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第四章 ~『倉庫の中のギルベルト』~


 夕暮れが迫る頃。ひときわ荒れた郊外の一角に、埃をかぶった古い倉庫が建っていた。長年の放置で壁は埃にまみれ、風に吹かれるたびに軋んだ音を立てて揺れている。


 そんな中、車輪の音が土を踏みしめながら近づいてくる。そして軋む音を残しながら倉庫の前に停車した。


「着いたぞ」


 ギルベルトが馬車の扉を開き、薄暗い車内からエリスを引きずり出すようにして外に立たせる。夕陽が彼女の髪を燃えるように照らし出していた。


「逃げても無駄だぞ」


 不機嫌そうな声と共に、ギルベルトは言い放つ。


 だがエリスは、少しも怯えた様子を見せない。むしろ凛とした目をギルベルトに向け、微笑に近い表情を浮かべていた。


「逃げるつもりはありませんよ。足の速さではきっとギルベルト様に敵わないでしょうから」

「分かっているならいいさ」


 ギルベルトは肩をすくめ、鼻を鳴らす。その仕草にはどこか焦りと不安が混ざっていた。


「おい、お前は外にいろ。アストレアから連絡があるかもしれんからな」


 馬車の御者をしていた黒装束の男に命じると、彼は大きく頷く。


 ギルベルトはエリスの腕を軽く掴んだまま、倉庫の扉を開ける。古びた蝶番が軋み、埃と油のにおいが鼻をつく。


「入れ」

「ずいぶんと用意がいいのですね……領内にこのような倉庫があるとは知りませんでした」


 倉庫の中はひんやりとした空気が支配している。木箱と麻袋が積まれた空間の中央に、簡素なテーブルと二脚の椅子が置かれている。


 ギルベルトが先に歩き出し、椅子にどさりと腰を下ろす。エリスも対面の椅子にゆっくりと座った。


「……それで。私を誘拐してどうするつもりですか?」


 エリスが神妙な面持ちで問いかける。するとギルベルトは少しだけ目を逸らすと、唇の端を引きつらせて笑う。


「クラウスに将軍を辞めさせる。エリスを人質にしてな」

「……なぜそんなことを?」

「将軍の地位を失えば、辺境伯の座も危うくなる。そしたら公爵令嬢であるエリスが嫁ぐ理由も消えて、縁談も白紙になるはずだろ。その後、俺が復縁する……これがアストレアの立てた計画だ」


 エリスはかすかに目を伏せ、長い睫毛の陰で表情を隠す。


(もしかしたらクラウス様は脅迫に屈するかもしれませんね……)


 クラウスはエリスを溺愛している。馬鹿げた計画だが、大切な婚約者の命を天秤にかけられれば、彼は軍を辞するかもしれない。


(その前に私がなんとかしないと……)


 迷惑をかけてばかりはいられないと、解決の糸口を探る。


「この計画、穴がありませんか?」

「問題を見つけたと?」

「私を誘拐した罪についてです。どう処理するつもりなのですか?」


 ギルベルトは一瞬口をつぐむが、苦笑まじりに答える。


「王族の特権で許されるそうだ」

「私は公爵令嬢ですよ。第二王子とはいえ、アストレア様にそこまでの権力はないはずです」

「知っているさ」


 その短い返答に、エリスの眉がわずかに動く。


「……知っていて?」

「ああ。すべて分かった上で計画に乗った……ように見せかけたんだ」


 ギルベルトは椅子にもたれながら、天井を見上げる。どこか晴れ晴れとした表情で、彼は過去を思い出す。


「最初に違和感を覚えたのは、『欠陥品の魔道具を売った疑いがある』と拘束された時だ。俺の領地は魔道具の取引で生計を立てている。信用が命の商売だ。だからこそ、不義理なんて絶対にしない」


 詐欺で得る利益より、信用を失った損失の方が大きい。それくらいの計算はできると、ギルベルトは続ける。


「それでも王家は俺を捕縛した。調べりゃすぐに無実だと分かるはずなのにだ。だからこそ、そこに何か意味があると気づいたのさ」


 ギルベルトは苦笑しながら指を組み、机に肘をつく。


「警戒していると、地下牢にアストレアがやって来た。自分の手で助けてやると、恩を着せた上で計画を持ちかけてきた――エリス、お前を誘拐しろとな」

「そして……貴方は乗った。いえ、乗ったふりをしたのですね」

「ああ」


 エリスの瞳がわずかに揺れる。彼にこのような思慮があったのかと、内心で驚いていた。


「それにしても、よくアストレア様に騙されていると気づきましたね」

「この計画にはもう一つ、致命的な欠陥があるからな」

「欠陥ですか?」

「もし誘拐が成功して、エリスと復縁できても、俺は恨まれることになるだろ? 愛のない結婚なんて御免だからな」


 そう言って、ギルベルトは自嘲気味に笑う。それに釣られるように、エリスもふっと笑みを浮かべる。


「……本当に、勝手な方ですね」


 エリスの笑みは少なくとも、心から嫌悪するようなものではなかった。倉庫の中に穏やかな空気が流れていく。


「そういえば、もう一つ、お聞きしても」

「おう、なんでも聞いてくれ」

「どうして計画に乗ったふりをしたのですか? 成し遂げたところで、貴方にとって得られるものは何もないでしょうし、断るという選択肢もあったはずです」

「アストレアのやつは、目的のためなら手段を選ばねぇ。俺が断っても、次の駒を探すだけだ。そいつがもっと粗暴で手加減なしの連中だったら……エリスに取り返しのつかない傷が残るかもしれないからな」

「……だから私を誘拐したと?」

「ああ、実行しないとアストレアの罪が未遂のままになるだろ」

「ですがそうなると、ギルベルト様は……」

「捕まるかもな」


 彼は、あっさりとした調子でそう口にする。


「だがそれでもいいと思っている。俺の信用なんざ、とっくに地に落ちた。アストレアのせいで、詐欺師扱いされて……今じゃ取引先にも見放されかけている」

「それは……」

「けどな、逆に考えればチャンスでもある。『誘拐計画のために、王族に利用された』って話が広まれば、同情票も集まる。被害者って構図になれば、領地の信用も少しは戻るかもしれないだろ」

「……自分の名誉よりも、領地の名誉を守ると?」

「そのとおりだ」

「まるで、ちゃんとした領主みたいですね」

「俺はちゃんとした領主だ! まぁ、領地のためなら手段は選ばないから、誤解されることも多いけどな」


 エリスを婚約者にしようとしていたのも、ギルベルトにとっては自領の繁栄のため。彼にとっては一貫性のある行動だった。


 ふっとギルベルトは口元をゆるめる。だがその目は真剣なままだった。


「それに……これはエリスのためにもなる」

「……私の?」

「アストレアを排除できれば、邪魔者が減るだろ。おまけではあるが、まぁ、俺なりの贖罪だ」

「……やっぱり、勝手な人ですね」


 そう言いつつも、その声にはどこか柔らかい響きが宿っていた。沈黙が落ちていくが、重苦しさはなく、どこか清算された空気のようなものが漂っていく。


 そんな時だ。倉庫の扉を叩く音が響く。二人が顔を見合わせると、すぐ外から低く押し殺した声が届く。


「ギルベルト様。殿下より伝言です」


 ギルベルトが立ち上がり、扉の方へ足を運ぶ。


「……内容は?」

「計画は変更。クラウス将軍は、エリス様の無事を確認してから、将軍職を辞するかどうかの判断をされるそうです。ゆえに誘拐犯としての役目を果たしていただきたいと、これが殿下からの伝言です」

「分かった。上手くやると伝えてくれ」


 ギルベルトがそう答えると気配が遠ざかっていく。エリスの傍まで戻ると、彼は事情を説明する。


「エリスを連れて屋敷に戻ってこいとのことだ。ただこのままだと、アストレアの従者たちが引っ付いてくる」

「あの黒装束の人ですね……何人いるのですか?」

「連絡係が一人と、監視役が一人だ。前者はアストレアの元へ向かったから――」

「残りは一人というわけですね」


 対処できなくはない数だ。それを理解したのか、ギルベルトが口を開く。


「エリス、馬には乗れるか?」

「公爵令嬢ですから。嗜み程度には」

「なら、俺が監視役を引き止めてやる。その隙に一人でクラウスの屋敷に戻れ」

「良いのですか?」


 監視役に選ばれるくらいだ。腕の立つ従者なのは間違いなく、相手にするなら危険の大きい役回りだ。


「領地のためだ。喜んで捨て石くらいにはなる。それにだ、クラウスほどじゃないが、喧嘩には自信があるんだ」


 虚勢混じりの言葉に、エリスは穏やかに笑う。


「ギルベルト様……あなたのこと、ほんの少しだけ、見直しました」

「ははっ、ありがとな。ちょっとだけ、ってのがまたお前らしいな」


 笑いながらも、その瞳の奥にある感情はどこか温かい。けれど彼はすぐに表情を引き締める。そして懐から黒い小箱を取り出してエリスに差し出す。


「……これを、お前に渡しておく」

「やっぱり、ギルベルト様は切り札をお持ちでしたか」

「さすがエリス、見抜いていたか」

「決定的な証拠がないと、アストレア様を追い込めませんから」


 ギルベルトは胸を張る。エリスはその誇りと共に、切り札を受け取った。


「上手く使ってくれよ」

「ええ。私が、すべてを終わらせます」


 ギルベルトは無言で、しかし満足げに微笑む。そして倉庫の扉に視線を向けた。


「行くか……」

「はい!」


 二人はそっと身を低くし、扉の前へ向かう。ギルベルトが扉に手をかけると、小声で囁く。


「覚悟はいいな?」

「いつでも問題ありません」


 それを合図として、ギルベルトは扉を一気に開け放つ。すると、彼は待機していた監視役の従者に向かって、鋭く叫んだ。


「邪魔だ、どけっ!」

「え、な――っ」


 返答を待たず、ギルベルトの拳が従者の頬を打ち抜く。味方だと油断していた従者は、直撃を受けて、その衝撃にぐらついた。


「今だ、エリス! いけっ!」


 迷わず駆け出したエリスは、風を切って馬車へと駆け寄る。手綱を握ると一息に馬を走らせた。


「ギルベルト様の尊い犠牲、無駄にはしません!」

「俺は別に死んでねぇよ!」


 蹄の音が荒れ地に鳴り響き、埃を巻き上げながら馬車は加速する。その背後で、ギルベルトが最後に叫ぶ。


「エリス! 必ず、目的を果たせよ!」


 その声に背中を押されるように、エリスは振り返らず前だけを見据えるのだった。



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