エピローグ ~『プロポーズと白猫』~
談話室には午後の日差しが柔らかく差し込み、窓際の小さなテーブルには、湯気を立てる紅茶と、美しく並べられた焼き菓子が置かれていた。
クラウスがカップを手に取り、一口すすると、穏やかな表情になる。
「美味しいな。香りも深い」
向かいに座るエリスも、紅茶を啜って微笑む。
「渋みと甘みのバランスが絶妙ですね……それに、この焼き菓子も、とても美味しいです」
彼女がつまんだのは、小さなナッツ入りのバターサブレだった。さくりと心地よい音がして、口の中でほろほろと崩れる。
「それは前線で戦っている部下たちから、君への贈り物だ」
「私にですか?」
特に面識はないはずだと疑問を投げかける。するとクラウスは笑みを浮かべながら頷く。
「君の開発した不可視の魔銃のおかげで、何人もの兵士が命を拾った。その感謝のしるしだそうだ。直接届けに来たがっていたが、まだ帰還できないらしくてな」
「そうでしたか。それは喜ばしいですね」
エリスは照れくさそうに微笑む。その頬にはわずかな誇らしさが浮かんでいた。
「ちなみに紅茶の茶葉も贈り物だ」
「え? これもですか?」
「ただ送り主は違う。誰だと思う?」
「さぁ、見当もつきません」
「以前、白猫を使って、屋敷を盗聴しようとしていた商人のトルンを覚えているか?」
「あ~、いましたね」
「最近、猫を使ったカフェを始めて成功したらしい。あの一件がなければ、猫の魅力に気づけなかったと、手紙と一緒に贈ってきたのだ」
エリスがぱちりと瞬きをして、紅茶のカップを見下ろす。
「アストレア様と手を組んでいた時から心を入れ替えたのですね」
「本人いわく、猫の瞳を見ていると、自分の汚さが透けて見える気がしたそうだ」
エリスはその言葉に少し驚いたように目を見開く。そしてふと、思い出したかのようにクラウスに問いかける。
「そういえば、アストレア様はどうなったのですか?」
誘拐を計画したことの証拠を捕まれたアストレアは、クラウスに敗れ、王都の憲兵に引き渡された。
その後、どのような結末になったのかと問うと、彼は紅茶を一口飲み、淡々とした口調で答える。
「王族として、過去にも問題を揉み消してきたそうだが……今回は物証があったからな。言い逃れはできず、国外追放されたそうだ」
「……投獄にはならなかったのですね?」
「あいつにとっては、牢屋に入る方がまだマシだったかもしれない。追放先は帝国だ。あそこでは、いくら王族でも客人扱いはされない。実質的な人質のようなものだ」
エリスを人質にとったアストレアからすれば、やったことが返ってきたわけである。自業自得の結果だと、クラウスは続ける。
「では次期国王も絶望的ですね」
「それどころか、もし王国と帝国の関係が悪化したら、アストレアは真っ先に処刑だ」
「それは哀れというか、なんというか……」
エリスは紅茶のカップを両手で包み込みながら、ぽつりと呟く。クラウスも静かに頷き、冷めかけた紅茶をひと口含む。
「まぁ、ギルベルトの方は、罰金刑で済んでよかった。エリスを庇うためだと弁護した甲斐があったな」
誘拐の共犯という形で彼は捕まったが、アストレアの魔の手から救うために仕方なくしたことだと、クラウスとエリスが証言したことで、刑が軽くなったのだ。
その声には、どこかほっとしたような響きがある。
「ギルベルト様は元気ですよ。なにせ恋文がたくさん届きますから」
「相変わらず諦めの悪い奴だな」
「その頑張りを別のことに活かせばいいのにと、返信しておきました」
二人の間に穏やかな笑いが広がる。静かな時間が流れ、ティーカップの中で紅茶がわずかに揺れた。
しばらくして、クラウスがふと思いついたように口を開く。
「良ければ、一緒に出かけないか?」
「いいですね。今日は天気もいいですし、気分転換になりそうです」
連れ立って屋敷を出ると、暖かな陽射しが二人を包む。麦畑の方へ足を向けると、金色の穂が風に揺れ、まるで波のようにうねっていた。
「たくさん実っていますね」
「魔道具が元気に働いているおかげだな」
広い畑の中で、自動で動く農具たちが忙しなく作業を続けていた。自走式の鍬が一定の間隔で土を耕し、丸い小型の散水機がくるくると回転しながら水を散らしている。
クラウスたちがその様子を眺めていると、領民たちが彼らに気づいて次々と声をあげる。
「エリス様~」
「クラウス様も一緒だ!」
「すごい、ほんとにお似合いの二人!」
黄色い声に、クラウスは少し照れながら微笑む。
「最近、私のことを醜いと馬鹿にする者が少なくなってな……エリスが一緒にいてくれるおかげだな」
「クラウス様の素晴らしさに皆さんが気づいただけです。私が何かをしたわけではありません」
その返答に、クラウスは目を細める。ふたりの間に、優しい風が吹き抜けていく。
「折角の機会だ。私のとっておきにエリスを案内しよう」
「もしかして、秘密の場所ですか?」
「まぁ、そんなところだ。幼い頃の私が発見してな。誰も連れて行ったことのない特別な場所なんだ」
「……私に教えてしまって、本当によろしいのですか?」
エリスの声には、どこか遠慮がちで、それでいて嬉しさが隠せない色が混じっている。だがクラウスは大きく首を縦に振った。
「君だからこそ、教えたいと思ったんだ」
「ふふ、それは光栄ですね」
クラウスに先導され、ふたりは森の小道へと足を踏み入れる。薄暗い木立の間を抜けるたび、木洩れ日が柔らかく差し込んで、エリスの髪を輝かせる。
やがて、木々の間を抜けると、ふいに視界が開けた。
「まぁ、素敵な景色ですね……」
エリスが小さく息を呑む。
そこは崖の上だった。足元には一面の草花が広がり、その向こうには青く広がる海が見える。
海面は陽光を受けて、きらきらと輝いている。岸辺に寄せては返す波の音が、遠くから心地よく届いていた。
「緑と青が上手く調和して、絵画の中に入り込んだようです」
「だろう? 私が初めてここを見たときも、とても感動したものだ」
二人はしばし言葉もなく、その景色に見入る。風が通り抜け、木の葉がささやくように揺れる。
その時だった。
「にゃあっ!」
柔らかく可愛らしい鳴き声とともに、森の奥から猫たちが数匹現れる。その中に一匹、見覚えのある猫がいた。
「あっ……」
エリスが目を見張ると、白い毛を持つ子猫が、彼女の足元へまっすぐ駆けてくる。かつて屋敷でともに暮らした白猫だった。
「元気にしていたようですね!」
エリスがしゃがみこむと、白猫は膝にすり寄ってくる。くるりと丸くなって喉を鳴らすその姿に、エリスの頬が緩む。
「幸せそうだな」
「他の猫たちとも仲良くやれているようですね」
「……あの時、仲間の元に帰した判断は、正しかったな」
「はい、この子の目もそう言っています」
エリスは柔らかく猫を撫でる。その横顔をクラウスはそっと見つめる。
「私も……ずっと、君と一緒にいたいと思っている」
「クラウス様……」
緊迫した雰囲気に包まれていく中、白猫は空気を読んで、彼女の膝の上から飛び降りる。
エリスは立ち上がると、まっすぐにクラウスを見据える。彼の頬は赤くなっており、手も僅かに震えていた。
「私は、他の誰かに、君を取られたくない」
「……それは、どういう意味です?」
「そのままの意味だ」
クラウスはそっと上着の内ポケットに手を入れ、小さなベルベットの箱を取り出した。手のひらに収まるその箱は深い紺色で、蓋には金糸の刺繍が走っている。
「君が私の婚約者である限り、ギルベルトのようにアプローチしてくる者は、これからも現れるだろう」
婚約はまだ正式な婚姻ではない。破棄される可能性もある。そこに希望を感じる者は少なくない。
「だからこそ、次の段階に進みたい。婚約者ではなく、夫婦として君と人生を共に過ごしたいんだ」
クラウスはエリスの前に跪いて、慎重に蓋を開ける。すると、中から銀の指輪が姿を現した。
施された細工は驚くほどに精密で、中央には小さな青い宝石が埋め込まれている。まるで白猫の瞳のような澄んだ色合いだった。
「……結婚を申しまれているのですよね?」
「ああ。生涯で、最初で最後のプロポーズだ」
クラウスの瞳は真っすぐ彼女を見つめていた。風が二人の間を吹き抜け、どこか祝福めいている。
「エリスに似合うと思って、私が選んだんだ」
「とても、素敵ですね」
エリスはそっと指輪に手を伸ばす。そして薬指に嵌めると、はにかみながら笑う。
「私でよければ……どうぞ、末永く、お願いしますね」
二人は静かに微笑み合う。罰として醜い辺境伯との婚約を強いられた公爵令嬢は、本当の幸せを手に入れたのだった。
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