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死人たちの朝

作者: 六福亭

 アリアナは、途方に暮れていました。


 おばあちゃんの家から帰ってくる途中で、知らない町に迷い込んでしまったようなのです。おまけに日が沈み、辺りはすっかり暗くなってしまいました。もう、自分の足元さえもよく見えません。


 明りも少なく、静かな町をしばらく歩き、だんだん怖くなってきたアリアナは、迷った末に一軒の家の扉を叩きました。小さな家でしたが、しっかりと閉じた窓のわずかなカーテンの隙間から、うすい明かりがもれていたからです。


 扉を中から開いたのは、真っ白な髪の、年老いた男でした。男を見上げ、アリアナは丁寧にあいさつをします。

「こんばんは。あのう、あたし道に迷ってしまったみたいなんです……」

 男は微笑みました。

「中にお入り」

 家の中に進むと、壁やテーブルの上に、たくさんの絵がありました。景色の絵、人間の絵、動物の絵、何を書いたかよく分からない絵……。

「すてき!」

 アリアナはとりわけ、もこもこの太った羊の絵を気に入り、しげしげと眺めます。

「これみんな、おじいさんが描いたの?」

「そうだよ。長い長い時間をかけて、みんな私が描いたのだ」

 よく見ると、丸めた紙も家の隅にたてかけられています。それもきっと、男の絵なのでしょう。


 老いた男は、背もたれのない椅子に腰かけ、絵を見回しました。

「今まで描いてきた絵をじっくり眺めるのが、私の日課でね。絵を見てくれた人がどんなに喜んでくれたか、思い出すことができるからな」

「もう、新しい絵は描かないの?」

「描かないのだ」

 老人は、深いため息をつきました。

「今となってはもう、私の絵を見てくれる人などいない」

「あたしが見たわ」

「ああ。でも、君はじきにここを出ていく。出て行かなければならない」

 老人は、ポケットから鉛筆を取り出しました。

「君の顔を描いてあげよう」

 それから彼は、まっさらな紙を探しましたが、見つからなかったので羊の絵を壁から外しました。そしてその裏に、アリアナの似顔絵を描いてくれました。まるで、今にもおしゃべりを始めそうなほど生き生きした女の子の顔が、あっという間にできあがりました。

「この家を出てすぐの一本道を、曲がることなく進みなさい。そうしたら、いずれ見知った町に帰ることができるだろう」

 アリアナはもらった絵をしっかりと抱きしめ、老人と握手しました。彼の手は氷のように冷たく、固くこわばっていました。



 アリアナがまっすぐに道を歩いていると、赤ん坊の泣き声が聞こえてきました。


 その声は、道のそばの家の中から聞こえてくるようです。思わず中をのぞくと、一本の火を灯したろうそくのそばで、やせた女の人が赤ん坊を抱いてまっすぐに立っていました。

 

 女の人がとても悲しそうだったので、アリアナはまた扉を叩きます。

「どなた?」

 女の人の優しい声が、扉越しに聞こえました。

「あたし、アリアナっていいます。何かお手伝いできること、ありませんか?」

 すると扉が開き、アリアナを中へ招き入れました。


 女の人は、泣きじゃくる赤ん坊をゆっくりとあやしながら、アリアナに笑いかけます。

「優しい子。私たちを心配してくれたのね?」

 赤ちゃんは次第におとなしくなり、女の人の腕の中でぼんやりとアリアナを見上げています。

「この子が大きくなったら、あなたのようなかわいい女の子になっていたかもしれないのね」

「女の子なんですか?」

「ええ、マリヤというの。名前だけは決めていたのよ」

 女の人は、マリヤにそっとほおずりをしました。

「本当は、親子三人で、幸せに生きていくつもりだったの……」

 アリアナは、少しの間マリヤをだっこさせてもらいました。いつの間にかマリヤは眠り込み、安らかな寝息をたてています。

「マリヤにたくさん服を作ってあげて、いろんなところに連れていって……そうね、弟や妹も生むつもりだった」

「今からでもそうしちゃいけないの?」

 アリアナは、家の中をきょろきょろと見回しました。マリヤの父、女の人の夫はどこにいるのでしょう。

「できないの」

 女の人は、静かにこたえました。

「だって、私たちはもう死んだのだから」


 その時、扉を乱暴に叩く音がしました。

「開けろ! 生きた人間のにおいがする!」


 アリアナは、震え上がりました。その声があまりにも人間離れしていたからです。けれど、女の人はアリアナにきっぱりと言いました。

「大丈夫よ、あなたを裏口から逃がしてあげましょう」

 

 別れ際、女の人はアリアナを抱きしめました。

「マリヤと私の分も、うんと幸せに生きて」


 アリアナは、マリヤの冷たい頬にキスをして、暗い道を駆け出しました。


 死人しびとたちが追いかけてきます。その足音は、何十、何百と増えていきました。荒い息づかい、アリアナをのろう声、霧のように冷たい死の気配が、後ろから迫りました。


 突然、誰かがアリアナの手をぐいっと引っ張りました。

「こっちよ!」

 その誰かは、アリアナの腕をつかんだまま、すごい速さで走ります。やがて背後の死人たちは引き離されて、ぐんぐん遠くなっていきました。

 

 アリアナを助けてくれたのは、同じくらいの背丈の少女でした。

「気をつけて。奴ら、生きている人が町に迷い込んできたら、いつまでも追いかけ回すの」

「どうして?」

「生きている人についてこの町を抜け出すか、死人の仲間にしたいのよ。この町を出ることができるのはあなたのように生きている人だけだから。憎くてたまらないの」

 それを聞くとアリアナはすっかり恐ろしくなり、へなへなとその場にへたりこんでしまいました。

 少女が励まします。

「しっかりして。じきにあいつらが追っかけてくるわ。早いとこ、町を抜け出さなきゃだめよ」

「うん……」

 アリアナは、少女の手にすがって、立ち上がりました。そして、手をつないだまま、まっすぐな道をまた歩き始めます。

「わたしは、ヤンカ。あなたの名前は?」

「アリアナ」

 ヤンカの手はほんのりとあたたかく、なんだかほっとするアリアナでした。知らない町に迷い込んでからとても心細かったのですが、一緒に歩いてくれる子がいるだけで、だいぶましな気分になりました。

「ヤンカは、どこから来たの?」

 ヤンカは、アリアナの住む町のとなり町を答えました。

「けっこう、近くなのね。ヤンカも道に迷っちゃった?」

「まあね、そんなところ」

 ぽつぽつと話をしながら歩いていた二人ですが、はたと立ち止まりました。


 道の前方に、たくさんの人々が待ち構えているのです。立ちすくむアリアナとヤンカに、彼らはじりじりと近づいてきます。思わず後ずさりをすると、後ろからもやはりたくさんの死人たちがやってくるのでした。

「はさまれちゃった……」

 ぼうぜんとつぶやくアリアナの手を、ヤンカがぎゅっと握りました。緊張のためか、彼女の手はとても冷たくなっていました。

「走る? 運が良ければ、あいつらをすり抜けられるかもしれない」

「もし捕まったら?」

「その時は……」

 ヤンカが口ごもります。それで、アリアナは待ち受ける運命を知ったのでした。

「行こう!」

 

 一声叫び、アリアナとヤンカは駆け出します。死人がわっと襲いかかり、二人を捕まえようとしました。アリアナは、腕や足をつかまれてもなお走りました。ヤンカも、必死で死人たちの手を振り払いながら、ついてきました。


 アリアナの目に、町を囲む柵と、立派な門が見えました。けれども、まだまだ距離があります。

「もうすぐね!」

 アリアナは、うれしくなって走りながらさけびました。けれど、ヤンカは答えません。

「ヤンカ?」

 振り返ると、ヤンカは死人を背に、立ち止まっていました。

「どうしたの? 行こう、もうすぐ町を出られる!」

 ヤンカはさびしげに笑います。

「ええ、行って。アリアナ。あなたは生きているんだもの」

「ヤンカもでしょう?」

 ヤンカは、黙って首を振りました。そして、アリアナに歩み寄り、彼女の手を自分の胸に当てさせます。

 心臓の音がしないことを確かめて、アリアナはヤンカを見つめました。

「……まだ、間に合うかもしれないわ。そうよ! 一緒にここを出よう! だって、ヤンカはさっき温かかったよ。まだ生きていられるよ、きっと!」

「……無理よ」

「どうして? 生きていたくないの?」

「生きたいよ!」

 ヤンカは怒ったように言い返します。

「生きたい。もう一度、お日様の下に出たい。死人が言ったわ、この町に、朝は決してこないのですって。お日様は、生きた人たちのものだから」

「行こう」

 アリアナはもう一度、言いました。それでもヤンカはうんと言いません。アリアナはヤンカの手を握りしめ、ぐっと引き寄せます。

「行こう! みんなで、お日様の下に帰ろうよ。もうすぐそこに出口があるんでしょう!」

 死人たちが、再び走り出しました。その先頭を、アリアナがヤンカを連れて走ります。


 走って、走って、走って__やがて、門の向こうに見える空が、白く輝き始めました。


 鶏の鳴く声が聞こえます。けれど、アリアナの耳は、死人たちの声でいっぱいでした。


「生きたい! 生きたい! 生きたい! 行こう、行こう!」


 とうとう、アリアナは門を力任せに開けて、その向こうに飛びだしました。ヤンカや、死人たちも一緒です。


 少しだけ顔を出した太陽に町並みが照らされて、建物の屋根がきらきらと輝いているのが見えました。まだアリアナのそばに残っていた夜の気配が、少しずつ消えていきます。


 気がつくとアリアナは、見慣れた町角にたった一人でいました。しっかり手を握っていたはずのヤンカも、さっきまで一緒に走った死人たちももうどこにもいません。残されたのは、老人の描いた絵と、マリヤを抱いた腕の重みと、ヤンカとつないだ手のやわらかい感触ばかりでした。


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― 新着の感想 ―
ヤンカを置いて逃げなかったアリアナは立派でした。 おじいさんや赤ちゃんのお母さん、ヤンカのような人も死人の中にはいて、逆に追いかける人たちもいる。 死んでも前者でいたいなと思いました。 読ませていただ…
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