第29話 足元
ユリウルス暦 875年 12月20日
ウラドとティナは、国境線付近へ向かう為、雪が降って冷たい空気が突き刺す山道を歩いていた。ウラドが自身の杖で地面を突き刺すようにして足場を確認しながら、その背後をティナは歩く。まるで子熊が母熊の足跡の上を歩くように。ブルブルと震えながら、ふと前を見る。都市の石門が見えてきた。ウラドは一安心したように白い息を吐くと、ポケットから古い麻袋を取り出し、掌の上で逆さにする。チャリチャリと銅貨が零れ落ちる。彼はそれを一枚ずつ丁寧に勘定する。
「ルネー銅貨が2枚と、テルタ銅貨が3枚、ドュララ銅貨が1枚か。」
「宿は取れそうですか?」
後ろからのティナの一言が聞こえる。ウラドは芳しくない面持ちで頭を掻きむしる。
「本来の宿代と、この町で買う予定の日用品諸々を考えると、キツイ。」
ギョッと耳が立つと、ティナは自身の白ぬので作ったがま口を開ける。チャンチャンと振るも、大した額は出てこない。
「すみません、私も実家にお金送っているので、あまり手持ちはないようです。」
「いや良いよ。気にしないで。」
ウラドは気を良くするように、声高らかに言う。だがティナはその様子と、今の事実がいい具合になっていない事に、不安を寄せていた。
雪を強く踏みしめながら、長い山道を抜け出し、曇天であるものの、ひらけた空の光が、2人の視界に開放感を与える。ウラドは杖でヨタヨタと歩きながら、石門を通る。ティナも、石門の騎士に一礼する。ここが、中継地点『バルティア』だ。ここは観光地というよりも、一種の一泊するのに適した町程度で、あまり豪勢なものはない。だが、やはり物価は安く、仕事も得やすいのか、人が多い。ウラドは途端に肩をすくめながら前を歩く。ティナも人を縫うようにしてついていくと、いつの間にか、石門は小さく見え、角もいくつか曲がっていたのがわかる。建物は石煉瓦が多く、屋根は黒い。壁のように見える街並みを眺めながら、ティナはウラドを追う。
建物の間を縫いながら歩くと、次第に地下に続くような階段が見えた。隠れる土竜のように地面に根付く階段を降り始めた。
コンコンコンゴンコンコンコンゴン––––
ティナの軽い東向けの旅靴と、ウラドの北向きの厚い旅靴の音が交差する。下まで降りていくと、ティナは目を丸くした。
「これは!」
目の前の景色が夢なのかと思った。地上にあるような様々な店や建物、人々が多く往来していたからだ。天井は妙に明るく、果てがあるようには思えない。往来している人々も、皆揃って杖を持ち歩いているが、聖導師は見当たらない。そういった魔導士の街なのだろうか。鋏専門店や、散髪屋などの看板は、妙に動いている。ティナは往来の人を避けつつ、前を歩くウラドに言う。
「今から、どこに向かうんですか?」
「魔導士のための宿だよ。知人が経営しているんだ。あぁいうのは、ついでに依頼もあるから、見て行こう。」
そうして歩き続けると、魔道書店や杖の店とは違った、特に人の往来の多い店を見つけた。煉瓦の壁で、丸みのある円錐のスレート屋根が可愛らしい。更には、看板によると、値段は破格だった。窓から見える店内は綺麗なのが見える。
「これが、宿ですか!可愛い!」
「結構評判だよ。––––違法営業なんだけどね。」
すると、ティナはウラドの顔を二度見した。ウラドはそんな彼女を、思わず二度見する。
「そんな顔しないでよ。大丈夫、リリパットの経営する店は大抵訳ありと言うけど、あいつは信用はできるから。悪い事しないし。」
「違法ですよ?!」
店の玄関前に近づき、三本指でドアノブを回すウラドを見ながら、やけに怖高くなった声で言うティナを他所に、ウラドはドアを開ける。その先には、子供用かと思うほど小さなテーブルと椅子が数脚並んでいた。誰も座ることなんてできないだろうと思うが、そこには確かに、子供ほどの大きさの老若男女がいた。だが皆金の腕章をしている。彼らが『リリパット』とやらだろうか。店の中は思った以上にお洒落だ。仄かに光る球体の螢燈がぶら下がり、天井部の端まで貫く大木の枝が天井に凹凸を生み出している。床も暗い色合いの木の板で、店の端に置かれた棚には、地球儀や望遠鏡の模型が飾られている。
「おぉ!ヘクソカズラ!まだ生きてたか!!」
ふと、カウンターの方から声がした。ウラドがその方を見ると、鼻の長いお調子者のような不適な笑みを見せる小男がいる。髪もボサボサで、服装の上品さがなければ、放浪者と大して変わらないだろう。
「クロッカスか。相変わらず、鼻、長いね。」
「東の果てでは、長鼻の僧侶の話があるらしいぞ!あやかれてる。」
そういって調子良く自身の鼻をトントンと叩く。ウラドも久々の友人を前に、軽く手を振って応じる。ウラドがカウンターの高い椅子に座ると、ティナも隣に座った。クロッカスは隣に座ったティナを見て仰天した目で見る。まるで老人の目が飛び出したようだ。
「ヘクソカズラ!!お前––––嫁取ったのか?!」
指を指して仰々しく叫ぶ。するとその声に触発されて、他の魔導士達も、訝しげにこちらを見ては、本当なのか?などと顔を見合っている。中にはティナの顔などを見て、勝手に品定めする輩まで出てきた。
「スラブが結婚なんて、俺はスラブとは40年の付き合いだが、今まで聞いた事なかったな。初婚になるのでは?」
ウラドの隣にいた黒のトンガリ帽子を被った茶髪の女が、頬杖をして酒を飲む。なんだか魅惑的な雰囲気を感じる。口元の黒子が特徴的だ。ウラドはむすっとして言う。
「違うから。それよりも、依頼が欲しいんだよ。」
「依頼か?んなら、楽なのがあるぞ。」
そう言いながら、クロッカスはカウンターから離れる。どうやら、カウンターは少し高くなっており、背後の酒棚も一段高くなっている。クロッカスはトテトテと歩き、左側の引き出しから、白い質の良い紙を取り出して持ってきた。その紙には達筆で綺麗な文字で何か書かれていた。ウラドは紙を覗く。
「––––使用人募集と書いてある。」
クロッカスが自慢げに、少し小馬鹿にするようにそう告げると、ウラドは肩を落としてため息を吐く。
「僕はヘクソカズラなの、わかってるよね?」
「んでも、そこの嫁さんなら、向いてると思うぞ。」
クロッカスは怖気付く事なくティナを顎で見て笑う。そして、パイプに煙草を押し込みに火をつける。そして、スーッと大きな鼻息と共に白い煙が飛び出す。強烈な草の匂いがティナの鼻を捻じ曲げる。ティナは思わず鼻をつまむ。だが2人は気にせず話をする。
「ティナなら適任だろうけど–––」
「なら、依頼先の近くまでは、俺の『術式』で行かせてやるよ。」
ウラドは頭を掻きむしり、紙を受け取った。
「やるよ。流石に、僕も働かなくては。」
諦めるように息を吐くウラドを、ニタリと笑ってみると、クロッカスは言う。
「よし、では、お出口はそちらだよ。」
クロッカスはまたパイプで一息吐きながら、右後ろの方を指差した。その方を見てみると、確かにドアがあった。鶏の足を模した金のレバーハンドルだ。茶色の木目のドアには、菱形の磨りガラスがはめ込まれているが、そこは暗くて中は見えない。恐らくだが、ベリアールのサムラッチ錠のドアと同じような仕組みなのだろう。ティナは先に立ち上がる。
「では、私、先に行きますね」
「あぁ、僕もすぐに行くよ。」
ティナが軽やかに歩き出して行くと、ウラドもそれに合わせて身支度を始めた。依頼の紙を適当に四つ折りにし、口で咥えては、ポケットから麻布を取り出す。そして、クロッカスの前に、ルネー銅貨を一枚取り出した。
「とりあえず、僕たちが戻った時の宿代。」
「毎度。」
クロッカスは軽く笑い、カウンターに置かれた銅貨を有り難そうに拾った。そしてふと、あのドアの方を見る。そこではもう、ティナがレバーハンドルに手を掛けている。クロッカスはニタニタとほくそ笑みながら、彼女に言う。
「嫁さんや、足元に気をつけな。」
「え?分かりました」
ティナは一瞬、耳を動かす。恐らく、段差にでもなっているのだろう。古い建物や民家には良くある構造だ。東でいう敷居だろう。そう思いながら、ティナはレバーハンドルを傾けドアを開け、そのまま前に進んだ。
その時、暗闇で足元が見えなかったが、ティナの足には、地面の感覚がなかった。
「ウ、ウラドさん–––!!」
ティナはそのまま、甲高い叫びを上げながら、暗闇に堕ちていった。その端的な叫びを聞いて、ウラドは依頼の紙を手に取って、ドアの下の闇を覗いた。
「だいぶ堕ちてるな。」
少し呆れつつも、ウラドは杖を召喚し、自身の上着を脱いだ。そして、袖の部分を杖の両端にそれぞれ結び終えると、足先から飛び込んだ。
ティナは深い闇の中を堕ちていた。どこにも掴めそうなものはなく、ただ只管に堕ちていた。次第に、闇のドームから明るい空中に一転した。遥か下にある土地には木々も生え、大きな屋敷のようなものも見える。花畑やら、単なる畑やら、自然に満ちた土地柄なのが、この天界だからこそわかる。だが、今はその世界の壮大さに感激している場合ではなかったし、その余裕はなかった。
「この距離–––ウラドさんを抱えて着地できるかな–––?!」
ティナは焦燥を持って叫んだ。今いる地点と地面までの距離はかなりある。自分1人なら難なく着地はできるだろうが、彼がこの着地で衝撃に耐えられるとは思えない。
「ティナ!!」
ふと、上を見る。すると、ウラドが杖の両端を持ってこちらに飛びついてきた。ティナは分厚い生地の上着に埋もれながらも、顔を出した。
「ど、どうしましょう?!」
「僕に考えがある–––!掴まれ!」
ウラドがそう叫ぶと、ティナはすかさず彼のくびれにしがみついた。ウラドは杖を両端で掴み、上着を広げた。すると、上着がボンっと膨らみ、2人の急降下は緩やかになった。ふわりふわりと揺れながら、2人はなんとか、地面に安全に着地することが出来た。ウラドは上着を杖から解きながら、土も叩く。ティナは尻もちをついたが、すぐに立ち上がり、土埃を叩きながら、ウラドに関心の目を見せる。
「今のは、どうやったんですか?」
「ん?あれは、上着の空気抵抗を利用したんだ。空気は粒子ではあるけど、上着までは通過できない。」
自慢げに語るウラドを見て、ティナは耳を左右に揺らした。
粗方汚れも落ちたので、2人は辺りを見回す。どうやら、森の奥などには着地せず、しっかりと舗装された土道に着地できたようだ。辺りは豊かな緑の木々が揺れており、辺りの畑は休耕地なのか、まだ草もなく、土の茶色がはっきりと露出している。ウラドはその畑を見ながら、続く道を歩いた。人気がないが、もしかしたら、奥の畑にいるのだろうを牛の声がする。歩き続けると、眼前に大きな建物が見える。屋敷だろうか。これほどにも大きな屋敷ということは、地主か何かなのだろう。ウラドは上着を広げ、ポケットから依頼の紙を取り出した。依頼の紙には大きな建物の絵が描かれている。比較してみると、大方外見が一致する。ウラドは紙をまた四つ折りにしてポケットに入れた。




