第四話 旅の目的
噴水に出ると、イツキは待ってくれていた。荷物を見るや否や、少し困惑した目で見る。
「それは?」
「ベリアールさんから、言伝も。」
一連の言伝を伝えた後のイツキは、本当に不愉快そうに、目線を逸らした。イツキの痛い所を突かれたのだろう。
宿は、案外簡単に見つかった。二人して中に入ると、賑やかな声がドッと耳に入る。時間帯的にも、酒を飲んだり夕餉にしたりという時間だろう。イツキは入り口の右手にある受付に向かって宿をとった。少し錆びついた鍵を受け取り、二人は宿の部屋がある二階へ向かった。
部屋の中に入るとすぐに、奥左手のベットが二つあった。そのうち右のベットはイツキが占領したので、左手のベットの下に鞄を置かせた。ボタン式の鞄の中は、必要最低限の日用品が入っていた。檜の櫛に、花を見立てた髪留め、黒のワンピースとベルト、黒のローブに、旅用の靴が入っていた。それらに着替え、左腕に黄色の腕章をつける。これは門で貰ったもので、奴隷や下等生物、つまりは獣人が着用義務となっているものだ。そした、不要な服を畳んで置く。ふと、鞄の中を確認すると、奥に小さな物が入っていた。手に取ると、装飾のない金の指輪だ。何かの証だろうか定かでないが、一先ず左人差し指にはめた。
部屋の中で荷物を漁るティナに、イツキは眺めながら、ベットに座って杖を丹念に布で拭いている。杖は真っ黒な木製の物で、先端が枝分かれし、見事に膨らみをもって絡まっている。
「ベリアールから貰ったんだね。まぁ、小汚い服を着られるよりかは良いし、僕では似合う服は選べられないからね。」
嫌味を言っているわけではないのに、素っ気なく少し棘のある一言で、胸が締め付けられる気がした。
「–––一応、聞きたいのですが、旅の目的は何でしょうか?」
イツキは、手を止め、よくよく考える素振りをした。前のめりになり、足を組んだ。そして、窓辺の様子を冷たい視線で眺めた。
外には、広場で馬鹿騒ぎをしている旅人や住民が踊ったりしている。
「僕はね。人が嫌いなんだ。だから、人のいない土地に行きたいんだ。今はそれを探している。」
渇望しているように手を握りしめ、祈るような姿勢で言うイツキに、ティナはなんだか哀れに感じた。だが、今この場で彼の過去などに踏み入る事は、今の彼女には許されていない。
「イツキさん。」
「––ウラドで。」
「ウラドさん」
やはり、ベリアールのいう通り、ウラドは気に入っているようだ。ティナはウラドと呼ぶと、彼の隣に座り、彼の顔を初めてはっきりとみた。肩あたりまである少しうねった黒髪、その漆黒に映えるようにして、真っ赤な瞳が見える。その目は、なんだか猫のような目だ。だが光はない。そんな生気のない顔に優しい目線を注ぎながら、諭す。
「私は獣人、そして、奴隷なので人では無いのです。ですから、その旅に付いてもいいですか?」
微笑む娘を、男は見た。だが、男が微笑むことはなかった。
「正直、ヤダな。」
「何故ですか?」
「ヤダだから。」
娘は、突き放す様に放ったその一言に、無惨にも射抜かれた。余計に、胸が苦しくなるのを感じた。
–––翌朝–––
ベットから起き上がる。ティナはいつも、日が登り始めた頃に起きる。そして顔を洗うのだ。奴隷は一体何をするのかわからず、一先ず、ウラドを見る。まだ、寝ている。一先ず、顔を洗う為に外に出よう。
宿の部屋から出ると、他の奴隷達が朝食の支度をしていた。皆ボロボロになった服を着て、休む暇なくせっせと支度している。奴隷には、右腕に黄色の腕章をする。パッと見ただけでも、半数以上は奴隷だ。ティナも腕章しているが、この中では大事にされている方だ。服も綺麗だし、寝床もあった。
とりあえず庭に出て、井戸水を汲み、顔を洗った。
「貴女様は?」
振り返ると、見窄らしい服を纏った男の奴隷がいた。「貴女様」と言う事は、奴隷だとは思っていないのだろう。ティナは慌てた様子で、跪く奴隷に目線を合わせた。
「わ、私も、奴隷なのです。」
井戸を譲るように後退りしながらそういい、都市の門で渡された黄色の腕章を見せる。すると何故か、つま先から頭を見ては、羨望の眼差しを向けられた。だが、すぐに離れた井戸の桶に手をかける。そして、ティナを見て、悲しみのこもった声を出す。
「獣人か––この頃、君らの奴隷が増えてるよ。ご主人様の覚えはどうだい?」
「全く興味が無いようで。話し相手になっても、冷たい一言があって。」
「んー?でも、ええ服着させてもらってるではないか」
「これは、ご主人の友人からです。ご本人は、買う手間が省けたとか、自分では選べないからと言っていました。」
「そうかそうか。ご主人様は冷たく見えるけどあったかい人なんだね。」
訛りのある話し方をしながら、井戸水を汲んだ。
「あんたは、ちゃんと大事にされてるよ。でなきゃ、奴隷相手に綺麗な服を着させるなんて発想はないんだ。あたしらの身にもなれとは言わんけど、それだけはわかってね。んであとはよく尽くしな。」
「–––わかりました。」
そう言うと、奴隷は一礼して組んだ水を鍋に移し猫背のまま歩いていった。娘は、なんだか、あの言葉が救いの言葉でも、恨みの言葉にも感じ取れてしまった。『大事にされている』確かに、そんなように見える部分はありそうだが、それは、大事に思っているからではない気はした。単なる、放置に近いものか。
冷たい一言は、それはそれで心に突き刺さる。感謝と不安のような何かが蠢く心境の中ティナは水を汲んで甕に入れ、部屋に戻った。
部屋に入ると、ウラドはあらゆる方向に髪がはねている頭を掻きむしりながら、起きていた。目が細すぎて3に見えるので、ティナは思わず不安を無視してクスッと笑った。そして、そんなティナを見るや否やガラガラ声で話しかけた。
「朝早いね。」
「はい。水持ってきました。何か致しますよ。」
「んー、髪とかして––」
「はい。」
ティナは自身の櫛で丁寧にウラドの髪をとかす。漆黒で艶がある。だが、彼の髪は元々癖っ毛な上にボサボサなので少し大変だ。ちょっと指に水をつけ、髪を整えていく。ティナは黒い髪を見つめながら、少し不安げに話しかけた。
「あの」
「ん?」
「奴隷達が朝の支度をしていました。私も奴隷として、何かしないとは思っているのですが、あまり思いつかなくて。」
「話し相手とか、こうやって櫛やってくれるだけでいいから。あとは手伝い。」
「それだけでいいのですか?」
「うん。後は−−−腕章ちょうだい。」
手を広げて催促する。ティナは急いで左腕についた腕章を外し手渡す。
ボワッッ
突然、ウラドは腕章を燃やしてしまった。それは灰も残らず無となった。唖然とするティナを前に、ウラドは冷静で淡々として言う。
「僕はね、立場の差とか、それに伴う行動制限が嫌いなんだよね。僕と君は、対等。君は獣人だけど、人だ。人には尊厳が必要だ。君を規定するものはこの腕章では担えていない。」
「私との旅が嫌なのは–––」
「君が人だから。」
ティナの中を這いずり回っていた不安のような何かがファっと、消え去った。
あの奴隷が言っていた事は、本当に正しい事なのだろう。思わず笑みが溢れる。ティナは彼の為にできる事は徹底してやろうと心に決めた。
宿から出る時、奴隷達は、あの二人を見た。
仲睦まじいような様子は、まるで夫婦だ。男の方では、艶々になった黒髪を靡かせ、女は美しい花の髪飾りをしていた。その髪飾りは、少し傾いて付いていた。