第53話 美しき日々
ティナは走って丘を登った。雪が積もっていたが、疲れどころか雪の感触するし無いので容易に登れた。
「ウラドさん!ここは一体!?」
ティナは徐に彼の手を握ろうとしたが、まるで風を掴もうとしたかのようにすり抜けてしまった。
「ニ゛ィッ!!!」
ティナは転んで雪の中に顔を突っ込ませる。だが、雪の冷たさもなければ、水っぽさもなかった。ティナは起き上がり空を見上げたが、空の雲もまるで動いていない。ウラドも、こちらの存在に気づく事なく、そのまま奥の大きな家へ歩いてしまっている。
「おーい!」
何か,やけに透き通った声が左手の坂の下から聞こえた。ティナは立ち上がって少し下を覗き込むと,そこにはトウカがゼェゼェと息を切らしながら登ってきていた。彼女は差し伸べられたティナの手を掴むと、足で踏ん張りながら坂を上がった。ティナは不安と困惑に満ちた表情であの奥の家を見つめた。それは温かい雰囲気はあるものの、どこか寂しく,そして、なんだか恐ろしげであった。あそこが何かの舞台のようにも思えた。そして背後を振り返ると、そこには村があった。村は少し小さいものの畑もあり水車もあった。辺りは山脈が唸っており、山頂は白く彩られている。
2人は村には行かず、ひとまず奥に行ったウラドを追いかけた。家はやはりそれなりに大きくそして小綺麗であった。家の側にも小さいながら畑があり,奥には庭木も植っていた。窓から覗いてみると,暖炉のそばに座った妊婦と、1人の少年がいた。妊婦は白髪で顔は見えなかったが、体格からして小柄だ。少年はウラドに似た黒髪で母譲りの直毛であった。少年と妊婦は何かボードゲームのようなものを楽しんでいる。玉を移動したりしている辺り、玉の数で勝敗が決まるのだろうか。奥の部屋の隙間から、ウラドの背中が見えた。彼ら腰掛けて何か机に向かっているようだ。ティナは一抹の淡い懐かしさに似た感情を持ってそれを眺めた。故郷でも、古びた白黒の駒で碁をしたり、外で遊び回ったものだ。それも、まだ年端もいかない頃までであったが、それでも、心の中は満たされた。
一方トウカは中に入らないものかと壁を押したり,地面を掘ったりしたが、無限の雪、硬い壁によって中には入れなかった。ふと、ティナは家をぐるりと回って反対側へ向かった。そこの窓からはウラドの顔が近くで見えた。彼は何か草を潰した粉を紙の上に置き、何かを執筆していた。箇条書きで、端的に記されたその単語を、2人は理解できなかった。彼は真剣な眼差しでそれを書き続けている。だが、ふと、糸が切れたように後ろを振り返った。2人は疑問に思い、彼の視線の先を見る。妊婦が少し腹を抱えてゆっくりと歩きながらドアを開ける。この時,ティナは思いついたように早口で言う。
「ドアに回り込めば!」
彼女は走ってドアの方へ行った。だが来訪者を見て思わず立ち止まってしまった。なぜなら、そこにいたのは獣人達だったからだ。トウカも、彼らが楽しげに談笑する様を眺めながら言う。
「人間と––––獣人は共存しあっておったのか。」
ティナは口を半開きにしつつもこの美しい光景を前に涙が出そうであった。ウラドも今までよりもはるかに幸福そうに笑い、そして何よりも愛想よく振る舞っていた。まるで別人に近い。ある、白兎の獣人が言う。
「この後、マルトューの酒場でみんな集まるんだけど、君も来ない?最近休めてないじゃないか!」
ウラドははにかみながら少し後ろを見ると,妊婦はニコニコと笑いながら彼の影に入るようにして背中を押した。
「いいじゃない。私はここ最近具合が良いから、少し休みなさいな」
ウラドは少し照れくさそうに微笑んだ。ティナは思った。これ程度美しい光景はあるのだろうか。だが同時に、ではなぜ彼はあそこまで暗くなってしまったのか、この美しい日々があったと言うのに、なぜそれを糧にできずあそこまで人を忌避するようになってしまったのだろうか、と。




