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購買の密室劇と、茜の過去

暦の視点:密室の緊張感


放課後、荒木高校の購買部。この場所は、昼休みには戦争のような「がっちゃん…がっちゃん…」という物資争奪戦の音が響くが、今は静まり返っている。静寂……、のはずだった。


「暦、ねぇ、暦! 購買のおばちゃんが、今日、新作の四色パンを一つだけ残してくれたの! これ、私たち二人で、一つずつ、半分こよ!」


五島翠(ごとう すい)が、九十デシベルはありそうな高揚した声で、暦の背中に飛びついてくる。その勢いは、まるで三日三晩餌を与えられなかった子犬のようだ。


「静かに暮らしたい。この購買の密室で、舞台演劇のような緊張感を出すのはやめてくれ。四色パンだって? 一色で十分だ。俺の平穏は、この四倍のカロリーと騒音で、また遠ざかる」


翠の体温と、四色パンから漂う甘い匂いが、暦の嗅覚と触覚を同時に刺激する。「意識的な反復」として、暦の心は「静かに暮らしたい」という言葉を七回反芻した。


他の四ツ星も黙っていない。一ノ瀬桜は、購買のおばちゃんに「この四色パンは、私と暦くんの十個の愛の約束を体現しています」と、三十分かけて熱弁を振るい、二階堂凛は、四色パンのカロリー計算を五秒で完了し、「八百四十キロカロリー。愛の過剰摂取ね」と静かに呟いている。


そして、体育会系の三崎茜みさき あかねが、パンを挟んで暦と翠の間に割って入った。


「やめろ、翠! 暦は、四色パンじゃなくて、五つの味覚が楽しめる、十文字屋のコロッケの方が好きなんだ! 二百点満点の愛があるのは、私だ!」


(コロッケの匂いがしない購買で、コロッケの『揚げたての音』を心の中で鳴らすことで、茜は自らの優位性を主張している。)


ここで、アプリが、またしてもエネルギー切れを起こす兆候を見せる。「ちゅいーん…」という、電波が切れるような、耳鳴りに似た高周波音。


翠は、一瞬、戸惑い、茜から距離を取った。


「あれ? 私、なんで茜にこんなに熱くなって……。おかしい。十軒のカフェ巡りよりも、この四色パンにこだわったのは、私の中の『負けたくない』って気持ちが、百倍になってたから? 暦のことになると、まるで別人みたいになる。この感じ、すごく嫌だ。胸の奥が『いらいら…ちくちく…』と棘に刺されるようだ」


一方、茜の表情には、一瞬、強い「恐怖」が浮かんだ。彼女は、翠から放たれた「負けたくない」という言葉に、過去のトラウマを刺激されたのだ。


茜は、中学時代、ソフトボールのエースだった。 試合中、彼女が投げた七球目のボール。それは、相手の四番バッターに完璧に捉えられ、逆転ホームランを喫した。ベンチに戻った時、キャプテンに言われた言葉が、彼女の心を十年経っても蝕んでいる。 「お前は、エースとしての『存在感』がない。打たれても、誰も助けに行けない、その『静けさ』が問題なんだ」 その言葉は、茜にとって、砕けるガラスの音のように鋭く、遠ざかる足音のように虚しく響いた。それ以来、彼女は「豪快」で「存在感」がある自分を演じ続けている。


「……っ」茜は、無意識に一歩後退した。翠の「負けたくない」という言葉が、彼女のエース時代の「敗北」を思い出させたのだ。彼女の心の中で、二つの感情が、「ガッチャ…ガッチャ…」と、錆びた歯車のように噛み合わない。


翠「何よ、茜。急に黙って。勝負から逃げるの?」 茜「うるさい! ギャー! ……じゃなくて、ぎゃああああああああああああああああああああ! 逃げねえよ! ただ、今、私の心の中で、五つのボールが、同時に十個の壁に当たってる音がしてるだけだ!」


この緊迫した二十五秒間の間に、暦はアプリの再起動を試みる。


「茜の悲鳴は、アプリにとって最高の燃料だ。だが、このままでは茜の過去が露呈し、取り返しのつかないことになる。俺の『静かに暮らしたい』という願いは、今、『誰かの静けさ』を守るという使命に変わった」


暦は、スマホを握りしめ、目を閉じた。 「アプリは、葛藤が好きだ。特に、恋愛とトラウマの複合的な葛藤をエネルギーにする。前回は五つの感情の反復だった。今回は、『守りたい』という強い意志を、アプリの要求する『愛の衝動』へと変換する」


1感情の純化: 「静かに暮らしたい」という願いを、「彼女たちをアプリの歪みから守りたい」という純粋な『防御本能』に集約させる。


2術式の詠唱: 五感すべてを使い、周囲の情報を脳内で反復。四色パンの甘い匂い、蛍光灯の『じい…』という音、茜の震える手の温度、翠の嫉妬という名の『鉄の味』。これらを七秒間反復。



3 再起動: 指をボタンに。


「俺の静けさは、五十万の愛の衝動に勝る。静寂の名のもとに、再起動、どぉぉぉぉぉぉん!」


アプリが再起動した瞬間、茜の瞳の恐怖の色は消え、再び豪快な愛の色に戻った。


「ふん! 翠。今日のところは引き分けだ。暦。この四色パンは、私たちが三つずつ分け合う。それが、愛の絶対法則だ!」


翠もすぐに笑顔に戻り、茜と仲良くパンを分け合った。


暦は、安堵しながらも、アプリの奥から響く『声』を感じていた。


「アプリは、単なるプログラムではない。まるで、『人間の最も深い葛藤』を食糧とする、生きた怪物のようだ。茜のトラウマがエネルギーになった。このアプリは、俺たちの過去の傷を掘り起こし、それを愛の暴走という形で具現化することで、この世界に何かをしようとしている。その目的は、俺の『静かに暮らしたい』という願いを、永遠にゼロにすることなのか……?」


暦は、四色パンの五分の一を齧り、その甘い味が、まるで未来への警告のように感じられた。


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