07) 世界を変えるだけの力
クレアモントバリーの街中に教会の鐘が鳴り響く。昼を知らせるその鐘のしらべは、朝早くから汗びっしょりとなって農作業に従事していた農奴たちを、心から安堵させる喜びの鐘。空腹を満たすための希望の鐘だ。
早く昼飯にありつこうと家路に急ぐ者。羽振りが良くなり食堂で済ませようとする者など、街は昼らしい賑わいに満ちていた。
――だが、一人だけ異質な空気を放つ者が街にいた。その者はクレアモントバリー城を後にしながら、街の外れに向かってゆっくりと荷車を走らせて行く。ロバに引かれた荷車を操るその少年は、肩をガックリと落としつつ、この世の不幸を一身に背負ったかのような暗い表情をしていた。
「……父上……怒ってたなぁ……」
街の人々が明るい表情に包まれる中、一人だけどんよりしていたのはラルフレイン。そう、彼は父親である辺境伯バンダリア・オーストレムからこれ以上無いほどの叱責を受けたのだ。
そう、辺境伯の庇護下にある地方領主たが集う定例会の席上、わざわざラルフレインは名前を呼ばれ、貴族諸侯たちの視線が集まる中でこう怒鳴られたのだ――貴族の子弟でありなが、ロバの荷車引いて登城するとはどう言う魂胆か!まるで品位の無い農奴ではないか!貴様は辺境伯に恥をかかせるのか!と
もともと定例会には必ず参加せよとの命は受けていたラルフレインではあるが、爵位も領地も無い単なる領主の親族扱いであり、円卓に座る事すらも許されてはいない。円卓を遠目に壁際でただ立ち尽くし、議事の進行を見詰めるだけの存在。つまりは決して呼ばれる事の無い彼の名前が呼ばれ、会議室には辺境伯の怒号が響き渡ると言う、異例中の異例、、、騒動の中心となってしまったのだ。
息子に恥をかかされたとばかりに、顔を真っ赤に鬼の形相となる父親。その背後に立つ妻と娘の卑屈な笑み。更には地方領主たちの好奇な視線。これらはさすがのラルフレインもこたえた、馬鹿過ぎるほどに素直で天真爛漫だった彼も背中を丸めてうつむくほどにショックを受けたのだ。
“そもそも生活のためと、馬でなくロバを贈ったのは父上ではないか”
“貴族の振る舞い方などまともに教わっていない”
“幼い頃の記憶は、病床の母の記憶は断片にあっても、愛人にどっぷりハマっていた父親の姿など見た記憶すらない”
“後妻に巧みに乗せられ、実の息子を追い出したのはあなたではないか!”
――これらの事実を、恨み言としてラルフレインが口にする事は無い。それを思ったとしても、腹の底にしまい込み決して表情には出していない。いつかは家族として理解し合えると思っていたかも知れないし、そのためにもラルフレインは穏やかに穏やかに日々を過ごして来たのだが、さすがにこの一件は目の前が真っ暗になるになるだけの衝撃的な出来事であったのだ。
「ラルフ、ラルフ!おーい、ラルフのダンナ!」
行き交う農奴や街の人々は、馴染みの元気者の姿を見かけて声をかけようとするのだが、彼のあまりの沈みように声をかけるのを躊躇していた。だがそんな事などお構い無しだとばかりに声を張り上げたのは戦士。腰のベルトに帯剣した隻眼の大男が笑顔でラルフレインに近付いて来たのだ。
「あ、オルヴァ団長こんにちは!」
「ラルフのダンナ、城帰りかい?ずいぶんと落ち込んだ様子だな」
パッと表情が明るくなったラルフレインの目の前にいるこの中年男。鳥の半身焼きをバリバリと貪りながら歩み寄るマナーもへったくれもないこの戦士は、オストレーム辺境伯自治領において、辺境伯をパトロン(雇用主)とする傭兵団「オルヴァ傭兵団」の団長を務めるオルヴァ・ルッカである。
【傭兵団・傭兵】
剣と魔法の世界、戦火が止まぬ争いの時代において、傭兵は一番自由な職業と言っても過言ではない。どの宗派にも属さず、どの王侯貴族に忠誠を誓う訳でもなく、純粋なビジネスとして戦闘に参加してはクライアントから報酬を得るのだ。中世ヨーロッパのとある小国が、国の主要産業として傭兵を各国に派遣するほどに、傭兵業は巨額の富をもたらす産業の一つなのである。
“自由な職業”と言えば「冒険者」と言う言葉が脳裏に浮かんで来るかも知れないが、この世界には冒険者と言う職業は無い。そもそも貴族や商人や傭兵ではないので通行手形が発行される事はなく、冒険者と名乗ったとしてもそれは自称するだけで誰からも信用などはされない。つまりは最下層の農奴以外の何者でもないのだ。では一体誰がダンジョンを探索したり、領地内に出現した魔物を討伐するか――。それはパトロンとして貴族や大富豪の商人が後ろ盾となった、傭兵団や学者である。戦乱の世に地方領主や中央政府、そして敵対国家にまで及ぶ“冒険者ギルド”のネットワークなどあり得ないのだ。
ラルフレインに対しにこやかに話し掛けるオルヴァ。彼はオストレーム辺境伯自治領に雇われ、自警団としてこの自治領を警備したり西の蛮族から自治領を守る傭兵団の団長である。だから辺境伯の息子に対して“ダンナ”などと言う敬称を付けて一応はへり下ったのだ。――家庭の事情で放逐された、憐れな息子ではあるが
「落ち込むと言うか……ちょっと父上に恥をかかせてしまいまして」
「オストレーム伯爵に?」
「ええ。僕が貴族らしからぬ振る舞いをしてしまって」
「ああ、そういえば今日は定例会。地方貴族のお歴々が城に集まってたな」
辺境伯庇護下の地方領主たちが集うのに、辺境伯の息子が農奴のようにロバに荷車を引かせながら登城したとすれば、辺境伯の面目が丸潰れだと話す。父上に怒られた事に憤っているのではなく、自分自身の貴族の立ち振る舞いがあまりにも稚拙であるとオルヴァに告白したのだ。
だが傭兵団の団長はなんと、それを些末な事だと言って笑い飛ばす。ラルフレインの背中を景気良くバンバンと叩きながら、こう声を張り上げたのだ。
「あはははは!そりゃあしょうがないよラルフのダンナ。街の外れの集落で貴族じゃない生活を強いられてんだから、ダンナは悪くねえっての」
「いや、でもせめて城に上がる時ぐらい、街の人々の目もあるし……」
「気にしない気にしない!だったら立派な馬を寄越せとか貴族らしい服を寄越せって要求しなきゃ」
「いえいえ、生活の保証して貰ってるんですから、それ以上の要求なんて……」
「だったらダンナ、貴族なんざ辞めちまって傭兵団に入るかい?剣から何から俺が教えてやるよ」
辺境伯の息子をやめて傭兵団に入る―― 自由きままに生きるため、生死の覚悟を決めた人生。がんじがらめのラルフレインにとっては頭を揺さぶられたかのような甘媚な誘いなのだが、オルヴァのこの申し出に大いに反応してすぐ、全く別の光景に目を奪われて霧散してしまった。ラルフレインの目の前に路地裏から奇異な集団が現れたのだ。
(ほらぁ!モタモタしてねえでさっさと歩け!)
地面に叩きつけるムチの音が空気を裂きながら、奴隷商人に連れられた奴隷の集団が現れ、まるで生きた屍のように足取り重く歩みを進めているではないか。
「ああ、そう言えば奴隷商人のキャラバンが先週から来ててな。他所の傭兵団なんざ連れて来やがったから、こっちも商売上がったっきりで……」
その時オルヴァは、目の前にいるラルフレインの表情の変化に息を呑む。これ以上無いほどの殺意を瞳に浮かべ、奴隷商人たちを凝視していたのだ。――そう、今にも飛びかかって行って確実に殺そうとする、明確な殺意に背筋が凍ったのである。
「ハーフエルフにホビット数名、あとは獣人だな。西の蛮族のさらに西には亜人の社会がある。呆れるぜ、わざわざそこまで奴隷狩りに行ったのかよ」
「団長、あの奴隷の人たちは一体……これからどうなるんですか?」
「そうだな、たぶん帝都まで連れて行かれて競売にかけられるんだろうな。獣人たちは体力あるから労働力、ハーフエルフは珍しいから貴族のオモチャ……か?」
奴隷商人や傭兵たちに急かされて歩く奴隷たちは、全員が足枷の鎖で繋がれ、首には奴隷専用の魔法具“制限の首枷”がはめられている。
「イヤですね、他人の人生を奪い、自分たちの都合のために生かし続ける。イヤな制度です」
「って言ってもよ、ダンナ。そもそも農奴なんてのは全てが貴族の所有物だし、奴隷や奴隷狩りだってそんなに珍しい事じゃない……」
そこでオルヴァはふと気がつく。後妻の都合で屋敷を放り出されたこの少年は実は、天真爛漫さを身にまといつつも、抗う事の出来ない運命に怒り、そして悲しんでいるのではないかと。鎖で繋がれ絶望を背に歩く奴隷たちに、自分を投影しているのではと感じたのだ。
「ラルフのダンナ、ラルフのダンナ。俺もこれには思うところがあるけど、何かを良くしたいと願うなら、先ずはダンナが世界を変えるだけの力を得る事が先決だろうね」
そう言いながら再びバンバンと背中を叩く。周囲の人々の目に気付いたのか、ラルフレインはあっという間に表情を緩めて、畑の収穫があるからと去って行く。
(俺の言葉は届いたかな?もし届いたならば、面白い時代が始まるかもね)
――ラルフレイン十四歳の頃の話。彼自身が己を確立して旗を上げるにはまだ二年の月日がかかる事となるのだが、それが時代を動かす大きなうねりとなるとは気付いていない。だが彼が“前世”を思い出してそのギフトを駆使する事で、戦乱の時代は大きく動くのである。
ラルフレイン・オーストレムがラルフ・バーンズに名前を変える時、それは運命と意志が真っ向から衝突して火花を散らす……新たな闘いの時代の幕開けとなるのだ。
◆ 貴族のロバ息子 編
終わり




