第50話 知らぬ間の入國
ユリウルス暦 876年 2月16日
ガルテック地方の森のそばで、皆々水浴びをしていた。冬の川は身が縮むほど冷たく、決して晴れていたなどとは思えない。アルバートとシモンは川のそばで薪の支度をしていた。火打石で火を起こし、寒そうに耳をブルブルと震わせるティナに白湯を飲ませた。ウラドは双龍の餌食に合い全身に水を浴びて鼻水を出している。双龍は軽い水遊びをしたような気分で、まだ遊んでいる。ティナがウラドの髪を乾かそうと躍起になっている時、アルバートが言う。
「この先は、確かもう国境線だったか?」
「いや、アルバート、厳密に言えば、もう既に国境から出ているよ。気をつけないとね。」
ティナはわしゃわしゃとウラドの髪を拭く。トウカはびしょ濡れのまま陸に上がると、朝食の魚を貪る。シモンはそれを和やかに観察していた。ウラドは地図を開いて言う。
「取り敢えず森から出ようか。その方が道も安全だろう。」
皆それを承諾した。森の紆余曲折とした道を歩いていくと、途端に、ひらけた場所にでた。そこは、本当にやけにひらけており、植物すら見当たらない。皆は困惑した面持ちで辺りを見ていた。ふとその時、セナが怪しむように目を細める。
「なんだか妙じゃ。」
「そんなん見ればわかるのじゃ!兄者!人っ子1人おらぬ!」
トウカは慌て、恐れるようにセナにひっつく。ウラドとアルバートはもう一度、地図を確認した。だが、特に情報らしいものはない。その為、ウラドは肩をすくめる。
「さっぱりだね。取り敢えず、先へ−−−」
ドガァァァン!!
突如、あたりが吹き飛ぶ。ウラド達はすぐさま伏せた。轟音を伴う爆発は幾つも起きる。一体何が起きているのだ?さっぱりだった。ウラドは防御結界を展開しながら立ち上がる。すると、土煙の向こうから誰か集団がやってきた。獣の耳、毛並み、筋肉を持った種族、ウラドは目を見開く。獣人だ。狼の獣人は牙を剥き出しにして唸る。そのとき、シモンは思いっきり立ち上がり、アルバートを庇うように抱き寄せながら言う。
「なんのつもりだい?僕達はここを乗り越えたかっただけだよ。敵意は無い。見逃してくれないかな?」
狼の獣人は鼻で笑う。
「そんなものが叶うわけあるまい。これよりルコルの元に−−−」
ウラドはグイッと顔を近づける。
「まって、ルコルって−−−」
ドゴォォォォン!!!
また轟音と共に爆撃が降り注ぐ。獣人達は怒号を叫びながら武器を構え、陣形を組んでいた。ウラド達は最早何が何だかわからないまま爆撃の中、皆固まって先へ走った。上空には白装束なら面々が並んで浮いている。シモンはその者達の首に十字架が下げられているのを見ると、すぐさま叫ぶ。
「殲滅の途中だったんだ!なんの情報もなしにかい?!」
「だからこそだろう!!向こうに知られたく無いからね!」
ウラドはそう叫び返した。怒号と轟音の中、皆は目先の森に向かって走り続けた。森の奥は鬱蒼としていたが、妙に別世界への入り口のような感覚もした。だが、今はそんなことを気にしている場合では無い。皆は駆け込む。森の中に入ると、轟音は少しおさまった。皆はゼェゼェと息を切らす中、トウカは不承知のように叫ぶ。
「あの人間ども!同胞を殺そうとしておったぞ!」
ウラドは息を整えようと深呼吸する。
「ここでは日常だ。獣人や亜人は聖典では魔物の同胞として認識されている。君達は絶大な力を持っているから何もされていないだけだ。」
トウカはそれを聞き、溜飲が下がらない様子で眉間に皺を寄せる。セナも同様だった。卑怯な人間どもの醜悪さは、ウラドもうんざりしていた。それに関しては同じ感情だった。森の中は陽の光も遮るほどで、木漏れ日も小さい。雪も積もっており、歩くのが大変だ。倒木を乗り越え、雪を踏みしめながら、進む。すると奥の方から白い煙が上がっているのが見えた。皆はゼェゼェとまた息を切らしながら雪を踏み締める。ここには魔法生物がいない。代わりにリスや白兎など、小動物が多い。煙の方にたどり着くと、そこは木のドームのような建物がこぢんまりとあった。
「おや?アベルなのかい?いや、今はウラドだったね。ごめんごめん。」
滑らかで生気の困っていない声がした。家の奥の方を見ると、そこには温かそうなマントを羽織った女が立っていた。男の肌は白い玉のような肌の上に、マダラな土色の肌が不自然に残っていた。耳の尖ったその男は滑らかな笑みを浮かべると、アベルと呼ばれるウラドの方に向かい、ゆっくりと抱きしめた。
「あぁやっと会えたね。お帰り。」
ウラドも軽く抱きしめる。皆はこの状況に困惑していた。ウラドは少し距離を取ると、皆の方を向く。
「僕の知り合い。『サタエル』だ。」
サタエルは恭しく一礼した。
「ようこそ。私はサタエル、そして、ここは私が見つけた安寧の土地。人間達は【無の國】と呼んでいるよ。」
サタエルは目元に被さる白金色の髪を垂らしながら、美しい笑みを見せた。




