第九話 誰かの為に 上
ユリウルス暦875年 九月十五日
ウラドとティナは、目的地『ヴェルフェル』を目指して各地を転々としていた。あそこは丁度沿岸部に面しており、ある種観光地としても栄えている。だが、ここからではあと二日は要するほどの距離だ。
今日は、小さな村に来ていた。本当に名前すら聞いたことの無いような田舎で、辺り一面、黄金色の稲の絨毯が敷かれている。二人は馬小屋と宿が上下で合体した建物の中、部屋でぬくぬくとしていた。東の土地とはいえ、北である事に変わりない。煤で満ちた暖炉に火を焚べ、ティナはその前で丸くなって本を読んでいた。今は、【花を咲かせる魔法】というものを習得しようとしている。それは、自分の記憶の中の花をイメージして、それを魔力に流し込むというものなのだが、これがサッパリで彼此二日は頭を抱えていた。だが今は、漸く花畑が小さくできるほどには成長した。
何度も花を出しては、ヨシヨシと独り言を言うティナを他所に、ウラドは昼近くになっても起きようとしない。この頃はずっとこんな感じだ。朝が弱いのだろうが、逆に夜は元気なのだ。これが不思議でしょうがない。
–––ゴンゴンゴン
ノックの音がした。
重たく、古びたドアらしい音だった。ティナは、ウラドの数少ない知り合いでも来たのかと思い彼を揺さぶった。だが、うつらうつらと唸りながら寝返りを打つだけだった。
「しょうがない人だなぁ」
呆れ笑いを浮かべながら、ティナは床の本と毛布を適当に自身のベットに置き、ダンダンダンと鳴り止まぬドアを開ける。
「あ、あの!」
前に立っていたのは、小さな男児であった。まだ男児らしい骨格はなく、腕や足も細い。だが、スラムとは違って、単に筋肉がないだけのようだ。ティナはしゃがみ込む。少年の山吹の目は大きく、少し緊張で瞳孔が揺れている。
「何かあったの?」
山吹の少年は切羽詰まったように飛び跳ねる。
「こ、ここに、薬師はいる!?母さんが!」
ティナは薬師ではない。だが、彼女の根っからの世話好きが出てしまったのだろう。二つ返事で杖と荷物を持って走り出てしまった。
街は収穫の時期でもあり、その後には祭りも控えているからか、随分賑やかであった。道の端に積み並べられた麦束を横切って、街から少し端にある家屋へ駆け込んだ。
室内は質素ではあったが、小綺麗であった。左手には暖炉と食事の為のテーブルが置かれ、右手には、台所のようだ。そして、カーテンで仕切られた先にも空間があるようで、少年はそっちへ駆け込んだ。ティナはたなびくカーテンを開けて入ると、すぐそばの窓辺に置かれたベッドを見た。女性が寝込んでいる。やはり彼の母なのだろう。
「お医者は村には居ないの?」
少年は俯く。
「ここは、村でも、爺さん達しか居ないような村なんだ。人手がないから医者は隣の村の方にまで診療に行っちゃったんだ––––」
「そうだったんだね。薬とかの予備はないの?」
「あったんだけど、医者が居ない間までは––––でも、もう何日も帰ってこなくて、底をついたんだ。」
力なくそう告げると、少年は後ろの方の棚の引き出しを開け、ガサガサと漁る。そして、一つの空になった白い紙袋を取り出してみせた。
「ここに、薬の材料が書いてあるんだ。姉ちゃん、これわかる?」
見せてきた紙袋は、処方箋の袋のようだ。材料はどうやら何かしらの草のようだ。だが、中には鉱石の類も含まれていた。いったい何なのだろうと、一瞬思案したが、数秒してピコン、と閃いた。
「これ、東側の薬ね。」
今二人がいる地点は、東の大陸『シャマシュ大陸』の北西地点の国家【ヴァルマージュ共和国】の北側だ。だが、母親が飲んでいたのは、この大陸の東側に位置する地域の処方箋のようだ。ティナも風邪を引くと、母が森から薬草をとってきて、湯で煎じてくれた覚えがある。だがどれも苦々しく嫌いだった。
幸いにも、その材料はどれも、森に生育しているのがわかった。励ますように笑顔で言う。
「森に生えているわ。探しに行きましょ!」
そう告げると、少年は希望の光のように顔色後良くなり、早速、二人は薬草箱と、処方箋を紙に書き出し、本を携えて外に出て行った。