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彷徨える貴方  作者: 黒井基治
第4章 北の大陸 無の國
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第52話 盤面を覗く笑み

上品な書斎テーブル、細やかな刺繍の絨毯、窓辺に置かれた小瓶には、もはや絶滅した草や動物の骨格標本が置かれている。値打ちを踏めば、家1件は買えるだろう。その部屋の中で、ベリアールは淡々と、ぼうっとしていた。テーブルの上には分厚く積まれた紙があり、そこには術式やら、小難しい長文が綴られている。彼はのっそりと立ち上がると、つまらなさそうにグルグルと部屋を歩き回った。


あの日から、観察対象はまともに口を聞いてくれなくなってしまった。せっかく鳥を『直してやった』というのに、これは、年頃の娘特有なのだろうか?彼はそんな的外れな事を巡らせていた。


ゴンゴンコン


ノックの音がした。

力強く、乱雑な音だった。赤いサムラッチ錠のドアに一瞬目を向ける。一瞬の静寂を待たぬうちに、ドアは蹴り飛ばされた。荒々しく開けたのは、紫を含んだ黒髪、クラシックシャツのドラゴンだ。ベリアールは嬉々として言う。


「1600年振りだね!ギルデロイ!君がここに来るだなんて珍しい。」


「喧しいぞ。この俺に、茶を寄越せ。」


適当に相槌を打ちつつ、ベリアールは何もしなかった。そして、彼は傍にある書斎のテーブルに向かう。目も合わせずに言う。


「君がここに来るのは、本当に久しぶりだね。」


ギルデロイはドサっと飛び込むように座る。


「あぁ。前は––––スパルタルクスの内乱か。」


「そうだよ。あの時は残念だったけど、まぁ仕方ない。」


感慨深い様子で深々と腰掛けるギルデロイをよそに、ベリアールは書斎の論文をまとめ出した。随分な紙の山だが、からはなんだかんだ1冊ほどの本になる。ギルデロイはそれを横目に眺めつつ、訝しげに語り出す。


「聖導師が蔓延り始めて最早数世紀だ。」


「でも、やっと、それを打開する手立てが出来た。」


生体錬金術(バイオロジック)か。これが出来上がれば、命は神の創造という定説が覆る。」


「盤面は整いつつあるよ!後は仕上げだ–––––どうしたんだい?普段なら喜び勇むのに。」


ニヤけた面を見せびらかす彼と違い、ギルデロイは悶々と足を組む。


「いや–––––それだけでは足りぬ気がしてならん。」


ベリアールは首を傾げる。


「ふぅん。足りない––––か。では、もっと核心に迫ったものに対して出ないといけない訳だ。」


「その通り、聖導師の歴史そのものを打破しなくてはならない。聖典の否定では足りない。となると必要となる観点は––––」


「獣人–––––ってことだね?彼らは聖導師の台頭によって排斥されつつある。彼らの地位を回復させることは、同時に聖導師にとって反比例となる。」


「この際だ。昔話をしつつ整理しよう。」


ギルデロイは一息ついた。ベリアールは幾つかの文献をテーブルに置く。するとなた、彼の正面に座り込む。


文献は日焼けしている物や、本になっているものまである。ギルデロイはいくつか、チラチラと覗きながら言う。


「まず、獣人の定説である『魔物の特徴を有した下等生物』というのは、確か−−−−−」


「アウグステウスの【神國(シンコク)】だね。確かユリウルス暦4世紀あたりだったはず。異端勢力と教会勢力の対立に関する歴史だ。」


「勝者の歴史か−−−−−初版を読んだことは無いな。やたらと教会で売られていたのはそれだったか。」


「『2日もあれば、西のアルトゥス山を飛び越えて、2日潜れば、山に積まれた海の幸』有名だねぇ。しかしまぁ−−−−−証拠なんて身体的特徴ぐらいしかないけどね。ここに、獣人の歴史などは書いてないし。」


文献をそれとなく閉じる。ギルデロイはまた地図やら何やらを取り出しつつ、鋭い声で言う。


「【マナの書】はどうだ?」


「初版【マナの書】はあまり変わらないね。」


「初版だと?まだあったのか?大迫害の焚書であらかた消えたと思っていた。かの時は女子供惑わず皆殺しだった。」


「家ごとね。著者デボラ・ハービンデットの初版は確かに大部分が燃えた。彼の死後に焚書が起きたあたり、狙っただろうね。死後弟子たちが名義を借りる形で改訂版などが出版されたけど−−−−お察しの通り。」


「奴の頼み通り、この俺が参加してやろうと思ったら断られた。となると既に奴らの手玉だった訳か。」


「そういうことになるね。」


「文化的な記述はないか。」


「うん。あらかた燃えきったよ。ただ、協力者のおかげで、現在の視点での解釈にはなるが、あるにはある。」


そう言いながら、彼は一冊の手記を、テーブルに置く。クシャリと文献に飛び込んだそれは、当時にしては珍しい藍色の表紙であった。色は年季が入って霞んでおり、血痕がはっきりと残っている。不快そうに摘み上げる。ページは血のせいでか開かないページが多い。無理矢理破いていく。滲んだ黒のインクには、やけに呪文じみた文だった。ギルデロイはうろんそうに眺めた。


「これは−−−−−誰が書いたんだ?」


「昔−−−−僕の友人が書いた物だよ。最後に渡してくれたから、今ここにあるんだ。」


ギルデロイは読み込んだ。


『器は調和』、『杯を掲げ』、『−−−−と成す』、『意思は転ずる』、『意思は石として−−−−』


「−−−−−はっきり書けよ。」


ギルデロイは投げ捨てるようにして、またテーブルに置いた。この頃には、書斎の窓からは橙の西日が差し込んでおり、二人が座っているこの席は影が入りこんている。


「『杯を掲げ』−−−−−ね。確か西では聖杯なのかな。神の子の血の器だ。」


「だが、何故わざわざ『器』と『杯』で分けた?」


しばらくの間、沈黙が横切った。ギルデロイは暖炉上の熾熱ランプを取り上げると、火をつけた。フルフルホロホロと揺らめく真っ赤な火だった。ギルデロイはそのランプの蓋を閉める。


「『光あれ』」


ちょっとしたジョークを口走りつつそれを置き、軽く笑った。仄かにテーブルは明るくなる。ギルデロイに反してベリアールは手短に礼を言う。


コンコンコン−−−−−


ノックの音がした。固く、大きなその音はギルデロイの鋭くなった神経に逆撫でするような感覚を持たせた。


「誰だ。」


軽く小突くように言うと、ドアが開いた。ゆったりとしたドアの開け方に、ギルデロイは微かに期待の眼差しを向ける。だが入ってきたのは、麗らかな娘でもなんでもなく、厳つい真っ黒な格好で、身長の高い小僧だった。ギルデロイは内心残念で仕方なかった。この、可愛さの欠片もない男が入って来たのだから。それも小僧は髪から服まで黒いので、胡散臭い傭兵かと、ギルデロイは思った。訝しげに見つめていると、その青年は見た目にそぐわずティーセットを持っていた。この小僧が持つと、なんだかミニチュアに見えて笑えてくる。ギルデロイは尋ねる。


「何用だ?」


小僧は淡々と人間ではないかのように言う。


「茶を用意した。」


「ほぅ。気が利くな。名はなんという?」


RK1(ロキ)だ。これは俺からではなく、テナナからのものだ。」


ロキはその『テナナから』の品を持ったまま、サイドテーブルを談話テーブルのそばに置く。茶を注ぐと、深い茶色の水面がゆらゆらとしていた。砂糖はない。そこは気が利いていないなと思ったが、一口啜る。一瞬、ギルデロイは目を丸くすると、徐々に肩の力が抜けていく。ギルデロイはティーカップを置く。


「そのテナナとやらは、東の大陸の南東の生まれだな?」


「何故わかった?」


「茶だ。友人から聞いたことがあってな、東の茶葉は−−−−−燻したもの故風味はあるが苦くはないらしい。––––体の芯から温まるな。」


ロキはなんとなく相槌を打つ。テナナから学んだことだ。そして彼は本棚の方であれこれ眺めるベリアールに声をかける。


「ウラドから連絡は?」


ベリアールは本を読みながらいう。


「何もなし。」


「だいぶ長いな。」


「そ。聖ハヌルソフィア教会の学会も一回分逃したし、もう後はないんだ。これを逃したら、次は10年後になってしまう。」


溜め息をつきつつ、彼は本を片手にソファに座る。ギルデロイは目線を上げる。


「先程、例の聖導師に会った。その際新たな文献を発見した為、手記を預かっている。」


そう言い、一冊の手記をベリアールに手渡すとロキは部屋から出て行った。手記は茶色の表紙で真新しい為、艶もあった。ベリアールは構うことなく、その手帳を開いて、テーブルに置く。ギルデロイは前屈みに乗り出した。本には、達筆な文字で事細かに記載がなされている。


『血は穢れであり、出産時に出血した女性は地獄に落ちるとされた。』、『法の器は東では縁起物でもあった。』


「『法の器』って何か知ってる?」


ギルデロイは首を傾げる。他のページを開いてみると、びっしりと羅列された文字がある。聖典の一節を分岐させ、また分析しているようだ。パラパラと開いていくと、東文化に関する記述があるページに辿り着いた。そこには、確かに器のような絵と、それに関する記述があった。ギルデロイはその分を指でなぞる。


『法の器とは、東と南の大陸に伝わる物だ。この世の調和、悟り、不老を表す。』


ベリアールは腕を組み、指でトントンと腕を叩きながら言う。


「それって––––【賢者の石】と同じじゃないか!?」


「賢者の石––––錬金術師達の最終極点だな。結局作れじまいだったが。となると––––法の器はそれに類似したものなのか?」


「だとしてもおかしいよ。ここ6000年間、そんな物は生まれていない。」


ベリアールは途端に早口でそう言った。


「お前でさえも知らないか。」


途端に、ベリアールは先程とは程遠く、鋭く、わずかに焦りのある面持ちをした。そして、ソファを座り直し、忙しく手を握ったりした。


「知らない––––いや–––––ウラドなら。」


「魔導教会で奴のあの様を見た。」


ギルデロイは不快に満ちた面持ちをする。


「あれは『血に拒まれた』奴の様だった。お前と同じ。いや、お前なんかより遥かに汚い。人間のクソをまとめて放り込んだようだった。だが、一滴のみ美しいものもあったがな。それが何かは知らん。––––お前はいつ頃からやっと知り合った?」


ベリアールはティーカップの縁を鷲掴みにしつつ、震えた腕で飲んでいた。だがギルデロイに声をかけられた彼は、なんとか平生を取り繕うように慌ててそれを置いた。


「800年前だね。」


「なるほど–––––だとしたら、何故東文化の単語である法の器が、西の宗教であり、敵対している【教会】に出てきたんだ?」


ベリアールは重々しく俯き、頭を抱える。ずっしりと肩から押しつけられるようなその重みの中、彼の頭は思考のしすぎで痛みすら感じた。しかしながら、ある一点の結論に達した途端、そんな物は消え去った。寧ろ残ったのは、揺るがない確信と、全てがつながりつつあることへの恐ろしさ的な予言もあった。


「––––––【聖杯】」


ギルデロイの顔は一気に歪む。


「なんだと?」


「【聖杯】だよ。法の器は聖杯なんじゃない?」


ギルデロイはその言葉を受け入れがたいものと見ていた。突飛すぎるのだ。だが、嫌な事に、そんな気がしなくもない気もした。ギルデロイは腕と足を組み、俯いてボソボソと言う。


「法の器−−−−−宇宙の象徴。わざわざ器と杯を分けた理由。血は穢れ−−−故に母体もその象徴––––聖杯はなんだ−−−−−」


ギルデロイのあたまのなかで


「そういうことか。」


ギルデロイは不快感を露わにした。先程まではなんとか平生を見せていた彼が、本を殺さんと睨んでいる。ベリアールはそれが理解できず目を丸くした。こんな彼は珍しい。


「どういう事?」


「これは胸糞が悪い。奴がああなったのは−−−−−−−−」


その後の彼の仮説を聞いたベリアールは、頷きつつ、心では安堵していた。寧ろ薄気味悪い笑みを浮かべていた。ギルデロイは『恨みの結晶』のようにウラドを見据えているが、彼は全く違う。ギルデロイの見解が正しければ、あれは聖典の理想系の体現者であり、チェックメイトの駒でもあるからだ。だが、1つ、懸念点はあった。無の國の特性を考えれば、早々に向かわねばならないし、ウラドも自身に向き合わねばなるだろう。その時に、ティナが頼りになる。


一方、茶を提供したロキはテナナがあてがわれた寝室にいた。四つ足の天蓋ベットの下に座り込み、淡々と直近の記憶を整理していた。テナナは彼に背を向けた状態で、机に向かっている。窓からは西陽が入り込んでおり、些か紙が見づらい。風で揺らぐ紙を抑えてもいた。ロキは彼女の勤勉な様を呆然と眺めながら言う。


「ウラド達は『無の國』にいるらしい。ベリアールも、学会に向けて最終調整らしい。」


「学会での発表が終われば、私達もお役御免なんだね、お兄ちゃん。」


テナナはふとそう言うと、幾つかの疑念、幾つかの懸念が浮かび上がる。今まで彼を見てきて、彼に対しての不信感はあった。特に、あの鳥の修復は、彼女にとって大きな衝撃であり恐怖であった。故郷の言い伝えにあるような曖昧な畏怖ではない。もっとハッキリとしたもの。彼は、我々をチェスの駒程度にしか見ていない。ウラドでさえ、その可能性が高い。彼女はふつふつと彼に言う。


「ベル兄は、今後世界にどんな影響を与えるんだろう?」


「不明だ。しかしながら、これ以上は接触しない方が良い。ウラド達が無の國を出れば、俺たちも、旅に同伴しよう。」


「そうだね。」


テナナは立ち上がり、ベットの向こう側にあるクローゼットを開ける。そこには茶色と白の合わさった様な服があった。袖口は少し開いており動きやすいものだ。彼女は着替えると、また奥の方にしまわれていた杖を取り出す。艶のある黒い木軸で、灰色の装飾はシンプルでありつつも品を出していた。テナナは振り返り、立ち上がって見下ろすロキに言う。


「早くその旅に行くために、私たちも行こう。」


2人はドアを開けた。先ほど彼女が向かっていた机には、すぐ前の窓からの風が入り込んでいた。風はパラパラと本のページをめくっていく。そして、本は閉じた。青い本で真新しく、黄色の装飾が荘厳さを際立たせている。表紙の真ん中、金の印字で『神國』と表記されていた。

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