10) ユニークスキル 前編
「ラルフレインが大人になった」――クレアモントバリーの街はこの話題で賑わっている。
身長が伸びたり体重が増えたと言った物理的な変化を示した事ではなく、ここしばらく見ない日の間に何があったのか、彼の精神的な成長が見てとれると話題になっているのだ。
「何か大人びた雰囲気に変わった」「あどけなさが消えた」と、ラルフレインに接点のある者たちだけでなく、彼を辺境伯の息子として遠巻きから俯瞰していた者たちまでがそう噂している事から、好意的なフィルターを通しての甘口評ではなく、本当に彼に変化が訪れた事が伺えたのだ。それもそのはず、ラルフレインは間違いなく変わった。彼は一つの身体に二人分の記憶を得たのである。つまりは莫大な知識を得た事で幼少期と思春期の不安定な時期を、無理矢理に限界突破したのである。
自分を取り巻く環境は相変わらず厳しいままである以上、いつまでも少年時代を引きずり天真爛漫を装うにはいささかの無理がある。自分を屈辱のどん底に叩き落とした連中に対して全力で刃向かいリベンジするまでに至らずとも、今の生活を新たな知識により向上させようと図るのは自然であり必然。わざわざ意を決さなくともラルフレインは大人へと成長したのである。
ただ、成長したならば成長したなりにおのずと避けては通れない関門が現れる。なぜならば“辺境伯の息子”と言うネームバリューは本人が思うよりも重いからだ。
彼は農奴ではなくあくまでも貴族の血族、現況はどうあれ辺境伯の跡取り息子である事に間違いはない。常にその肩書きを持って注視されている以上、望むと望まないと彼は“渦中の人”として周囲の注目を浴びてしまうのだ。
そして彼の一挙手一投足に目を向ける者たちの中でも、後妻派つまり辺境伯の現在の妻であるマグダレーナの息のかかった地方貴族たちの言葉は苛烈である。おそらく裏でマグダレーナの指示が出ているのであろうが、地方貴族たちは定例会の場で口々にこう言うのだ――ラルフレインが貴族であるならば、それ相応の責任を果たせ!と。つまりはクレアモントバリーにおける何かしらの公共事業を、ラルフレインにやらせるべきと主張し始めたのである。
オストレーム辺境伯自治領の領土内には、辺境伯を支える中小様々な貴族が領地を安堵されている。その地方貴族たちは領地を安堵される代わりとして、辺境伯自治領のインフラ整備を肩代わりすると言うならわしがある。ある程度の資金があれば資金を出し、資金の無い貴族は労働力を出す。そう言う流れでクレアモントバリーの街は徐々に徐々にと地方都市から城塞都市へと変貌を遂げるのだが、今年度の整備事業の一つをラルフレインに任せようと言う気運が高まっていたのだ。
もちろん、ラルフレインに財産など無い。事業を進めるだけの潤沢な資金など無いし、事業を進めるだけの労働力も持ち合わせていない。資金や労働力は地方貴族らが拠出し、ラルフレインにはその事業……つまり工事の現場責任者として采配をふるわせようと考えたのだ。……文字通りの意図であるならば、そろそろラルフレインに責任ある仕事を任せて成功させる事で、辺境伯の第一子に華を持たせてやろうと読み取れるのだが、この動きには闇がある以上素直にそうは受け取れない。なぜならば、ラルフレインをその任につけようと動いたのは、マグダレーナ派の貴族たちだからだ。
――何も知らないラルフレインを責任ある立場につけて失敗させる。彼には権威の失墜こそが相応しい――
後妻派、マグダレーナ派の貴族たちは、民衆の面前でラルフレインに恥をかかせようと画策していたのである。
「前妻の息子」「目の上のたんこぶ」「後妻の娘、アンゼリカの障害」「辺境伯も疎ましく思う子」など、ラルフレインへの陰口は苛烈を極める。彼が正統な後継ぎとして存在する以上、アンゼリカが高貴な貴族の子弟を婿として向かい入れても、その婿が辺境伯を名乗る事は許されない。だからラルフレインが邪魔でしょうがないし、この跡取り問題をいつまでも棚上げにしていれば、今度はアンゼリカの年齢が上がり“旬の時期”が過ぎてしまう。何としてもラルフレインの評判を下げて悪評を広め、廃嫡までもって行くにはもう時間が無いのだ。――だから後妻のマグダレーナ、その娘アンゼリカ、後妻に取り入り甘い汁を吸う地方貴族の大部分はラルフレインの不幸を画策していたのである。
だが、もし憎くて憎くてしょうがなく、邪魔で邪魔でしょうがないなら、殺してしまうと言う至極簡単な手法もある。毒殺や闇夜に紛れて自宅を襲撃したところで、犯人など分かる訳は無かろうし、事故に見せかけて亡き者にするチャンスなど今までいくらでもあった。だがマグダレーナと娘のアンゼリカ、そしてマグダレーナ派の地方貴族たちはそれを実行に移す事は無く、むしろその手段を忌避するかのように、嫌がらせ程度に済ませてラルフレインが自らの判断で後継者を断念せざるを得ない状況を作り上げていた。つまり後妻派は手を汚さない方法を常に選択していたのだが、それには深くて重大な理由がある。
“ラルフレインを暗殺出来ない理由”……それはラルフレインの数少ない理解者であるユリウス・ホルンガッハ子爵が、事あるごとに周囲の地方貴族たちに対して口酸っぱく言っていた言葉が起因する。
【ラルフレインの名付け親は、神聖不可侵の帝国皇帝、リーディア・セーデルフェルト陛下であらせられるぞ!】
……たとえそれが五歳児の女帝であっても、たとえそれが幼児の戯れで思い付いた名前であったとしても、長年に渡って辺境を護り続けたオストレーム家第一子誕生の報に対して皇帝陛下が贈った祝いの意、それこそがラルフレインの名前。皇帝陛下のご威光ある名前を持つ者に害意を抱くなど失礼千万だ。ホルンガッハ子爵が(最後はラルフレインに軍配が上がる)と思う根拠は、ここにあったのだ。
ラルフレインが憎い、彼が邪魔だ。だが思いのままに殺す訳にはいかない。それがたとえ偶然の事故死であったとしても必ず帝国の調査が入る。皇帝陛下から名前を贈られた者が城から放逐されて、農奴と肩を並べて農作業をしているだなどとバレてしまうし、そうなれば必ず不敬罪で裁かれてしまう。……それだけは避けたい。そう思うからこそマグダレーナ派の蠢動は、日を追うごとにどんどんと陰湿になっていくのだ。
いずれにしても、この夏のオストレーム辺境伯自治領、クレアモントバリーの街においての公共事業の一つは“複数年に渡り進めていた外輪城壁の延伸”で決定している。外輪城壁とはクレアモントバリー城と城を囲む集落をぐるりと囲む高い壁の事。まだそれは完成には至らず毎年毎年夏の工事として定例化されて今に至るのだが、どうやら今年は工事の責任者が地方貴族ではなくラルフレインになりそうである。見えない力がそうなるよう蠢いていた。
「あのロバ息子を徹底的に困らせて、人前に出られなくなるほどの恥をかかせてやる!」
陽の当たらない場所で口々にそう吐き捨て、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべるマグダレーナ派の地方貴族たち。
――彼は悪意に満ちた計画の被害者として、勝手に配役が決まってしまったのだ――




