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第二章 ~『録音の魔道具』~


 ハーゲン伯爵が乱暴にドアを閉めて去った後、応接室にはしんと静かな空気が流れた。


 クラウスはわずかに肩をすくめ、ため息混じりに呟く。


「騒々しい男だったな……」

「ですね」


 エリスもふぅと息を吐き、視線を部屋の中にさまよわせる。


 そんな時だ。ふと、目に留まったものがあった。


 部屋の隅、少し影になったところに、黒塗りの小さな箱がひっそりと置かれている。


 エリスは興味津々といった様子で近寄ると、側面に小さな魔石が埋め込まれていた。


「クラウス様、これってもしかして、魔道具ですか?」

「ああ。魔力で音楽を鳴らす道具だ。うちの領地の特産品の一つだな」

「へぇ~、そんなものが……」


 エリスは目を輝かせながら、箱を興味深げに見つめる。クラウスはそんな彼女の様子を微笑まげに眺めながら、そっと箱の横に手を伸ばした。


「試してみるか」


 指先でカチリと小さなボタンを押す。次の瞬間、箱の中から、ふわりと柔らかな旋律が流れ出す。


 弦楽器のような、温かみのある音色が部屋を満たし、静かだった応接室に優雅な空気が漂い始める。


「わあ……綺麗な音色ですね……」


 エリスは目を丸くして、うっとりと耳を傾ける。クラウスはそんな彼女を見て、苦笑交じりに肩をすくめる。


「ただな、あまり売れなかったんだ」

「こんなに素敵なのに?」

「流せる音楽が一曲だけでな。しかも、音楽を変更する手段もなかった」

「それは、確かに……ちょっと寂しいかもですね」


 エリスは小さく頷く。いくら美しい音色でも、一曲だけでは飽きてしまうのも納得だ。


「来客があった時に、場の雰囲気作りに活用していたんだが……最近はもう、誰も使わなくなってな」


 クラウスはそう言って、箱の表面を軽く叩く。確かに、装飾には微かな埃が積もっていて、動かされた形跡がない。


「便利な魔道具なのに、あと一歩で勿体ないですね……」

「音楽を変更できれば、もっと価値が生まれたと思うのだがな……」


 クラウスが苦笑する。その瞬間――。


「あっ!」


 エリスがぱっと顔を上げる。


「どうした?」

「もしかしたら私の力で、機能を変えられるかもしれません!」


 エリスはわくわくした様子で両手を胸の前にぎゅっと握る。


「試してみてもいいですか?」

「どうせ使わないから壊れても問題ない。思う存分やってくれ」

「それでは、失礼して――」


 エリスは箱の表面にそっと手を置く。ふわりと微かな魔力が舞うような感覚が走り、空気がぴりっと緊張する。


 次の瞬間、鳴っていた音楽が停止する。エリスは手を離し、側面にあるボタンを押してみるが、無音が続いた。


「えっと……壊してしまったかもですね……」


 エリスが恐る恐るクラウスを見上げる。だが彼はすぐに首を振る。


「いや、爆発したわけではないし、きっと成功しているはずだ」

「ですが音が鳴りませんよ」

「もう一度、ボタンを押してみてくれ」


 言われた通り、もう一度、恐る恐るボタンを押してみる。すると、『えっと……壊してしまったかもですね……』という声が再生される。


「わ、私の喋った声が!」

「どうやら音を記録し、再生する魔道具に進化したようだな」

「な、なるほど。これなら好きな音楽に自由に変更できますね」

「画期的な魔道具が生まれたようだな」

「ですねっ!」


 エリスは大きく頷く。クラウスは腕を組み、少し考え込む素振りを見せる。


「確か、この魔道具……売れなかったから、倉庫に在庫が山ほどあったな」

「ならそれらの魔道具を進化させれば……」

「売れるかもしれないな」


 試す価値はある。そう決めた二人は、さっそく倉庫に眠る在庫を引っ張り出し、録音機能付きの音声箱として売り出すことに決めた。


 最初は購入に慎重だった者たちも、試しに使ってみればたちまちその便利さに目を輝かせた。


『私のピアノの演奏を録音できるではないか!』

『いやいや、私は演説の練習用に使っている。何度でも聞き返せるから、声の出し方が良くなってな』

『子供の寝言を録音して、あとで聞いて癒やされてるのよ。うふふ』


 そんな声が広がり、気がつけば噂は隣の領地へ、さらには王都へと伝わっていく。


 やがて時は流れて数十日後。


 屋敷の応接間は、久しぶりの来客を迎えるための緊張感に包まれていた。


 窓から差し込む柔らかな陽光のもと、クラウスとエリスは並んで椅子に腰掛けている。


 二人の前には、領地で生産されたばかりの録音魔道具が、磨かれた机の上に置かれている。


 やがて応接間の扉がコンコンと控えめに叩かれた。


「失礼します」


 入ってきたのは、三十代前半と思しき金髪の男だ。


 黒の上質なジャケットに身を包み、薄く笑みを浮かべている。獲物を狙う鷹のように鋭い目を持つ彼の名はアレク。王都でも知られた、鋭敏な嗅覚を持つ野心家の商人だった。


「閣下、エリス様。お目にかかれて光栄です」


 アレクは深々と一礼し、対面の席へ腰掛ける。


「遠路ご苦労だったな」

「いえ、私は商談のためならば長旅も楽しめる男ですから」


 アレクは机の上の録音魔道具に目を向ける。その視線にエリスが気づく。


「お使いになりますか?」

「いえ、機能については事前に調べていますから」


 にっこりと礼儀正しい笑みを浮かべながら、アレクは姿勢を正す。その瞳には真剣な光が宿っていた。


「この魔道具、貴族だけでなく、庶民にも大きな需要があります。ですが、まだまだ売上を伸ばせる余地が残っています。販路を拡大するためにも、是非、私と独占契約を結んでいただけませんか?」


 エリスとクラウスは一瞬、顔を見合わせる。いきなりの提案に面食らうが、クラウスはすぐに冷静さを取り戻す。


「得た金は領地の繁栄に使いたい……だが独占契約となれば、価格の決定権を失うことになる。安く買い叩かれるのは我々が望むところではない」

「ご懸念、ごもっともです。ですが、価値を高め、より高い値段で売るためには、私たちもモチベーションが必要なのです。独占だからこそ、本気で動く理由が生まれるのです」


 クラウスは腕を組み直して、じっと彼を見据える。


「不義理を働かないと、約束できるか?」

「ええ、私の商人人生を賭けましょう」


 アレクは真っすぐに言い切った。しかし、クラウスの眉間の皺は一向に緩まない。重苦しい沈黙が流れる中で、エリスがふわりと微笑みながら口を開く。


「私は、信じてもいいと思いますよ」


 アレクがはっと彼女に視線を向ける。エリスはにっこりと微笑んでいた。


「エリス様……私を信じていただけるのですね?」

「はい。だって約束の言葉をきちんと録音していますから」


 ぴたりと、アレクの動きが止まる。


「ろ、録音……」

「ええ。ちゃんと、最初から記録を残しています。万が一、約束を破ったら、この録音が証拠になりますから。不義理を働いたら、商人を辞めていただきますね」


 にっこりと、微笑みながら宣告する。その言葉を受けて、アレクの顔色は一瞬で青ざめた。


 だがすぐに気を取り直して、口元に笑みを浮かべる。


「閣下は素敵な婚約者をお持ちだ」

「自慢の婚約者だからな」


 アレクは苦笑を浮かべ、汗を拭うようにして礼をする。


「私は絶対に閣下やエリス様を裏切ったりはしません。ですので、よろしくおねがいします」


 その声は、先ほどまでの自信たっぷりな態度とは異なっていた。緊張を滲ませながらも、真摯な響きが含まれている。


 クラウスはじっと彼を見つめ、それからゆっくりと頷く。傍らのエリスも、にこりと微笑んで小さく会釈する。


 それからの動きは早かった。アレクは商人らしい抜け目なさを見せ、大量発注の手続きを進めていく。


 応接室の隅で控えていた彼の部下たちも、すぐに指示を受け取り、テキパキと動き始めた。


「こんなに大量に発注しても大丈夫なのですか?」

「ええ、これは必ず、王都で――いえ、国中で需要が高まると確信しましたから。なにせ用途が多彩です。この便利さに気づけば、皆、欲しがるはずですから」


 その口調は情熱に溢れ、目はきらきらと輝いていた。


「この魔道具が普及すれば、私たちも、うっかり失言できなくなりますね」

「気をつけないとな」


 二人のやりとりに、アレクも思わず微笑みをこぼす。やがて手続きがすべて完了し、アレクは礼を述べて去っていった。


「大成功ですね、クラウス様」

「ああ。おかげで、また領地が少し豊かになる」


 エリスによって領地の未来が明るくなっていく。そんな予感が、二人の胸に静かに広がるのだった。


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