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放送室の絶叫と、桜の「完璧な」不協和音

昼間:放送室の過剰な支配


荒木高校の昼休み。普段は静謐な放送室は、アプリの影響により、「舞台演劇」のような密室の緊張感に包まれていた。


今日の騒動の中心は、一ノ瀬桜。彼女は、七台の高性能マイクと、五種類の古典的な詩集を並べ、全校生徒に向けて「愛の規律」を放送しようとしていた。


「全校生徒の皆様。私の声は、三秒後にあなた方の五感すべてに到達します。私の愛の放送は、『規律』がテーマです。暦くんを愛する五つの条件を、今から十項目にわたり、完璧な日本語で朗読します。一つ、彼を五百パーセントの敬意を持って呼ぶこと。二つ、彼との会話は、二十行の俳句の定型を遵守すること……」


桜の声は、普段の冷静な優等生のトーンだが、その内容は「愛による完全支配」という狂気を孕んでいた。普通に聞くとただの真面目な奇行だが、深く読むと、その「規律」という言葉の裏には、「感情という無秩序なものを徹底的に抑圧したい」という、切実な純文学的なテーマが隠されている。


「静かに暮らしたい。桜の愛は、まるで物理法則を無視した突飛な比喩だ。その『完璧な規律』は、彼女の五感全てを、『自己抑圧』という名の無機質な空間に閉じ込めようとしている。この密室の放送は、俺の静寂を破壊する五百万ワットのノイズだ」


暦は、内心で七回反復し、この「完全支配」との戦闘をどう乗り切るか思考する。


・ 聴覚: マイクのハウリング寸前の「キーーーン」という高周波の音と、桜の冷静すぎる声が混ざり合い、暦の鼓膜の奥で「むずむず」と疼き、五感を混ぜ合わせた比喩として、「孤独な魂の鋭い痛み」を表現した。

・ 触覚: 放送室の冷たい金属のデスクの感触は、桜の抑圧された心の温度を伝えており、暦の指先に「鉄の錆びた感触」を残した。


昼休み:桜と凛の概念的対立


放送室のドアを、「ドーン!」と勢いよく開けて入ってきたのは、二階堂凛だった。彼女は、手に一冊の微分積分の専門書を持っている。


「桜! その『愛の規律』は、根本的に間違っているわ! あなたの規律は、五次元の感情を二次元に押し込める暴論よ! 愛は、数式で証明されるべきもの。私の七つの愛の定理こそが、真の秩序よ!」


桜は、その乱入に顔色一つ変えず、静かに反論する。 「凛さん。愛は、数式ではなく、『言葉の力』で支配されるべきものです。あなたの愛は、千枚の無機質な数字でできた、無価値な羅列だわ!」


桜は、幼少期から、感情の波が激しい自分に苦しんでいた。


八歳の時、感情の暴発で、祖母の大切な七百万円の壺を割ってしまった。その時、父親に言われた言葉が、彼女の心を支配している。 「桜。あなたの『感情』は、この世で一番、危険なものだ。あなたは、常に完璧な秩序の中にいなければ、すべてを破壊する」 この言葉は、彼女にとって、重い鉛の塊が心臓に「どすん」と落ちるような感覚だった。それ以来、彼女は「規律」と「言葉の壁」で、感情を地下に埋めた。


アプリの影響下での「愛の規律」は、彼女が「感情の暴発による破壊への恐怖」というトラウマから、「愛という名の絶対的な秩序」で、自己を完全に支配したいという強迫観念の暴走だった。


下校:校門とリセット


午後四時半。下校を促すチャイムの音が、放送室に響いた。


そして、荒木高校の校門をくぐった、その一瞬。


「びりびり……」という電気的な音と共に、アプリが切れた。


桜は、手に持っていた詩集を「パサッ」と落とした。そして、自分が全校生徒に向けて「愛の規律」を放送しようとしていた事実に気づき、顔を十枚の白い紙のように青ざめた。


「わ、私……暦くんを、五百パーセントの敬意でなんて……! 規律なんて! ぎゃあああああああああああああああああああ!」


桜は、短くはない悲鳴を上げ、その場に立ち尽くす。彼女の心の中で、五人の放送委員と一人の感情を抑圧した少女が、激しく衝突していた。


凛は、この二十秒間のリセットの時間に、桜の傍に立ち、静かに呟いた。


凛「桜。あなたの感情の破壊力は、無限大よ。それをゼロにしようとするから、アプリに付け込まれる。無秩序な感情を、五感すべてで受け入れなさい」


桜は、その言葉に、三歩後ずさった。彼女の瞳には、五つの疑問符と、七つの驚愕の色が浮かんでいた。


夜間:久留米の静寂と試行錯誤


午後十一時。暦は、荒木町の自宅の自室にいる。今日の昼間の放送室の絶叫の残響が、彼の聴覚の奥で「キーン…キーン…」と鳴り続けている。


「静かに暮らしたい。桜の『完璧な規律』は、『感情による破壊への恐怖』から来る。アプリは、この『恐怖』を燃料に、俺の『静寂』を五百万個のルールで埋め尽くそうとしている」


暦は、三時間かけて、アプリの再起動の術式を考案する。


「アプリは、『自己否定』を愛する。桜の『感情を抑圧しなければならない』という強迫観念を肯定し、彼女に『感情を爆発させる権利』を与えることで、アプリのロジックを破壊する」


1 術式の決定: 桜の『完全な秩序』を、『無秩序な感情の爆発』という概念で上書きする。

2 五感の複合比喩の考案: 夜の熱いお茶の苦い味と、放送室の冷たい金属の匂いを融合させ、「抑圧された魂の凍てつく熱」を表現する。


暦は、スマホを両手に持ち、目を閉じた。


「桜。お前の真の放送コードは、『絶叫』だ。誰にも聞かれず、誰にも止められない、無秩序な感情の王だ。その破壊的な強さこそが、お前の五百万倍の愛の証明だ! 完璧でなくてもいい。それが、俺の愛の定義だ!」


「再起動、どぉぉぉぉぉぉん!」


アプリが再起動し、暦の疲労感は、まるで七日間、千人の人間の精神構造を分析し続けた後の、脳の深部から来る、麻痺したような重さだ。


暦は、窓の外の夜空を見上げた。凛が桜に与えた「感情を受け入れなさい」という言葉が、彼の心の中で、五芒星のように静かに輝き続けていた。それは、この過剰に秩序を求める世界で、彼が唯一掴める「無秩序な静寂」の比喩だった。




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