百鬼夜行
この世には、人ならざるものが住んでいる。
太陽が沈み、空が『逢魔が時』と呼ばれる毒々しい赤紫に染まりきる頃。 世界の輪郭はひどく曖昧になり、昼と夜の境界線が静かに、だが確実に反転する。
表側の住人である人間たちは、乱立するビルの無機質なコンクリートと、夜の闇を塗り潰すような人工的なネオンの光に囲まれ、自分たちが絶対的に安全な領域にいると信じて疑わない。 彼らは知らないのだ。 光が強ければ強いほど、そこに落ちる影はどこまでも濃く、そして深く黒く沈んでいくということを。
華やかな大通りのすぐ裏側。 陽の当たらない路地裏の奥深く、悪臭の漂うマンホールの下、あるいは取り壊しを待つだけの廃ビルの暗がり。 そうした『影』の底には、泥と血と湿った獣の匂いがこびりつき、確かに得体の知れない“息遣い”が潜んでいる。
魑魅魍魎。 悪鬼羅刹。 あるいは、妖怪。
古の時代より、彼らは常に人間たちのすぐ隣にいた。 時には神として祀り上げられ、時には畏怖と恐怖の対象として忌み嫌われながら、人間の放つ負の感情や命そのものを喰らい、暗闇の中で脈々と血脈を受け継いできたのだ。
現代においても、彼らが消え去ったわけではない。ただ、隠れ潜むのが上手くなっただけだ。 街の死角で、理性をなくした『はぐれ妖怪』たちが涎を垂らしている。彼らは社会の底辺で蠢き、深夜に独り歩きをする人間の背後へ音もなく忍び寄り、その喉笛を喰いちぎる瞬間を常に待ち構えている。 行方不明者。未解決の猟奇殺人。不自然な事故死。 人間の警察が「原因不明」として処理する事件の何割かは、彼ら人ならざるものたちの飢えた牙による惨劇だ。
だが、夜の世界が単なる無秩序な暴力と殺戮だけで支配されているわけではない。 光の当たる人間社会に法があるように、深い闇の底にもまた、絶対的な『掟』が存在する。
影の世界を統べるのは、古き血を引く強大な妖怪たちによって組織された『極道』の派閥である。 彼らは無闇な殺生を嫌い、人間社会の影に寄り添いながら、自らの『シマ(縄張り)』を厳格に管理している。秩序を乱し、シマの人間を不必要に喰い殺すようなはぐれ妖怪がいれば、彼らは闇から闇へと冷酷に葬り去る。 それは人間を守るためというよりは、自らの領域を荒らされることを極端に嫌う、妖怪特有の異常なまでの縄張り意識と任侠道からくるものだ。
――そして、彼らが夜の街を練り歩く時、真の恐怖が具現化する。
『百鬼夜行』。 それは、夜の支配者たる強大な妖怪が、無数の配下を引き連れてシマを練り歩く、血と妖気の大行進である。
彼らが通る時、街の気温は急激に下がり、あらゆる音が真空に吸い込まれたかのように消え失せる。 アスファルトの上を、奇形の手足が這いずる音。 空を覆い尽くす、名状しがたい異形たちの群れ。 そして、その中心から放たれる、空気が軋むほどの濃密で暴力的な妖気の圧。 もし運悪く、その行進を目撃してしまった人間がいれば、彼らは悲鳴を上げる間もなく、魂そのものを恐怖に押し潰されて発狂するか、そのまま命を散らすだろう。 それほどまでに、彼らと人間との間には、決して埋まることのない圧倒的な『格の違い』が存在しているのだ。
夜は、彼らのものだ。 人間たちが安らかな夢に微睡んでいるその裏側で、今宵もまた、血で血を洗うシマ争いと、魑魅魍魎たちによる凄絶な覇権争いが繰り広げられている。 それが、この世界に隠された、冷酷で絶対的な真実である。




