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04) アンナマリア道具店


 肌を撫でる暖かな日差し

 鼻腔をくすぐる農作物や森の香り

 通り過ぎる家々の煙突から登る朝食の煙

 時間の流れすら感じられない穏やかな朝に、ロバはマイペースに荷車をひきながらクレアモントバリーの街を目指している。


「ラルフおはようさん!」

「ラルフ、今日はお城かい?」

「ラルフ、帰りに家へ寄って来な。ばあちゃんがベスト編んでくれたって」


 畑から帰って来る農民、庭仕事していた農民がラルフレインに気付いては、手を止めて声をかける。その内容はどれも好意的であり、いかにこの少年がこの地域で好かれているかが伺える。ただラルフレインが街に向かって通過した後は、何故か彼の背中に同情の視線を寄せる農民たちもいるのは確かだ。――彼はその人柄をもって住民から愛され、そして同時に同情されてもいたのだ


  【クレアモントバリーの街】

 人口八千人の規模を誇る中堅都市で、辺境伯と名高きオストレーム伯爵の自治領中心都市である。この時代は荘園制貴族主義が主流である事から、都市に住む者のそのほとんどは農奴……農民である。ただ奴隷と言ってもある程度の自由は保証されており、指定された農地以外を個人的に開墾する事は許され、それを元に販売する事も許されていたので、貨幣経済も浸透していたのだ。――つまり都市には現金取り引きの商店も存在していると言う事。農奴の所有する現金をあてに、どこからか流れて来た商人が店を構えたのであった。

 ロバに引かれのんびり移動するラルフレインも、登城する前に道具屋に寄る予定でいた。乾燥させた大量の薬草をアンナマリア道具店へ行って売って欲しいと、メイドのクラリッタに頼まれていたのである。


 クレアモントバリーの検問所を通り、壁に囲まれた街の中へ。壁と言ってもまだ完成には至っておらず、十メートルほどの高さの壁は、街の西半分を覆っているだけ。労働者の確保に苦労しているのか、完成の見通しは立っていない。ラルフレインは南門から中央通りを中心に向かって北上するのだが、農奴の住宅街を過ぎて商店街に入ったところで荷馬車を止めた。こじんまりとして古ぼけた店屋、入り口扉の上には薬草をモチーフにした木製の看板に道具屋の文字。ここが彼の目的地の一つであったのだ。


「アンナマリアさんおはようございます!」


 薄暗い店内にさわやかな声が響く。するとその声に触発されたのか、店の奥がドタバタと鳴り響きラルフレインの名を呼ぶ声が。若い女性のそれは、開店の準備をしていたのか、それとも朝食の準備をしていたのかまでは定かではないが、ラルフレインの来店に驚きつつも歓喜の音色を上げていた。


「ラルフ?ラルフレインなの?ちょっと待ってすぐ行くよう!」


 早朝の来店だったので慌てなくて良いですよと、ラルフレインが恐縮しながら言葉にしようとしていると、電光石火の勢いで店主は店に現れ、そしてそのまま飛び込むようにラルフレインに抱きついたのだ。


「アンナマリアさん苦しい!く苦しい!」


 見るからに二十代半ばでラルフレインよりひと回り歳上の彼女は、大人の落ち着きなどまるで持ち合わせていないかのように渾身の力で抱きついた。慌てて服を羽織ったかのような無防備さをそのままに、燃えるような真っ赤な髪を乱れさせ、豊満な自身の胸にラルフレインの顔を埋めさせる様は、まるで彼が愛玩犬のようだ。


「最近来てくれなかったから寂しかったのよ!あんまりお姉さんを悲しませないで」

「す、すみません。最近あんまり薬草が取れなかったもので」

「違う、違うよラルフ。私言ったでしょ?用事が無くても店に顔を出してって」

「そ、そうは言われましても……」

「何も用事が無くてもラルフは来て良いの!朝ごはん食べた?お茶でも飲む?」

「アンナマリアさんそれよりも……とりあえず薬草持って来たから、品物見てください」


 幸せな地獄、窒息の危機から何とかして脱出しようとした試みは成功する。アンナマリアはラルフレインに促されると外に停めてある荷車に向かうのだが、満面の笑みを浮かべながら相変わらず彼に密着し、腕にしがみ付いたまま離そうとはしない。まるで弟大大大好きな姉と翻弄され続ける弟のような様相なのだが、ここで改めて彼女の視界に腰の剣が目に入った。――実戦向けの長剣ではなく意匠の施された儀礼用騎士剣彼が帯剣していると言う事は、アンナマリア道具店に乾燥した薬草を卸す事が街に来た主な理由ではなかった。農奴や認可商人では許されない、彼にしか出来ない役目を果たすため、街にやって来た事を察したのである。


「……そっか。ラルフ、今日はお城に行くんだね」


 ひと回りも歳下の少年に対して猛烈な急接近を重ね、勢い任せに淫靡な大人の世界に引き込もうとしていたアンナマリア。“好き好きアピール”を放っていた彼女の表情はガラリと変わる。紅潮した頬の火照りは消え去り、ラルフレインを哀れむ憐憫(れんびん)の表情へと様子を変えたのだ。


「何かあったの?お父さんに呼び出されたの?」

「いえ、今日は定例会議ですよ。会議に顔を出すのが今日の僕の役目です」

「なるほどね、面倒くさい日だったのね」

――

 風で乱れた彼の髪を撫でて整えるアンナマリア。やがて彼女の手がどんどんと下がりラルフレインの頬を愛おしそうに撫で始めると、彼はくすぐったそうに目を細める。――あくまでも知り合いの関係であるアンナマリアが込み入った内容の質問をぶつけても、不快感を表さないところを見れば、このラルフレインの立場的な状況は街の者や農奴にとって“周知の事実”である事が伺える。


「ラルフ、お努めが終わったらもう一度店に寄りなさい、美味しいご馳走を作ってあげるから」

「アンナマリアさんすみません。今日はクラリッタがご馳走作って待っててくれるから、早く家に帰らないと」

「あら、それは残念……」


 ……あんな胸ペッタンコで無表情な女より、私の方がずっと君を可愛がってあげられるのに……

 心の奥底から浮かんで来た思いをぐっと深淵へと押し込み、ふう!とため息を一つ吐き出す。そしてアンナマリアの表情から愛嬌(あいきょう)が薄れ、彼女の瞳からは真剣な輝きが放たれ始めた。


「バンダリア・オストレーム伯爵と妻ディートリンデ・オストレームの間に産まれた伯爵家の第一子、ラルフレイン・オストレーム。早逝したディートリンデに代わり後妻の座を得たマグダレーナにより、城より追い出され屈辱にまみれながらも、それでも自分の責務を果たすと……?大丈夫ラルフ?無理しなくても良いんじゃないの?」


 荷車から薬草を下ろしながらそう質問をする。だがその言葉は純粋な疑問と言うよりは、彼に対する確認の意味合いの方が強かった。――何故ならば、そもそもラルフの瞳は若さと力強さに溢れており、何一つ揺らいでいなかったからだ


「アンナマリアさん、心配してくれてありがとう!僕は大丈夫、今の生活が気に入ってるし、集落や街のみんなも優しいんだ。僕は幸せ者だよ」


 渾身の力でハグし、ほっぺに大量のキス爆撃をしたい!それどころか強引に少年の唇を奪った後に、首根っ子掴んで寝室に連れ込みたい!……そんな(よこしな)な感情をギリギリ抑え込み、アンナマリアはラルフレインの背中を押す。


「ささ、お城でのお努めを果たしてらっしゃい。今日はダメでもまたお店に遊びに来るのよ。私も無愛想メイドに負けないくらいの美味しいご飯作ってあげるから」


 成人女性の欲望に気付く訳もなく、ラルフレインは手を振りながら笑顔で城へと向かって行った。



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