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第四章 ~『盗聴の犯人』~


 午後の陽光が差し込む応接室。その扉が、静かにノックされる。


「入れ」


 クラウスの声が響くと、扉が開き、ひとりの青年が丁寧な姿勢で室内に足を踏み入れる。


 栗色の髪をきっちりと結い上げた青年だ。理知的な印象で、軍服の胸元にはシュトラール辺境領の紋章が光っており、彼が将軍直属の副官であることを示していた。


「お久しぶりです、エリス様」


 副官は一歩前に進み、丁寧に頭を下げる。


 エリスはにっこりと笑みを浮かべ、椅子から身を乗り出す。


「まぁ、お久しぶりです。魔力銃の実験以来ですね」

「おかげさまで、エリス様が作ってくれた不可視の銃。前線で大活躍しています」

「私の力が役に立てたなら何よりです」


 エリスが微笑むと、クラウスも満足げに頷く。


「君の手がけた魔道具に感謝して、前線ではエリスのことをシュトラール辺境領の女神と呼んでいるそうだ」

「女神とか聖女とか、なんだか最近、私への評価が過大な気がします……」

「今でもまだ足りないと、私は思うぞ」

「それはクラウス様の贔屓目ですよ」


 恥ずかしそうに頬をかくエリス。場が和やかになっていく中、副官は姿勢を正すと、表情を引き締める。


「それで、本日は一つ、閣下に報告がありまして」

「どうした、改まって」

「実は我々が買い付けようとしていた武器なのですが、予定していた製造業者の在庫が、突然すべて買い占められてしまいました」

「ということは……」

「価格が急騰し、交渉が難航しています」

「まぁ、そうなるだろうな……」

「しかも、買い占められたのは我々が動く直前。まるでこちらの動きを事前に把握していたかのようでして……」

「偶然と片付けるには出来過ぎか……」


 クラウスが目を細める。険しい顔で顎に手を当て、思慮に耽る。


「……この件を知っていたのは?」

「私と閣下だけです。しかも話を出したのも、この応接室だけです」


 その言葉に静かな緊張が走る。ふと、エリスがゆっくりと口を開く。


「この部屋に誰かが隠れ潜んでいた可能性はありませんか?」

「盗聴ですか……ですが、この屋敷はセキュリティも万全ですよね?」

「う~ん、それはそうなのですよね……使用人や門番の皆さんの監視の目もありますし、侵入するだけでも難しいはずなのですが……」


 だが現実として情報が盗まれている。その秘密を解き明かすヒントがないか、三人が思考を巡らせていると、ふいに「にゃ~」と猫の鳴く声が届く。


 三人がそちらを見ると、純白の毛並みをふわふわと揺らしながら、白猫が扉の隙間から入ってきた。


「……おや?」


 副官が目を細める。


「新しい家族ですか?」

「ええ。つい最近、ある商人から譲り受けたんです……」


 エリスが優しい笑みを浮かべると、白猫は彼女の足元にすり寄る。そして小さな体で器用に飛び乗り、膝の上に収まった。


「よく懐いていますね……」


 副官が目を細めて近づこうとすると、猫がピクリと耳を動かし、シュッと威嚇音を立てる。


「……嫌われましたかね?」

「どうやらそうみたいですね……」

「こう見えても猫には好かれる方だと自信があったのですが……」

「この白猫が特別なのかもしれません」


 エリスは苦笑しながら、白猫の喉元を指で撫でる。


 白猫は安心したように小さく鼻を鳴らした。


「この子、私やクラウス様、それと屋敷の使用人の皆さんには最初から懐いているのですが、外の人には警戒心が強いみたいで……」

「長く一緒にいれば、懐いてくれるのでしょうか?」


 副官は改めて指を差し出してみるが、猫は鼻先をくんくん嗅いだだけでそっぽを向いてしまう。


「うーん、どうなのでしょう。この子、人見知りって感じではないので……私やクラウス様とは初対面の時からすぐに打ち解けていましたし、抱っこも平気でしたから……」

「へえ……それはまた……不思議なこともあるものですね……」


 釈然としないものの、猫が人を嫌う理由に理屈があるとも限らない。副官は少し距離を取って、白猫をジッと眺める。


「この子、名前はなんですか?」

「実はまだ決まっていなくて……」

「白猫ですから、『シロ』とか『ハク』とか、『ユキ』とかが候補になりそうですね」

「その候補は私も思いついたのですが、どれも決定打に欠けて……この子だって感じがしないんです」

「なら瞳の色はどうでしょう?」

「瞳ですか……」

「私も昔、猫を飼っていたのですが、瞳の色が薄い緑でしたから。『ミント』って名付けました。だからこの子も、たとえば瞳の色から取るなら『ブルー』とかはどうでしょう?」


 クラウスがそれを聞いて、ゆっくりと頷く。


「悪くないな。シンプルで覚えやすいし、柔らかくて品もある」


 同様にエリスも反応する。


「ですね。言葉にすると、なんとなく涼しげで、この子に似合いそうな気がします」


 エリスが白猫の耳の後ろを撫でながら、「ブルー」と呼んでみる。すると猫はうっとりと目を細めた。


 それを見ていた副官が、ふと思い出したように口を開く。


「……猫といえば、アストレア殿下の話を聞きましたか?」

「アストレアが猫と何か関係があるのか?」

「最近、猫を大量に購入したそうで……しかも、珍しい品種を何匹もだそうです……」

「ほう、意外だな。あの男が猫好きとは、少しも想像できなかった」


 クラウスが苦笑すると、エリスも驚いた様子で声をあげる。


「あんなに鋭い目で睨む人が、猫を愛でるなんて……」

「人は見かけによらないな」


 クラウスは少しだけ目を伏せて呟くと、再び白猫が「にゃあ」と鳴いて、エリスの指に鼻をすり寄せてくる。


 その仕草に微笑みながら、エリスが顔を上げる。


「でも、可愛い猫を前にすれば、誰でも表情が緩みますから。アストレア様にも、きっとそんな一面があるのかも……」

「だといいがな……」


 何か悪巧みを考えているのではないかと、クラウスは僅かに懸念を抱くものの、すぐに真顔に戻り、椅子の背にもたれかかる。


「それはそうと、本題だ。情報漏洩の件だが、本当に盗聴されているかどうかは、まだ断定できん」


 その結論に副官が大きく頷く。


「私も同意見です。ただ、こうして話している間にも、どこかで聞かれているかも、という疑念は拭えません」

「だから、ひとまず重要な話は別の部屋で行うようにする。それと、屋敷の検分も再度徹底しよう。暫定的な対策としては、これくらいが妥当だろうな」


 クラウスの判断に副官は姿勢を正す。


「承知しました。では、私はこのあたりで失礼します。今夜には前線に戻る予定ですので」


 副官は丁寧に一礼すると、扉へと向かう。その後ろ姿をエリスとクラウスが見送ると、ちょうど廊下で青ざめた顔をした執事が立っていた。


「ちょうどよかった。失礼します、閣下、エリス様」


 執事が入れ替わりで部屋に足を踏み入れる。額には汗が浮かび、困り顔を浮かべている


「どうかしたのか?」

「その……白猫がいなくなりまして。どこを探しても見当たらないと報告が……」

「ここにいますよ」


 エリスが伝えると、白猫が「にゃ~」と鳴く。執事はぱっと表情を明るくし、「おお……見つかってよかった」と胸を撫で下ろす。


「随分と心配性だな」

「実は昨晩も突然に姿を消しまして……今回もどこに消えたのかと、つい心配になったのです」


 その言葉にエリスがふと眉を寄せる。


「昨晩は、屋敷のどこかに隠れていたのでしょうか?」

「私もそれを疑い、使用人たちと手分けして探したのですが、結局見つからず……ただ、朝になったらひょっこりと帰ってきまして……足に泥がついていましたから。おそらく森まで出かけていたのだと思います」


 エリスは視線を手元の猫に落とすと、皆の心配を知ってか知らずか、嬉しそうに「にゃ~」と鳴いていた。


「使用人の皆さんに心配されて、この子も幸せ者ですね」

「ははは、この子は人懐っこいですから。おかげで、使用人の間でも人気者なのです」


 執事がそう口にすると、エリスは顎に手を当てて、目を伏せる。


(屋敷の人たちには懐いて、外部の人間は威嚇する……夜に森へ消えるのも、もしかすると……)


 エリスは猫の首輪に目をやる。よく観察すると、そこには金具で固定された小さな装飾品が輝いていた。


「……あの、クラウス様。ちょっと気になることが」

「ん? どうした?」


 エリスは猫の首元にそっと手を伸ばし、首輪を指先で探る。ごくわずかだが、何かが嵌め込まれているような感触があった。


 次の瞬間、魔術を打ち消したような感覚が掌に広がる。装飾品の一部が外れ、光を帯びた小さな結晶がポロリと落ちた。


「これ、私の録音魔道具を改造したものです」

「ということは、誰かが白猫を利用し、屋敷内の会話を盗み聞いていたというわけか……」

「謎が解けましたね」


 エリスの腕の中で、白猫は何も知らぬ様子で喉を鳴らしている。二人は緊張で息を飲みながら、次なる一手を打つために静かに頷くのだった。



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