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彷徨える貴方  作者: 黒井基治
第二章 北の大陸【アイデース大陸編】
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第33話 報い

ティナは外を掃除していた。外の仕事はほとんど彼女が行なっている。理由は、ウラドは寒がりなのか、外の仕事を怠るからだ。その度、彼女は呆れつつも外に向かうのだった。外は、寒い風邪を伴って枯れ葉が舞う。ティナはブルッと震えながら、ゴミを捨てたり、枯葉を集めたり、草も抜いた。粗方の仕事を終え、玄関の方へ戻ると、1人の女性が佇んでいた。紫の服を纏い、白色の上着を羽織っている。こんな寒い日なのに、お洒落には気を遣いたいのだろうか、とティナは思いつつも、箒を片手に庭の方から走った。


「どうかなさいましたか?」 


ティナが礼儀正しく尋ねると、女性は不思議そうに首を傾げ、寒さを和らげようと軽く飛び跳ねながら、応える。


「ここに、聖導師の方がいると伺ったのですが、ノックしても誰も来なかったので。」


ティナはそれを聞き、妙だと思い首を傾げた。ノックの音なら、ウラドなら、気づくと思ったのだが。ティナは寒空の下で彼女を放っておくのも良くないと考え、彼女を当然招き入れた。


「気づかなくて申し訳ないです」


「いえ、気にしていませんよ。」


2人は淡々と長い廊下を歩く。宗教画の神々しく、儚げな目線が2人を眺める。


「新しく雇われた方ですね?」


「はい。とても、親しくして下さって、有り難い方です」


「えぇ。私も、彼の方には恩義がありますので。」


「そうなのですか?」


「はい。昔、家族を助けて下さったので。お礼に参ったのです。彼の方は、東の方々とも親しくしようと尽力されているのです。噂では、自身の財産を売っては、支援金にしていると。」


もしそれが本当なら、彼はまさに聖人だろう、とティナは思った。書斎の少し手前の部屋にある、扉を開ける。そこには長机とソファを中心に、華やかな飾りや暖炉がある。応接間だ。ティナは紫の彼女をソファに座らせ、紅茶を振る舞う。ティナは白のバラ模様の盆を持ち、またドアを開けながら言う。


「では、呼んできますので」


愛想笑いを見せると、彼女も、ニコッと笑い一礼した。


ティナはそれこそ、愛想よく振る舞っていたが、内心、不安であった。廊下は静かで、ウラドと雇い主のあの押し問答すら聞こえない。普段は、神がどうの、理屈的にどうななどと、青臭い理屈を捏ねているのに、それすらない。静寂で厳かなこの空気が、今はやけに胸騒ぎを起こす。応接間から書斎は遠くはない。ティナは軽く走った。角を二つほど曲がって直ぐ、書斎の前に立って直ぐ、彼女は勢いよくドアを開けてしまった。まずい、ノックをするのを忘れていた。彼女は瞬間的にそう思った。


「あ!すみませんノック−−−−」


ティナは少し見せた笑みが引っ込むのを感じた。


「おっと。ティナ。」


部屋の中にはウラドと雇い主がいた。雇い主は真っ直ぐ彼女を、彼の背中と腕の隙間から凝視し、ウラドはティナに背を向けつつ、顔だけはこちらを見ていた。雇い主の首筋に、ナイフを添えて。ティナは硬直しつつ、何故かドアを閉じる。


「こ、これは、どういうことですか?なにをしているんですか?!ウラドさん!」


「−−−−彼の、願いを叶えようと思って。僕は雇われの身分だからね。」


「願い?」


彼は、一連の出来事を、彼女に話した。


***

ウラドは沈黙で彼を見下ろしていた。男も口を堅く閉ざしている。ウラドの中で、男への多少の憐れみは感じたが、それが赦しに繋がることはなかった。彼は見下ろしながら、まるで冷たくあしらうように言う。


「それで、願いとは?」


「−−−−−私を、殺してくれ。」


ウラドは苦々しく笑った。長々と話して、出てきた言葉がこれだった。彼は男の背後にある机に歩き出しながら言う。


「【死】を持って、君の罪を拭たいんだね。最早、君の【死】でないと、贖えないのかい?」


首を傾げ、生を唆すように、引き出しを開けるウラドの音を聞きながら、男は俯く。


「そうとは、思わない。寧ろ−−−楽になりたいと言った方が、感覚としては正しい。生き残ってしまった今、夜な夜な這い回る塹壕の外から聞こえた彼らの悲痛な叫びを聞くたびに、彼らとの、対等で慎ましいあの数日間を思い出すたびに、私は辛くなる。あの土地には、魔物の派生どころか、劣勢種族すらいなかった。ただ、慎ましく義理堅く生きるだけの人間がいた。私はそれを知っていて尚、このような甘んじた状態にある。」


「生き残った後、どうだった?」


「家族は、私を誇りだと言った。泣きながら、私が帰ってきたことを喜んでいた。だが、それは間違いなのだ。私は生き残ってはいけなかった。中央教会から金の十字架を受け取り、今に至るまで、全てが間違っていた。」


ウラドは引き出しからペーパーナイフを取り出す。そして少し光にあたる。キラキラと銀色が輝く。首筋を掻っ切る事は出来ないが、動脈を突き刺す事は出来るだろう。


「−−−生きて贖ってもらった方がいいのにね。」


「だが、君なら引き受けてくれるだろう。」


「どうしてそう思った?」


「−−−−君の怒りは本物だ。それに、今を好機だと捉えてもいる。私は死ねて、君は復讐を果たせる。そうだろう?」


ウラドは、ナイフを少し見つめる。


「−−−−−まぁね。僕は魔物は多く殺してきた。それが、人に変わったぐらいなものだし。今までも、こんな感じではあったし。」


そう言い、ウラドは回り込んで男の前に立つ。その目は光はないが、やけに、生気を感じた。そして、ウラドはナイフの切先を男の首に当てる。


ガチャ−−−


***


ウラドはペーパーナイフを机に置こうとはせず、そのまま彼女を見つめていた。ティナは恐怖と驚愕で強張ってはいたが、雇い主の方を見る。


「あの、お客さんです」


男は眉間に少し皺を寄せた。困惑しているようだ。ウラドはこの邪魔が何かになってくれるかと思いつつも、ナイフを直ぐにしまう。ティナはウラドを男から引き剥がすように割り込むと、可否を聞かずに、彼の椅子を押した。部屋に取り残されたウラドは、また本棚を見る。本棚には、東の文化の本が敷き詰まり、中には、聖典の解釈を書いた本が何冊もあった。これほど東への理解を深めようとしているのに、未だ贖いが必要なのだろうか。ウラドはティナとは距離をとりながら、ゆっくりと歩いていた。宗教画の人間たちは、彼らを忌避と好奇の目で流し見していた。廊下へ向う道中、男は俯いていた。醜態を晒してしまったからか、はたまた罪悪感故のものなのか、可能性が多すぎて、彼には特定ができなかった。沈黙が川のように正面から流れる中、3人は応接室に到着した。ティナは雇い主を一瞥する。彼は依然と俯いたままだ。ウラドの話を聞き、彼女は、この選択が彼にとってどのような事なのかは薄々わかってはいた。しかし、その話の以前、そもそも、何故そうなったのかはまだ把握していない。故に、この選択が正解なのかは判断できない。そう、言い聞かせていた。彼女は金のレバーハンドルを傾ける。


ガチャ−−


応接室の中心には、やはり上等な質感のソファが置かれており、紫の彼女が少し俯いて座っていた。しかし、ドアの開かれる音と共に、彼女は顔を上げ立ち上がった。


「−−−−神父様。」


雇い主はゆっくりと、虚な顔を上げる。


神父は驚愕した。あの黒い髪、あどけなさが薄れつつも、反対に上品さが醸し出された綺麗な瞳、見覚えがあった。彼女はゆっくりと歩み寄る。


「覚えていますか?」


彼女の、まるで聖母かのような、慈愛と安堵、心配の念のこもった眼差しを前に、男は目を見開き、涙を流していた。この状況が、ウラドにとっては急な展開に思えた。反対に、男は彼女を見て、はっきりと思い出した。そして、ボソリ、ボソリと、言葉を紡ぐ。


「憶えているとも。君は−−−−あのスラムにいた。」


彼女はウンウンと頷く。


「あの時、瓦礫のそばで怪我をした私を助けてくださったご恩を、返したく参りました。」


彼女は少し潤んだ目でそう言いながら、一通の紙を差し出す。長方形に幾重に折り畳まれた紙を、男は受け取り、開く。そこにはウラドも見覚えの汚い字が書かれている。男は困惑しつつ彼女を見上げる。彼女は男を見ながら、視線を合わせるように跪き言う。


「術師のベリアールという人物から、貴方に協力要請が来ています。聖導師としての聖典の解釈と意見の提示をしてほしいと。」


ウラドは耳をそばだてるように顔を軽く上げる。そうか、彼も本格的に動いているのか。数百年前は気分でコロコロと行動が変わっていたのに。この聖導師への報復は、流石の彼も本気でやりたい事柄なのだろう。ウラドはまた男を見る。男は少し俯いていたものの、直ぐに顔を上げた。そして、言う。


「あのスラムで、私は君達に申し訳ないと思い続けていた。今、それを死によって精算しようとしている。」


その一言で紫の彼女は目を見開く。唾を一息飲み込むと、彼女は彼を見つめたり俯いたりとしていた。ティナもやはりと彼を見下ろしながら、またウラドを一瞥する。ウラドは少し肩をすくめる。ティナは短く息を吐くと、雇い主の背中越しから言う。


「協力すべきではないでしょうか?」


「ティナ!君には−−−−」


「私は東の北東部にいました。皆貧しく、最早聖導師への怒りよりも、今後の不安しかありませんでした。貴方は−−−既に財産をはたいてまで東の種族(私たち)に尽くしてくれました。それだけで、充分です。ですから−−−−」


ティナは喉が締め付けられるのを堪えながら言葉を絞り出す。


「どうか−−−−お願いします」


ウラドから見て、ティナの小柄な体は少しだけ震えているのが見てわかった。男も、彼女の短い言葉から、生きてきた年数に降り積もった自身たちへの不運を感じ取り、思わず俯き涙が溢れる。


「−−−−もし−−−もし私の功績によって獣人(君たち)が一つの種族として認められるのなら、それが、贖いにもなるのなら、私は全てを捧げよう。」


彼のこの言葉は、まさに力強かった。その後、彼女と彼は夜通し語った。昔の事ではなく、未来の事を。ウラドとティナは、屋根裏の部屋に戻った。


屋根裏にて、ウラドはここでの日課である星空の観測をしていた。特に専門的な知識は無いものの、やはり美しい夜空を眺めるのは快い。屋根に取り付けられた開き窓の奥に、ティナがいた。彼女は少しため息をつきながら、ウラドのほつれたコートを直していた。


「何で、あんな事したんですか」


キツイ口調で、ティナはコートをボサっと膝下に置く。まるで悪戯した弟を叱る姉のようだ。だが、彼女の心中をウラドは察していた。故に、夜空の瞬きを眺めながら答えた。


「死を選ぶ人間を呼び止める権利は、僕達にはない。僕はそう思う。無理に生にしがみ付かせるのは残酷だ。彼自身あれを望んでいたし、戦争帰りのあの精神状態は、寧ろ死が救いでもある。君の言うとおり、僕は話を聞いてから判断したんだ。」


「だから死を迎えるのを見ろと?あの方はあの女性に会えたから視点を変えることが出来ました。あの方は罪を償うために、財産を売り払いながら、東の人々に尽くしてきました。それが報われていると言う事実を知らせることも無く死へと案内させることこそ、残酷では?」


「–––––ティナ、君は君の範囲で救える人間を救うことが大事ではないのかい?死にに行く人間は、最早君の手では届かない。それが、『権利がない』という事だ。」


「そんな事は−−−」


ティナは強張った顔を浮かべる。暗闇であまり見えないが、薄々どんな顔かはわかる。そして心境も。ウラドはパタっとその場に仰向けとなり、息をフウっと吐きながら言う。


「君達は、幸福なんだよ。死を選べるのだから。死ねるのは幸せでもあるんだ。悲しい事でもあるけど、僕はもう死ぬことが出来ないから。無論、僕だって、これほど罪に向き合った人間を殺すのは気が引いた。でも、だからこそ、終わらせてやりたかった。」


ティナは疑問に思う。


「ウラドさん。貴方に一体––––」


ウラドは悲しげな目でティナを見る。ティナはその目の奥にある感情を感じ取った。


「–––––––––いつか、しっかりと話してください。でないと、私は貴方に届かないんですから」


ウラドは答えず、じっと彼女を見ていた。その目は少し虚だった。そして答えぬまま、彼は背を向けるように寝返りをうった。ティナは返答がないことに少し戸惑ったが、断りもしていないので、彼の心に留めてくれたのだろうと考えた。


この日の月は満月であった。


翌日、ウラドとティナは男から露銀を受け取り、旅に戻る事となった。荷物を纏めて玄関に辺りに向かうと、男が庭の方に出て行くのが見えた。庭には畑などもあったが、男はその畑のさらに奥、森の近くの方へと向かっていた。ウラドも彼とは最後に話がしてきたいと考え、荷物を外に出して、そのまま庭の方へと歩いた。畑はまだ土が見えており、男が1人では出来ないほど、しっかりと肥料や柵も施されていた。同時に、あの男の魔力の残穢も、微かに残っている。


ウラドは男の背後まで来ていた。少し離れた位置にいる男の前には直方体の滑らかな大きな石が中心に、その周りに小さな家のような石が置かれた祠のようなものの前にいた。


「おい。」


ウラドが声をかけると、男は振り返る。その目は光があった。ウラドが彼の左側へ行くと、彼は漸く気がついたようにアッと反応した。その様子は、本当に生き生きとしている。


「あぁ、お前か。––––知っているか。これは東の墓だそうだ。東では本来この直方体の石に死者の名を刻むらしい。」


「知っているよ。一度見たことがある。胞子症で死んだ母親のだけどね。」


ウラドは墓をまっすぐに見る。あの時も、昨日話した通りに自身の持っている権利の中で行なった。だが今は、あまりいい気はしていない。男は本題に入るように頬杖をする。


「–––––お前は聖導師を恨んでいるが、それは錬金術師としてではあるまいな?」


ウラドは乾燥した唇を少し舐め、ポケットに手を突っ込む。


「––––鋭いね。」


「お前の魔力は莫大である以前に、ムラが人間の魔力だ。南の大陸のエルフやドラゴンとは異なる。量からして7世紀か8世紀は生きていることになる。何故、人間がここまで長命になれたんだろうか?」


「––––」


男はウラドの方に身体を向け、食いつくように言う。


「まさか【聖杯】か?【賢者の石】か?」


ウラドは答えなかった。しかし,明らかに無言で墓を見つめる彼を見て、男は何も言えなかった。だが、男は胸ポケットからスッと紙を取り出し、ウラドに手渡す。


「ベリアールに渡してくれ。私の住所が書いてある。」


「あぁ。」


「ウラド。聖導師(われわれ)は、いつから道を外したのだろうな。歴史書の時代、カタコンベにいた頃は、確かに隣人愛はあったはずなんだ。」


「寧ろ、カタコンベから出てきたあの頃から、もう間違えていたんだよ。権力を持つと、全ては歪んでしまう。無論、間違っていたのは聖導師(君たち)だけではないのかもしれない。」


ウラドはそう言い残した。


門に向かうと、ティナがいた。彼女は椅子を押すウラドを見て、何だか奇妙な感覚がした。聖導師を恨んでいるとは言え、何故彼に対してそこまで出来るのかと。もしかすると、彼を殺そうとしたのは本心からの親切であり、彼の中にある知らない事情でもあるのだろうか。本当に恨みを持って殺そうとしていたのだろうか。彼自身を詮索するのはよろしくはないが、流石に知りたいと言う欲求を押し殺すのは難儀した。そうした中、ウラドとティナは丁重に礼を申し上げ門から出ていく。男と紫の彼女は2人が門から出て、街へと向かうのを眺める。ティナのあどけない歩みの横を哀愁を漂わせて歩くウラド。それを見ながら、彼女は少し悲しげに言う。


「あの男性、やはり人間離れしていますね。ベリアールさんとも接触しましたが、やはり2人とも異質な魔力です。」


「あぁ。無駄なく天へ伸びるのは錬金術師では稀ではないが、禍々しさだろうか、何か恐ろしげだ。まるで、聖導師に知らせる証のようにも見える。」


「彼が、何故旅をするのかも、謎ですね。」


男はジッと奥の道を眺めていた。彼の目には、単に細く長くそして静かに、睨むように天へ伸びる魔力を感知していた。

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