白檀の檻と、不可視の防衛線
御影山での一件から、季節は本格的な夏へと足を踏み入れようとしていた。
私立翠風高等学校の昼休み。中庭のベンチでは、初夏の陽光の下で四人の女子高生が弁当箱を広げ、穏やかな笑い声を響かせている。
「ねえねえ、次の休み、駅前に新しくできたパンケーキ屋さん行かない?」
「あ、それ私もちょうど気になってた! 桜さんはどうですか?」
転校してきた当初、氷の彫像のように冷たかった一宮茉莉の顔には、今や年相応の柔らかな微笑みが定着していた。彼女の口から自然にこぼれ落ちた「桜さん」という親しげな響きに、桜もふわりと目を細める。
「うん、行きたい! 茉莉ちゃん、甘いもの好きだもんね」
「はい。……実家では、あのような洋菓子を食べる機会がなかったので」
少し恥ずかしそうに俯く茉莉の横顔は、重圧から解放された、ただの普通の女の子のそれだった。
だが。
その穏やかな日常の風景を、十メートルほど離れた渡り廊下の陰から、ひどく不機嫌そうに睨みつけている漆黒の影があった。
(……チッ、あの陰陽師の女。すっかり俺の女王(お頭)に懐きやがって)
黒曜蓮は、壁に寄りかかりながらギリッと犬歯を噛み鳴らした。
あの日、森で茉莉が見せた覚悟には、極道の狂犬としても一目置く部分があった。だが、それとこれとは話が別だ。妖怪を滅ぼす天敵が、無防備な人間の姿をした己の絶対的な主に、あそこまで無防備にすり寄っている光景は、蓮のドロドロとした独占欲と警戒心を常に逆撫でし続けている。
(……まぁいい。あの女が俺の器に妙な真似をしなければ、それで……)
蓮がそう思考を区切ろうとした、その瞬間だった。
フワッ、と。
初夏の生ぬるい風が、突如として『異常なほどの冷たさ』を帯びて中庭を吹き抜けた。
「……あ?」
蓮の黒瞳が、極限まで細められる。
ベンチで談笑していた桜もまた、手にした箸をピタリと止め、息を呑んで顔を上げた。
匂いが、変わったのだ。
茉莉から漂う、静かで清らかな白檀の香りではない。
何百年も研ぎ澄まされた日本刀の切っ先を、直接鼻先に突きつけられたような……攻撃的で、息をするだけで肺が切り裂かれそうになるほどに高密度な『清め塩と伽羅』の匂い。
妖怪の存在そのものを、細胞レベルから否定し、消滅させる圧倒的な霊力。
「……嘘。どうして……」
ベンチの横で、茉莉が血の気を完全に失い、ガタガタと震えながら立ち上がっていた。
彼女の視線の先。
中庭へと続く生徒昇降口のガラス扉を抜け、一人の『青年』が、静かな足取りでこちらへと歩みを進めてきていた。
年齢は二十歳前後。仕立ての良さが一目でわかる、深い濃紺のスーツに身を包んでいる。
茉莉とよく似た、しかし遥かに鋭く冷酷なガラス玉のような黒瞳。彼が一歩歩くたびに、周囲の空気が「シンッ……」と物理的に凍りつき、中庭の喧騒が嘘のように静まり返っていった。
すれ違う生徒たちが、その異様なまでの美しさと、息もできないほどの威圧感に、無意識に道を空けていく。
「迎えに来たよ、茉莉」
青年の声は、優しげな響きを帯びていたが、その奥には絶対的な服従を強いる冷酷な響きが隠されていた。
「お、お兄、様……っ」
茉莉の喉から、絶望に満ちた掠れ声が漏れる。
一宮蒼馬。王都の裏社会にその名を轟かせる、陰陽師一宮本家の次期当主にして、何百年に一人の天才。
(……っ、この男が……)
桜は、ベンチに座ったまま、スカートの布地を千切れそうなほど強く握りしめた。
蒼馬から放たれる霊力は、大天狗の暴力的な妖気とは全く違う、息苦しいほどの『浄化の光』だ。人間の皮を被っていても、半妖である桜の体内の魔力回路が、天敵の接近に対して激しい拒絶反応を起こし、体温が急激に奪われていく。
「ずいぶんと探した。……一族の重目も果たさず、こんな下賤な学び舎で、猿のように群れて遊んでいたとはな」
蒼馬は、美波や結衣、そして桜の存在を、完全に『路傍の石』として一瞥すらせず、怯える茉莉の前に立った。
「荷物をまとめなさい。こんな退屈な逃避行は、今日で終わりだ。本家に連れ戻し、一から性根を叩き直してやる」
彼が茉莉の腕を掴もうと、白く細い手を伸ばした。
「嫌……っ、やめて……!」
茉莉が涙目で後ずさる。あの御影山で見せた陰陽師としての覚悟も、絶対的なトラウマである兄の前では、一瞬にして霧散してしまっていた。
――その時だった。
「……ごめんなさい。今、お昼休み中なんですけど」
凛とした声が、凍りついた空気を真っ向から叩き割った。
蒼馬の手と茉莉の間に、スッと割り込んだ影。
李王桜である。
彼女は、額に冷や汗を滲ませ、体内の妖気を必死に死蔵させながらも、極めて自然な『ただの女子高生』の顔をして、蒼馬の前に立ち塞がった。
「な……」
蒼馬の切れ長な黒瞳が、初めて桜の顔を正面から捉えた。
彼には理解できなかった。己の放つ圧倒的な霊威の前に、ただの一般人の小娘が、一歩も引かずに立ち塞がっているのだ。
それどころか、彼女の纏う空気には、怯えどころか、どこか己を見下すような底知れない『座った肝』が存在している。
(……この女、何者だ?)
蒼馬は怪訝に眉をひそめ、その瞳の奥で陰陽師としての鋭い霊視の光を閃かせた。
高位の妖怪の中には、自身の妖力を細胞の奥底まで徹底的に隠蔽し、ただの人間として完全に擬態する技術を持つ者がいる。この異常なまでの胆力は、もしかして人間に化けたバケモノなのではないか。
蒼馬は瞬時に鋭い探りを入れた。
――しかし。桜からは、妖気はおろか、霊力の欠片すらも一切感じ取れなかった。
無理もない。桜の左手首に嵌められた先代の遺骨『封印の数珠』は、彼女の半妖としての魔力回路を物理的に完全に遮断しているのだ。今の彼女は、誤魔化しでも何でもなく、文字通り「妖力を持たないただの人間」そのものである。
天才の眼をもってしても、一切の妖気は感知できない。
にもかかわらず、その魂の根幹から放たれる、何千という魑魅魍魎を平伏させてきた「極道のトップ」としての絶対的な凄みだけが、不可視の気配となって蒼馬を圧迫していたのだ。
「茉莉ちゃんは今、私たちとご飯を食べてる途中です。急にご家族の方が来られたのかもしれないですけど、彼女が嫌がってるのに無理やり連れて行くのは、ちょっと困ります」
丁寧な言葉遣い。だが、その声のトーンは、関東最大の極道を束ねるトップが、自らのシマで勝手な振る舞いをする余所者へと放つ、静かなる『威嚇』そのものだった。
「……部外者が、口を挟むな」
霊力を持たないただの人間に気圧されかけた屈辱で、蒼馬の瞳が残酷な光を帯びる。
彼から放たれた霊的プレッシャーが、物理的な重圧となって桜の華奢な肩にのしかかった。並の人間であれば、これだけで白目を剥いて気絶するレベルの圧力。
(……っ、重い……!)
桜の膝が微かに震える。だが、彼女は絶対に膝を折らなかった。
ここで極道のトップが、天敵の圧力に屈して顔を逸らすなど、死んでもあり得ない。
「桜さん……! 駄目です、逃げて……この人は……!」
茉莉が泣き叫ぶ。
蒼馬が、鬱陶しそうに桜の肩を強引に突き飛ばそうと、その手を伸ばした。
だが、その手は、桜の制服に触れることはなかった。
バシィッ!!
乾いた、暴力的な音が中庭に響き渡った。
いつの間にか桜の真横に立っていた、白シャツ姿の黒曜蓮。
彼が、蒼馬の伸ばした腕を、下から容赦無く『素手で弾き飛ばした』のだ。
「……あ?」
蓮は、ポケットに片手を突っ込んだまま、首をコキリと鳴らして蒼馬を睥睨した。
「おい、あんた。……うちの先輩に、気安く触ろうとしてんじゃねえぞ」
底冷えするような、ドス黒い声。
相手が天才陰陽師であろうが関係ない。蓮は妖気を一切出さず、あくまで『ただの凶暴な人間の不良』としての物理的な威圧感だけで、蒼馬の前に完全な壁となって立ち塞がった。
(……チッ、吐き気がするほど臭え野郎だ)
蓮の鼻腔は、蒼馬の放つ清め塩の匂いで焼け焦げそうになっていた。ここで妖気を出してバケモノの姿になれば、この男の首を即座にねじ切る自信はある。だが、それをすれば桜の正体がバレる。
だから蓮は、極限まで殺意を圧縮し、人間の筋肉と骨格が生み出す「暴力の気配」だけで、蒼馬を威嚇し続けた。
「……野蛮な猿が。私の邪魔をする気か」
蒼馬の顔に、初めて明確な『不快感』が浮かんだ。
この男の腕力、そして瞳の奥に宿る剥き出しの狂気は、ただの不良学生のそれではない。
蒼馬の右手が、スーツの内ポケット――呪符の束へとゆっくりと伸びる。
「やめて、お兄様ッ!!」
その光景を見て、茉莉が悲鳴を上げて桜と蓮の前に躍り出た。
「……私が、悪いんです……だから、この人たちには手を出さないで……っ!」
茉莉は震える手で、桜の背中を庇うように立ち塞がった。
かつて、御影山で桜が自分の前に立ち塞がってくれたように。今度は自分が、大切な「普通の世界の友達」を守るために、絶対的な恐怖の象徴である兄の前に立ったのだ。
「……茉莉ちゃん」
桜が、息を呑む。
蒼馬は、内ポケットに手を入れたまま、憎々しげに舌打ちをした。
ここで術を使えば、さすがに一般人の騒ぎになる。隠密を旨とする陰陽師の本分から外れることは、彼とて本意ではない。
「……愚かな。底辺の泥に浸かり、自分が何者であったか忘れたか」
蒼馬は、冷酷な目で茉莉、そして桜と蓮を交互に睨み据えた。
「今日は引いてやろう。だが、忘れるな茉莉。お前は逃げられない。……明日、放課後に必ず迎えに来る。その時もまだこの猿どもに庇われ、一族の血を汚すような真似をするなら……」
蒼馬の瞳が、一切の感情を排した絶対零度の光を放つ。
「この学び舎ごと、お前の周りの『不浄なもの』をすべて浄化してやる」
それは、陰陽師としての絶対的な宣言だった。
蒼馬は踵を返し、来た時と同じように、空気を凍らせながら生徒昇降口へと消えていった。
残された中庭には、痛いほどの静寂が落ちていた。
「……はぁっ」
桜は、一気に膝の力が抜け、ベンチに手をついて荒い息を吐いた。
体内の妖気を死蔵させながら、あのプレッシャーに耐えるのは、肉体よりも精神をゴリゴリと削られる拷問だった。
「桜さん、黒曜くん……ごめんなさい、私……私のせいで……っ」
茉莉が、両手で顔を覆って泣き崩れる。美波と結衣が慌てて彼女を抱きしめるが、二人もまた、先ほどの青年の異常なまでの威圧感に、顔を青ざめさせて震えていた。
「……泣くな、陰陽師の女」
蓮が、ひどく不機嫌そうに舌打ちをした。
彼は、自らの右手の甲――先ほど蒼馬の霊力に触れ、薄く火傷を負ってしまった皮膚を隠すようにポケットに突っ込み、冷徹な黒瞳で空を見上げた。
「……明日の放課後、だと? 上等だ」
狂犬の喉の奥から、低く、獰猛な唸り声が漏れる。
相手は表社会の権力と、妖怪を滅ぼす絶対的な力を持った天敵。
だが、俺の女王(お頭)の庭で、デカい顔をして生きて帰れると思うな。
初夏の眩しい陽光の下。
正体を隠したままの『極道妖怪』と『天才陰陽師』による、学校を巻き込んだ水面下の凄絶な知略戦(殺し合い)の火蓋が、静かに切って落とされたのだった。
* * *
蒼馬が去り、凍りついていた中庭に初夏の生ぬるい風が戻ってきても、四人の間にはしばらく痛いほどの沈黙が落ちていた。
「……なんなの、今の」
最初に口を開いたのは、ベンチの背もたれにへなへなと寄りかかった結衣だった。
恐怖で顔を青ざめさせながらも、彼女の瞳には明確な『怒り』が灯っていた。
「いきなり学校に入ってきて、上から目線で……っ。一宮さんの、お兄さんだよね? いくら家族でも、あんな脅迫みたいな連れ戻し方、絶対におかしいよ!」
「そうだよ! なにが『浄化してやる』よ、中二病こじらせすぎでしょ!」
美波も、震える膝を両手でバンバンと叩きながら立ち上がった。
二人の心臓は、未だに早鐘を打っている。得体の知れない威圧感に、本能が「あれには逆らうな」と悲鳴を上げていた。
それでも、彼女たちは逃げなかった。隣で顔を覆って泣きじゃくる茉莉の背中を、決して離そうとはしなかった。
「……駄目です、結衣さん、美波さん」
茉莉が、涙で濡れた顔を上げた。そのガラス玉のような黒瞳には、深い絶望が宿っている。
「兄は……一宮本家は、表社会、警察や政治にも強い影響力を持っています。その気になれば、あなたたちのご家族の仕事や、この学校の運営すら、息をするように握り潰せる。……呪いだけじゃない。社会的に、消されてしまうんです」
「……っ」
その生々しい恐怖の宣言に、美波と結衣が息を呑む。
陰陽師という裏の顔を知らなくても、彼らが「絶対に逆らってはいけない絶対的な権力者」であることは、肌で伝わっていた。
どうすればいい。相手は法も常識も通用しない、理不尽な天災のような存在だ。
絶望的な空気が、四人を包み込もうとした、その時だった。
「……なら。その『息をするような裏工作』すらできないくらい、表の光を当てちゃえばいいんじゃない?」
凛とした声。
桜が、静かに顔を上げて微笑んでいた。
その瞳の奥には、怯えなど微塵もない。
「光……?」
茉莉が目を丸くする。
「一宮のお兄さんは、すごく力があるし、裏の世界のルールで生きている人なんでしょ」
桜は、自分の正体を隠したまま、言葉を選んで紡いだ。
「そういう人たちが一番嫌がるのって、『絶対に隠しきれない大勢の一般人の目』だと思うの。密室や裏道ならなんだってできる。でも、数百人の目があって、常に記録されているような『表のド真ん中』なら、強引な手は絶対に使えないはずだよ」
その言葉に、美波と結衣の顔がパァッ! と明るくなった。
「……そっか! 現代には『スマホ』と『SNS』があるじゃん!」
美波がカバンからスマートフォンを取り出し、バンッ! と掲げた。
「明日、放課後に迎えに来るって言ってたよね。だったら、お兄さんが来る時間に、全校生徒を巻き込んだ『イベント』を起こして、学校中を野次馬とスマホのカメラでいっぱいにしちゃえばいいんだ!」
「すごい、それなら手出しできない! 放送部のツテがあるから、ゲリラライブの告知流してもらうね! 中庭を完全に『見世物』のステージにするの!」
結衣も目を輝かせて乗り出してきた。
「えっ……でも、そんなこと……」
戸惑う茉莉の手を、桜が優しく、しかし力強く握りしめる。
「茉莉ちゃん。お兄さんの土俵で戦っちゃ駄目。……ここは、私たちの『シマ』なんだから」
桜はクスッと笑った。
「私たち女子高生のホームグラウンドのど真ん中に、丸腰で引きずり込んでやるの。……協力するよ、みんなで」
(……完璧な極道の『シノギ』じゃのう)
桜は内心で、親友たちの頼もしさに舌を巻いていた。
自分たち妖怪も、陰陽師も、『秘匿』が絶対のルールだ。白日の下に晒されれば、魔術も暴力も行使できなくなる。
妖力など使わなくても、群衆という『現代の結界』を使えば、天才陰陽師の手足を完全に縛ることができるのだ。
* * *
「……くだらねえ」
渡り廊下の陰でその作戦会議を聞いていた黒曜蓮は、鼻で笑って舌打ちをした。
スマホだの、野次馬だの。そんな人間の小細工で、あの異常な清め塩の匂いを放つ陰陽師が止められるわけがない。
だが。
(……俺の女王(お頭)の正体を隠し通すには、悪くねえ盤面だ)
蓮の黒瞳が、凶悪な光を帯びて細められた。
桜が人間社会のルールで戦うというなら、自分の出番は一つしかない。
群衆の目から逃れようと、あの天才陰陽師が『死角』や『裏道』を使おうとした時のための、物理的なストッパー。
「……チッ。どいつもこいつも、俺の庭で好き勝手しやがって」
蓮はポケットに手を突っ込み、気怠げな足取りで旧校舎の裏へと向かった。
彼が向かった先は、近隣の高校をシメている不良グループが溜まり場にしている喫煙所だった。
「あ? なんだテメェ、1年の――」
ガンッッ!!!
凄まじい音が響き、不良のリーダー格が、コンクリートの壁に顔面からめり込んで気絶した。
蓮は、一切の妖気を使わず、ただの『圧倒的な暴力と殺気』だけで、十人近い不良たちを一瞬にして血の海に沈めた。
「……ゴホッ、ひぃっ……!」
恐怖で震える残りの不良たちを見下ろし、狂犬は冷酷に言い放つ。
「明日の放課後。この学校の『裏門』と『死角になるフェンス沿い』を、テメェら全員で塞げ。……ネズミ一匹、アリ一匹通すな。近づく奴がいたら、物理的に足止めしろ」
「ひ、ヒィィッ! わ、わかりましたぁッ!!」
(これで、あの陰陽師の女の兄貴は、嫌でも『野次馬だらけの正門(表舞台)』を通るしかなくなる)
蓮は、自らの拳についた血を制服の裾で拭い、酷薄に笑った。
表の光は、桜と人間のガキどもに任せる。
裏の闇(逃げ道)は、俺の牙で完全に塞いで、逃げ場のない『ど真ん中』へとあの男を追い詰めてやる。
* * *
そして、翌日の放課後。
私立翠風高等学校は、異様な熱気と喧騒に包まれていた。
『――アテスト、アテスト! えー、放課後の中庭にて、軽音部とダンス部によるゲリラコラボライブが始まりまーす! 生徒のみんな、中庭に集合ー!』
結衣の裏回しによって放送室から大音量のアナウンスが流れ、学校中の生徒たちが「なんだなんだ」とスマートフォンを片手に、一斉に中庭へと雪崩れ込んでいく。
校舎の二階、三階の窓からも、鈴なりの生徒たちがカメラを下に向けてスタンバイしている。
その数、およそ五百人。
完全に四方八方からの『監視の目』が形成された、巨大なパノプティコン(円形監獄)。
そのど真ん中。
巨大なスピーカーの横で、桜、茉莉、美波、結衣の四人が、肩を並べて立っていた。
「……来る」
茉莉が、息を呑んだ。
生徒昇降口の向こうから。
五百人の野次馬がひしめき合う喧騒の中を、まるでそこだけ世界が切り取られたかのような異常な静寂と冷気を纏い、一宮蒼馬が姿を現した。
彼の顔には、昨日のような余裕はなかった。
無数のスマートフォンのカメラが自分に向けられ、歓声と音楽が大音量で鳴り響く、陰陽師にとって最も忌むべき『穢れた表社会の喧騒』。
術を使えば、この五百人のカメラに決定的な証拠が残る。かといって強引に腕力で連れ去ろうにも、周囲の生徒たちが壁となって物理的に道を塞いでいる。
裏口から回ろうにも、なぜか他校の不良たちが異常な殺気で裏門を封鎖しており、入ることすらできなかったのだ。
「……小賢しい真似を」
蒼馬の端正な顔が、屈辱に歪んだ。
「お兄様」
茉莉が、震える足で一歩、前へと踏み出した。
その後ろには、彼女を絶対に一人にさせないという強い意志で、桜、美波、結衣が並び立っている。
校舎の三階の窓ガラスの奥では、黒曜蓮が絶対的な死角から、蒼馬の首筋を虎視眈々と狙って黒瞳を光らせていた。
天才陰陽師を完全に包囲した、現代の群衆と極道の知略。
絶対に呪術の使えない白日の下で、茉莉の『運命』を懸けた最後の対峙が、今、始まった。




