第34話 愛し 上
ロキは外に出でいた。ベリアール宅の庭は陽光が満遍なく差し込んでおり、奴には似合わない花園まであった。澄み切った池の中には東の魚と思しき赤と金の大きな魚がゆったりと泳いでいる。ロキは陽光の下でぼうっとしながら、実験の合間の安息を味わっている。すると、背後の方から勝手口が開き、バンっと手荒に閉じる。出てきたのはバリアールだった。彼は少し疲弊したようにクタクタになって出てきた。そして図々しく隣にドサっと座る。ロキは不審そうに一瞥するとまた空を見上げて言う。
「何の用だ。」
「いやぁ?実験が難航していて疲れたから出てきただけだよ。」
「ここ最近、爆発音が絶えないな。それも、何かを千切っていくような音だ。」
「そうなんだよね。材料もそれなりの値段だから、少し気落ちするんだ。」
ロキはベリアールに更なる不信感が募った。ベリアールは無表情の下でそうなっているロキの心境を気にすることはなく、自身の指を組んで、少し小声で言う。
「最近さ、テナちゃんと話してないよね?」
ロキは少し肩を落とす。
「していない。」
「何したの?」
「いや、何も。」
「それが問題じゃない?女の子ってよくわからないよねぇ–––距離感とか。特に子供!何かと敏感で、知らないはずの事まで知ってるんだ。」
「––––あぁ。打開策があればいいんだが。」
少し俯くロキを見て、ベリアールは目を細め、不敵で不気味な笑みを見せる。ロキはその目を見ることはなかったが、見ていたら記憶に残り続けていただろう。彼はその笑みを浮かべながらも、眼前の池の方を見て軽やかに提案する。
「じゃあさ、何かプレゼントでも買ってきたら?」
ロキは体を少し逸らし、ベリアールを見る。彼は至って普通そうにしている。そして、彼は唇を少し窄め、肩を一瞬すくめる。
「女の子ってのはプレゼント貰うとなぜか喜ぶんだよ。自分のために尽くしてくれたっていう事実が嬉しいのかな。」
調子よくそういう彼の横で、ロキは少し無言を貫いた後、立ち上がる。ベリアールは逆光で目を細めながらも言う。
「当てはあるの?」
「ない。」
「なら、ここがお勧めだよ。」
ベリアールは紙を差し出す。四つ折りにされた綺麗な紙を、ロキは冷たく見下ろしながら受け取る。開くと、【龍山】という名前のみがハッキリとした文字で書かれている。ロキは紙を四つ折りに戻しベリアールに手渡して言う。
「どこにある?」
ベリアールは不敵に笑って言う。
「東の大陸だよ。」
ベリアールがヒョイっと指揮者のように左手を上へ挙げると、ロキの足元はゆらゆらと揺れる蒼い草から、赤いサムラッチ錠のドアとなった。
ガコン!!!
ドアは途端に開かれ、ロキはフワッと血流が空気に置いていかれ、心臓もキュとしまったような感覚がした。彼は悲鳴どころか、何の悪態もつけぬまま、暗闇へ堕ちていった。
暗がりで左右すらわからないままぐるぐると堕ちていく。ロキは冷静ではあった。空中で様々なことを試行する。まずは、どうやって着陸するか。盾を用いた方法か、単縦な魔法による衝撃緩和か。どちらにせよ着陸地点は崩壊するだろう。そんなことを考えている間に、彼の身体は落ちているような感覚は無くなっていた。そしてフワッと持ち上げられるような感覚がした。それには彼も目を丸くする。逆さになっていた身体が持ち上げられ、そのまま静止した。そして暗闇は溶けるかのように地面へ流れていった。ロキは眩しくなり目を閉じるが、ゆっくり開けた時には、目の前は綺麗な青空が広がっていた。ロキは辺りを見渡す。辺りは既に刈尽くされて土色が残る水田と、小さな村が見える。規模からして地図に名前すら載っていないだろう。ロキは足元を見る。どうやら、水田の淵で座っているようだ。立ち上がる。
「兄ちゃん、道にでも迷ったのか?」
キョロキョロとしているロキに、少年が尋ねてきた。山吹の髪が印象的だ。藁カゴに洗濯物を乱雑に入れている少年は小さな少女を連れている。ロキは言う。
「あぁ。ある店を探している。【龍山】だ。」
少年はカゴを持って少し高く笑う。声変わりのしていない中途半端な声が印象的だ。
「龍山だって?あそこは遠いよ?大体こっから−−−1週間はあるな」
「そうか。」
「あんた、今夜と全く当てはあるのか?」
ロキは辺りを見る。どうも、この辺りはすでに日が傾きつつある。少年は無言で棒立ちしているロキを見て少し呆れ笑いを浮かべる。
「無さそうだな−−−俺ん家来いよ!飯ぐらいは振る舞えるし!」
少年は太陽のようにニカッと笑うと、少女の手を引いて歩き出した。
「お前、名前は。」
ロキが唐突に尋ねると、山吹の少年は振り返り、少し拍子抜けしたような反応を見せた後、すぐに返答する。
「俺?テルだよ。このちっこいのは俺の友達の妹のハナだ」
「そうか。」
ロキは歩き出した。
家までの道中、ハナはその友人とやらの元へ帰っていった。ハナの父親らしき男はテルの肩を豪快に叩きながら、盧銀の入った袋を手渡していた。曰く、彼のもとで働いているそうだ。
家に辿り着いた。庭の方には小さな畑があり、よく陽光も当たっている。中に入ると、奥にはベットがあり、左手には暖炉がある。奥のベットはもう使われなくなっているのか、何だか寂しく感じる。
「さ、座ってくれ」
少年は左手のテーブルの方を指差す。テーブルには東特有の紋様の刺繍布が敷かれている。ロキはそこのベンチ型の椅子に座る。少年は入り口から見て右手の台所で料理を始めた。ロキはポケットから簡易術式収納機を取り出し、テーブルに置く。すると、ホログラムが展開され、地図が出てきた。ロキはその地図を指で動かす。
「この村は何と言う名前だ。」
「ここか?トトノルっていうんだ」
ロキはトトノルを探した。
「龍山はどこにある。」
ロキが尋ねると、少年は土鍋で料理をし始めた。ジャーと炒める音が響き渡るので、テルは少し大きな声を出す。
「【マルクル】だ!」
ロキはマルクルを見つけた。確かに、ここからは遠い。だが中継地点は多いようだ。盧銀も余裕がある。ふと、炒めた良い匂いが漂ってきた。見てみると、少年は米を炒めた何かを皿に盛り付けている。そしてこちらに持ってきた。
「強米だ!」
ロキは少し目を見張る。紫のような、妙な色をした米と、以上に赤く萎んだ実、そして艶のある棒が2本。ロキは少年を見る。彼は器用に三本の指で棒を動かしている。ロキは真似しようと尽力したが、困難であったのでやむなく手で食べた。少年は言う。
「兄ちゃんはどっから来たんだ?」
「北から来た。お前はずっとここに住んでいるのか。」
「そうだよ。母ちゃんが死んでからは1人だけど」
「母親がいたのか。」
「あぁ。胞子症で死んじまった。旅人のおっさん達は何とかしようとしてくれたけど。ダメだった」
「旅人?」
「あぁ。白猫の姉ちゃんと、黒髪の陰気なおっさんがいたんだ。−−−−でも、母ちゃんが死んだ後、墓参りには来てくれたけどな」
ロキは内心、その旅人が誰なのかを認識していた。ウラド。奴は人間を嫌っている割には、人間に対して敵対行動を取ってはいない。一体何が、奴をそうさせているのだろうか。ティナだろうか。はたまた第三者なのか。ロキは少年の少し悲しげな顔を見て、言う。
「お前の中で、その母親は家族か。」
「何言ってんだよ。当然だ。父ちゃんが死んで、母ちゃんはずっと、俺の為に尽くしてくれた。おっさんの薬を断ったのも、俺の為でもあるし、母ちゃんも辛かったんだろうな。−−−今は、礼すら言えない」
「−−−−俺には、家族がいない。道中会って、旅をしている者はいる。」
「−−−そっか」
この日、ロキは家の狭さの都合上、テルの母親の部屋を借りることとなった。ロキはベットに座る。左手には先程までいた土間に繋がっており、眼前の奥には、テルが眠っている。東とは言え、冬なので肌寒い。このような家で、長く1人でいたのだろうか。にしても、この部屋の棚の中を軽く見たが、飲み終えた薬の袋や、縫いかけの布など、その母親が随分と前に死んだという事実が、薄い。ベットも埃がなく、あの母親の魔力の残穢も、ほんの微かに残っている。静かで、軽く、風に乗ってどこへでも行ってしまうような魔力だ。ロキ自身も、独りでの旅は長かった。だが、それに対して特に何も感じるところはない。
「テナナにも、『母親』がいたのだろうか。」
船の上であった時、奴は親は海の上にいると言った。後々知ったが、やはりあのような貧困層の人間は死ねば海に打ち捨てられるのが常らしい。その様子を、テナナは見たのだろうか。ロキはベットの横で横たわり、寝返って窓を見る。月が、彼を覗いている。
−−−翌日−−−
ロキは朝食の握り飯を一つ頬張った後、そのまま外に出た。少年がいなかったからだ。ベリアール曰く、人間が親切にしたなら、感謝を述べると、機嫌が取れるそうだ。外に出て畑へ向かったが、テルはいなかった。
ロキは家を出て村を歩き回った。村はひっそりとした所で、藁屋根の質素な薄茶色の屋根ばかりだ。砂利を踏み締めて歩いていると、ハナがいた。ハナは他の友人達とキャッキャっと畑の中で遊んでいる。ロキが空を眺めていると、彼女はロキを見て大きく手を振り、振り返すと、こちらへ向かってきた。
「お兄ちゃん!どこいくの?」
「テルの所だ。場所が不明だ。知っているか。」
「あっち!」
ハナは九時の方向を指差した。そこは広々としていて家すらないように見える。かといって森でもない。
「了解。」
ロキは無愛想に畑の中へ歩き出した。土は寒さで少し硬いが、やはり柔らかい。刈り取られて残った稲の茎が、より土の硬さを増させる。陽光が彼を正面から照らす中、子供達も面白半分で後を追う。ロキの周りには草笛の微かな、ピーピーという音が響いていた。
畑をいくつか越えていくと、少し広々とした場所に着く。そこには均等に真四角の石が並んでいる。そして、あたり一面花で満ちていた。ロキはその中、1人佇むテルの背中を眺める。彼の前にある石は、まだ新しく、側には欅が添えられている。ロキは淡々と言う。
「母親か。」
すると、テルは驚いたようにばっと振り向く。その目には少しだけ赤く腫れている。彼はゴシゴシと袖で目元を拭くと、また背を向ける。
「東では、墓は身を寄せ合うように密集して造られるんだ。自分たちの墓を作ってくれる場所が少ないってのもあるけど、やっぱり、誰かが側にいると安心するんだろうな」
テルは力が抜けたように息を吐く。ロキは言う。
「−−−−−何故、東の人間は排斥されている。」
「そんなの、俺たちが知りたいよ−−−−兄ちゃんは、生まれはどこなんだよ。家族とかいねぇの?」
ロキは身動きせず、彼の背中を少し見た。そして、ポケットから懐中時計を取り出す。そして開く。カチッカチッと針が動く中、黒の彼女はただロキを見つめている。ロキは芝生を踏み締めながら、テルの隣へ来る。そして懐中時計を見せて言う。
「解らない。気がつけば、俺は生まれていた。家族という存在もいない。彼女も、家族なのかわからない。」
「−−−−他にいねぇの?」
ロキは、また少し沈黙した後、また写真を取り出した。そこには自分と、ウラドとティナがいる。テルは背伸びして覗き込む。
「あ、あの時のおっさん−−−−」
「彼らは、何に当たるかは不明だが、テナナの次に重要な人物だと認識している。」
「テナナって?」
「道中で拾った子供だ。この写真の後に出会っている。まだ子供だ。危険が多い。その為、保護下に置いているが、何故か今は少し敵対心を持たれている。」
「まぁ−−−−兄ちゃん顰めっ面だもんな。肩車とかそんなんでも子供は、嬉しいんだよ」
「何故だ。」
「一緒にいられるからだよ。それだけでどんだけ安心か。兄ちゃんは、その子の事、どう思ってんの?」
ロキは沈黙したままテルを見つめる。テルは急かす事なく、ただロキを凝視していた。まるで子供とは思えない、俯瞰した目だ。ロキは墓の方を見て、その後その向こうを見て言う。
「保護対象だ。本でもあったが、『子供は純粋故に、保護者に守られる必要がある』らしい。この写真の人物の発見、テナナの保護、この二つの任務が遂行できれば、それで良い。」
「そう言うのも大事だけど、兄ちゃんはテナナって子の事どう思ってんだよ?単なる守らねぇといけない存在なのか?」
ロキは目を丸くして黙り込んだ。
「−−−−それ以上の感情は−−−−把握できていない。それは、つまり、どういう事だ−−−」
テルは呆れたように下を向いて、深いため息を吐く。
「あのなぁ−−−−兄ちゃんわかって無さすぎ。確かに、子供ってのは守ってもらわないといけないのは事実だ。兄ちゃんが自分の使命感でテナナって子を守ろうとしてるのは、れっきとした善意だ。でもな?兄ちゃんは冷たすぎるんだよ。俺は兄ちゃんの意思が、紛れもない善意で、情なのも分かってる。でも当の子供本人は、そんなものわからねぇんだよ。兄ちゃんの温もりがないと、やっぱり怖ぇんだよ。」
「怖い−−−−」
「そう。なんか、どっか行っちまいそうな−−−−自分の事を、単に拾っただけみたいな、孤独感があるんだよ。」
「本にはなかった。というよりかは、本の通りにしていれば、完全に成長すると判断していた。」
本の通りだけでは何ともならない。この事実を前に、ロキはウラドのあの一言を思い出していた。ロキは目を少し細め、沈黙すると、静かに背中を向ける。テルも同じく振り向くも、その顔色は淋しげだ。
「もう行くのか?」
「あぁ。」
テルは引き止めるように少し早口で言う。
「兄ちゃんは−−−!死んだ人はどこに行くと思う?東じゃ、49日間はこの世に留まれるとされてる−−−でも、本当にそうなのかな」
ロキは背を向けたまま静止した。遥か向こうにはあの子供達が小鳥のように遊んでいる。ロキは何か気がつくかのように振り返り、言う。
「死者がどうなるのかは不明だ。天国や地獄という概念があるとも言えない。だが、お前の母親は、確かにあの家にいる。」
ロキはそのまままた振り返り、村の外の方へ歩き出した。テルはまた涙が出てきたが、それを拭うことは無かった。風が、仄かに温かい風が彼を纏うように優しく吹いている。ロキは道中、母親と少年の感情が、どのようなものなのか定かでは無かった。だが、何か、互いに離れたくないという意思のようなものは、つぶさに感じていた。




