表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/38

エピローグ ~『プロポーズと白猫』~


 談話室には午後の日差しが柔らかく差し込み、窓際の小さなテーブルには、湯気を立てる紅茶と、美しく並べられた焼き菓子が置かれていた。


 クラウスがカップを手に取り、一口すすると、穏やかな表情になる。


「美味しいな。香りも深い」


 向かいに座るエリスも、紅茶を啜って微笑む。


「渋みと甘みのバランスが絶妙ですね……それに、この焼き菓子も、とても美味しいです」


 彼女がつまんだのは、小さなナッツ入りのバターサブレだった。さくりと心地よい音がして、口の中でほろほろと崩れる。


「それは前線で戦っている部下たちから、君への贈り物だ」

「私にですか?」


 特に面識はないはずだと疑問を投げかける。するとクラウスは笑みを浮かべながら頷く。


「君の開発した不可視の魔銃のおかげで、何人もの兵士が命を拾った。その感謝のしるしだそうだ。直接届けに来たがっていたが、まだ帰還できないらしくてな」

「そうでしたか。それは喜ばしいですね」


 エリスは照れくさそうに微笑む。その頬にはわずかな誇らしさが浮かんでいた。


「ちなみに紅茶の茶葉も贈り物だ」

「え? これもですか?」

「ただ送り主は違う。誰だと思う?」

「さぁ、見当もつきません」

「以前、白猫を使って、屋敷を盗聴しようとしていた商人のトルンを覚えているか?」

「あ~、いましたね」

「最近、猫を使ったカフェを始めて成功したらしい。あの一件がなければ、猫の魅力に気づけなかったと、手紙と一緒に贈ってきたのだ」


 エリスがぱちりと瞬きをして、紅茶のカップを見下ろす。


「アストレア様と手を組んでいた時から心を入れ替えたのですね」

「本人いわく、猫の瞳を見ていると、自分の汚さが透けて見える気がしたそうだ」


 エリスはその言葉に少し驚いたように目を見開く。そしてふと、思い出したかのようにクラウスに問いかける。


「そういえば、アストレア様はどうなったのですか?」


 誘拐を計画したことの証拠を捕まれたアストレアは、クラウスに敗れ、王都の憲兵に引き渡された。


 その後、どのような結末になったのかと問うと、彼は紅茶を一口飲み、淡々とした口調で答える。


「王族として、過去にも問題を揉み消してきたそうだが……今回は物証があったからな。言い逃れはできず、国外追放されたそうだ」

「……投獄にはならなかったのですね?」

「あいつにとっては、牢屋に入る方がまだマシだったかもしれない。追放先は帝国だ。あそこでは、いくら王族でも客人扱いはされない。実質的な人質のようなものだ」


 エリスを人質にとったアストレアからすれば、やったことが返ってきたわけである。自業自得の結果だと、クラウスは続ける。


「では次期国王も絶望的ですね」

「それどころか、もし王国と帝国の関係が悪化したら、アストレアは真っ先に処刑だ」

「それは哀れというか、なんというか……」


 エリスは紅茶のカップを両手で包み込みながら、ぽつりと呟く。クラウスも静かに頷き、冷めかけた紅茶をひと口含む。


「まぁ、ギルベルトの方は、罰金刑で済んでよかった。エリスを庇うためだと弁護した甲斐があったな」


 誘拐の共犯という形で彼は捕まったが、アストレアの魔の手から救うために仕方なくしたことだと、クラウスとエリスが証言したことで、刑が軽くなったのだ。


 その声には、どこかほっとしたような響きがある。


「ギルベルト様は元気ですよ。なにせ恋文がたくさん届きますから」

「相変わらず諦めの悪い奴だな」

「その頑張りを別のことに活かせばいいのにと、返信しておきました」


 二人の間に穏やかな笑いが広がる。静かな時間が流れ、ティーカップの中で紅茶がわずかに揺れた。


 しばらくして、クラウスがふと思いついたように口を開く。


「良ければ、一緒に出かけないか?」

「いいですね。今日は天気もいいですし、気分転換になりそうです」


 連れ立って屋敷を出ると、暖かな陽射しが二人を包む。麦畑の方へ足を向けると、金色の穂が風に揺れ、まるで波のようにうねっていた。


「たくさん実っていますね」

「魔道具が元気に働いているおかげだな」


 広い畑の中で、自動で動く農具たちが忙しなく作業を続けていた。自走式の鍬が一定の間隔で土を耕し、丸い小型の散水機がくるくると回転しながら水を散らしている。


 クラウスたちがその様子を眺めていると、領民たちが彼らに気づいて次々と声をあげる。


「エリス様~」

「クラウス様も一緒だ!」

「すごい、ほんとにお似合いの二人!」


 黄色い声に、クラウスは少し照れながら微笑む。


「最近、私のことを醜いと馬鹿にする者が少なくなってな……エリスが一緒にいてくれるおかげだな」

「クラウス様の素晴らしさに皆さんが気づいただけです。私が何かをしたわけではありません」


 その返答に、クラウスは目を細める。ふたりの間に、優しい風が吹き抜けていく。


「折角の機会だ。私のとっておきにエリスを案内しよう」

「もしかして、秘密の場所ですか?」

「まぁ、そんなところだ。幼い頃の私が発見してな。誰も連れて行ったことのない特別な場所なんだ」

「……私に教えてしまって、本当によろしいのですか?」


 エリスの声には、どこか遠慮がちで、それでいて嬉しさが隠せない色が混じっている。だがクラウスは大きく首を縦に振った。


「君だからこそ、教えたいと思ったんだ」

「ふふ、それは光栄ですね」


 クラウスに先導され、ふたりは森の小道へと足を踏み入れる。薄暗い木立の間を抜けるたび、木洩れ日が柔らかく差し込んで、エリスの髪を輝かせる。


 やがて、木々の間を抜けると、ふいに視界が開けた。


「まぁ、素敵な景色ですね……」


 エリスが小さく息を呑む。


 そこは崖の上だった。足元には一面の草花が広がり、その向こうには青く広がる海が見える。


 海面は陽光を受けて、きらきらと輝いている。岸辺に寄せては返す波の音が、遠くから心地よく届いていた。


「緑と青が上手く調和して、絵画の中に入り込んだようです」

「だろう? 私が初めてここを見たときも、とても感動したものだ」


 二人はしばし言葉もなく、その景色に見入る。風が通り抜け、木の葉がささやくように揺れる。


 その時だった。


「にゃあっ!」


 柔らかく可愛らしい鳴き声とともに、森の奥から猫たちが数匹現れる。その中に一匹、見覚えのある猫がいた。


「あっ……」


 エリスが目を見張ると、白い毛を持つ子猫が、彼女の足元へまっすぐ駆けてくる。かつて屋敷でともに暮らした白猫だった。


「元気にしていたようですね!」


 エリスがしゃがみこむと、白猫は膝にすり寄ってくる。くるりと丸くなって喉を鳴らすその姿に、エリスの頬が緩む。


「幸せそうだな」

「他の猫たちとも仲良くやれているようですね」

「……あの時、仲間の元に帰した判断は、正しかったな」

「はい、この子の目もそう言っています」


 エリスは柔らかく猫を撫でる。その横顔をクラウスはそっと見つめる。


「私も……ずっと、君と一緒にいたいと思っている」

「クラウス様……」


 緊迫した雰囲気に包まれていく中、白猫は空気を読んで、彼女の膝の上から飛び降りる。


 エリスは立ち上がると、まっすぐにクラウスを見据える。彼の頬は赤くなっており、手も僅かに震えていた。


「私は、他の誰かに、君を取られたくない」

「……それは、どういう意味です?」

「そのままの意味だ」


 クラウスはそっと上着の内ポケットに手を入れ、小さなベルベットの箱を取り出した。手のひらに収まるその箱は深い紺色で、蓋には金糸の刺繍が走っている。


「君が私の婚約者である限り、ギルベルトのようにアプローチしてくる者は、これからも現れるだろう」


 婚約はまだ正式な婚姻ではない。破棄される可能性もある。そこに希望を感じる者は少なくない。


「だからこそ、次の段階に進みたい。婚約者ではなく、夫婦として君と人生を共に過ごしたいんだ」


 クラウスはエリスの前に跪いて、慎重に蓋を開ける。すると、中から銀の指輪が姿を現した。


 施された細工は驚くほどに精密で、中央には小さな青い宝石が埋め込まれている。まるで白猫の瞳のような澄んだ色合いだった。


「……結婚を申しまれているのですよね?」

「ああ。生涯で、最初で最後のプロポーズだ」


 クラウスの瞳は真っすぐ彼女を見つめていた。風が二人の間を吹き抜け、どこか祝福めいている。


「エリスに似合うと思って、私が選んだんだ」

「とても、素敵ですね」


 エリスはそっと指輪に手を伸ばす。そして薬指に嵌めると、はにかみながら笑う。


「私でよければ……どうぞ、末永く、お願いしますね」


 二人は静かに微笑み合う。罰として醜い辺境伯との婚約を強いられた公爵令嬢は、本当の幸せを手に入れたのだった。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました

いつも読んでくださる皆様のおかげで、執筆活動を頑張ることができます

これにて完結となります!


もし面白かったと思って頂けたなら

・ブックマークと

・広告の下にある【☆☆☆☆☆】から評価

を頂けると、大変励みになりますので、何卒よろしくお願い申し上げます

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ