08) メイドの正体
「坊ちゃん起きてください、朝ですよ。今日はオニオンの収穫をするって言われてましたよ」
オストレーム辺境伯自治領の中心都市クレアモントバリーの街郊外。とある農奴集落から外れたさらに“片田舎”の一軒家は、メイドの一言で朝が始まる。起こされたのはラルフレインと言う名の少年であり、起こしたメイドの名前はクラリッタ。もともとはラルフレインの実母の侍女であり、実母亡き後はそのままラルフレインのメイドとして働いていた。
「ん……うむむふあぁ……。おひゃようクラリッタ、もう朝かあ」
「さあさあ、目を覚ましてくださいませ。空気を入れ替えますよ」
ラルフの寝ぼけた声にそう答えたクラリッタは、藁敷きのベッドに片膝を乗せてラルフレインをまたぐように身体を伸ばして扉窓を開けようとするのだが、タイミングが悪かった。クラリッタの動きに気付かないラルフレインが、寝ぼけたままベッドから起 きあがろうとしたのだ。――ゴスっと鈍い衝撃に襲われる二人。起き上がろうとしたラルフレインは、クラリッタの胸に顔面をぶつけてしまった
「ふがっ!あっ、ごめんクラリッタ」
「……!坊ちゃん大丈夫ですか?痛くないですか?」
「僕は大丈夫だよ、クラリッタこそ痛くなかった?今胸骨に当たったよ……」
この“胸骨に当たった”と言うセリフ、何気無く繰り出した悪意の無い言葉であったのだが、乙女のクラリッタには相当のダメージがあったようだ。胸骨と言う単語に反応した彼女は、頬を赤らめつつも眉間に皺を寄せ、「あの忌まわしい道具屋の女みたいに、私は栄養が胸に偏ってないので」と捨て台詞を吐きながら、部屋を出て行ってしまう。
はて、僕は何か気に障る事を言ってしまったのか?と、彼女の背中を呆然と見ながら口をポカンと開けるラルフレイン。思考能力のそのほとんどがまだ睡魔に邪魔されているのか、むくりと起き上がり足を引きずるように、水浴びのために井戸へと向かって行った。
バシャバシャと頭からかける井戸の冷たい水が、全身の寝汗を一気に洗い流してさっぱりした頃、クラリッタが作る朝食が完成してラルフレインの一日が始まるのだ。
……クラリッタは何を怒っているのだろうか?
朝食メニューは硬いパンと塩野菜スープにホットミルク。硬い丸パンを千切っては野菜スープに浸して口に放り込み、ホットミルクで胃に流し込むのだが、ラルフレインとクラリッタで食卓を囲んでいる訳ではない。あくまでも二人の関係は“主人と使用人”であり、主人であるラルフレインの食事が終わるまでクラリッタが食卓に付く事は無い。だからラルフレインが食事している際は直立しながら彼の食事風景に注視しつつ、水をよそいだりおかわりの手配をするのだが、今日だけは違った。台所の拭き掃除や洗濯物の準備をするなどと言い出し、ラルフレインの食事をチラチラと見守りながらもあっちに行ったりこっちに行ったりと、まるで落ち着きが無いのだ。――あまり表情が読み取れず、あくまでも感情の抑揚に乏しい彼女だが、何故かラルフレインにはその行動が怒っていると読み取れたのである。
クラリッタ ――辺境伯の息子の使用人、つまり専属メイドの彼女。彼女を見詰めれば見詰めるほど、分かる事と分からない事が鮮明に二極化する。
ラルフレインが十六歳になるも、未だ自分の思春期に気付いていない“どん臭い”少年ではあるのだが、メイドのクラリッタがいかに表情が乏しく、周辺の農奴たちから「怖い」や「冷たい」と評されても、ラルフレインには彼女の喜怒哀楽が手に取るように分か るようになって来た。朝起きがけの「胸骨事件」においてはラルフレインの鈍感さが作用しており、何に対して彼女が怒っているのか理由はぼやけたままも、即ち彼女が怒りを胸に拗ねているのが理解出来たのだ。
ただ、彼女について考察の羽を伸ばせば伸ばすほどに、五里霧中に陥ってしまう範囲がある。それは彼女に対する個人情報についてで、彼女から聞いた彼女自身の話を繋げて整合性を持たせようとすると、何故か見えない力に誘われて“ふりだし”に戻ってしまうのだ。――あれ?あれれ?何か辻褄が合わないぞ
背中の肩甲骨まで下がる見事なストレートの銀髪を後ろで無造作に縛り、足首まで隠れるような“野暮ったい”古風なメイド服を着込んだクラリッタだが、その上品な顔立ちは深窓の令嬢のように美しい。そして彼女の水浴びや着替えに偶然遭遇してその肢体を見た時には、まるで宗教画の女神のように美しいと心から感じた。……だからこそ疑問が次々と湧いて来る
――自慢の姉のように若々しく美しいクラリッタだが、亡くなった母さんの侍女だったはず
――母の侍女だったって事は、母さんに年齢が近かった?それともクラリッタが少女の頃から?
――いや!彼女は母さんの母、つまり祖母にも侍女として仕えていたと言ってたような
――クラリッタは何歳なんだ?そもそもが人間なのだろうか?
――ちょっと待て!クラリッタがいつもライバル視してる道具屋のアンナマリアさんも、父上の子供の頃を話してくれてたような
――クラリッタだけじゃない、彼女とアンナマリアさんは何かがおかしい。
だが、青ざめて冷や汗を垂らしながら、真実にたどり着こうと思考をフル回転すると何故か強制的にこの文言が脳裏に浮かび、思考の全てをリセットしてしまうのだ。――ああああ、あれ?うん【まあ、いっか】と
結局のところ、今朝も怒ったクラリッタの正体に思いを馳せながらも「まあ、いっか」と結論を無理矢理うやむやにされて、釈然としたようなしないようなモヤモヤすらもフェードアウトして農作業へと出掛けて行く。
ただこの日、元気に出て行ったラルフレインが元気に帰って来る事は無かった。農作業中突如天候が荒れ模様となり、彼は落雷に打たれ畑で倒れてしまったのだ。




