はらぺこおおかみ
朝露が深い森を静かに濡らす
木々の間、草の道、わずかに開いた獣道を黒い狼が通る
軽い足取りはまるで踊るようだ
歩くたびによく手入れされた毛並みが濡れて、より艶やかに光りを放つ
三角にとがった耳がぴくりと動く
そして、狼は身を低くすると草の影に隠れた
黒い影が沈むと音の一つも立たず、そこにはまるで誰もいないようだ
草の中に潜む獣はわずかにも動かず、ただ待っていた
脚はいつでも地を蹴れるように構え
期待に動きそうなしっぽを抑えつけ
牙をむいた口はわずかに開いたまま、獲物を待っている
神経の塊となった耳が、草むらをかき分けながら近づいてくる足音を正確に捉える
人の何十倍もの匂いを感知できるとされる鼻が、肉の匂いを捉えた
朝の隙腹を抱えた身に、その肉の匂いはよく効いた
自然にわき上がってくる唾は、口端からこぼれて顎を伝い地面に落ちる
獣が待ち構えているのを知らない獲物は時々草を食みながら呑気に歩いている
重なった草のわずかな切れ目から、茶色の柔らかそうな毛並みと長い耳がぴこぴこと動くのが見える。細い体には釣り合わない大きな掌に力が籠り、地面を強く押さえつける
ゆっくりと、焦らないように、じっと機を待つ。急いては事を仕損じる、焦りは隙を産む。古き武将の言のように、静かなること林の如く、動かざること山の如く
そして・・・
なにかを感じ取ったのか、獲物と定めたものが顔を上げた瞬間、彼はまるで風のように駆けだした
迫りくる黒い暴力の塊に、兎によく似たモンスターは、咄嗟に逃げようと横に跳ねようとするが、それよりも黒き狼のほうが早く、その大きく開いたアギトで背骨ごと肉を強く捉えた
ぴぃ、と小さく鳴く頭を前脚で押さえると、獲物を完全に抑え込んだ狼は口を離し、そして問いかける
「お仲間さんだったら助けるけど?」
だけど、ウサギはその問いがなにかわかっていないのか、これからの運命をすべて受け入れたように力を抜いて動かない
「そうか、だったら美味しくいただかせてもらうは」
そう告げるとせめてこれ以上の苦痛を味わないように、楽にしてやる
ゲームが現実となり、ヒトであった自分がケモノになり、一番大きく変わったのは感覚だった。水族館で見たサンマを美味しそうだと感じたように、可愛らしいウサギを美味しそうに感じるようになっていた
ぐったりとした小さなウサギの黒々とした瞳も、柔らかそうな毛並みも、ぬいぐるみのような短い手足も、それまでだったら思わず撫ぜたくなる可愛らしさを備えていた
でも、今はただの食糧だ
「だって、美味しそうなんだもん。しかたねーよ」
いただきます。たかがデーターかもしれないが、それでも命を奪ったことに対して謝罪と感謝の言葉を口にしてから、食事を開始する
静かな森にしばらく咀嚼の音が響いていたが、そうたいして時をおかずに静けさを取り戻す
食べ残した骨などは少しずつ透明になって、やがて消えていった
「こういうトコはゲームだよな」
腹が満ちた狼はその場所をなんとなく見ていたが、目を離すと悠々とした足取りで歩きだす
今日は西に行こうか、東に行こうか。足の向くまま気の向くまま
特に計画もなく歩きながら、先ほど食べたウサギの味を反芻して、狼はぺろりと舌舐めずりをした
次は何を食べようか
踊るように軽い足取りの狼を、ようやく昇りだした太陽がやわらかく照らした




