第六話 マナの書 上
ユリウルス暦 875年 9月10日
各地を転々とし、荷馬車を乗り継ぎながら、遂に、目的地『ウィルバレア』に到着した。ここは、623年から数十年間、ウィルバーレの一部であった歴史がある。だが、経済や文化面での発展により自立していった都市の一つだ。ここは、渦巻く貝殻のような構造をしており、中心に行くほど、複雑になって行く。
外側から宿や住宅街となっていく。二人は、一番外側に位置する宿のあるエリアに赴き、早速宿を取った。
部屋の中、ウラドは日課通り杖を磨き、ティナは貰った本を熟読している。
「マナの書は、多分ここの近辺にあるね。街の人に聞きながら探してみよう。」
杖を磨きながら、ウラドはそう言う。ティナは本からウラドに目線を上げる。
「わかりました。ですが、私、マナの書が何なのかを知らないんですよね。」
ウラドは、そういえばと言ったような顔で、目を丸くした。だが、数秒もせずに、杖に目を向ける。
「【マナの書】っていうのは、数々の魔法動物や魔物を研究していた学者『デボラ・ハービンデット』が書いた書物だ。相当昔に書いてあるもので、複写や改訂版が多く出版されてる。」
ティナは不思議に思った。
「では、態々探す必要はないのでは?」
「ベリアールは歴史的な物が好きなんだ。同じような物でも年代によって違うらしくて、集めたがるんだ。確かに、時代によって載っている動物は若干違ったりするから、時代を見る上では楽しいんだろうね。––まぁ、今回はそのマナの書に書いてある動物が目的になるし、依頼だから深く考えないでいこう。」
「ですね。」
少しして、二人は都市に出て、情報を集めることにした。向かった先は、『教会』だ。美しい石煉瓦の壁には苔ひとつない。更には橋とを繋ぐアーチは繊細な曲線を描いている。正面に嵌め込まれたステンドグラスは、教会を象徴する白百合を描いていた。この百合の異様な神秘さと美しさは計り知れない。この豪華さと慎ましさを兼ね備えた教会に、ティナは見上げながら、感動していた。
反対に、ウラドは、正直教会をあまり好いてはいなかった。昨今の魔導士界は、教会に所属する魔導士【聖導師】が権威を誇っており、彼らは魔法を『超越者が扱うもの』として解釈している。その為、我々のような魔法は神々の力ではなく、『自然現象と結びついている』としている【錬金術師】や、魔法を『術式と捉え、構築する』【術師】にあまり良い気はしていないのだった。ましてや、錬金術師の大半はそういった魔法の解釈によって信仰心がない為、半ば嫌煙されている。その枠に入るウラドにも、信仰心は欠片もない。故に、ここを見ても、豪勢な建築物程度にしか思えなかった。
教会の中に入っても、ウラドのその感想は覆らなかった。煌びやかな預言者の白い像、丁寧に磨かれたパイプオルガン、この権力を強調したような空間に、むしろ腹立たしさすら感じていた。
「巡礼者の方々ですか?」
横の通路から、黒い修道士の服をした男が話しかけてきた。修道士には階級があり、金が最も位が高い【神父】にあたる。この者は銀なので一つ下の修道士といったところか。優しげな声色に妙な薄気味悪さを感じつつ、ウラドは敵対するような口ぶりで応える。
「いえ、単なる旅人ですよ。少し探し物をしてましてね。」
「それは何でしょうか?」
にこやかな修道士に、ウラドは無表情で答える
「マナの書です。」
それを聞いた修道士は、目線を空に上げ、手を顎に触れさせる。
「んー、存じ上げませんが、遺物関連でしたら、ここ近辺の森に『ミフエル』の巣ができたので、集まっているかもしれませんね。この都市も、あの魔法動物に手を焼いているそうです。」
ウラドは納得した。ミフエルは確かに獰猛で好戦的な魔法動物だ。そして、ミフエルは遺物を集める習性がある。このことを聞いたウラドは、早く立ち去りたくてしょうがなかったので、手短に礼を済ませると、修道士も、神の加護などといった決まり文句を言い、二人を見送った。
都市を一旦出て、二人は森の中を歩く。ウィルバーレと同じように、ここも獣道が多く、木漏れ日すらない木々の根も地面から盛り上がっていた。
根をかわして進んでいくと、木漏れ日の多く零れた開けた地点が見えてきた。ウラドは慣れない道を転けながらも走った。
急に陽の光で眩しくなり、つい、目を細める。だが、その先は、崖だった。危ういところだった。ハッ、と目を丸くして崩れゆく足元を見た。だが、その崖の下先には、確かに、あった。無数の、だがここからでも見えるほど大きな巣が。