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第三章 ~『侮辱合戦』~


 シュトラール辺境領、その名の通り、王国の最西端に位置するこの領地は、かつて未開の荒野と呼ばれていた。


 しかし今は違う。若き将軍クラウスとその婚約者エリスの手腕によって、町は活気に満ち、商業も農業も著しい発展を遂げている。


 だが、その繁栄の空気を切り裂くように、一台の黒塗りの馬車が、中央街道を威圧的な足音で進んでいた。


「ふん、噂以上だな……」


 王室近衛隊の執務官、ヴェルスタンは、馬車から窓の外を眺める。清掃の行き届いた石畳、整然とした街並み、朗らかにあいさつを交わす領民たち。それらすべてが気に食わなかった。


「ヴェルスタンさんは、クラウス辺境伯が苦手なのですか?」


 馬車に乗り合わせた副官のマルコが問いかける。


 犬のような愛らしい顔をした小柄な男だが、その容姿に反して、戦闘能力も事務能力も高い。ヴェルスタンの右腕ともいえる存在だった。


「苦手ではない。ただ私は自分以外の人間が評価されることを嫌悪する。それが故の苛つきだな」

「ヴェルスタンさんは生きづらそうですね……」

「そう見えるか?」

「ええ。いつも張り詰めているような……いえ、失礼しました」

「自覚はある。だが、その負けず嫌いな性格のおかげで出世もできた。悪いことばかりではない」


 言葉と同時に馬車がぐらりと揺れる。やがて徐々にスピードを落とし、窓の外には石造りの屋敷が現れる。


 ヴェルスタンは外套を正し、軽く息を吐く。


「マルコはここで待っていろ」

「私も随行すべきでは?」

「これから始まるのは喧嘩だ。貴様には向いていない」

「分かりました……」


 馬車が止まり、ヴェルスタンは無言で降り立つ。


 石畳に軍靴の音を響かせながら進むと、門番たちが警戒の色をみせる。


「こちらは将軍のお屋敷です。用件をお伺いします」

「私は王都より派遣された執務官のヴェルスタンだ。クラウス将軍に用がある。通せ」


 門番たちは互いに目配せを交わした後、渋々頷く。


「……応接室にご案内いたします」


 ヴェルスタンはあくまで傲然と、屋敷の中へと歩を進める。


 廊下を進んだ先にある応接室の扉が開かれると、上質な緋色の絨毯が敷かれた空間に出迎えられる。


 中央にはソファが置かれ、すでにクラウスが腰を下ろしている。その隣では、エリスの姿もあった。


「ヴェルスタンだったな。話は聞いている。座るといい」

「ご配慮、感謝いたします、閣下」


 対面のソファに腰掛けると、眼の前の対称的な二人が目に入る。


 鬼と呼ぶに差し支えないほどの醜男と、品のある美しい令嬢が横に並ぶ様は、まるで童話のワンシーンのようだ。


(こいつが婚約者のエリスか……ポンコツだという噂もあれば、恐ろしく優秀とも聞くが……)


 品定めするような目を向けると、エリスはその視線に気づいたのか笑みを返す。外見だけでの判断は困難だった。


 改めて、ヴェルスタンは視線をクラウスに移す。すると彼は重々しく口を開いた。


「君はアストレアの部下だと聞いているが……本当か?」

「ええ、直属の上官に当たります」

「君から見て、あの男はどう映る?」

「実力主義で、合理的で、冷酷で……優秀な者には飴を、失敗した者には鞭を与える人です」

「なるほど……昔と変わらないな……」


 どこか懐かしむような表情を浮かべるクラウス。その彼の反応から、ヴェルスタンはある噂を思い出した。


「閣下もアストレア殿下と同じく、王族の血を引いているとか……」

「ああ、だから奴とは、幼い頃からの付き合いになる」


 クラウスが答えると、ヴェルスタンより先にエリスが反応する。


「クラウス様は王族だったのですか!」

「ただ幼い頃に顔が醜いと養子に出されているからな。遠い過去の話だ……」


 その話を聞いた瞬間、エリスの瞳が細くなる。


「酷いご両親ですね。もし会う機会があれば、私が叱ってあげます!」

「それは頼もしいな……だが、もう無理だ。私と血の繋がった両親はもう亡くなっているからな」

「そうですか……」

「だがエリスという新しい家族が増えた。結果的には王家から放逐されて正解だったのだ。少なくとも今の私はそう思っている」


 そう語るクラウスは、隣に座るエリスに穏やかな眼差しを向ける。だが、向かいのソファに腰掛けていたヴェルスタンは、ゆっくりと、だが敵意を込めて言葉を吐く。


「白々しいですね」

「……どういう意味だ?」

「そのままですよ。現在、王都では、あなたが次期国王の椅子を狙っているという噂が流れています。本心では権力を望んでいるのではありませんか?」


 部屋の空気が、すっと張り詰めていく。緊張に包まれる中、クラウスはわずかに口角を上げる。


「なるほど。君がなぜシュトラール辺境領に赴任してきたか分かったよ。アストレアに命じられて、私の領地運営を妨害しに来た。そうだろ?」


 その問いにヴァルスタンの唇が、にやりと歪む。


「察しがいい。やはり、噂通りの切れ者ですね」

「アストレアは昔から人の上に立つのを好む。私を排除できれば次期国王のライバルが減り、その上、軍のトップにもなれるからな」


 想定通りの行動だと告げると、ヴァルスタンの眉がぴくりと動く。室内の緊張が増す中、彼は重々しく口を開く。


「ですが閣下、面倒事を回避する方法が一つだけございます。将軍の職から退けばよいのです」

「……それは王家の代理である執務官としての正式な要請か?」

「いえ、ただの一個人としての提案ですよ。アストレア殿下は凛々しい容姿の持ち主です。閣下のような醜い者が率いるよりも士気は高まります。軍全体にとっても良き提案になると確信しております」


 侮辱とも取れる一言を放つ。だがクラウスは動じない。


「悪いが私は軍をやめるつもりはない。私にとって部下たちは第二の家族だ。彼らの命を守ることが、私の務めでもある。アストレアのように、人を駒としか思っていない者には任せておけん」

「なるほど。閣下のお考えはよく分かりました」


 説得は無理だと諦めたヴェルスタンが椅子を押しのけて立ち上がる。


「滞在中、領地を監査させてもらいます。粗が見つかり、現在の発展が虚構だと分かれば、きっと民衆は手の平を返すでしょうね。なにせ、閣下の顔は――醜いですから」


 煽るように笑いを抑え、ヴェルスタンは挑発する。


 その一言に真っ先に反応したのはエリスだった。立ち上がると、まっすぐな瞳でヴェルスタンを見据える。


「大人しくしていましたが、やっぱり私には無理です!」

「エ、エリス」

「クラウス様は黙っていてください!」


 エリスは手で制すると、敵意をヴェルスタンに向ける。


「クラウス様への態度、あまりに失礼ではありませんか?」

「あなたには関係のない話だ」

「私は婚約者なのですから、関係は大アリです!」


 ピシャリと返された言葉に、ヴェルスタンの口元が歪む。


「ふん……ただの公爵令嬢に過ぎないあなたが、私に意見するつもりですか?」

「ええ、そのつもりです。だって、そういうあなたこそ……ただの執務官ではありませんか?」


 一瞬、室内の空気が止まる。クラウスがわずかに目を見開き、ヴェルスタンの口元がビクリと動く。


「私は王家から権限を預けられている!」

「へぇ~、知らなかったです。クラウス様を侮辱する権限も、王家から正式に与えられているのですね?」

「そ、それは……」


 将軍でもあるクラウスは国内で大きな影響力を持っている。その彼の侮辱を王家が認めるはずもない。


「なんでしたら、王家に苦情の手紙でも送りましょうか? 失礼な執務官が、王命を盾に辺境領伯を侮辱したと」

「い、いや、それは……」


 エリスはじりじりとヴァルスタンに近づき、にっこりと笑う。


「大人なら、何をすべきかわかりますよね?」

「も、申し訳……」


 ヴァルスタンは唇を噛み締めたまま、謝罪の言葉を探る。だが結局、プライドが良しとしなかったのか、頭を下げることを拒絶する。


「私を侮辱したことを後悔させてやる……」


 蚊の鳴くような声でそれだけ言い残すと、ヴェルスタンは踵を返す。ばたん、と扉を閉め、去っていく後ろ姿に、エリスはため息を吐く。


「クラウス様、私、やりすぎちゃいましたか?」

「いや、むしろよくやってくれた。ありがとう、エリス」

「クラウス様が私を大切にしてくれるように、私にとってもクラウス様は大切な人ですから。当然のことをしたまでです」


 応接室が再び穏やかな空気に包まれていく。二人の口元にも笑みが浮かぶのだった。


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