第28話 意志
ウラドは壮大すぎるこの話に、夢中になって聴いていた。目を丸く開き、興奮したように手を握りしめている。しかし、一つ疑問があった。ウラドはいつもより活気のある声で話す。
「しかし、既に社会的地位を確立している術師が、危険な橋を渡る事になるよ。」
ベリアールは目を丸く、珍しく生き生きとした姿のウラドを見て、少し嬉しく思ったのか、彼も活気のある声で返す。
「いつか、聖道師が頂点に立ち、そしてまたカタコンベの隅で祈るあの頃に戻るのは薄々感じている。でも、地下に戻すと言う歴史的な『レバー』は、僕が下げたい。彼らとは、因縁もあるし。」
ベリアールは金の本を、浮かすと、背後の本棚に戻す。幅2mほどの壁に置かれた本棚がびっしりと本を携え、沈黙を貫いて仁王立ちしている。一つの理論を確立するのに時間がかかるのは百も承知だが、これほどとは。圧巻だ。ベリアールは本棚から、椅子に座り込む弟のようなウラドを見る。
「この理論、現実にするには、まだ足りない。」
「足りない?何が?」
「–––何もかもがだ。そもそも、術式の特性上、人間でには不向きなんだろうね。」
「––––僕は、術式には疎いんだ。はっきり言ってくれ。」
「術式は、本来無機物に作用する式だった。それが前提として存在していた。でも、僕がしようとしているのは有機物、生物だ。つまり、術式は、生物みたいな限度のあるものを想定して構築されていない。」
「つまり、『発生しうる負荷に耐えられない』という事か。」
ベリアールはゆっくり頷く。どうやら、ここでだいぶ詰まっているようだ。ウラドは椅子から立ち上がり、本棚を見る。医学典範、シーナー文書、あらゆる生物学者や聖導師の手記などが含まれていた。それらを手に取っては、また戻す。これほどの情報量を持ってしても、か。その時、ベリアールは何の気無しに正面のドアを見ながら話す。
「でも、一つだけ、前例がある。僕は彼と、交渉がしたい。」
ウラドは一瞬、気を取られたように首を傾げる。ロキは端末を軽く操作すると、先ほどのドアが上から姿形が変わっていく。ウラドは困惑しながら、言う。
「赤い––––サムラッチ錠?」
ギィ–––
ドアが開かれる。重いブーツの足音。威圧感と共に入ってきたのは、ロキだった。ロキは木べらを握りしめている。部屋の奥からは、仄かにトマトの酸味のあるスープの匂いが漂う。側にはテナナもいた。後から、トットットと軽い足音が彼らの背後から迫る。
「変な人いる!」
「あ!そんな風に言ってはいけませんよ!」
テナナは無邪気にそう言って指を指す。ベリアールは目を見開いては、軽く息を吐いて笑う。ティナはテナナの無礼に、軽く諌めるが、彼女は気にせずウラドの方へ走り寄る。ウラドは寄ってきたテナナの頭を撫でる。
「僕の知人だよ。––––ベリアール、もしかして?」
ウラドは怪しむように横のベリアールを見る。彼は調子良く椅子に座り込み、足をブラブラと揺らす。
「あぁ。ロキだよ。ロキは、身体のあちこちに術式を背負っている。調査をすれば、何かあるかもしれない。」
そう言い、彼はロキを見る。目からしてわかる。焦っている目だ。適当に見定めるようでなく、真剣に彼そのものを全体的に見ている。対して、ロキは何度かテナナを一瞥する。そして、淡々とした目つきで、交渉人を見る。
「俺には、任務がある。その任務と両立できないのなら、断る。」
「君の探し相手なら、僕も協力はするよ。対価だからね!そこにいるちっちゃいのにも、何かしらの恩恵は与える。それを踏まえて、君の意志を知りたい。」
随分と大盤振る舞いな条件だ。ロキの欲しいもの全てを担保としている。
「––––俺は、ここに残っても良い。しかし、追加条件として、『テナナをここに連れていくのは禁止』だ。」
それを聞き、ベリアールは首を傾げつつも顎を撫でる。最後まで見定める商人のような男は、目を沈黙の中に泳がせる。そして、ふっとロキを見つめる。
「––良いよ。」
呆気ない声だった。テナナはロキを見た後、ウラドを見上げる。ここ最近、なんだか冷たい対応だったが、やはり、別れは寂しいものなのだろう。ウラドはテナナの背中を軽く押す。一二歩歩くが、テナナはたじろぐ。ロキはただ棒立ちになって彼女を見た。彼女の行動が理解できないのは、この場にはベリアールだけだった。ロキは止まったままだったが、少しずつ歩み寄るテナナを抱き抱え、数秒抱きしめた。ロキの温もりがテナナに伝わっていく。ロキがテナナを下ろすと、彼女は名残惜しそうにまた足元にくっついた。
「んー、ちっちゃいのも、一緒にいたいの?」
テナナは小さく頷く。
「片っぽの腕、使えないから」
そういい彼女は腕の方を見る。確かに、彼女は彼の腕のそばにくっついている。ロキは淡々とテナナを見ていた。正直、彼女がロキを突き放したりしているかのように見えて、かと言って離れるわけでもない。彼女の思考が理解できず、彼は立ち尽くす。しかし、同時に少しの安堵も感知していた。
「あぁ。」
ロキはボソッと流れ出た声を出すと、テナナの頭を撫でる。親子でもないのに、随分と仲がいいなと思いつつ、ベリアールは眺める。
「ま、また会えるし、ロキはここにいてね。僕は2人を見送るから。ちっちゃいのもおいで。」
そう言い残し、テナナの手を引きながら、ベリアールは先に部屋を出る。そこの景色は、またあの廊下だ。
「それじゃ。」
ウラドはロキを一瞬抱きしめると、またすぐに離れた。ティナもポケットから火打石を取り出しては、彼の周りに二度、火花を散らす。東の魔除けの一種だろう。彼女は一歩退くと、ロキの灰の目を見つめる。
「それでは、ロキさん、テナナを頼みました。」
「あぁ。」
ガチャン–––––
ドアが閉まる。暖かな陽子が差し込む沈黙の空間で、ロキは少しだけ、唇を噛んだ。
上品な壁が続く廊下で、3人は歩いていた。テナナは寂しげにウラドの肩の中に、顔を埋める。すると、ベリアールはこの悲しさを無視するように話を始める。
「そういえば、ヨレネスでの事だけど、あの時、何か妙な事は無かったかい?」
2人は首を傾げるが、ティナはすぐに、ハッとした顔をする。
「そういえば、ずっと森の中に閉じ込められました。黒い霧のようなものに覆われて–––」
「その時、何かあったかい?」
「––––昔の事を思い出していました。」
「嫌な記憶だったろう?」
ティナは目を丸くする。それと同時に恐ろしく感じ、耳がゾワゾワっと立つ。自身の境界線が徐々に侵略されているような感覚、緊張感だった。ティナは平常心を保とうと頷く。
「魔人はね、何故かはわからないけど、人間の機微に鋭い。欺瞞で狩をしてきたからかな。魔人が人間を多く殺せるのは、何故だと思う?」
ニコニコと話すベリアールを他所に、ティナは黙り込む。すると、虚で冷たく、ウラドが答える。
「人間の負の感情や、正義感を利用するからだ。命乞いなどで、個人に根付いた感情などを揺さぶる事で、油断を誘う。だから殺せる。」
「そう!凄いよね!––––多分、ティナが見たものは、君自身の根底にあるトラウマや疑念だと思う。今回は何とかなっているみたいだけど、次はないだろうね。」
ティナは強張る。魔人は元々冷酷だとは認識していたが、まさかここまでとは。
「–––––どうすれば、その揺さぶりに打ち勝てるのですか?」
「––––––『意志』だよ。」
ティナは疑問が残る顔をしていた。ウラドはその隣で、暗く空な目をしていた。
長い廊下を歩いて行くと、突き当たりにつく。しかしそこには、彼の部屋は無く、代わりに赤いサムラッチ錠のドアがあった。ウラドはテナナを下ろし、ドアを開けると、奥は暗闇が続く。2人はゆっくりと先に進む。彼らの背後に立ったベリアールは、テナナの頭を馴れ馴れしく撫でる。暗闇の2人に向かって言う。
「学会の会場である教会は【フランム王國】の首都だ。」
ウラドは振り返ると、籠った声で返す。
「となると、無の國の向こうか。」
「そう、海路で行くのかい?」
「いや、今は危険だ。あそこは『寇』がいるし、海洋性の魔物もいる。」
「そうだね。なら、『長居はしない方が良い』よ。」
「––––?わかった。」
ガチャン––––
ドアが閉まる。ベリアールはフッと息をつくと、テナナを自身の部屋の近くの黄色のドアの部屋の中に招き入れた。
「君はここで過ごしてね。」
テナナは小さく頷く。彼のような底の知れない目論みを持つ男は見たことが無かった。ギィッと軋みながら、ドアが閉まる。辺りには、手入れの行き届いたベットが置かれ、本棚には絵本や小説、学問書などが収納されている。テナナは、独り、この部屋の中心で座り込んだ。ベリアールは薄気味悪い笑みをしたままドアを閉めると、途端に無表情に戻り、ロキのいる部屋に戻った。
部屋に入ると、ロキは本棚の本を読み漁っていた。どうやら、知的好奇心はあるようだ。ベリアールは持ち前の愛想笑いを浮かべる。しかし、ロキは無表情で本を片手に話し出す。
「––––この部屋は何だ。」
「僕の研究室だよ。本、読んだろう?」
「術式が部屋中に構築されている。防音、反射などがある。最近は幻覚術式を付与したのか。何故だ。」
ロキは強気な語気で、ベリアールの近くにまで詰め寄る。対してベリアールは首を傾げながら、ポケットから四角い端末を取り出す。ロキと似た外見だった。しかし、縁の魔法石は、金色で彼らしい色合いをしていた。ベリアールは端末を撫でる。
「––––だって、僕はよく部屋を汚してしまうからね。」
ベリアールはニコッと笑いながら、端末を操作する。すると、室内の術式が反応し、部屋全体が変容する。すると、辺りは真っ赤であった。壁も、床も、先程まで座っていた机までも、赤く、肉片が残っている。窓辺の机には小動物のゲージが空のまま残されている。だが、よく見ると、壁にまで血は染み付いてはいないようだ。反射の術式の転用か。ロキは目の前の男を睨む。そして、淡々と唸る。
「お前の思考は理解できない。」
「人間は、こんな酷い事はしないと思ったいるからこその反応だね。」
「否定。人間は非情になることもある。だが、罪悪感に苛まれる。お前にそれはない。」
「可哀想だとは思うよ、勿論。でも、申し訳ないと思っても、あの子達は戻って来ない。だから、思っても意味がないだろう?」
「––––異常だ。」
「––––よく言われるよ。でも、僕は、人間なんだ。確かに、母親の腹から産まれたんだ。弟もいて、仲が良かった。でも、こうなってから、僕は益々–––皆から「普通ではない」と揶揄されるようになった。」
そう言うと、ベリアールはまた端末で操作する。すると、部屋は変容し、あの穏やかな室内に戻る。
「僕は、『普通の人間』と言う存在になりたい。それがどう言うものなのか知りたいんだよ。」
ロキは怪しげに睨め付ける。
「––––その感情は、一体、なんて言うんだ。欲望か。焦りか。」
ベリアールは俯く。そして、顔を上げる。それは愛想笑いのない、初めて見る冷たい目だった。
「『意志』だよ。」




