第31話 縁
ユリウルス暦 875年 12月 22日
さて、足の無いあの男のもとで働いて、もう数日が経過した。この日はものすごく寒く、雪までも降っていた。サラサラとした雪は、勢いの良い風に乗って粉のように舞っている。すぐそばの門すら見えない。ウラドはその様子を、書斎の窓から見ていた。窓は大きく、すぐ下の棚には、花瓶や帽子、狐か何かを模したであろう木彫りの置物が適当に置かれている。本棚には、『アミニズムの根幹』などと称された東に関する本が多くあった。彼らの欠点でも探そうというのか?ウラドは軽く机や棚の上の物をしまうと、天井から埃を落としていった。暫く掃除なんてされていなかったのか、大粒の埃が降ってくる。ウラドは思わずくしゃみを何度かし、目を擦る。粗方終えれば、今度は箒やブラシで床を掃除した。棚の隙間、上、あらゆる場所を丁寧に掃除した。棚の上にある花瓶などは、売ればそれなりの値になるだろう。それこそ、こんなところで、日が昇る前から時間に縛られる必要すらない。ウラドは花瓶を手に取る。銀の光沢を全身に纏った様が美しい。だが、ウラドは少し首を傾げる。
「−−−質感が−−」
「おはよう。」
ウラドは勢いよく振り返る。そこには、車輪の椅子に座った男が、愛想良くこちらを見ている。上品で小さな笑みが、彼にとっては不気味でならなかった。ウラドは花瓶をそっと置く。男はシルクの寝巻きから、上品なシャツを着ていた。ズボンも良いもので、革靴もストレートチップと、高価なものだった。男は花瓶を見るように首を傾げる。
「何かあったのかね?」
「いえ−−−何も、ただ生憎雪が降っており、窓が開けられません。故に、空気が悪いなと。」
男は軽く笑う。
「あぁ、そうだね。では、私がどうにかしよう。」
そう言うと、男は右手にある本棚の方へ向かい、ある一冊の本を取り出した。本は黒色の表紙で、金の印字だけが、本の題名を刻んでいた。『聖典』と。男は聖典を開くと、ある一節を読むかのように目を細め、小さな声で、ブツブツと唱え始めた。ヨレネスでも、同じようなものは見た気がする。あまり覚えてはいないが。
バタン!
ウラドは背後のドアを見た。何故か、ドアが開いた。そして、ウラドの黒い髪が、たなびき始めた。風が吹いているのだ。しかし、窓は開いておらず、どこから風が来ているのかも分からなかった。だが、この空間を漂う小さな埃は、風に乗って外へと出ていく。数秒して、男が聖典を閉じると、風は止んだ。ウラドは目を見開いていたものの、思考は澄んでいた。ウラドは、驚きを見せずに言う。
「今のは?」
「神の御業だ。神の祝福によって、風が起きたのだよ。」
ウラドはそれを聞き、腹が立ったが、腕を組み、顎に触れながら言う。
「−−−そうですか。」
ウラドには違和感だけが嚥下できずに喉に残った。だが、今ここで言うのは得策では無い。彼は恐らく教会では影響力のあったものだろう。故にこれほどな豪邸を贈呈されているのだから。違和感に不快感を感じつつ振る舞うウラドを眺めながら、男は車輪を回して振り返る。
「さて、そろそろ、朝餉だ。」
ウラドは振り返った男の背もたれについた取手を握りしめると、グイッと体重をこめて押し進めた。
朝餉が終わり、幾らかの仕事をこなした時には、既に昼に近くなりつつあった。この頃には、朝のような吹雪は無くなり、陽光と雪の眩しさが目立つ。ティナは皿洗い、ウラドは、主人と共に礼拝堂へ向かっていた。
礼拝堂は、厳かで、それなりに煌びやかではあったが、何故か、教会特有のギラつきは感じられない。礼拝堂の端にある長椅子には、農業後の土臭い老人達がにこやかに座っていた。老人達はにこやかに彼をみて笑うと、口々に挨拶をした。男もそれに返す様ににこやかだった。
「神父様、孫が妙な事を聞きましてね」
「なんでしょう?」
「少し前に、大雪が降ったでしょう?その時に、『何故雪が降るのか』と聞いてきたんですよ。何故でしょうか?」
男は少し考える様に俯くと、こう言った。
「寒空の上には、神がおられます。その神が、耐え難きを耐えた我々に祝福して下さっているのです。」
男は愛想よくそう答えたが、ウラドはハッと目を開き食いつく様に言う。
「違います。」
突き刺す様について出た声が、礼拝堂に響く。皆はギョッとした様にウラドを見ていたが、男は愛想よく笑うと、上を見上げて、ウラドに言う。
「神の祝福に決まっているだろう。他に、何だと思うのだ。」
「そもそも、空から降ってくるものは、雨であれ、雪であれ、等しく『水』です。その水は、加る熱の熱さによって変容します。高いほど水蒸気になり、低い程、固体になります。雪は、その固体の状態から、地上という熱のある状態に変わるために、少し水状になっているのです。神ではありません。」
あの一言を聞いて、老人達は失礼だろうと、躍起になって諌めていた。だが、あの男だけは、むしろ真剣な、鋭い眼差しで考え込んでいた。
ある日、ウラドは変わらず、館の一階部分の掃除を終え、少し館内を見て回っていた。
「ウラド。」
ふと、目線を赤い絨毯から上へ向けると、目の前に男がいた。男は怒りなんて微塵もないような爽やかな顔色をしている。黙って凝視するウラドを、淡々と眺めつつ言う。
「少し、話さないか。」
「説教は充分。」
ウラドはあの日から、聖典から引用した説教を聞かされていた。時間的にも、そろそろだろう。だが男は軽く顔を向けて言う。
「いや違う。少し世間話だよ。ティナから聞いたよ。賢いらしいな。私は、賢い人間と話すのが好きだ。」
「僕は賢くはないです。むしろ、無知と言っていい。」
それを聞いた男は、途端に立ち止まった。ウラドは奇妙そうに彼の小さな背中を見た。数秒して、男は首だけを振り返らせる。そして、笑った。
「噂は本当のようだな。まさか、『無知の知』を知っているとはな。」
「そうですか。」
「では、獣人に対して、どう思う?」
ウラドは何も答えなかった。沈黙のまま廊下を歩いていくと、目的の地は彼の書斎であった。書斎は朝と変わらず綺麗だった。男は書斎の机に向かうと、向きをこちらに変えて言う。
「さて、お前とは、腹を割って話してみたかった。」
「何故?」
「お前は、主従である私に対しても、対等にあろうと振る舞っている。」
「雪の話から、その様な事を?」
ウラドはあたりの本棚を見る。教会の解釈が大半だが、中には、東の文化についての本もあった。男は乾いた笑いを出す。
「あぁ。あの白猫のことは何となくわかってきているが、お前の事は分からなくてな。」
ウラドは目を細める。男はその様を見て確信した様に笑う。そして、背もたれに深くもたれかかる。
「我々聖導師にとっては、神を信仰しないもの達は異端者だ。破壊に希望を見出し、殺すことに躊躇いを持たない。そして、獣人もそうであった。一つの神ではなく、あらゆるものに宿る神を信仰した。−−−だが、疑問でもある。何故、彼らは我々の神を受け入れなかったのか。」
ウラドは、男を凝視する。
「−−−−受け入れられる訳ないでしょう。今まで、価値観の基準としてきた信仰が、損なわれる。それがどれほど恐ろしい事か。信じてきた神が偽りだと突きつけられることが、どれほど苦痛な事か。」
「−−−そうか。」
男はそっけなく答え、ポツポツと話し出す。
「昔の話をしよう。私が足を失ったのは、それこそ、教会が東の勢力と争い始めた頃だった。私は銀の十字架を握って震えていた。暗い壕の中、ただ神に救いを祈り、そして、問い続けていた。何故、獣どもは屈しないのかと。そしてある時、やけに、静かになった。奴らの歓声も、砲撃の音も、全て止んだ。私は、長い戦いで無意識に震える手で恐る恐る壕から顔を出した。誰もいなかった。仲間の飛び立った体と、相手の血の匂いだけが、漂っていた。」
男も、ウラドを見つめる。だが、手が異常に震えるだけで、何も答えなかった。それを見て、ウラドは、沸々と憎しみが湧いてきた。あらゆる過去の記憶が想起し、これまで関わってきた錬金術師達の面影が、フラッシュバックしていく。そして、彼の頭には、不意に、ヨルファネーゼが映っていた。そして、歯を食いしばりながら言う。
「僕も疑問でならなかった。何故、何故、神の愛などと説きながら、獣人を何の根拠もないのに、魔物の派生などと言い撒き、迫害をやめないのか!何故、敵すらも愛せと説く貴様らが、我々神を崇めないもの達を受け入れられないのか!『聖導師』!」
ウラドは男の胸ぐらを掴む。その手は、震えていた。
神父は答えなかった。だが、目を離す事なく、彼を見ていた。そして、固く閉ざされた口を、男はゆっくりと開く。
男は足を軽く撫でる。
「話を戻そう。私は神のいる空を見た。空は美しい星々で満ちていた。だが、すぐに、昼間よりも明るくなり、呆然と見上げていると、途端に轟音が響いた。鼓膜が破けるほどに。そして、熱と、衝撃で、私は吹っ飛んだ。暫くして目をゆっくり開けると、私は粉々になった壕から投げ飛ばされ、脚は、激痛を通り越して、最早何も感じなかった。ゆっくり起き上がった時、相手の陣営から見えたのだ。彼らは杖を握っていた。洗練され、無機質で、無駄のない魔力を感じた。彼らは私を冷たく見下ろした後、土煙の中消えていった。君と同じ様な魔力の纏い方だった。」
突如、男はウラドの力んだ腕を、握る。細い腕からは考えられないほどの剛腕さだ。ウラドは思わず腕を一瞥し、たじろぐ。だが、男は殺気に満ちた鋭い目で、ウラドを射抜く。
「さぁ。答えてもらおう。何故、真理の追求などと言いながら、私の聖導師を殺したのか!『錬金術師』!!!」




