混雑する。

「今日の夕飯、何にすっかな」

 秋人はカートにカゴを乗せる。

「兄貴は何か希望ある?」

「何でもいい」

「言うと思ったよ。うーん、肉じゃが、豚汁、野菜炒め、生姜焼き。和食か洋食か」

 こうして買い物をしながら献立に悩む様は正に主婦、もとい主夫だ。女装しているから前者だろうか。

「兄貴、米売ってるか見てきて。五キロで、一番安い奴な」

「安いのでいいのか?」

「安い奴がいつもの米だよ」

 ああ、と春彦は返事をして、米売り場へと向かう。



 米売り場で、春彦は意外な人物を見つけ、声をかけた。

「茉莉子」

「ん、ああ、春彦君」

 もみ上げが長く、後ろの髪は短い。前髪はパッツンに切り揃えられているが、後ろやもみ上げと合わせて見ると、どうにもちぐはぐで不揃いな、不思議な髪型の少女。

 纏う雰囲気も不思議ではあるが、春彦には決して不快な感じではない。

「茉莉子も米を買いにきたの?」

「どうしようか迷ってた」

「米は大事だよ」

「そうだよね。だけど、持って帰るには少し重い」

「少ない奴買えば?」

「そうしようかなー、って思った」

 茉莉子は苦笑する。

「……そういや、一人暮らしだっけ」

 春彦が呟くと、茉莉子は呆気に取られたように目を見開いた。

「…………覚えてた」

 その声には微かに、嬉しさがあった。

「え?」

「その話、覚えてたんだ」

「……」

 春彦は返事に迷う。ただ素っ気無く、ああ、とだけ返すか。それとも別な。

「あった、事だからな」

 変な言い方だと春彦自身も思う。だけど茉莉子相手にならば、この言い方でも通じるかもしれない、と春彦は思う。

「……あった事。そう、あった事だよ。私と春彦君が屋上で、春彦君のお弁当を少し貰ったのも、春彦君に意地悪したのも――」

 茉莉子は春彦との距離を詰めて、よろける。春彦がそれを支えてやると、茉莉子は小さな声で言う。

「――殺されたことも」

「なっ……!?」

 茉莉子は「ごめん」と笑って、何でもないように離れる。傍から見れば、貧血でめまいを起こしたか足がもつれて転んだかのようだった。

「お、俺は」

 春彦は青ざめた顔で、「殺した事」を思い出そうとしてしまう。もちろん、思い出せるはずも無い。

「それは覚えてないんだ? じゃあ、意地悪した時の事も覚えてないし、入学式の時に会った事も覚えてないんだ」

 その「殺した事」は覚えていないが、今茉莉子がしている暗い笑みは、どこかで見たような気がしてならない。

「……秋人みたいに、お前は覚えてるのか」

「うん」

 茉莉子も覚えている。秋人も覚えている。

「俺が、茉莉子を殺した……?」

 そのとき、二人の周りには誰もいなかった。春彦のつぶやきは茉莉子にだけ聞こえた。

「そうだよ。結婚もした。アレもした、コレもした。そして殺されもした」

 全部、覚えていない。

「まぁいいよ。春彦君が私以外を選ぶのだって、何度もあった事だからね」

「……それは……」

「三通りの選択のどれかを、春彦が選び取る。そして結果からさらに選択する。人生は選択の連続って事。ただ、どのような場合においても選択肢は限られていて、たとえ無量大数の選択肢があったとしたって、その場では片手の指の数程度しか思いつけないし、選べるのは一つだけ」

「俺はどうあっても、奈々枝か幸音か、茉莉子を選ぶ、と」

「そうだよ。あぁでも、秋人君を選んだ事もあったんじゃないかな。あるいは友達と遊び倒して、無駄に周回してしまったりとか」

 金髪や優と遊び倒すというのは何となく、やってしまいかねないと春彦は思う。しかし秋人を選ぶというのはどうにも想像できないし、したくない。

「……なぁ、茉莉子」

「ん?」

 茉莉子は首を傾げる。

「俺はこのループを抜け出したいんだ。どうしたらいい」

「そんなの分からないよ。例え知ってても教えない。私は春彦君といつまでもこうして学生でいたいんだ。私を選ばなくてもいい、ずっとずっとこのまま、四月を繰り返していたい」

「お前はやっぱりおかしい」

「おかしくてもいい」

 茉莉子の表情に嘘はない。言葉にも強さがある。茉莉子は心の底から、永遠にこのループの中にいたいと思っているのだ。

 だが春彦は違う。

「一歩先へ行きたいんだ、忘れたままは嫌だ、思い出して、先に進みたい」

「いいんだよ、忘れてれば。そうすれば何度でも君は青春できる。初心な思いを忘れず、何度でも」

「おい」

 カラカラ、とカートを押す音が春彦の後ろから来る。秋人だ。

「春彦がしたいと思ってることを、誰が邪魔できるんだ。誰が邪魔していいんだ、わがまま女」

 茉莉子はくすりと笑う。

「なら、私の想いだって、邪魔は出来ないよね。想う事をやめろなんて、誰も言えないよね」

「想うのは勝手だ、好きなだけ想えばいい。だけどそれで春彦に迷惑をかけるのはやめてやれ」

「秋人……」

「兄貴は、記憶を取り戻して、今まであった事を思い出したいんだろ」

 秋人は春彦に笑いかける。

「思い出せば、心から謝れる。俺がした事を謝りたい。 ……茉莉子、今は言葉だけだけど、ごめん」

 春彦は頭を下げる。忘れている事、そして殺してしまった事への謝罪だ。もちろんこんな、ただ頭を下げただけで済むはずはない。彼女を殺したのは「あった事」。今生きているから別にいいだろ、なんて無責任な事は春彦には言えない。相手の気が済まなくても、謝る。

「謝って欲しいなんて一度だって思った事はないよ。 ……もう私は帰るよ、じゃあね」

 茉莉子はヒラヒラと手を振って、去っていく。

「…………」

「兄貴。一歩先に行きたいって、本当に思ってる?」

「ああ。忘れたままで、何週もしていたくない。俺は先に行きたい」

「だったら、奈々枝の事」

「分かってる」

 記憶を取り戻すとか、先に進むだとかは後だ。



 帰り道、秋人は買い物袋、春彦は米袋を担いで歩いていた。

「秋人は、茉莉子のこと知ってるのか?」

「知ってる。だけどまともに話したのは久しぶりだ」

「茉莉子も「あった事」を覚えてるんだ」

 秋人は特に表情を変えない。知っていたようだ。

「兄貴、俺だけが全部を覚えてるわけじゃないし、それに、覚えてる方がおかしいんだよ」

「それは」

 言われて見ればそうだ。秋人も茉莉子も、ループする以前の記憶を持っている。超能力とも言えそうなレベルだ。

「それに、忘れてた方がいい事もある。だろ?」

「茉莉子を殺してしまった事も、忘れていたほうが良かったのか?」

「それは……」

 秋人は口をつぐむ。

「……責任を取った方がいいのかな」

「兄貴」

 秋人は足を止める。

「もうこの話はやめよう」

「…………」

 意思とは関係なく、運命に弄ばれている感覚。春彦にはただ不快なだけだった。



 ☆☆☆☆☆



 翌日、春彦はそれなりに気持ちを切り替えられていた。

 ともかく、奈々枝と話してみよう。そして、タイミングを見計らって謝るのだ。軽率な発言の事を謝るのだ。

 通学路を一人で歩く。秋人は起きたときにはすでに居なかった。居間のテーブルの上に朝食と弁当が置いてあった。

 もう学校は見えている。奈々枝の姿はない。



 奈々枝が教室に入ってきたのは朝のホームルームが終わり、一時限目が始まる直前だった。春彦は、奈々枝の顔が少し青い気がした。そして目のしたに薄く、くまができていた。

「寝坊か」

 先生が声をかける。奈々枝は笑顔を作って頷いた。

「まぁ、間に合ってよかった。早く座りなさい」

 奈々枝は「す、すみません」と言って自分の席に向かった。



 一時限目が終わり、短い休憩時間になる。奈々枝は机に突っ伏している。

 優が奈々枝の側に行って、声をかけた。

 奈々枝が顔を上げて、優と短く会話をしていたが、春彦と金髪にはその内容は聞こえなかった。

 優は会話を終えたようで、春彦と金髪の元へ来た。

「体調が悪いそうだ」

「休めばいいのに」

 金髪が何気なく言った。

「そう言ったんだが、体が弱いから出られるときには出ておきたいから、って。あいつ、体弱かったんだな」

 体が弱い、なんて初めて聞いた。それは金髪や優も同じようだ。

「それでも、もしもの時は保健室に行って休め、とは言っておいた」

「そうならないといいけど」

 春彦はそう言ったが、反面そうなって欲しいとも思った。



 三時限目が始まって中頃だった。奈々枝がおもむろに手をあげた。

「奈々枝さん、どうしました?」

「すみません、保健室に行ってもいいですか……?」

「ああはい。誰か、着いていってくれる人」

 春彦は手を挙げた。そしてもう一人、手を挙げる人物がいた。

「優」

 優も手をあげていたのだ。しかし優はその手を下げた。

「じゃあ、春彦君、着いてってあげて下さい」

「は、はい」

 奈々枝が廊下に出て行くので、春彦もその後を追う。

 春彦は思い出した。優が奈々枝に気があること。譲ったほうが良かったのか、と迷いが生じてしまう。



「失礼します」

 こんこんとノックをして声をかけてみるが、返事は返ってこない。保健室の中に人の気配は無い。ドアに手をかけてスライドさせる。鍵は掛かっていなかった。

「誰もいないね」

 奈々枝は真っ直ぐベットへと向かい、腰をかけた。

「春彦君、ありがとね」

「いや、いいんだけど」

 春彦には優の事が気がかりだった。

「優君も手を挙げてくれたよね」

「ああ」

「私モテモテだ」

 奈々枝ははにかんで笑う。いつの間にか顔の青さが無くなっていた。

「具合悪いって、風邪?」

「かもね。私、あんまり体強くないから」

 保健室の先生が戻ってくる気配は無い。春彦は今しかないと心を決める。

「奈々枝」

「春彦君」

 被ってしまい、気まずくなる。

「春彦君からどうぞっ」

「あ、ああ、悪い。 ……その、昨日はごめん」

「……私も、同じ事思ってた。謝らなきゃ、って」

「何で奈々枝が謝るんだよ。謝るべきは俺だ。だって、知られたくなかったんだろ」

「うん、そう……できれば、知って欲しくなかったし」

 奈々枝の表情が暗くなる。

「噂にも……なって欲しくなかったな」

 どうして知られたくないんだ。別に大したことではないじゃないか。喉元まででかかった言葉を春彦は飲み込む。言葉はよく考えて、選んで発しなければならない。秋人が言った通り、トリガーに指を掛けているならば失敗は許されない。

「春彦君はさ」

 奈々枝はすがる様な目を春彦に向ける。

「引かない?」

「引く、って」

「だって、引くでしょ? 女の子がさ、プリクラとかクレーンじゃなくてアーケードゲーム、それも格ゲーやってたり、沢山ゲームやってたりするの」

 奈々枝は真剣な表情だが、春彦はポカンとした。

「……別に、おかしくないだろ?」

「…………引かない?」

「そんなんで引くやつの方が珍しいと思うけど」

 少なくとも、金髪や優、秋人はそんなので引くとは思えない。

「春彦君は、引かない……」

 奈々枝の表情が少し明るくなる。

「引かれた事があるのか」

「…………」

 奈々枝は答えない。だが答えないのが答えなのだと春彦は思う。

「……奈々枝、俺は戻るよ?」

「あ……うん。そうだ、春彦君」

「何?」

「今日の放課後、用事ある?」

 春彦に何か用事があることの方が珍しい。

「いや、ないよ」

 奈々枝の表情が明るくなる。

「じゃあさ、隣町のゲームセンター行かない?」

「はぁ? 具合悪いんだろ、やめとけよ。せめて町中のとか」

「だめ」

 奈々枝は首を振って、拒否した。彼女はきっと、自分がストギアをプレイする姿を、同じ学校の生徒に見られたくないのだろう。それこそ町中のゲームセンターなら、誰かしら同級生に会う可能性が高い。

 春彦にはどうして彼女がそこまで嫌がるのか、全く分からない。それでも嫌がる彼女に、俺が面倒だから、とか、金がないから、と言って断る気にはなれない。

「…………」

「ダメ?」

「仮病かよ」

 奈々枝は舌を出して笑う。

「はぁ。いいよ、行こう。あんま金ないけど」

「私もだよ」

「それでよくゲーセンに行こうなんて言えるな。まぁいいや、俺はとりあえず教室戻るから。具合良くなったら適当に戻ってこいよ」

 春彦は思わず皮肉っぽい言い方をしてしまったが「はーい」と、奈々枝は嬉しそうな返事をした。



 ☆☆☆☆☆



 昼休み、春彦は弁当で、金髪も珍しく弁当だった。異様に気合いの入ったキャラ弁だった。電気ネズミ。

「最近姉貴がハマっててさー。朝昼夜、全部こんな感じなんだよ……」

「正直食べづらいだろう」

「かなり」

 金髪はどこから手をつけるか悩むように、箸を伸ばしかねている。

「春彦のとこはシンプルでいいな」

 二段弁当で、上に人参大根ごぼうの煮物、肉団子、おひたし、小さい鮭の切り身、兎リンゴ。下の段に日の丸。

 いつも通り秋人が作ってくれたお弁当だ。

「自分で作ったのか?」

 優のお弁当も似たような盛り付けだった。違うとすれば、リンゴが無くて、ご飯が海苔弁だというところ。

「いや、弟が作ってくれる」

「弟が? 珍しいな」

「料理が得意だからな」

「愛妻弁当みたいなのに、作ってんの弟かよ」

 ゾッとして、春彦は金髪の発言には触れないことにした。

 なまじ女装して、かつ似合っていて違和感が無い分、愛妻、「妻」の部分にゾッとする。ここまで過剰に反応してしまうのはきっと、昨日茉莉子に「秋人を選んだことがある」と言われたのが原因だろう。

 いったいそんな状況とは何なのか。知りたくもない。

「……そうだ、奈々枝の様子はどうだった」

 優がご飯を飲み込んで春彦に問う。

「ああ、別に大したことは無いみたいだった。ちょっと寝不足だって」

「寝不足?」

「理由は聞いてないよ。別にどうでもよかったし」

「……そうか」

 優は寝不足ではないと、思っていたのかもしれない。

「まぁ、酷くなくてよかったんじゃね」

 金髪は電気ネズミの耳から食べることにしたようだ。

 カラカラ、と教室の戸が開く音がして、春彦達や教室の生徒の何人かが音のした方に目を向けた。入ってきたのは奈々枝だった。手には一階の自販機で買ったと思われるミルクティーが握られている。

 優は席を立ち、奈々枝の元へ行く。

「……なぁ、春彦」

「ん?」

 いよいよ顔に手を出した金髪が箸を止めてヒソヒソと声を小さくする。

「やっぱ優は奈々枝の事好きなのかな」

「…………」

 春彦は改めて優と奈々枝が話している様子を見る。

 それほど言葉数は多くない。大丈夫なのか、うん、もう平気。寝不足だって? ちょっとね。そんな短いやり取りを繰り返している。

 優の様子は、確かにいつも春彦や金髪と居る時とは違う。思春期の恋する高校生らしく見える。必死に好きな人に声をかけて、その人が病気なら心配する。

 しかし春彦は腑に落ちない。それならばどうして、あの時――奈々枝が体調不良を訴えた時――優は手を下ろしたのだろう。

 気になって仕方がない。けれど、簡単に聞いていい話じゃないと春彦は感じる。そして何より、春彦自身の奈々枝を救うという思い。それは決して譲れない。その思いが、優の恋路を邪魔してしまうのではないかと、春彦の中に恐れが芽生える。

 優は戻ってくる。奈々枝も手にミルクティーと小さな弁当箱を持ってやってくる。奈々枝は笑って、ミルクティーを持つ手を振る。

「ご心配おかけしましたー」

 呑気な声で奈々枝は言った。



 ☆☆☆☆☆



 放課後、金髪は生徒指導の先生に呼び出しをくらい、訳が分からないという表情で教室から出ていった。優は委員長の仕事の事で職員室に呼ばれた。本来であれば奈々枝も行くはずなのだが、優が休むように言ってくれた。

「いいのかねぇ」

 校門を出たところで春彦はおもむろに言った。

「何が?」

 奈々枝は首を傾げる。

「体調不良なんて嘘吐いてゲーセンに行くんだぜ。何考えてんだって話」

「それでも一緒に行ってくれる春彦君、優しい」

 春彦にとってやぶさかではないからだ。何せ、なんかんだで奈々枝は可愛い。デート、と言うわけではないが、気分は盛り上がる。

「ま、俺も久々にストギアやりたかったし」



 人の多い場所、駅に近づくにつれ奈々枝は少しずつ顔色が悪くなっていく。というよりも、なんだかやけに人目を気にしているように春彦には見えた。そして距離も、いつの間にか腕を組んできそうなほどに近くなっていた。

「奈々枝、やっぱり具合悪いんじゃないのか?」

「……ううん。遊びに行きたい……春彦君と」

 春彦には殺し文句だ。心配よりも、嬉しさの方が勝る。

「……券売機混んでるな……そうだ切符代、俺が出そうか?」

「ううん、あるよ。でも一緒に買った方が楽だよ」

 券売機の列に二人で並ぶ。目の前のカップルは楽しそうに会話している。

 ふと隣の奈々枝が、春彦の腕に肩を寄せた。とても気分が悪そうだ。

「奈々枝、やっぱり帰った方がいいんじゃないのか?」

 奈々枝は何かを呟いたが、アナウンスと前のカップルの突然の笑い声にかき消された。

「えっ?」

 聞き返す。が、奈々枝は答えない。

「…………どうしても行く?」

 奈々枝は頷いた。

 ようやく前のカップルの番になる。慣れた手つきでスムースに券を買っていってくれたのは、春彦には助かる。

 隣町までは百九十円だ。奈々枝は財布から二百円を取り出して春彦に渡す。

 券を買って、お釣りの十円を渡す。春彦はそのまま奈々枝の手を握って、改札まで歩いていく。彼女は連れられるがままだ。



 電車は快速。一駅飛ばしで、目的地に着いた。

「私、人混みが苦手なんだ」

 駅前通りを抜けて、裏通りに入る。真っ直ぐ行って、アーケード通りとの合流地点を過ぎたところに目的地がある、と奈々枝は言う。

「人混みが苦手なわりに、わざわざゲーセンに行くのか。それも隣町の」

「だって……あっちのは誰かに見られそうだし。それに人多くて、大体皆対戦目的でしょ? 私弱いから」

 春彦のよく行くゲームセンターにあるストリートギアの筐体は四台あり、全て対戦台だ。今日もおそらく賑わっているだろう。

 対戦ゲームであるから、対戦を申し込まれるのは当然だ。白熱する試合で、戦って楽しかったと言えればいいが、そうとは限らない。一方的な試合はつまらない。勝った方は楽しくても、負ける方はたまったものではない。

 奈々枝はストーリーを楽しみたいのであって、対戦したい訳ではないのだから、挑まれること事態が不愉快に違いない。

「……そーだ、春彦君、鬼頭って使える?」

「使えるもなにも、持ちキャラだよ」

「そうなの!?」

 奈々枝の目が輝く。

「じゃあ、やってもらっていい? お金は出すから」

「ああ、いいよ」



 ☆☆☆☆☆



 鬼頭のストーリーは、一言で纏めてしまえば「幻の酒」を探しに行くというだけだ。

 他のキャラが世界の存亡をかけたストーリーを展開する中、鬼頭や他二人ほどはひたすらコメディに走ったシナリオになっている。

 そのシナリオは賛否両論で、真面目にやれという意見から、何人かこういう話があってもいいという意見と様々だ。

「私はありだと思うなぁ」

「俺も」

 最初の相手は、いきなり主である陰陽師「阿倍野清明」。鬼頭は脱走の常習犯らしく、清明は脱走を阻止すべく立ちふさがる。

 コンピューター相手など、春彦には赤子の手をひねるよりも簡単だ。強いて言えば、超反応のガードと掴みの振り払いが厄介なだけだ。

 瞬殺と言えるほどの速攻で清明から2ラウンド取る。

「えげつねー。清明さん何もできなかったねー……」

 奈々枝は苦笑か、呆れのような表情で言った。



 大体一回の試合は20カウント程度で決着が着く。早ければ10カウントかからない。

「春彦君、上手いんだねぇ」

 奈々枝は感嘆の声で言ったと春彦は思ったが、どちらかと言えば呆れに近い。

 二回目のストーリーデモが挿入される。相手は同じ式神の天狐。

 幻の酒の在処を知っていると宣う天狐。鬼頭は『信用は出来ないが、話は聞かせてもらうぜ。お前をボコってな!』と力ずくな姿勢を示す。一方天狐はあくまで冷静に条件を提示する。

『主の屋敷にあるんだよ。灯台もと暗し、ってね。僕も興味があるから一緒に飲もう』

 鬼頭は『……』と一瞬黙った後、笑い始める。

『すでに酒蔵は空だし、俺が気づかないとでも思ったか!』

『嘘じゃないんだけどなぁ』

『いいや、嘘だね。俺が酒を見逃すはずがねぇ!!』

『…………しかたない。まぁ連れて帰らないと僕がナニされるか』

 天狐戦が始まる。

「身内事だなぁ、鬼頭編って」

「天狐も似たようなもんだよ」

「そーなの?」

「ああ、あっちは清明を化かす為に修行する話」

「へぇー。……って、わ、もう終わった」

 2ラウンドを一瞬で取った春彦。ついに10カウントすら切った。

「早すぎるよ……。バグじゃないの?」

 奈々枝は怪訝な顔をする。

「正々堂々やってるよ。ただ繋げるのが死ぬほどムズいコンボを繋いでるだけ」

 一発で体力の九割を奪うコンボ。食らえば文字通り一溜まりもない。


 そしてあっという間に最終戦。ついに手に入れた幻の酒を飲んだ鬼頭の前に現れたもう一人の自分――要するに幻覚であ

る――との戦い。

『一口で幻覚か、いやいや俺は素面だ』

 もう一人の鬼頭は拳を構えた。

『……そういうことか、こいつは罠だな。そういう幻術なんだな』

 鬼頭も拳を構えた。というところでラウンド1。敵の鬼頭に一気に距離を詰めて、春彦は動きを止めた。コンピューターが強格闘をするのを待つためだ。投げ技が当たらない位置で強格闘を待ち、繰り出したら、それを飛んで避けてコンボを叩き込む。

「……繋がってるのが嘘みたい」

「俺も信じられん」

 春彦でさえ、壁や地面に叩きつけた際、本来無敵状態になるはずのバウンドした相手に掴み技が決まるとは、やっていても信じられない。

 コンボを一通り繋ぎ終えれば、後は弱格闘一発でこのラウンドは勝利。倒された相手は霧となり霧散した。そしてまた会話デモが入る。

『消えた。うーん、殴った感触はあったんだけどな~』

 そしてどこからともなく霧が集まり、それか見覚えのある姿になる。

『うわ、よりによって清明かよ』

 鬼頭は一瞬うろたえるものの、すぐに拳を構えた。

『だが幻覚だ。怖かねぇぜ! 日頃の鬱憤、晴らさせてもらうぜ!!』

 敵が変わってラウンド2。相手のコンピューターは初戦の時よりも強い設定になっている。とはいえ、春彦には関係ない。

 これまでと同じように、瞬殺した。


 暗転した画面。少しの間をおいて、下にテキストウィンドウが表示される。

『…………』

『…………』

『……へ、うへ……どうだぁ、せーめーめ……式にボコられる気分はぁ』

 酔った、若干呂律が回っていない声で鬼頭は言う。

『これに懲りたら……もう俺を顎でつかうんじゃぁねーぞぉ…………』

 ザッ、ザッ、と足音だけが聞こえる。

 

『…………おい』

 表示されるCGイラスト。木にもたれ掛かり、それはそれは嬉しそうに顔を綻ばせて寝ている鬼頭。そして青筋を浮かべ睨む清明。その遠くで我関せずといった風にしている天狐。

 そこでスタッフロールが始まる。

「……これで、終わり?」

「うん。終わり」

「えぇー……」

 微妙だった、と声が言っている。



 一階のクレーンゲームコーナーで、奈々枝はチョコ菓子の詰め合わせに挑んだ。結果は大敗。涙目ですがられた春彦が仕方なく挑戦すると、たったの一回で取れてしまった。

「すごい」

「偶然だよ」

 まぐれ当たりだった。次に挑んだかに型のスピーカーはダメだった。余計な出費だ。

「……後で秋人に請求してやる」

「春彦君、八つ当たりかっこわるい」

「うるせー」

 ふと目に入った時計は、もうすぐ五時になるところだった。

「そろそろ帰るか」

「そーだね」



 ☆☆☆☆☆



「というわけだ秋人。お前のせいで金がない」

「頼んでもないものに金を払えるか、バカ兄貴。そもそも何で取ろうとしたんだよ」

「いや、ほら。クレーンって一回成功すると、なんかもう一個いけそうだ、って思うじゃん」

「結果は貯金箱に百円投入しまくった。だろ」

「ぐぅ」

 秋人はカレーライスのライスだけをスプーンで掬い、ルーに着けてから口に運ぶ。

「…………っ。大体かにのスピーカー、持ってるし」

「マジで?」

「ああ。入荷当日に百円で」

 秋人はドヤ顔をして見せる。


「秋人様お願いします、お金がないんです。どうか、お恵みを……!」

「…………今幾ら持ってんの」

 秋人は洗い物をする手を止めた。

「三百円」

「無駄遣いしなきゃ1ヶ月持つだろ」

「無理だ!」

 春彦は土下座もして頼み込む。

「お願いしやす!」

「…………」

 秋人は洗い物を再開する。



 ☆☆☆☆☆



 翌日、春彦の財布には二千円が入っていた。その代わりに、秋人は弁当を作ってはくれなかった。

 教室に入り、自分の席に鞄を置いた。

「よう」

 トイレに行っていたらしい金髪がハンカチで手を拭きながらやってきた。

「よう。優は?」

「まだ来てねぇんじゃね」

 金髪は席について、ハンカチを畳んでポケットにしまった。

 黒板側の扉を引いて、奈々枝が入ってきた。すると、二人の女子が奈々枝の元に行く。

 遠くて春彦には何を話しているのかわからない。聞こえない。

 二人の女子の様子から、からかう感じなのは分かる。春彦は奈々枝の反応に息を飲んだ。

 奈々枝は目を見開き、顔を真っ青にしている。まるで、隠していた事がバレてしまったような、そんな反応に見えた。女子達は恐らく、悪気など無いのだろう。だけれど、言ってしまった事は間違いなく奈々枝にショックを与えた。

 奈々枝はすぐに表情を繕って、なんとかやり過ごしたようだ。二人の女子の間を抜けて、自分の席に向かう。その顔はまだ、青かった。



 昼休み。春彦に金髪、優の三人は学食で昼食を取っていた。

 普通の高校であれば、昼休みに学食は混雑するものなのだろう。しかしここの食堂は人がまばらだ。食券を販売する券売機は、昼休み直後でもそれほど並ばないし、しばらく経った今はもう誰も並んでいない。理由は学食、とにかく味がひどい。学食か弁当持参かは自由なため、金を払って不味い飯を食うくらいなら自分で弁当を用意した方がマシなのである。春彦はまぁ、秋人が作ってくれるから。

「奈々枝……どうしたんだろう」

 優は珍しく心配そうな声で言った。結局奈々枝は一時限目に早退した。保健室に行って、そのまますぐに帰ることにしたらしい。優は荷物を持っていってあげたついでに、具合を尋ねたそうだ。しかし彼女は素っ気ない返事しか返さなかったと優は言う。

「昨日もだよな。具合悪そうだったの」

「ああ」

 春彦は昨日の、放課後に一緒に遊びに行った時の奈々枝を知っている。具合が悪いのが本当かどうか、もしかしたら仮病なのか、それとも何か、理由があるのか。

 優や金髪に相談すべきだろうか、ふと春彦はそう考える。

「…………そういえば春彦」

「ん?」

 優はほんの少しだけ、冷たい、疑うような目を春彦に向けて一度黙ってから続けた。

「昨日、奈々枝と電車でどこかに行ったそうだな」

 春彦は大して驚かない。こうなるのは当然で、起こりうることだった。

 駅には当然、ここの高校の生徒もいただろうし、何より街中を通って駅に行ったのだから、誰かしらに見つかっていても不思議ではない。

 だが驚かないから全く平然ということはない。

「……それが?」

「体調が悪いと言っていた、奈々枝を連れ回したのか?」

 わずかに、責める言い方だった。

「違う」

「そうか。なら何で?」

 言うべきだろうか。言うとしたら何て。事実をありのまま、奈々枝が行きたいと行ったからと、優に話してよいのか。

 友達を信じきれてない感じが堪らなく嫌だが、奈々枝にも関係があり、かつ発言は慎重にしなくてはならない。トリガーにかかった指はまだ離せていない、春彦はそう思う。

「…………ごめん言えない」

「そうか、ならいい」

 あっさりと引き下がったのはきっと春彦が言いたくない事を察してくれたからだ。そう春彦は思うことにした。

「何? ん? 昨日奈々枝とどっか行ったの?」

 一人蚊帳の外の金髪は春彦と優を交互に見て、一人頭にクエスチョンを浮かべていた。



 ☆☆☆☆☆



 放課後、一人帰路に着く春彦の携帯に、一通の着信が入る。

「…………」

 知らない番号のはずだが、前にも何度か来て、その都度電話を取っていたような、不思議な感覚を感じる。

 受話ボタンを押して、電話を取った。

「もしもし」

『あっ……』

 その一声には安堵があった。繋がって嬉しい。あるいは声が聞けて嬉しい。春彦の勝手な思い込みか。

「奈々枝?」

『うん。 ……春彦君さ…………暇?』

 ゆっくりとした一言に、緊張のようなものを感じる。引っ込み思案な子が、頑張って友達を誘おうとしているような。

「まぁ、暇だな」

『そう』

 声が一気に明るくなった。

『じゃあ、今から家に来れる?』

「ああ、行く」

『あ、場所、分かる?』

「いや。だってこの前だって別れて帰ったし」

 この前とは、コンビニで会った時だ。

『そっか、じゃあ教えるね――』



 奈々枝の案内通りに歩いてたどり着いた、一件のマンション。

 入り口にオートロックは無く、誰でも入れる。エレベーターまですんなりと行けた。

 七階の三号室。そこが奈々枝の家だ。インターホンを押す。少し間を空けて、携帯に着信が入る。

「もしもし」

『春彦君、今ドアの前?』

「俺以外に誰か来るの?」

『誰も来てほしくないな』

 カチャ、と鍵の解錠音。続いてドアが開く。

「や、春彦君」

 昨日よりも、くまが酷い。少し顔色も良くない。

「どうしたんだ? ノート?」

「ううん。 とりあえず、入って」

 招かれるまま、春彦は家に入る。


 廊下は暗く、奥の居間へのドアは閉まっている。

 奈々枝は玄関を上がってすぐの洗面所の向かいの部屋に入る。春彦もそれに従う。奈々枝の部屋だ。

 きちんと片付いた部屋のなか。ベットも綺麗で、布団が畳まれている。

 春彦には羨ましい、マイテレビがある。そのテレビ台にはゲーム機がしまわれている。

「いい部屋だなぁ。うらやま」

「いいでしょー」

 奈々枝は得意気な顔をする。

「春彦君がお兄ちゃんになってくれたらここ好きに使っていいよ」

「それは……!」

 とても良い考えだと春彦は思う。

「………………っ。 い、いや、やっぱいい」

「えぇー?」

 が、奈々枝を妹にする、もとい遠回しに同棲しろと奈々枝は言ったのだ。

 それはマズイ。なまじ巨乳でスタイルの良い奈々枝、春彦もやはり男である。断ったものの、惜しい気持ちも多分にある。

「で、用事は?」

 とにかく春彦は話題を戻すことで平静を取り戻そうとする。

 奈々枝はベットに腰をかけて、隣に座るように促してくる。春彦はそれに従って隣に座る。

「なんとなく。春彦君に会いたくて」

「えっ」

「側にいてほしかったから……」

 素直に頼られるのは嬉しい。だが、奈々枝の顔に影が差し、冗談ではなく深刻なのだと春彦は察する。

「側に?」

「うん、ちょっとね」

「…………何か、悩んでるのか?」

 薄々、何かあるのは感じていた。

「春彦君には、ちょっと理解できないかもしれないよ」

 会話を切る風ではない。また話題をそらす風でもない。あくまでも前置き、そういう言い方だ。

「理解してみる」

 奈々枝は微笑んで囁くような小声で「ありがとう」と言った。

 そして少し距離を詰めて、春彦の腕と奈々枝の肩がふれ合う距離で、話始める。

「私、怖いんだ。人混みのなかにいると、周りの誰かが私を見て何か言っているような、そんな気がして」

 気にしすぎだ、被害妄想だ。春彦は喉まででかかった言葉を飲む。そう言い切ってやったら楽になるのだろうか。それは、本人が一番よく知っていることじゃないのか。

「被害妄想なのかもしれない。だけど、そう感じるから怖い。どうしようもない。でね、だから春彦君に側にいてほしい。できれば……ずっと。いつまでも」

 告白、というよりすがる。依存させてくださいと頼む言い方だ。

「……お兄ちゃんになって、ってやつ。本気だったのか」

「言ったときは冗談だったよ。だけど、なんだか意識するようになっちゃって」

「お兄ちゃん、か」

 なってあげれば、救えるだろうか。

 選択肢を頭のなかで考える。幾万、幾通りの選択肢。茉莉子はそれだけの数があったとしても、その場では片手の指程度しか思い付けず、採れない言った。

 その通りだと春彦は思う。しかも最善の選択肢など分かるわけもない。

 大体、奈々枝を救う方法すら、何一つ無かったのだ。そして今、彼女の「お兄ちゃん」になってあげるかどうか。なってあげれば、一度依存してもらえば、何か見えるかもしれない。

 なんの光か、希望の光かただの光か。春彦に区別はつかない。春彦もまた、何かにすがるしかないのだ。

「なってもいいよ」



 奈々枝はずっと、溜め込んでいた気持ちを吐き出すように、話続けた。

 明るい話、暗い話。

 春彦は聞き手として、「お兄ちゃん」として「妹」の話を聞き続けた。

「――――……っ。………………」

「…………奈々枝?」

 奈々枝はいつの間にか眠っていた。というか、春彦もまた、いつの間にか眠っていたらしい。

 気づけば夜の9時だ。明日も学校、そろそろ帰らなくてはならない。

「奈々枝、俺、そろそろ帰るよ」

「…………」

 反応はない。熟睡している。

 鍵を掛けないで出ていくのは良くない。奈々枝の母親は帰ってきているのだろうか。もし帰ってきているなら、頼んで帰ればいい。

 春彦は奈々枝をベットに寝かせ、布団をかける。カバンを持って、部屋から出る。居間の方が明るい。誰かいるようだ。

 ドアを開けずにノックしてみる。

「奈々枝?」

 優しそうな声だった。きっと母親だろう。

「あ、いえ、友達の宮村です。遅くまで居てすみませんでした。帰りますね」

「はい」

 短い返事を聞いて、春彦は奈々枝の家を後にした。



 ☆☆☆☆☆



 ドンドンドン! 春彦は自分の家のドアを叩く。

「開けてくれ秋人ー」

「門限だバカ」

「門限なんか決めてねーだろ!」

 そんなやり取りをしばらく繰り返し、膨れっ面の秋人がドアを開けた。

「遅い」

 黒髪ストレート。白いヘアバンド。黒いフリフリゴスロリの弟、秋人は言った。

 まるでブラコンの妹だ。

「なんで怒ってるんだよ」

「遅くなるなら一報くれよな。夕飯冷めたじゃん!」

「しょうがないだろ」

「何してたんだよ?」

 ジト目で秋人は春彦を睨む。

「えっと……」

 今日あった事は、なんとなく春彦と奈々枝だけの物にしておきたかった。

「なんでもいいだろ」

 あからさまな隠し方が通じる相手ではない。だけどそれを察してくれるやつだということも、兄の春彦はよく知っている。つもりだった。

「…………まぁいいけど。今度からは一言くれよ」

「ああ、気を付ける」

「罰として明日も不味い学食食え」

「…………」

 春彦はため息をついた。



 その夜、不思議と胸騒ぎが収まらなかった。何かは分からないが、何か行動しなくてはと、焦りにも似た感覚。

 気のせいにしては強い感覚だった。けてども春彦は、布団を深く被るだけだった。



 ☆☆☆★★



 朝になると胸騒ぎも収まっていた。

 昨日と同じく秋人は居なくて、春彦は一人で学校に行った。

 いつも通りに金髪や優と休み時間に駄弁り、昼は昨日と同じく学食で済ませ、放課後になった。

 いつも通りだが、唯一。奈々枝だけが居なかった。

 珍しい事に、優と金髪が一緒に帰ろうと誘ってきた。春彦はそれに乗って、一緒に帰っていた。

 金髪は帰り道の都合で早々に別れる事になり、今は優と一緒に帰っていた。

「なぁ、春彦」

 ふと、優が春彦に声をかけた。

「ん?」

 優はいつものような、雑談を始める雰囲気ではなく、真剣な面持ちだった。

「お前、奈々枝の事好きか?」

 春彦は目を見開いて、息を飲んだ。

「俺もそうなんだ。奈々枝が好きだ」

 突然の告白で、春彦は言葉を失っている。

「ただ……その、迷ってる」

「な、何を?」

「俺は……将来警察官になろうと思ってる。父がそうであったように、俺も」

 優の父が警察官というのははじめて聞いた。だけどちっとも春彦は驚かなかった。

「父は殉職した。だから家族に悲しい思いをさせてしまう事を知ってる。普段家に殆ど居れなかった事も。だけど……」

 葛藤だ。優は恋敵に自らの葛藤を話している。

「……なんで、俺にその話を」

 優は、まだ迷いを捨てきれない表情で、絞り出すように言う。

「……お前に、奈々枝が好きだと言われたら……諦め…………られる」

「…………言えるかよ……」

 ぼそと、春彦は優に聞こえないように言った。言えるわけがない。だけど、奈々枝を救う。その為に「お兄ちゃん」になったのだから。

「好きだよ。俺は、奈々枝が好きだ」

 本心ではないから、心苦しい。選んだ道はいばらが生い茂っている。

「………………」

「………………」

「……ありがとう」

 優は力無く、笑った。どこか清々しさがありながら、その裏の苦しさが微かに滲んでいた。



 優と別れ、春彦は奈々枝の家に向かっていた。

 電話は全く繋がらない。マンションに近づくにつれ、エレベーターで七階に近づくにつれ、三号室に近づくにつれ、昨日の夜中感じた焦りを感じる。

 インターホンを押して、いくら待っても反応はない。ドアノブに手をかけ、回し、引く。鍵はかかっていなかった。

「…………な、奈々枝?」

 玄関の向こう、解放された居間への扉。その奥で宙に浮かぶ人影。

「兄貴」

 春彦の心臓は跳び跳ねた。突然の声の主は秋人だった。

「手遅れだよ、兄貴。奈々枝は首を吊った」

「 嘘だ 」

「兄貴。いや春彦、またやったね」

「…………」

「いつもそうだ。いつも春彦はそうやって一人ぼっちにしちゃう。どうして一緒に居てやろうって思わないの」

「…………だって」

「だって?」

「死ぬなんて思わないだろっ!!!!」

 叫びは反響する。

「…………」

「なんで死ぬんだよ、電話するなり、メールするなり、学校来るなりあんだろ……! なんで死ぬんだ!!」

 秋人は春彦を優しく抱きしめる。

「帰ろう。兄貴」

 虚ろな春彦の手を取って、秋人は連れて帰った。



 ★★★★★


「いいか、何があっても起きるな。おやすみ、兄貴」

 春彦をベットに寝かせ、布団を着せた秋人は春彦にそう言って、自分のベットに入って、電気を消した。


 しばらく電話の呼び出し音がなり続ける。やかましく、けたましく。

 最初は家の電話。次は携帯に。

 留守電は全部同じ。

『春彦』

 茉莉子の声でそう呟くだけ。



 ★★★☆☆



 彼女を拒絶した。

 彼女を一人ぼっちにした。


 このどちらかを繰り返すんだ。……いいや、もっと何かした気がする。


 だってそりゃ、巨乳だ。ぶっちゃけ好みだ。

 スタイルもいい。メガネ似合ってる。ポニテ可愛い。笑顔が素敵だ。性格も悪くない。といつも思う。

 そんな奈々枝が頼ってくる。依存したがってくる。

 断れ、なんて無理だ。


 ……けど好きとかじゃなくて……「良いお兄ちゃん」なんだよな、俺。

 だから、きっと、「妹」っぽくて放っておけなくて。だけど他人だから、って中途半端に構って放ってしまう。


 どうしたら、奈々枝を死なせないだろう。

 彼女と添い遂げ……いやいやいやいや。ダメだ、脳内のピンク細胞は活動すんな。

 それに…………そういうのは、したいと思わない。不思議と発想はあるんだけど。

 理性が強いのか。それとも……?


 秋人は、一人ぼっちにしちゃう、って言ってたよな。


 よし。


 あぁ神様。一度も真剣に頼んだことはありませんが。合格祈願と初詣位しか神社行きませんが、神さ……仏様。

 

 もう一度、チャンスをください。


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