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第二章 ~『王家からの使者』~


 午後の柔らかな光が談話室に差し込み、白いカーテンをそよ風が揺らす。クラウスは分厚い帳簿をめくりながら、目を細めて呟いた。


「……すごいな。ここまで売れるとは」


 彼の視線の先には、ぎっしりと並んだ数字の列。そのすべてが、、録音魔道具の売上に関するものだ。


 対面のソファに腰掛けたエリスは、腰に手を当て、得意げに微笑む。


「ふふっ、思った以上でしたね」


 販売からまだ日が浅いにも関わらず、録音魔道具は、爆発的な人気を博し、貴族社会では必需品とまで言われる存在になっている。今や王都だけでなく、周辺諸国にまで輸出されるほどの大ヒット商品となった。


 クラウスは帳簿を軽く叩き、エリスを見据える。


「君のおかげで、収益も上々だ。おかげで、こんなこともできた」


 彼は傍らに置いていた別の資料を手に取る。


 そこには孤児院の設計図と、笑顔を浮かべる子供たちの絵が描かれていた。


「魔道具の収益は古くなった孤児院の建て替え費用に当てることになった。君の力が子供たちを幸せにしたんだ」

「それは頑張った甲斐がありましたね」

「そのせいもあって、君のことを『奇跡の公爵令嬢』と呼ぶ者もいるそうだ」

「奇跡だなんて、少し大げさな気もしますけど……」

「そんなことはない。君が来てから、領地がどれほど変わったか……まあ、私個人としては、君が隣にいてくれることが奇跡みたいなものだがな」


 醜いと誰からも恐れられてきたクラウスにとって、エリスとの出会いは奇跡そのものだった。


 彼女は何も言わずに、微笑みだけで受け止める。穏やかな時間がゆるやかに流れていく。そんな時、談話室の扉が控えめに叩かれた。


「失礼いたします」


 入ってきたのは執事だ。年季の入った深い皺と、背筋の伸びたその姿には、長年の忠誠心と矜持が滲んでいる。


 彼は静かに一礼すると、重々しい声で告げた。


「閣下、王家より、使者が到着しております」


 その一言で、部屋の空気が張り詰めた。


「王家から、か……」


 クラウスはわずかに眉をひそめる。この辺境に王家が直接使者を寄越す。その異常さを彼は理解していた。


「お会いになりますか?」


 執事の確認に、クラウスはゆっくりと息を吐き出す。


「会わないわけにはいかないからな」


 その声に迷いはない。エリスが心配そうにクラウスを見上げると、彼はわずかに目元を和らげ、かすかに微笑む。


「こういう日が来ると、覚悟はしていたからな」


 静かに、けれど確かな意志を持ってクラウスはそう口にする。エリスも力強くうなずき、スカートの裾を軽くつまんで身を正す。


 二人は肩を並べて、談話室を後にする。廊下を歩く音が、静まり返った屋敷に規則正しく響く。


 二人が重厚な扉の前で足を止めると、執事がノックをして、扉を静かに押し開けた。


「どうぞ」


 足を踏み入れると、応接室には、一人の男が立っていた。


 深い紺色のローブに身を包み、腰には王家の紋章を象った剣を携えている。彼の立ち姿は隙がなく、凛とした威厳が自然と漂っている。


 二人が近づくと、男は一歩進み出て、深く丁寧に一礼する。その動きには、王家に仕える者としての格式と自負が滲んでいた。


「初めましてですね、閣下。私は王家の使者、カレッソと申します。本日は重要なご伝言を携えて参上いたしました」


 彼の声は静かだったが、その重みは確かに部屋の空気を変えた。


 クラウスがわずかに頷き、促す。


「……用件を聞こう」


 カレッソは軽く一息をつくと、真っ直ぐにエリスを見据える。


「では失礼して。早速ですが、要件から申し上げます。閣下、そしてエリス様。我々王家は、すでに噂を耳にしております」


 エリスはピクリと身を強張らせるが、カレッソは気にせず言葉を続ける。


「エリス様の持つ力。それが、かつてこの国を救った伝説の聖女と同じものである可能性が高いと……そう睨んでいます」

「だから私に何をしろと?」

「故にです。エリス様には、王家直属の聖女として、国のために尽くしていただきたいのです。それが貴族にとっての本懐でもあると、我々は考えております」


 その申し出に部屋の空気の緊張が増す。だがカレッソは物怖じしない。答えを求めるようにエリスに視線をぶつけるが、彼女もまた逃げようとはしなかった。


「王家に仕えるならクラウス様との婚約はどうなりますか?」

「当然、婚約は破棄して頂き、それに専念していただく必要があります。王家での生活は、結婚と両立できるほど生易しいものではありませんので……」

「そうですか……」

「ただ仕事には慣れがあります。直近では難しいでしょうが、十年か、二十年先で、いつか落ち着いた時に改めて、誰かと婚約を結ぶこともできます。聖女ともなれば、その相手は王族でもおかしくありません。エリス様にとっても素晴らしい話になるはずです」


 カレッソの言葉は、重く、そして無情だった。


 だがエリスの心は折れない。柔らかくも強い笑みを浮かべると、きっぱりと口にする。


「私はクラウス様と一緒にいたいですから。そのご提案はお断りします」


 カレッソの眉がわずかに動く。驚きと戸惑い、そして微かな苛立ちが交錯するが、すぐに表情を整え、低く冷たい声を投げる。


「……閣下に脅されているのですか?」


 室内の空気がぴたりと止まる。男の目から見ても、クラウスは決して容姿に恵まれたとは言えない。


 醜いクラウスに、若く美しい公爵令嬢がここまで固執するなど、正気の沙汰ではないと彼は考えたのだ。


「いいえ、これは私の意思です」


 エリスはきっぱりと断言する。その瞳には一点の迷いもない。


 カレッソは口を噤んだまま、じっとエリスを見つめる。わずかに拳を握りしめたまま、一歩後退した。


「……今回は、引き下がりましょう」


 低い声でそれだけ口にすると、カレッソは一礼もなく踵を返し、扉へと向かう。バタン、と静かに扉が閉まる音がして、応接室には再び静寂が戻った。


「……本当に良かったのか?」

「選択に後悔はありませんよ」

「だが上手くいけば、王族との婚約に至っていた可能性もあったんだぞ」

「それでも、そんな結婚を望んだりしません。私が隣にいたいと願ったのは、クラウス様の隣だけですから」

「エリス……」

「それに私は婚約破棄されてきた身です。理不尽に捨てられたこともありました。だからこそ、私がここでクラウス様を裏切ったら……それは、今まで私を捨ててきた人たちと、何も変わりませんから」


 その静かな決意に、クラウスは目を細める。彼はしばらく黙っていたが、やがてふっと口元を緩める。


「……ありがとう」


 言葉は短く、けれど心からの感謝だった。クラウスは手を伸ばし、そっとエリスの手を取る。


「君が一緒にいてくれて本当に嬉しいよ」


 エリスはくすっと笑って、クラウスの手を軽く握り返す。そして、からかうような声で問いかける。


「でも、もし私があそこで首を縦に振っていたら……クラウス様はどうしていたのですか?」

「……泣いて、すがりつく予定だった」

「えっ!」


 それは惜しいことをしたとエリスは笑みを零す。二人の間に流れる空気は、以前よりもずっと柔らかく、温かかいものだった。



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