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彷徨える貴方  作者: 黒井基治
第一章 東の大陸【シャマシュ大陸 編】
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第八話 当てのない旅より当てのある旅を

重症のウラドを連れて向かったのは、ウィルバレアの、あの教会だった。敷地内の横にある畑には入り、修道士に事情を話すと、彼らは慌てた様子で土まみれの手を腰エプロンで拭き、すぐそこの勝手口から医務室へ案内して下さった。

医務室は教会ならではの荘厳さというのは然程なく、それよりかは救いであったり、質素さの際立つ内装だった。奥に向かってベットが並び、その箇所に窓があったので、光は十分入ってくる。白塗りの壁に囲まれた空間にて、医務係の修道士達は、庭の方々より冷静で、ウラドをベットに寝かせると、すぐに二人を医務室から追い出し、治療を始めた。二人は追い出されたことにあっという間な出来事だったので少し困惑しつつも、理解は示していた。一先ずは、すぐに迎えられるように敷地内の図書館に居座ることとなった。


ここの図書館は、なんて広いのだろう。ティナはそう、感激していた。高い天井、そこに匹敵するほどの本棚、その全てに本が敷き詰まっている。床の板は剥がれておらず磨きかかっている。


「すごい所ですね!」


「そ、そうですか?大学の図書館と比べるとそうでもないですよ?その辺の図書館と変わらないです。」


カレンは感激でぴょんぴょんしているティナに向けそう言う。ティナにとってはまさに夢の空間とも言えるが、カレンにはそう見えていなかった。だが確かに、ティナの目には些か大仰に映っている。二人は空いている席に座り、少し小さな声で談笑した。


「カレンさんは、本来どこに向かっていたんですか?」


「ミフェイルという都市です。あそこは鉄鋼による刃物産業が盛んなので、魔道具に関する資料探しだったんです。」


「魔道具?」


カレンは頷く。


「えぇ、魔導士は魔法のコントロールとして魔道具を使います。杖などがそうですね。ですが、魔法を使いこなせない方もいらっしゃいます。そういった方のために、個人の魔力を元に魔法の効果を付与する物なんです。一般的に刀などの武器に多いですね。家具にもありますが、どれも高価です。」


「なるほど」


「そちらは?」


ティナははにかむ。


「当てもなく転々としてます。人の立ち入れない土地を探している感じです。」


「禁足地、的な感じですか–––あまり聞いたことはないですね。」


それを最後に暫く沈黙が流れた。ティナは買い与えられた本を読む。だが、急に、カレンは口を開く。まるでこうなるのを待っていたかのように。


「ティナさんは、ウラドさんとどういった関係なのですか?」


「うーん––––一応雇用関係というか、スラムで買われたんですよ。」


それを聞いたカレンは生優しい笑みから一変して理解できないといった顔をする。


「––––何故、逃げないのですか?」


ティナは一瞬頭が真っ白になる。思わず声も漏れてしまうほどに、突然の提案に思考が追いつかない。だが、カレンは唖然とする彼女を差し置いて、そのまま真剣な眼差しで言う。


「雇用関係といっても、奴隷関係と変わらない。主人が意識不明の今、逃げる絶好の好機(チャンス)です。僕が獣人のいる街まで案内します。逃げましょう。貴女の人生のために。」


ティナは必死に食いつくように反論する。


「で、ですが主人は大切にしてれています。20ルネーという大金で家族を養えたんです。恩人を捨てられない。」


「でも、貴女が居なくなっても、彼は変わらず旅を続けるでしょう。たまたま買っただけに過ぎないんですから。–––迷っている場合では有りません。」


カレンはティナの手を握る。温かく、しっかりと握り締められる。彼の茶色の宝石のような眼からは、逃げようという、切なる彼女への心配が感じられる。ウラドとティナは腐っても奴隷関係。一般的に主人がこうなれば逃げるのが常ということは、奴隷達の日常は想像に困らない。ウラドがいくらティナを旅の途中良くしたとしても、旅が終われば、どうなるかはわからないというのは、事実。だが、どう返答しようかと思案する。


コツ–––コツ–––


ここには殆ど人がいないので、この静寂はより質素で知性に溢れるこの空間の中で際立つ。だが、この静寂を切り裂き、繕うように、足音がする。


「ティナ」


重厚な革靴の音と共にやって来たのは、ベリアールであった。彼は文庫本を片手に、二人を見下ろす形でニコニコとしている。だが、その笑みの中には何者なのかと、ベリアールに警戒する部外者である、少年に対する嘲笑いやティナへの興味を含む笑みでもあった。彼はこちらを見て言う。


「治療が終わったってさ。導道師の魔法(かご)は凄いね。流石、支援特化の魔法だ。」


感心しているように手を広げ話す彼にティナは立ち上がると、そうですね、と安堵と安らぎを持って答えた。ティナが逃げるように図書館から出て行く。それを身を翻して見送ったベリアールは少年に問う。


「君もくるかい?」


ベリアールは至って親しげに聞く。だが、彼の金の瞳は、彼を歓迎はしておらず、寧ろその没落した様を、振られた哀れな様子を只管に楽しんでいるように見受けられる。幸い、その目を見ることなく、少年はグッタリと脱力し俯いたまま首を横に振る。


「ここで失礼します。」


この時のベリアールでは理解できなかったが、今の項垂れる少年は、中々に面白く見えた。ベリアールは見下ろしたまま、魅惑的な口調で言う。


「あの二人は中々良い関係だよね。」


「逃げないのが理解できない。いずれその時は来るのに。」


なんて事だ!なんてそんな反応をするんだろうか!

ベリアールはついつい、高笑いをしてしまった。ひたすら心の底から、面白いと言う純粋な感情で笑った。ここに人がいたら好奇の目で見られるだろう、響きのある高笑いだ。これを食らって、少年は、彼の化けの皮が剥がれたかのような感覚に襲われ、彼への困惑と嫌悪と同時に自分が恰好の笑い者になっている事に気づく。この者の思考の歪さの只中にいる彼を、ベリアールは何も言わずに、軽く挨拶だけをして出て行った。独り取り残された少年は、屈辱と、ティナに向けた安堵を持ってその場に、暫く、座り込んでいた。


医務室に入ると、奥の方にウラドがいた。

彼はベットの頭の部分にもたれ掛け、鼻歌を歌っていた。子守唄のような、ゆっくりとした調子の歌だ。安心感と、彼の鼻声による独特な高低差のある音程が、小さくここに響き渡っていた。ティナが少し近づくと、すぐに鼻歌をやめてしまった。気付いたのだろう。彼は、側のサイドチェアに腰掛けたティナに、掠れた声で話しかける。


「死んでいてもおかしくない程の出血量だったそうだ。」


「そうだったんですか–––無事でよかったです。」


ニコッと小さく口角を上げると、ウラドの眼はハッキリと彼女を映す。優しさと謝罪のこもった、善人がするような目だった。


「他にも一人、いたんだって?」


「えぇ、ですが今は–––」


「もう帰ったよ。」


端的にそう言い、ベリアールはティナの肩に触れる。重厚な足音がなかったので、ティナは思わず身体をビクッと飛び跳ね、振り返る。その反応が良かったのか、ベリアールは少し覗き込んではニコッと見せた。


「マナの書の回収、ご苦労。報酬ね。」


彼は麻袋をウラドの脚の上に乗せる。それを受け取ると、ウラドは中を確認した。音からしてそれなりに高収入だったろう、とティナは思った。確認するウラドを観察するように彼の顔をジッと見ながら、ベリアールは調子良く語る。


「そうそう、ちょっと話があるから、ティナは宿に戻った方がいい。時間がかかるからね。」


ベリアールが優しい声色でそう言うと、事を察したティナは、はい、と言い小走りで医務室の重たそうな木製のドアを開けて出て行った。外では、晴れているのに、細い糸のように雨が降り注いでいた。西日にウラドの黒髪が照らされる。ベリアールはニタニタと悪そうな笑みを浮かべ、カーテンを閉めてから、彼女の温もりが残るサイドチェアに座る。


「あの少年、ティナの事を誑かしていたんだよ。『逃げたらどうだ』ってね。」


ウラドはそんな事は理解していた。


「まぁ、主従関係ではあるからね。普段から劣悪な環境、死んでも死体処理はされないなんて環境なら、今は絶好の好機でもある。」


「君は、彼女をどう思う?」


ベリアールはマナの書を眺めながら、労うように言った。だがその一言を聞き、ウラドは答えたくはなかった。答えれば、奴は面白がると分かりきっていたからだ。人間を単なる観察物としてでしか見ていないこの男にとっては我々も都合の良い観察対象(モルモット)でしか無いのだから。ウラドは少しだけ、眉間に皺を寄せた。


「君には答えたくはないかな。」


頷きながら、なるほど、なるほどと、勝手に観察して納得しているベリアールはある1ページをサイドテーブルに置かれた一枚の紙にくっ付ける。幾度か紙を擦っていると、忽ち文字や絵がそのまま複製された。これが、術師の魔法だ。術師は『万物は数』という解釈に基づく、錬金術師の派生派閥だ。全ての事象は、理論的に、そして数値を基にした法則として存在すると考えている。そしてこの魔法は魔法を独自の式で構築し、既存のものを複製(コピー)するものらしい。彼は複製が終わると、待っていた本を、ボンッと音を立てさせて閉じる。その拍子に、少し埃が舞う。

ベリアールは一呼吸おいて、楽しげに言う。


「では次の依頼だ。【ヴォルテーの眼】を頼んだよ。ここから西にある、『ヴェルフェル』という都市にある。」


返答せず、無愛想に黙り込むウラドを放って、彼は軽やかに立ち上がり、医務室から聖堂へのドアではなく、反対の勝手口の方へ行く。西陽を差し込ませる磨りガラスのドアの前ですぐに振り返り、先程の切り取ったページを飛ばす。それがウラドの膝上に着陸すると、ベリアールはナイス着地!と言わんばかりの歯が見えるほどの笑みを浮かべる。


「当てのない旅よりも、当てのある旅を。」


そう言い残し、彼は軽く会釈だけをして、西日の中へ去って行った。それを怪訝そうに見送った後、ウラドは渡された紙を見る。初版なので茶色に日焼けしており、文字も良くは見えない。

マナの書には、魔法動物の生態の他に、地形や土地柄も記載されている。それは時代によって増えていくのが定石だ。だが、このページは、ウラドでも読んだことのない土地だった。大きな島のようだが、頂上が盛り上がった直方体のようだ。



『世界には、世界の中心にある島国『ヨルメラスト』を東西南北に囲むようにして大陸が存在する。だが、その内の西の大陸『ヨルスト』から更に西の果てに、伝説上の土地がある。其処は、人類が未だ踏破できていない、神話の地、神々の帰還の土地とされている。名を–––』


ウラドは紙を握り締め、眼を大きく開いてぽつりと言う。


      


         【メテロトロン】



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