遠回りの途中①
本書はフィクションです。実在の人物・団体・省庁とは一切関係ありません。また、執筆にあたり複数の公務員の取材や架空のエピソードを組み合わせて構成しています。
ご覧いただきありがとうございます。
本作は、実話をもとに再構成した「叩き上げ公務員」の半生を描くサクセスストーリーです。
学歴もコネもなく、定時制高校からスタートした主人公。
決して順風満帆ではなかった彼が、どのような葛藤や壁を乗り越え、霞ヶ関の本省、そして幹部へと駆け上がっていったのか。
実際の官僚機構や他省庁でのリアルな泥臭さ、そして人生後半での新たな挑戦までを丁寧に描いていきます。
働くすべての人、そして逆境から這い上がりたい人に届く作品になれば幸いです。
ぜひ最後までお付き合いください!
全日制からの転編入を経て、定時制高校での2年目の生活、ガソリンスタンドでのアルバイト、そして公団住宅での一人暮らし——。
生活の基盤が整い、日々にようやく落ち着きが戻ってきた頃だった。
少しだけ精神的なゆとりが生まれたことで、浩一は気分転換を兼ねて、これまで通っていた理髪店から「美容院」へと足を運んでみようと思い立った。
理由のひとつは、昔から理髪店特有のあの独特な整髪剤の匂いがどうにも苦手だったことにある。
とはいえ、まだ昭和の時代。男性が美容院へ行くことには、少なからず気恥ずかしさと抵抗があった。
それでも、国鉄(現JR)朝霧駅の近くにある『アルーデコ』というスタイリッシュな美容院の前を通りかかるたびに、ずっと気になっていたこともあり、浩一は思い切ってその扉を開けることにした。
カランコロンとドアを開けると、店内に広がるのはシャンプーやスタイリング剤のいい香り。
「いらっしゃいませ!」
華やかな複数の女性スタッフたちの明るい声が一斉に迎えてくれた。
受付で初めての利用であることを伝え、簡単な手続きを済ませると、鏡の前に並ぶスタイリングチェアへと案内された。
少し緊張で背筋を伸ばしていると、担当のスタイリストが爽やかな笑顔で声をかけてくれた。
「いらっしゃいませ。本日カットを担当させていただきます、岩下です。よろしくお願いいたします」
「……よろしくお願いします」
浩一は少し硬い声で挨拶を返した。
希望の髪の長さや、全体をすっきりと整えたい旨を伝えると、岩下美千代の軽やかなハサミ捌きによるカットが始まった。
「初めていらしてくださいましたが、当店はもともとご存知だったのですか?」
「はい。時々お店の前を通っていて、ずっと気になっていたんです」
「ありがとうございます。……学生さんですか?」
「はい、高校2年生です」
「まあ! とてもしっかり落ち着いていらっしゃるから、最初、大学生かと思いました。いつもは美容室で切られているんですか?」
「いえ、普段は床屋さんだったんですけど、あの独特の整髪剤の匂いが少し苦手で……。思い切って、美容室に来てみたんです」
「そうだったんですね。ありがとうございます。まだ数は多くありませんが、男性のお客様もいらっしゃいますよ」
「それを聞いて、なんだか安心しました」
程よい距離感の心地よい会話を交わしているうちに、カットはあっという間に進んでいった。
続いて案内されたのはシャンプー台だった。
これまでの床屋とは違い、ベッドのようなシャンプー台に仰向けになるスタイルに最初は戸惑ったが、いざ横になるとこれが驚くほど楽だった。顔にタオルをかけられ、湯がかかって溺れそうになる心配も一切ない。あまりの快適さに、浩一は思わず感心してしまった。
丁寧なシャンプーとブローを経て、仕上がった髪型を確認する。鏡に映る自分の姿は、いつもより少しだけ垢抜けて見えた。
会員登録を勧められ、そのまま手続きを済ませてから、浩一は軽やかな足取りで美容室をあとにした。
初対面でありながら、自然体で楽しく会話してくれたスタイリストの岩下さん。
「美容院も、なかなかいいものだな」
何事も、実際に自分の足を踏み入れて経験してみなければ分からないことばかりだと、浩一は改めて実感していた。
ご覧いただきありがとうございました!
理髪店の匂いが苦手という理由から、思い切って美容院のドアを叩いた16歳の浩一。
華やかな女性スタッフたちの声や、おしゃれな店内に緊張しながらも、丁寧なカットとシャンプーに癒やされていく過程が実に生き生きと描かれています。
ガチガチだった生活から一歩進んで、自分の身なりや心地よさに目を向けられるようになったこと自体が、浩一の精神的な成長の証といえます。
髪型を整え、少しだけ大人びた雰囲気になった浩一。
次回の展開もどうぞお楽しみに!




