第五話 一人行動
ユリウルス歴 875年 9月2日
ティナの朝は変わらず早い。だが、ウラドの朝は少し遅い。大抵皆が朝食で賑わう時間帯であったり、時計の短い針が8を指した頃に漸く起きるのだ。
彼が起きるまで、ティナは特にすることがないので、宿の食堂にジッとしている。周りの旅人達は朝から大賑わいだ。ちょっとした儲け話をしていたり、周りの都市の様子だったりを、共有しているようにも見える。彼らのコミュニティは、浅そうに見えて、海のように深いのだというのを、感じさせられる。
ティナはふと、ウラドに関して知っている事が少ないと感じた。この商人達のように、何か話をする事はそれこそ少ない。だが急に踏み込んだ話をしても、彼の期限を損ねかねん。少し考えた末、ティナは宿を出た
ウラドは、突如ムクっと起き上がった。
時計では八時半を回っている。寝過ぎたなと思っていると、部屋には、ティナがいない。
「下かな」
朝食を取るついでに、下に降りる。大抵二人は端っこの光の少ない席に座っている。そこに向かってみるも、やはりいない。ウラドは冷静ではあったが、どこに、何をしに行ったのかが少し気になった。
「単なる散歩かな。」
ボソボソと独り言を言い、一先ず朝食を済ませた。
丁度、用事はあった。むしろ、ティナがいない方が、好都合ですらあった。ウラドは食べてすぐに立ち上がり、宿を出た。
宿を出たウラドは、思わず陽の眩しさで目を瞑る。秋にしては随分な陽気さだ。収穫の喜びと、日々の楽しさが、より際立って交わっている。用事というのはいくつかある。まず一つは、食糧だ。街があるとは言え、野宿することはよくあるからだ。もう一つは、
ティナの教材だ。恐らく、あの子は時計すら読めないだろう。それに、今後旅は危険なこともある。自衛の手段は多くて良い。あとは−−−−
「ハシゴするしかないか。」
ウラドは街中を一周する程歩き回った。魔法に関する物を買うには、正規の市場では無いに等しい。故に、魔法を使う者達で経営している、闇市的な所に行く。闇市は普段は人は立ち入れない様に工夫されている。だが、同業者には一目瞭然なのだから、不思議な工夫だ。路地を縫うように歩く。すると、少しだけ開けた路地に着く。ここは、街の高低差関係なく階段や店が窮屈そうに並んでいる。道も人が二人ほどしか通れない細さだ。
まずウラドは、ガラス窓から見える本棚で埋め尽くされた店に行く。ここは、見た目通り魔道書店だ。ここで、初心者でも扱える簡単なものを選別する。ティナの才能や頭の良さはよくわからないので、店の中で一番簡単なものにした。あとは、鉛筆と、ノートも一緒に。
店を出てすぐに、この市場の一番奥の店に入る。
その店は、黒色の壁で重厚かつ重たい雰囲気を醸し出している。暗い市場と暗い壁、初めて来た者は中々見つけられないのだ。ドアを開けると、チリンっと、ドア鈴が鳴った。店主は長い棒のようなものをしまいながら、こちらを見る。そして、愛想良く笑顔を見せる。
「いらっしゃい。『杖』をご所望かな?」
「あぁ。僕の連れの分だ。生憎どこかに行ってしまってね。」
親しみやすく相槌をうちながら、店主は杖の前に立つ。やはり、魔法のコントロールには、様々な道具が使われるが、杖は一番手っ取り早く、使う者の魔力が馴染みやすい。店主はウラドを杖が入ったカゴの前に案内した。まるで傘立てのように丁寧に立っている。
「最新の物は高いよね。」
「そうですな。やはり芯が新しく作られた【ミソールのツノ】なので、柔らかく馴染みやすいですな。ですが、折れやすいのが難点ですな。」
「旅の途中で杖が折れたら、元も子もないね。」
ちなみに、折れた状態の杖で魔法を放つと暴発する。
「でしたら、頑丈な【テセウスの爪】を使ったこれは?」
そう言うと、店主は一本の長い杖を取り出す。150cmで、檜のような色合いに、青の布や魔法石で装飾されている。
「派手だね。女の子には人気だろうね。」
「連れは?」
「女の子だよ。」
ウラドは杖を持ち上げる。確かに、それなりに硬さはあり、手の小さな女性でも持てるように、細く、凹凸がある。だが、
「あの子が持つにしては、柔らかすぎるかな。僕の連れは、あちこち飛び回るから。」
ウラドはグリムとの戦闘を思い出していた。あれほどの立ち回りができるのは、獣人故の才能とも言える。あの身のこなしに追いつける物でないと、彼女の才能を潰しかねない。
長いこと杖を凝視して、ふと、右手の方を見る。奥の方に、光に反射して光沢を放つ杖があった。
「あれは?」
ウラドは尋ねながら、そこに向かって歩き出す。
「それは、昔造られたものですな。ですが、全く売れなかったので飾ってあるんです。」
ウラドは鼻を鳴らしながらそれを持ち上げる。少し重たいが、本当に硬い。これは、金属製?杖はコスト面を考慮して木製であることが多い。なかなかお目にかかれない杖に、ウラドは驚きを隠せない。
「金属製となると、本当に高価だな。」
「それの芯は、確か【オメリアの眼】でしたな。」
【オメリアの眼】
大きなダンゴムシのような魔物で、脱皮した後の眼はガラス製であるにも関わらず、金属のように硬い。
だが、馴染むには、時間が要する。
だが、ウラドはまるで、取り憑かれたように、その杖をじっと見る。芯、持ち手は細く凹凸もない。単なる棒のようだ。だが、これは、近接では相性が良い。先端は特に装飾はない。全体的に白銀の如意棒のようだ。
ウラドはこれを、買う気でいた。
「これは、いくらだ?」
店主はにこやかに答える。
「これは、もう古い類なので他の杖の半額20テルタで構いませんよ。」
20テルタ、杖にしては破格の安さだ。ウラドは即決で購入した。
市場を出て、宿に戻るも、ティナはいなかった。もう、夕方なのに、どこまで行ってしまったんだろうか。ウラドは部屋に荷物を置いて、探しに出た。
嫌ではあるが、街中の人に聞き回っていくと、やれ
馬車を押すのを手伝ってくれただの、食材運びをしてもらっただの、人助けしかしていない。そして決まって、お礼は受け取らなかったそうだ。ウラドはものすごく疑問に思った。お礼をわざわざ断る訳を、そこまでして、人助けを率先する訳を。人助けしても、損することの方が、旅の場合多い。それでも、彼女の底なしの世話好きには、ウラドも疑念を感じざるを得なかった。
聞き込みの結果、彼女は街の端っこにいるらしい。
ウラドはまた人助けに行ってしまわないように、走った。
街の端っこには、確かに景色が良く、つい見惚れてしまう。ベンチに、ティナが座っているのが見えた。
「ティナ。」
ティナは振り返る。彼女の白い髪の毛が、光を反射して美しく靡く。笑顔を絶やさない彼女は、ウラドに隣に来るように催促する。ここは、人気が少ない。彼は隣に座る。ウラドは少し呆れた口調で言う。
「人助けをしていたんだって?人間達は、獣人を軽蔑しているのに、何故助けるんだい?」
そう言われ、ティナは少し俯く。だが、すぐに顔を上げる。夕焼けを眺めながら答える。
「私は、この旅の目的を見出していません。ウラドさんの旅についていきながら、私にも何かできることがあると思ったんです。困っている人に、種族は関係ありませんから、ついつい助けたくなるんです。」
ウラドは、何だか目を覚ましたような感覚になった。感銘を受けたというべきか。これほど、損得関係なく動けるものは、長い旅の中で彼女だけかもしれないと、本気で思った。だが、それも、長くは続かないだろう。騙されたり、貧乏くじを引きかねない。
ウラドは、言う。
「騙されないようにね。」
彼は目を合わせることはなかったが、この一言は、ものすごく彼なりの優しさのある一言であることは、ティナはすぐにわかった。ティナはクスッと笑う。
「その時は、頼みます。」
ウラドは目を見開き、少しだけ笑いのこもったため息をつく。彼女は、本当に、損得関係なく人を助ける気だ。全く、しょうがない奴だと、ウラドは思ったが、同時に、何故か、安堵すらしていた。
「そういえば、『人のいない土地』って、当てはあるんですか?」
「それが、ないんだよね。」
「人のいない山とかはダメなんですか?」
「それでは、いずれ人間が来る。僕は、人の来れない土地がいいんだ。」
人の来れない土地、そんなものが、本当にあるのか。ティナはそう、思った。
宿に戻った後、ウラドはティナに買ったものを与えた。彼女は目を輝かせながら、それを見る。本に夢中になりすぎて、寝落ちまでしていた。床で寝転ぶ彼女はまさに猫だ。ウラドはそっと布団をかけてやる。
フラッシュバックするように、彼の記憶がよぎる。
癖毛の少年が、重厚な机に頭を伏せ、寝ている。ウラドは、布団をかけてやり、頭を撫でている。幸せそうに、彼は、笑っている。
ウラドは、赤い目を少し細め、悲しげに満ちた表情を浮かべる。
「何年前なんだろうな。」
この日の窓は、あの日の窓のように、星空で満ちていた。