第32話 贖い
ウラドは男の少し澄んだ茶色の目を間近で見つめた。2人の間に沈黙が流れる。その中、男はウラドの腕を離した。ウラドは少し痛みを感じながらも、力を緩め、離した。2人が少し距離をとったところで、男は金の十字架を握りしめながら言う。
「どうやら、君は、まだ抜け出せていないらしい。」
「––––あぁ。」
ウラドは手を離す。男も、手を離した。言いたいことは山の程にあったが、つぶさに、ティナの昨日の発言が頭をよぎったのだ。そして、あの手の震え様。ウラドは少し間を置き、低い声で、外に漏れぬ様に言う。
「だが、疑問点もある。」
「−−−−言ってみろ。」
「−−−−−−何故、この部屋には、獣人の文化圏の物が置かれている?館の中には、宗教画や、教会に準ずる品々が多い中、この部屋には、それらしい物がない。そして、あの陶器、質感が明らかに違った。」
そう言い、ウラドは神妙な面持ちであの花瓶を手に取る。やはり、質感はだいぶ違う。陶器にしては、ざらついている。
「これは、木製だな?何故こんなことを?」
男はウラドを凝視する。赤目の男は、自分自身を嫌悪しながらも、どこか、心配そうな心境も抱えている。妙な人間だ。魔力も少し揺らいでいる。足を失った男は、俯き、金の十字架を外し、それを眺めて、ボソリと言う。
「昔の話をしよう。長くなるがな。」
そうして、男は椅子に背もたれ、懺悔を始めた。
***
−−−ユリウルス暦 865年 −−−
当時、皇帝からの勅令により、栄華を極めつつあった大陸教会は、未だ教会の権力の行き届いていない北のアイデース大陸の東部と、東のシャマシュ大陸、南のハーダース大陸へと勢力を拡大しつつあった。だがしかし、神の子が生まれるよりも昔より築いてきた文化を蔑ろにする教会を、東文化を持つ者達は受け入れなかった。
ゲルマニア共和國の北部付近のペルドゥナ公国にて、少年は、塹壕の端で蹲り、涙と鼻水をダラダラと流して怯えていた。隣には、つい先日まで教会で共に学んできた学友が、こちらをギョロリと見て沈黙を貫いている。後頭部の向こうでは、地鳴りが踊っており、そのたびに、ワインと思いたいものが波打つ潮のように降り注ぐ。少年は銀の十字架を握り締め、恐怖で震える手で祈っていた。
「神よ−−−−どうか、我らを救いたまえ−−神よ。」
少年は、真っ赤に染まった髪を一瞬拭う。元は親からも褒められるほど綺麗な銀髪だった。だが、今では赤黒い。その時、ベチャッベチャッと、血と泥を踏みつける音が、こちらに近づいてくる。少年はさらにビクビクと震えた。
「おい!」
近づいた男が、少年の肩を押し倒し、彼を塹壕の壁に押し付ける。少年は恐怖ながらも、男を見た。男の目は、飢えた猛獣なんかではなかった。虚ろで、目が窪んでいる。顔は険しく、肌も荒れ果てて乾燥している。恐らく持っていたであろう、聖導師としての清楚や好青年さは消え失せていた。少年は震えたままの右腕で、男の腕を掴む。男は殺気だった声で言う。
「そんなに早く帰りたいなら、早く獣人を殺すんだ。お前も、こうなりたいのか。」
男は少年の頸を鷲掴みにして、学友を見せつける。少年の頭の中では、こうなりたくないと言う願いと、彼との儚い思い出が過ぎる。そして、男が乱雑に少年を離すと、すぐ奥へいってしまった。少年は、轟音が囲む中、孤独になった。
「−−−−−神よ。」
少年は銀の十字架を握り締め、祈り続けた。月は満月で、彼らを微かに照らしていた。夜を超えた。
塹壕を掘っていき、地中深くへと進む。そして、地上に戻ってきては、押し迫ってくる獣人を殺した。火焔魔法を空から降らせる。まるで聖典のようだ。
「この異端者が!」
少年の隣で、他の聖導師が叫ぶ。
そうだ。今、我々は神の名に変わって、鉄槌を下しているのだ。この火焔の雨も、聖典の、罪人たちを葬る時のものと似ている。まさに、今我々は神と共にいるのだろうか。我々がしていることは、虐殺なんかではない。正当なものなのだ。いや、そうであってほしい。少年は、恐る恐る塹壕から顔を出す。獣人たちが、火に抱かれて悶えている。その時、後ろから、ぐいっと強く引っ張られた。
「馬鹿者!無闇に顔を出すな!」
ダァァァァァァ−−−−ン!!!!!
「がぁぁァ゛ァ゛ぁ゛!!」
すると、先ほど隣にいた者が、頭に風穴を使って、吹っ飛んだ。少年が呆然としていると、男は言う。
「異端者の中には、銃の扱いに長けた者もいる。気をつけろ。」
「−−−−−神よ。」
少年は涙が出なかった。自分も、こうなってしまうのだろうか。
夜になり、戦いは少し静かさを取り戻した。少年は寒さと恐怖で震えながら、先ほど引っ張った男を見る。男も、肩まで伸びた茶髪が、ガサガサになっている。少年は銀の十字架を握りながら、言う。
「−−−−いつまで、続くのでしょうか。」
「異端者が駆逐されるまでだ。」
少年は、俯く。その日まで、自分は生きているのだろうか。もう、わからなくなった。男は言う。
「−−−−帰りたいか?」
「−−−−はい。」
「ま、死ぬまで帰れない。私も、帰りたいと言ったことがあるが、帰れなかった。」
溜息を深く、深く吐くと、彼は空を見上げた。
「怖くなったら、空でも見上げろ。神が見てくださっている。それだけで良いだろ?」
少年は空を見上げた。月は温かい三日月の眼差しで、こちらをご覧になっていた。少年は夜を越した。
また塹壕を掘っていた。外では爆撃と叫びが響き、死体が魍魎としている。彼らは塹壕内にあるカタコンベで遺棄される。だが、臭いは外と変わらない。
少年は死体を運んだ。運んでも、運んでも、運んでも、減らなかった。
ドゴォォオォォ!!!!!
「錬金術師だ!防護結界を展開しろ!」
外が騒がしくなった。少年は神父の叫びを聞き、大急ぎで外に出た。ボロボロの杖を握り締め、塹壕から顔を出す。
ダゴォォォォン!!!!!
刹那、少年は轟音の後、土と元に吹っ飛んだ。衝撃が、彼を塹壕の壁に叩きつける。少年の耳は酷い耳鳴りと痛みが走る。彼は悶えた。ある聖導師が叫ぶ。
「神父がやられた!神父を先に手当てしろ!」
「た、助けて−−−−」
少年は微かな声を出したが、彼らがこちらを見てくれることはなかった。その時、少年は、自分はいつ死んでもおかしくないだけでなく、命の優先順位すら、低いことを目の当たりにした。自分は、駒なのだ。なんだか、彼の中で、何か、零れ落ちていく感じがした。
少年は夜を越した。月は新月だった。
少年は火焔魔法で獣人を燃やし尽くした。彼の目は、最早、恐怖も、喜びも、無かった。ただ彼の右腕が、異常に震えていた。
少年は夜を越した。
また何人も、聖導師が死んだ。無意味なものなのに、作戦は実行された。
少年は夜を越した。
食料が不足している。早く食べないと、奪われかねない。
少年は夜を越した。
小腹が減った。ネズミを食った。味がしない。
少年は夜を越した。
少年は夜を越した。
少年は夜を越した。
少年は夜を越した。
少年は夜を越した。
ある日、少年はいつも通り、作業をしていた。血に塗れ、銀の十字架は、最早手入れすらされなくなった。少年は、ネズミを捕まえ、食った。そして、静かになった塹壕の隅で、右手だけが震えていた。恐怖はなかった。やけに静かだな、と思う。少年は空を見上げる。空は星々を纏っておりキラキラとしていて、純粋そうだった。久しぶりだった。その時、空に、妙な陣が浮かび上がる。少年は無表情のまま固まっていた。
バゴォォォォォン!!!!!!!
ピカッと空が光った。瞬間、猛烈は熱さと衝撃で、少年は塹壕の外に吹っ飛ばされた。
暫くして、少年は目を覚ました。ジンジンと痛む頭を起こすと、自分の周りに血溜まりがあるのがわかった。見てみると、自身の脚が、片方ちぎれていた。少年はすぐに回復の加護で止血した。その時、眼前にある敵陣の方に、人影が見えた。人影は確かに杖を持っている。纏っている魔力も、冷たく、恐ろしい。少年は本能のうちに魔力を制御していた為か、発見はされなかった。
「レオナルド、アレックス、クレア−−−−」
少年は周りを見ながら、仲間を呼ぶ。だが、誰も、唸り声すらあげなかった。地面は血で濡れている。静寂が、彼を包む。
「−−−−死にたくない。」
咄嗟にそう思った少年は止血してすぐに、その辺に落ちていた杖を握り締め、立ち上がった。銀の十字架の紐を引きちぎると、その場に捨てた。
先へ進んでいくと、何か、流れる音がした。川だろうか。川には死体が転がっている。ここで倒れれば、見つからないだろう。彼はゆっくり、ゆっくりと進んでいく。ふと、見上げると、明かりが見えた。明かりと言っても、小さな蝋燭程度のものだった。
少年は安堵し、倒れた。
目を開ける。天井は古びた木で覆われている。壁も木で、即席で作ったのだろう。少年の息は安定していた。これほどにもゆっくりと眠れたのは、久々だった。起き上がると、周りにも、人がいるのがわかった。だが、人間ではなかった。蛇の鱗のような肌を持つもの、猫の耳をした女子供がいた。
「あ!起きた!」
右を見ると、リスのようにまん丸な頬をした子供が、まん丸な茶色の目を向けている。少年は訝しげに見つめると、子供は無邪気に立ち上がり、ここから出ていった。また少しして、同じリスの女が、小走りでやってきた。
「あんた、スラムの近くで倒れていたんだよ?覚えてないのかい?」
訛りのある言葉だった。少年は少し俯いた。
「−−−−わからない。」
母子は困惑した。だが、彼女の意思により、少年は一命を取り留めただけでなく、滞在することもできた。
少年は夜を越した。月はまた三日月だった。
少年は杖をつきながら、スラムの中を散策していた。スラムの者達は、少年の事情を無理に詮索することなく、受け入れてくれた。それが、無性にありがたかったし、申し訳なく思えた。少年がスラムの道端の古ぼけたベンチに座る。あちこちの建物では、怪我人が唸り、女子供が死んだ旦那の死体の前で跪き、延々と泣いている。少年は、それを淡々と見ていた。
「お前、見ない顔だな。」
見上げると、黒髪の少年が立っていた。1つの三つ編みに結われた黒髪は、少しほつれている。少年はボルトアクション式の猟銃を抱えている。その時、思い出した。塹壕で聞いた。『銃に長けた者』恐らく彼だろう。少年は隣に勢いよく座る。
「お前、逃げてきたのか?」
「えぇ。血の泥の中を。貴方は?」
「俺は、丁度戻ってきたところだ。」
黒髪の少年は誇らしく銃をそばに置く。そして、煙草を口に咥えると、火打石で直に火をつけた。銀の少年は、また俯く。まるで生気がない。黒の少年は少しかがむようにして彼を見つめる。
「お前、何者なんだ?どこからきた?」
「−−−−−わからない。もう、私自身、何故ここにきたのか、わからない。」
黒の少年は煙草を蒸す。
「−−−−お前もか。よくいるんだよな。戦争の恐怖で色々ぶっ飛んじまうのって。なら、ここを故郷にすればいい。俺が案内するよ。俺は『ルコル』」
ルコルがにこやかに言うと、銀の少年を連れて、スラムを案内した。
スラムの中心には、公共の場所が密集しており、そこでは、女が幾つかの焚き火で料理の支度をしていた。子供達は互いに戦争ごっこをして遊んだり、老婆から東の神々についての話を聞いたりもしていた。2人が焚き火の鍋のそばに座ると、クマの中年の女が、朗らかに微笑む。
「あんたら、育ち盛りだからね、いっぱい食べな!」
女はそう言うと、2人に椀を渡す。銀の少年は最初、棒2本を渡され困惑したが、ルコルが人差し指や中指で器用に食べているのを真似して持つ。親指が器用に動かないが、汚くも一口食べる。
「美味い。」
単なる山菜の汁物なのに、これほどにも温かく、美味いのは初めて食べた気がした。少年は目を丸くし、思わず涙が流れる。それを見た女も、少年の頭を優しく撫で、労った。ルコルもニカッと笑いつつ、肩を組んで引き寄せた。
申し訳ない。
それから数日、銀の少年は、嫌な夢を見た。死んだ仲間が、彼を追いかけるのだ。何故、お前だけなんだ、と。その夢を見るたびに、スラムの人々の温かさが、辛く、申し訳なくなった。それと同時に、彼は東の文化を探るようになった。子供の成長を願った儀式や、日々の占いごとなど、彼らの宗教や文化は、言って仕舞えば、地味であったが、精神の奥に根ざす慎ましさがあった。だが、スラムの中心にいくと、子供達が、やけに真剣そうに、ある男子を慰めていた。
「どうしたんだい?」
少年が尋ねると、子供達は男子を宥めながら言う。
「この子のお父さんが、聖導師にやられちゃったんだ!」
「そうかい−−−−可哀想に。」
「でも、お父さんは『エイユウ』になったんだ!悪い奴らをやっつけようとしたんだ!!!」
「そうだよ!ルコル兄ちゃんだって、聖導師の十字架の数は皆んなより多いんだ!」
少年は誇らしく言う子供達に、呆気に取られた。普段、戦争ごっこをしているとはいえ、ここまで妄信的になるのだろうか。いや、逆だ。ごっこをするほど、この戦争に、夢中になっているのか。少年は、恐る恐る聞く。
「−−−−君たちは、将来、どうなりたい?」
「もちろん!聖導師をやっつける!!」
自信満々に胸を張って言う子供達が、少年にとって、恐ろしく、そして、腹立たしく思えた。あの地獄が、彼らにとっては、英雄の舞台だというのか。行ったことすらないのに、あれが。いや、このような考えを生み出してしまったのは、彼らの怒りを買ったのは、未来あるこの子供達を、戦地へ駆り立てている元凶は、聖導師ではないのか。
此処には魔物の派生を持つ生物はいなかった。ただ慎ましく、温かく生きる人々がいるだけだった。
少年は逃げるように立ち上がり、その場を駆け足で立ち去った。
その日の夜、少年は手早く食事を済ませると、あのベンチに腰掛けていた。灯りから遠かったこの場は、夜空が一層、美しく見える。この時は、やけに心を鎮められた。
「なぁ。」
ふと見ると、あのルコルがいた。彼は少し心配そうにこちらを見つめる。
「昼の事、子供達から聞いたよ。戦場が恐ろしかったとはいえ、あんな態度取る事なかったろう。」
「すまない。ただ、あの子達が、昔の私に似ていて、怖くなったんだ。」
「昔−−−?」
「私も、この戦争に加わっていた。当初は、己の大義の為、ここに来れることが、誇らしく思えた。だが、現実は違った。ここに来たことを後悔している。」
「なぁ、お前もいたのなら、一体、どこの部隊に?」
「私は−−−−−」
ダゴォォォォンダゴォォォォンダゴォォォォン!!!
刹那、轟音と共に、スラムに連続的な爆撃が生じる。真っ赤に燃え上がる眼前を見て、2人は火中に走った。
スラムの中は、地獄に様変わりしていた。泣き叫ぶ子供、女、必死になって武器を取る男達。ルコルも銃を握る。
「奇襲だぁぁ!!!」
彼が叫ぶと、他の獣人達が叫ぶ。彼らはスラムの最奥の方へ走っていった。銀の少年も、いても立ってもいられず、辺りを見渡す。そこに1人、黒髪の女子が、泣き叫んでいる。少年は、息を呑み、そこへ駆けつけた。彼は怪我を診る。足の傷が深い。少年は胸元に手を当て、片方の手を怪我に当てて詠唱する。
【彼は私達の病を背負い、私達の病を担った】
すると、傷は忽ち癒ていった。子供は困惑したように彼を見つめると、彼は言う。
「他の大人達と共に、ここから逃げなさい。」
子供を立たせると、彼女は恐怖に満ちた目をしつつも、勇気のある目もしていた。銀の少年は立ち上がり、ルコルを追った。
銀の少年が辿り着いた時、先ほどまでいた皆々は瀕死であった。前を見ると、人が何人かいた。その者達は、皆、金銀の十字架を首にさげていた。ある、金の十字架を下げた髭面の男が言う。
「お前だな?錬金術師どもの場所を知らせてくれたのは。」
少年は呆然とする。
「わ、私はそんなことをした覚えがないです。」
「いや、確かに、知らせてくれた。お前の魔力がな。感謝する。お前は英雄だ。」
金の男が軽く笑う。少年は引き攣った顔を止めることに精一杯であった。少年は異議を申し立てたかった。だが、何も言えなかった。そして、故郷に帰還したのち、少年は豪勢な建物を贈呈された。その日の月は、満月であった。
***
男が話し合えると、ゆっくりと息を吐く。ウラドは壁に背もたれる。そして、重たい声で話す。
「魔力探知による場所の特定ね。昔、錬金術師がよくやっていたやり方だ。」
「そうなのだろうな。十字架を調べたところ、内部の魔法石が、私の魔力を記憶していたのか、まるで導くように、私の魔力と繋がっていた。だが、もうそんなことはどうだって良い。ただ私は、この罪を贖いたいだけだ。−−−−あの時、私は帰り際に、ルコルの目を見た。恐ろしかった。彼の黒の目が、怒りと、悲しみに満ちていた。−−−−申し訳なかった。」
男は神妙な面持ちで、ウラドを凝視する。彼の目は、あの頃と同じような、血に似た赤い眼をしている。男は言う。
「1つ、願いがある。聞いてくれないか。」




