第56話 死はない
テナナとロキは、冬の寒い中、雪の上を歩いていた。テナナは灰色の外套に黄色のマフラーを可愛らしく巻いていた。一方ロキは普段通り外套羽織る事はせず、薄着に近い状態で歩いている。しかし彼には寒さを感じなかった。白い息を吐き出しながら、テナナはある鬱蒼とした森の前に立つ。杖を両手で握り悴んだ手を硬直させていた。彼女は言う。
「ここだね。お兄ちゃん。」
「あぁ。だが––––」
テナナは杖先を森に向ける。
ドォォォォ–––ン!!!! ダキイイイィィィィィ––––––ン
杖先から魔法を放ったが、何か硬い膜のようなものがそれを離散させた。2人は訝しげに見つめている。ロキは言う。
「魔力を断絶させているのか。つまり今、ここの魔力と、ウラド達がいるあちらの魔力は別物だ。」
「と言う事は、魔力が置いてかれてるようなものだから、時間すらも違うって事だね。錬金術由来の結界?」
「肯定。–––––解読する必要がある。」
ロキは右手を膜の前に差し出す。彼には両腕があった。かつて魔人によってちぎれた腕だったが、ベリアールは施術によって、まだこうして腕があるのだ。テナナはこの間に、この森の奥の魔力を感じ取ろうとしていた。だがまるで無駄だ。何もない森のように感じる。実際入るか事は容易いであろうが、『出られなくなる』だろうと言う直感があった。彼女は、静寂なこの世界を破くように、少し静かに言う。
「お兄ちゃん、ウラド兄は、一体いつから生きてるんだろう–––?」
「不明。」
「神國でね、妙な話があったの。『星々程度しか灯りがない森で、異端者と聖導師はいた。だが妙な森であった。鬱蒼としていて、牙の山がいくつかできていた。それは神がお造りになられた山ではなかった。』–––」
ロキはふとコチラを見る。
「なんだと。」
「『その山の麓で、私は仰向けになっていた。私は痛む頭を上げると、牙の山から男が降りて来た。』–––––これって多分牙の山は–––––」
ロキは少し眉間に皺を寄せて言う。
「あぁ––––【串刺しにする魔法】––––ウラドの魔法だ。」
–––記憶にて–––
闇の中、皆はただ口を閉ざすことしかできなかった。あの惨たらしい景色を言葉になんてできやしなかった。ティナはゆっくりと目を開ける。皆呆然と立ち尽くしている。沈黙が闇の中で泳ぐ。ティナは小声で唇を震わせながら言う。
「あんな事が–––起きただなんて」
「同情する、だなんて言葉では軽すぎるくらいの経験だ––––」
2人は少ししてトウカを見た。彼女は虚な目をして、まるで精神が崩壊したかのように無力に立ち尽くしていた。ティナは彼女が心配になった。生まれて200年程度ではこの出来事へのショックも大きすぎる。ティナは彼女の肩を軽く触れる。
「一先ず、座って休んでください」
トウカは何も言わずに、口を半開きにしたままその場に座り込んだ。シモンとティナは少し距離を置いて小声で話し込む。
「ウラドの過去を見せてるのは誰になるんだ?」
「わかりません。ですが、出ない事には知る由もないでしょう」
「トウカ––––大丈夫かな–––皆とも会えてないし。」
「流石にまずいでしょう。生まれて200年の龍人は人間で言う2歳と大して変わりません。子供にとっては大きなショックですし–––––」
「なんでなんじゃ–––––?」
その時、2人を遮るようにトウカはボソリと言った。2人は黙り,彼女の方を見る。体育座りをして、瞳孔を揺らし、爪を立てて、彼女は唸るようにして言う。
「なんであの子供は死なんといけなかったのじゃ?何故あやつらは人を殺したのじゃ?」
ティナは目を丸くし、耳が震えた。心臓が軋むような感覚がした。彼女はすぐさま駆け寄ったが、闇の波が、それを邪魔した。トウカは瞬く間に闇の中に呑まれていく。だが本人は気づいていないのか、ブツブツと動かぬまま何か言っている。シモンはトウカの手を握り締める。だが闇は重たく、むしろ自分の片足が沈みつつあった。ティナも彼の腹を抱きしめるようにして引っ張ったがびくともしなかった。
すると、何かティナの足を引っ掛けた。彼女は転び、シモンの腹から手を離してしまった。彼は滑るようにして闇に落ちかける。だが寸前の所で,互いに手を掴んだ。歯を食いしばるなか、シモンは言う。
「ティナ!手を!手を離して!」
「なぁに言ってるんですか!!」
「分かったんだ!一つの謎が!」
「え?!謎ぉ!?」
ティナが汗を流しながら言うと,シモンは確信に満ちた目で言う。
「そう!あの時、聖導師は言ってたよね?!『恨みを押し付ける』って!でもなんで!なんでウラドは生きてると思う?!」
ティナは急な質問に耳を疑った。彼女は弱っていく腕の力を込めながら言う。
「なんですか急に!!」
「ティナ!もう答えは出てる!君は見るんだ!君じゃないとダメなんだ!」
何が何だかわからなかったが、ティナは手を離すなんて事は脳になかった。この闇の底を、想像する事ができなかったからだ。だがシモンは迷いのない真っ直ぐで光の宿った目で言う。
「なんで––––ウラドが君とずっといたのか分かったよ。」
「な、家事してくれる人がいて楽だからでは––––?」
「君が、彼の愛した人に似ていたから。––––ティナ、『意志』だ。『意志は転ずる』んだよ。」
シモンは手を離した。
闇は2人を飲み込み、また何もなかったように静寂となった。ティナは少しずつ手を握りながら立ち上がる。そして、小さな頭で考えた。あの出来事に何かヒントがあるのは明白だ。意志とはなんなのか、何に呼応するのか、意志、なにか、意志で関連してるもの–––––ティナは頭を抱え、唸る。すると、途端に灯りがついたように閃いた。
「ギルデロイさんの本!!」
ティナは鞄を弄る仕草をしたが,その時にはたと気づいた。そうだった、自分は手ぶらなのだと、だが、ダメ元でやってみようと耳を左右に揺らしながら念仏する。
「んんんん〜本〜本ください〜」
すると、何か波が岩に当たるような音がした。振り返ってみると,確かに本があった。その本は真っ白で自分の名前が刻印されていた。だが、彼女は少しほくそ笑む。開いてみる。少し日焼けで黄ばんだページには何も書いてはいなかった。ティナは目をまんまるにして,耳をビビビッと尖らせる。
「何もない?!えぇ––––どうしましょう–––ギルデロイさん、私の意志で呼応すると言ってましたし––––」
少し考えて、ティナは頭の上に本を乗せた。耳がぺたんこに潰れてしまった。暫くして、何かカサカサと音がしている。まるで羊皮紙に文字を書いてるようだ。ティナは本からその音がしている事に気がつき、先ほどのページを開く。筆記体の文章があった。それは簡単な語彙ではあるが簡潔な文章だ。
『 願って。祈って。貴女の中の疑問によって、考えは変わり、意志は転ずる。』
『 声に出して読んでみて,貴女の祈りは。』
『でも気をつけて、他者の意志は踏み込んではいけない。貴女に傷がつくから。』
ティナは分かりそうでわからなかった。だがこれ以上は何も起こらなかった。恐らく、これが全てなのだろう。ティナは本を閉じる。そして、少し心の中の圧迫感を感じながら考えた。疑問、まずは、何故彼は生きる事ができたのか,これこそが大きな疑問だ。そして彼を救い出す方法−−−−−
コォォォォォ−−−−ン−−−−−
考え込んでいると、遠くの方からまた、流れ星のように光の粒が低空に飛んでいく。今度は美しくサラサラと流れていく。ティナはそれを眼前へと目線を移していく。その先にあったのは白い渦だった。光の粒は彼女の背中を押すように飛んでいく。故に彼女は何も言わずに、数歩歩くとまた走り出した。渦の中は音すらもなかった。ティナはしゃがみ込み、ポツリと言う。
「次で答えが出る−−−」
渦に触れると、波が起こりまた空間が歪み出した。黒いインクのようなものが上へと登ると、頭上に紫色の闇を映し出した。それは次第に星を纏い、月を生み出した。そこから下へと視線を落とす。雪が少し積もっており、周りは鬱蒼とした森であった。あちこちで何か抉るような轟音や、人の歓声や怒号までもが響いた。それらは静かになったり、また別の場所で響いたりと忙しなかった。そして、あちこちに大きな針山のようなものが点在しているのもわかった。
ゴゴゴゴゴ!!!!
刹那、背後からまた何か打者が押し寄せるよう轟音が差し迫ってきた。だがそれはティナの眼前で止まった。まるで牙が密集して襲ったようだった。そしてその牙から、男が雪崩れ落ちてきた。男は肩を串刺しにされたようで雪が赤く染まっていた。呻き声を上げる男の首元には月光で金色に輝いた。男はベージュの髪をしており、いかにも西の人のようであった。少し若いが、髭などが生えて些か年上のように見えた。
ティナはその牙の山のてっぺんを見上げた。そこから人が降りてきたのだ。真っ黒な髪の毛、死人のような白い肌、そして、まるで血のような真っ赤な瞳、ティナは誰だかすぐに理解した。
「ウラドさん−−−−−−!」
ウラドは古びた木の棒なような杖を、倒れている男に向ける。男は恐怖に慄き必死に言う。
「な、何故!何故改心しなかったんだ!神を信じれば、お前達だっ−−−−ヴェェ!!」
ウラドは杖の先を男の方に捩じ込む。ウラドは低く、嫌悪感に満ちた声で言った。
「神なんていないんだよ。−−−−いたらどうして、息子は死んで、僕が生きてるんだ?!あ゛?!なんで、他の神を信じる連中を!認めてやれないんだ?!」
「だが、君は地獄に落ちるんだ!!終わりのない絶望が!!死の先に恐ろしいものがあるぞ!」
しばらく沈黙が流れた。男は冷や汗をかき、ウラドはそれを値踏みするように見下ろす。だが途端に彼は引き攣った笑いをして、終いには高笑いした。まるで気でも狂ったように。男は少しずつ後ろに下がろうとした。だがウラドも、少しずつ前に出て、そしてあからさまに侮蔑する目で言う。
「−−−−−僕のある所に、死はないんだから。それに−−−−−お前達は幸せなんだよ。お前達みたいなクズでも!天国に行けるんだからね!死ねるんだからぁぁ!」
首元を金に光らせた男は何も言えなかった。物理的な意味でもあるが、もう一つ、見てなかったものを見てしまったような真理を、ここで見てしまったからだ。ウラドは低く、吐き捨てる。
「そんな不寛容な神−−−−−こっちから願い下げだよ。」
ティナは息を呑んだ。駄目だ!彼が人ではなくなってしまう。そんな気がした。ティナは思わず叫んだ。
「ダメェェェ!!!!」
その時、ウラドは我に帰ったように目を開けると、辺りを執拗に見回した。息は荒れて、手は震えていた。ティナも、喉の痛みを忘れて、彼を見つめていた。
「何故躊躇っているの?」
ウラドは心臓が飛び出る思いで、勢いよくその声の方向、右手の麓を見た。ティナもその方を見た。そこには、山の影で暗くなって焦茶の短髪で、この場においては小綺麗な格好をした青年が、ウラドを見上げていた。その背丈、声、ティナは分かった。
「ベリアールさん」
驚愕する彼女と彼を差し置いて、ベリアールは前に歩き出す。
「ねぇ、殺さないの?」
ウラドは硬直していた。ベリアールは純粋な眼差しで彼を見つめていた。ベリアールはまた鋭く見つめると、杖を召喚した。黒の艶のある軸に、金色の装飾、黄色の円球の魔法石がはめ込まれた杖だ。彼はそれを、男に向ける。
「躊躇っちゃダメだよ。息子くんも残念がってるよ?」
「−−−−やめろ。」
ウラドは絞るように言った。ベリアールは無表情のまま首を傾げたが、数秒して杖先を上に向けた。男は冷や汗をびっしょりかいて、走っていった。ティナの横を素通りして行ったが、もう姿は見えなかった。ウラドは牙の根元に足をかけながら麓まで降りてきた。ベリアールは陽気に尋ねる。
「やぁ!元気?」
「−−−−−クソみたいな気分。」
「そっか!良かったね!」
「お前、何者だ?」
「僕?僕は−−−−−術式蒐集家?ってとかかな!」
「殺した連中の術式剥ぎ取ってるのか。錬金術師の風上にも置けないクズが。」
「やだなぁ。世渡り上手って言ってよ。生憎僕は眺めてるのが好き。君−−−−訳ありだよね?」
ニコニコと気色の悪い笑みを浮かべながら、何の悪意もなさそうにそう問うてくる様を見て、ウラドは眉間に皺を寄せた。
「訳ありだなんて、ここらの奴らはみんなそうだよ。」
「違う違う!そう言う意味じゃない!」
ドォォォォォン!!!
ベリアールは唐突に一撃を放った。左半身を消し炭にされたウラドは棘の山まで吹っ飛び、また串刺しになった。彼は悶え苦しみ、悲鳴を上げた。ベリアールはその苦しむ様を見て、やりすぎたと認識して、彼を山から引き抜いた。だが特に何かしてやるでもなく、ただ冷たいであろう雪の上に寝かせた。ウラドは痛みで過呼吸になっていた。しかし身体は徐々に骨を作り、繋がり、肉を生み出し治っていく。ベリアールは頷きながらその様を眺めた。彼は確信したように言う。
「僕とお揃いだね。」
ウラドはかすかに目を丸くした。




