2019
大学1年生の夏
私のような人間が周りの人間と同じような生活水準で生きていくためには、何かしら傷を負う必要があるのだと知った。
「あなたなら出来ると思うんだよね。」
すべてが始まったのは、この一言だった。
当時4回生のサークルの先輩から声を掛けられて、ラウンジのバイトを始めた。
特別お金に困っていた訳ではなかった。
贅沢もせず、毎日何かしらのバイトをして、毎月奨学金を借りて、月2万円のボロアパートで暮らしていれば、なんとか生きていける。そんな毎日。
ただ、私の生活水準は周りの友達とは違うことに慣れてしまっていたし、そこから抜け出す発想もなかったというだけ。
だから、大義もなく、何となくの気持ちで夜の世界に足を踏み入れた。
座って笑っているだけで、沢山の人が可愛いねって褒めてくれた。お金もくれた。美味しいものも食べられるようになった。月2万円のアパートからオートロック付きの月6万円のアパートに引っ越しをした。毎月滞りなく家賃も払えるようになった。友達と旅行に行けた。洋服を値段で選ぶのではなく、自分に似合っているかどうかで選ぶことが出来るようになった。昼間のバイトを減らすことが出来た。テスト週間はゆっくり勉強出来るような時間を確保することが出来た。お金が足りなくてお母さんに電話しなくて済むようになった。金をせびらないでって怒られることもなくなった。皆が私に優しくしてくれるようになった。
別に、贅沢がしたかった訳じゃない。
自分の当たり前のレベルを、皆の当たり前のレベルに合わせたかっただけ。
何不自由なく過ごせて、親は優しくて、夏休みには旅行に行けて。そんな当たり前の価値観。
気が付いた時には、もう引き返せないところまで来ていた。
気が付いた時には、手段と目的が入れ替わっていた。
自分を幸せにする方法は、お金を持つことだと、気づいてしまった。
もっとお金が欲しくなった。
お金を稼ぐために、自分の女としてのレベルを上げようと思った。
そのためのお金が欲しくなった。
脱毛や歯列矯正、そんな一般的なものから手を出して、その次にプチ整形をした。
自分にお金をかければかけるほど、周りの私を見る目が変わった気がした。
それが、嬉しくて嬉しくて、私は、お金を稼ぐために可愛くなりたいのか、可愛くなるためにお金を稼ぎたいのか、自分でも分からなくなっていた。
そこから落ちるのは本当に一瞬だった。
ラウンジだけじゃお金は回らなくなっていた。
幸せになりたくて。幸せを手に入れたくて。停滞はただの後退だから。常に傷を負わないと、私みたいな人間は幸せを維持できないような気がして。自分がどこに進みたいのか、どこに進めば自分の望む幸せがあるのか、そもそも何が幸せだったのか分からなくなってきて。
整形は魔法じゃない。維持費をかけなければ、美しさは持続出来ない。
毎月の家賃だってある。もう今更月2万円のボロアパートには戻れない。
私は、自分が手に入れたくて仕方がなかった幸せのせいで、今度は、ここは地獄だと思った。
結論から言うと、
地獄から抜け出すことは出来た。
当時コロナが流行した社会情勢で家庭教師のバイト依頼が増えたこと、試験で夜職どころではないほど忙しくなったこと、生活するのに十分なくらい奨学金を借りられるようになったこと、そして好きな人が支えてくれたお陰だった。
だけど未だに、あの時感じてた焦燥感や、私は何か犠牲を払わないと幸せでい続けられないような不安は常に感じる。
きっと、これからもずっと、どれだけ幸せになっても、変わらないし忘れられないんだと思う。