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彷徨える貴方  作者: 黒井基治
第2章 3部 北の大陸 無の國
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第58話 君の声を辿って


ウラドは、呼吸を荒くし、わなわなと震えていた。ベリアールは薔薇を差し出したまま彼を見つめていた。ウラドは少し俯き薔薇を見た。薔薇には棘が切られており、ツルツルであった。ウラドはそれを、ゆっくりと,震える手で受け取る。彼は息子の言葉を思い出した。『生きて』それこそが、意志だったとでも言うのだろうか?死を受け止めてなお、未来を捨ててなお、他者に願ったのか。彼は心の中が温もりに包まれた。彼は涙を流す。ベリアールは微かに微笑むと、立ち上がり、彼の頭を撫でた。


「転ずると言ってはいるけど、方向性が違うだけなんだよね。でもね、『意志』と言うのは確かに絶大な力があるよね。悪にも善にも傾倒して、尚突き進もうとするんだから。」


「–––––それに救われたということか––––その意志が続く限り、死ぬことすらできないのか–––」


少し黙ったのち、ベリアールは不意に話し始めた。


「意志––––そんなに良いものなのか時折思うよ。だって信じすぎたら悪になる。それでも手に入れたいものがあるのかな?『誰かを助けたい』とかっていう信念があるのなら、他者は望んでない可能性だってあるよね?『死にたい』って言ってる人に『死んだらダメだよ!』『人生悪いことだってあるよ!』って言うのは、それは悪でしょう?生きる自由があるのなら、死ぬ自由はあるのかな?」


ティナは一瞬心臓が突き刺さる感覚がした。まるで自分のことのように思えてならないのだ。だが彼は特に荒ぶることもなく、ひたすら平静に語る。ウラドも虚な眼差しで見上げる。彼は擁護も何もするつもりはないようだ。ベリアールは鼻で笑う。


「まぁ、そのありがた迷惑とも言えるような意志によって、君は生を受けたんだよ。」


「–––––もう、死ねないのか。皆んなの元に行けないのか。」


「うん。ドンマイ。」


ベリアールはそっと彼の元に近づくと、まるで幼い子供を撫でるようにして、彼に触れた。彼が一呼吸おくと、ウラドは疲れ切ったように倒れ込み、そのまま寝息を吐き続けた。


「でも、彼らの意志は美しいと思うよ。これからも、その意志を––––見続けたいな。」


ベリアールは不意にこちらを見た。じぃっと、目を細め、しっかりとティナと目が合っていた。ここではティナは視認する事はできないはずなのに、何故なのだろうか、彼特有の勘のようなものなのだろうか。何もかもが疑問となり彼女は怖気付き、一歩後退りする。すると彼はフッと鼻で笑う。すると有無を言わさず、闇が彼らを包んでいった。


ティナはまるで悪霊でも見た後のように荒れた息をしていた。あの目に見つめられたら,確かに気味が悪いと思ってしまう。だが、その背中に張り付いた緊張と名状し難い悪寒のような感覚の中,彼女は次のことを考えた。


意志というものには大きな力がある。だから重要なのは明白だ。恐らく,この闇は単なる暗闇だとかそんなものではない。きっと、ここは残骸に近いのだろう。人間が一生のうちに溜め込む悲しみや、恨み、あらゆる感情がここに溜まってしまったんだ。ティナはボソリと言う。


「信念は悪じゃない––––」


しかしながら、人というのは人生の中で沢山の悪さをする。それは明白であろう?同時に、人をそうさせたのは決意よろしく『意志』なのでは?


「でもそんなのどうでも良い!!悪いとか良いとか、そんなものは個人が決める!つまり!私の行動の善悪は私が決めたって良い!!」


それこそが、人が誤る所以なのだ。個人が決めて良い、故に己に都合よく歪曲してしまう。その一途を、辿っているのは確かだ。では、己の意志はなんなのだろうか?全てをへし折ってでも成し遂げたいものは?


「ただ私は–––––私は。」


ティナはぐるぐると回る頭を抱え、その場に蹲る。


「ウラドさんに変わって欲しいとか、そんなの思ってない–––ただ、ただ一つ、願うのなら、ウラドさん––貴方には『生きて』欲しい。そう思うのは–––悪なの?」


彼女は思わず涙をこぼした。刹那––––彼女の足元がまるで白いインクが落ちたように広がった。だがそれはそこ止まりであった。不意に本がバラバラと風に吹かれたように開かれる。そしてあるページで急停止する。そこから青い文字で文が刻まれる。


『 祈って–––願って–––決められるのは自分だけ。 』


「祈る–––−?」


ティナは本を拾おうと屈む。だが瞬間、頭の中が情報で溢れる。溢れる、というより思い出すと言った感覚だった。沢山の記憶、ウラドの記憶、自分の記憶問わずあらゆる記憶が流れ、感情が流れる。皆の言葉がまるで、重なる。家族の落胆の声、友人の小馬鹿にした一言、だがなんだかどれもこれも、昔は気にしていたのにもうどうでも良いもののように思えてならない。


そして、意識の奥の奥、段々と『何か』が形を帯びつつあった。ティナはそれに意識を向ける。彼女の気付かぬ間に、辺りは彼女を中心に回るようにして風が吹き荒び始める。ティナは右手の指先を見る。金の指輪が光っている。まるで、何か促そうとしてるようだ。暴風に吹かれる中、彼女の頭の中の言葉が徐々に紡がれる。だがまだまとまらない。生まれては砂のようにサラリと消える。本当に望んでいること、それがなんなのか次第にハッキリとしていく。今、望んでいることは。


なんだか少しずつ言葉が浮かぶ気がした。指先から、温もりを感じる。力が湧く、とでも言えるのだろうか。


「な、なんだろう?急に–––!」


本はまたベラベラと開く。


『 君なら走れる。 』


ティナは暴風の中跪き、少し顔を地面につける。少し息を整える。


『 皆 世に絶望している。 富豊かなる者、貧窮極まれし者の隔たりは、海よりも深きもの。 人々の絶望の声しか聞こえぬ君よ。 我、君の元へ馳せ参じよう。 我、この闇と光の交わりし世の声を 微かなる声を聞く–––– 』


ティナは詠唱する。


             【彷徨える貴方】



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