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第三章 ~『補償できないもの』~


 夜の帳が降りた頃、冷えた風が揺らす茂みの中に、ヴェルスタンの黒い影が潜んでいた。彼は鋭い視線で街道を睨みつけながら、身を潜めている。


 すぐ隣には、数名の部下たちが黒装束に身を包み、体を低くしていた。


「ヴェルスタン様……今度こそ、我々に疑いが向くのでは?」


 若い部下の不安そうな声が、風に紛れてささやかれる。ヴェルスタンはその声に反応しながらも視線を向けずに答える。


「それなら心配無用だ。すでにクラウスたちは私を疑っているからな」

「それにも関わらず決行するのですか?」

「する。というより、しなければ、我々の生きる道がなくなる!」


 声を抑えつつも鋭い怒声が、部下たちの耳を打つ。ヴェルスタンは唇を噛み締めたまま、わずかに俯きながら続ける。


「アストレア殿下が、私たちの処遇について側近たちと相談しているそうだ」

「そ、それは、本当なんですか?」

「信頼できる筋からの情報だ。信じていい」

「では我々は……」

「このまま何もしなければ、牢屋に叩き込まれるか、最悪の場合だと処刑されるだろうな」

「しょ、処刑……っ」


 息を呑む音が、静寂の中でやけに響く。だがそんな空気の中、別の男が疑問を口にする。


「アストレア殿下は本当に我々を処刑すると?」

「バーレン伯爵を見ろ。忠義を尽くしてきたにも関わらず、最後には牢屋送りだ。どうして我々だけが許されると思う?」

「そ、それは……」


 男は言葉に詰まる。ヴェルスタンの言葉には実例という説得力があったからだ。


「だから我々はやるしかないのだ。ここで怯んでいても何も変わらん」

「で、ですが、盗賊に荷物を奪われても補償すると閣下が宣言しています。盗んでも悪評が広がるどころか、閣下の名声を高まるだけになるのでは?」

「なら、補償できないものを奪えばいい」

「……補償できないものですか?」

「あるだろ。誰もが一つしか持てない大切なものが」

「それは、いったい……」


 ヴェルスタンはゆっくりと、振り返る。月明かりに照らされたその顔には、常軌を逸したような冷たさが宿っていた。


「命だ」


 その一言に、場の空気が凍る。


「い、命って……ま、まさか本気で……」

「本気だ。でなければ、我々が破滅する」


 その声は妙に澄んでいた。


 だからこそ、部下たちの背筋に冷たいものが走る。


 誰も言葉を返せず、反論する者はいない。


 ただ小さく唾を飲み込む音だけが、静寂に溶けていく。


 ヴェルスタンは再び前を向き、遠くの街道を見据える。


「……来るぞ」


 月明かりの中、遠くから馬蹄音が響いてくる。


 やがて、木立の隙間から、街道をゆっくりと進む馬車の影が現れた。


 灯りは落とされているが、しっかりとした造りの馬車であることはすぐに分かる。


「馬車が一台……護衛は見当たらないようです」

「車内に何人いるか分からんが……まぁ、我らならいける。いくぞ」


 ヴェルスタンの号令と同時に、茂みから黒装束の影が飛び出す。数名の部下が素早く街道を塞ぎ、ヴェルスタンはその中央に立つ。


「止まれ!」


 その声に、馬が驚きで嘶く。御者が手綱を引き、馬車を急停止させた。


 ヴェルスタンが剣を抜き、鋭く叫ぶ。


「我々は盗賊だ。命が惜しければ、荷物を置いていってもらおう!」


 そう要求すると、馬車の扉が開いて、そこからゆっくりと一人の男が姿を現す。


 白銀の髭をたくわえ、甲冑をまとっている。まるで一本の老樹のように、重厚で揺るぎない気配を漂わせていた。


 老騎士はまっすぐにヴェルスタンを見据える。


「お前たちがクラウス閣下の仰っていた盗賊か?」

「な、なんだ……貴様は……」


 ヴェルスタンがわずかに後退る。老騎士はその様子を見て、ふっと笑った。


「クラウス閣下に頼まれてな。盗賊が出ると聞き、こうして様子を見に来たのだよ」


 その言葉に、ヴェルスタンの顔が引きつる。もしこの襲撃が事前に予想されていたとしたら、彼はまんまと罠に嵌められたことになる。


「全員、降りてこい」


 老騎士がそう指示すると、次の瞬間、馬車の両側の扉が開く。そこから次々と若い騎士たちが姿を現す。全員が堂々とした構えで、腰には辺境領の紋章付きの剣を帯びている。


(やはり罠か……だがそうだとしても戦うしかない……)


 ヴェルスタンは奥歯を噛み締める。


(リーダー格の老騎士さえ倒せば、残りは散らせる。退却も容易になるし、命まで狙う盗賊だと、恐怖を植え付けることができる)


 そう考えた瞬間、彼は地面を蹴って飛び出していた。


「うおおおおッ!」


 黒装束の影が、まっすぐ老騎士へと迫る。長剣を逆手に構え、一気に斬りかかる。


 だが老騎士はわずかに身を引いただけで、ヴェルスタンの斬撃をかわす。


「遅いな」


 再度、ヴェルスタンは剣を振るうが、その一刀は老騎士の剣によって受け止められる。


 乾いた音が響く中、老騎士は華麗に受け流して刃を振るう。


「ぐあっ!」


 直撃を避けるが、それでも無傷とはいかなかった。ヴェルスタンの右腕をかすめ、焼けるような痛みが広がっていく。


(な、なんだ……っ! この実力差は……)


 息を乱しながら距離を取り、じりじりと後退する。


(無理だ。私では勝てない。これは……引くしかない)


 そう決めてからは早かった。


「全員、撤退だ!」


 一人でも捕まれば計画が露呈する。それを理解しているからこそ、黒装束の影たちは無理に粘らず、一斉に森の中へと飛び込んでいく。


 夜の闇にまぎれて、獣のように走る。背後から甲冑の金属音が響いているが、そのおかげで引き離せていた。


(装備の分、こちらのほうが速い。逃げ切れる!)


 枝を払いつつ森を突っ切り、ヴェルスタンは荒く息を吐く。


 だが胸の内では、奇妙な不安がくすぶっていた。


(証拠はない。顔も隠していた。馬車も止めただけで、盗んだ品もない……大丈夫だ。大丈夫なはずだ……)


 そう言い聞かせながらも、嫌な予感だけは消えない。


(だが、あの老騎士。何か狙っている目だった……)


 森の奥に逃げ込みながら、ヴェルスタンはふと後ろを振り返る。追手の姿はなかったが、彼の体に纏わりつく不安は消えないままだった。


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