表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彷徨える貴方  作者: 黒井基治
第二章 北の大陸【アイデース大陸編】
27/55

第27話 回天事業

 ユリウルス暦 875年 11月29日


ウラド一行は、ゲルマニア共和國西側のイルクルに滞在していた。イルクルはここから更に西側にある国境線に向かう為の最後の準備地点とも言える。旅人、商人、巡礼者達が行き交う。その中、ウラドは1人街の中を歩いていた。空には薄く覆う灰色の雲が、寒さをより強まらせている。いくつかの角を曲がり、階段を登っていく。端へ端へと歩いていくと、遂には古ぼけた建物が見えた。ただ一軒だけ建っているその建物は少し細長い二階建ての建物だ。青く霞んだ屋根の下の窓は、もう暗く誰もいない。ウラドはそこのドアを開ける。


チリンチリン


ウラドは中に入った。中には何もない。受付であったであろう少し閉鎖的なものや、腰あたりまでのガラスショーケースが迷路を作る様に設置されている。床には埃が溜まっており、虫の死骸も転がっている。ウラドの分厚く上品な足音が響く。ふと奥の方に、これまた目を引かせようとドアがあった。灰色の板に錆びたレバーハンドル。彼はそれを傾ける。


ドアを開けると、やはりまた暗闇が続いていた。その先を歩く。先にはドアがあった。隙間から差し込む光は、なんだか神秘的だ。ウラドは淡々とした無表情で赤いサムラッチ錠のドアを開けた。


ギィ–––


部屋の中は、変わらず陽光が温かく差し込んでおり、昼なのか朝なのかわからない。左手には暖炉と別室へのドア、左手には、談話するためのソファと本棚が並んでいる。


「やぁ。」


ベリアールは彼に背を向けて、ソファに腰掛けている。耳を澄ませれば、コト、コトと何かを動かす音がする。ウラドはゆっくりとそばまで歩く。艶のあるテーブルの上には少し古びたチェスがある。どうやら一戦終えたようだ。青の駒を手元に戻していた。服装も随分と豪華で品質の良い物を着ていた。


「誰か、客でもいたんだ。」


「あぁ。君もどうだい?70年ぶりに。」


このチェス盤、青と白を基調としたものだ。駒の形はそれなりに上品で、各々厳かな面持ちで相手を見定めている。これは昔からよく見ていた。ベリアールからチェスを習ったようなものだ。ウラドは対面に座る。ベリアールは久々の対戦に心を躍らせる。コトコトと駒を直しながら言う。ベリアールは青、ウラドは白だ。


「久々のゲーム。スピードチェスでどうだい?」


スピードチェス、単純な戦略に加え、手早い手数での勝負が必要になる。ベリアールは瞬間的な人間の直感を知りたがる。このゲームにおいてスピードチェスは彼の知りたい物を知れる手段だ。ウラドは粛々と並ぶ駒を見下ろしながらポーンに手を添える。


「スピードチェスで。」


コトコトコトコトカタカタ–––––


互いに青と白の兵が交差し、時には倒されて光の塵のように消える。術式の付与されたこの駒は次第に消えて、白兵戦に移っていく。青が消え、白も屠られていく。クイーンをナイトが制し、ポーンが逃げ道を塞ぐ。青が徐々に白へ向かっていく。ベリアールはニコニコと気味悪い笑みを浮かべる。ウラドもニヤッと口角を上げる。


コン––––!


2人は盤面を見る。青のビショップとクイーンがいる。袋小路。白の王は死ぬ運命となった。ベリアールは納得したように背もたれにもたれかかり、天井を見上げると、潔く言う。


「勝った。70年ぶりだったけど勝った。あの頃みたいに、勝った方には何かリクエストをしよう!」


ウラドは溜息をつく。ベリアールのリクエストは決まってウラドを絶望させるようなものだった。1日娼館の看板待ちをさせられたり、子供の前で読み聞かせをしたり、どれも最悪そのものであった。ベリアールは背にもたれ、爽やかに話しだす。


「そろそろ、『学会』が始まる。」


「学会だって?」


ウラドは眉間に少し皺を刻みながら、言う。ベリアールは彼の不愉快さを見て尚ニコニコとしていた。そして、彼は背後の本棚に向かって、指を動かす。本棚はベリアールの思考そのものだった。その中から一冊の本がフワフワと泳ぎながら彼の手の中に留まる。黄色の表紙の分厚い本はベリアールはの懐に添えられる。彼はその本に指をトントンと叩きながら話す。


「学会は、君が旅に出て半世紀後に設立された北の大陸の教会、【聖ハヌルソフィア教会】によって2年に一度開催されている。各魔導士が自身の研究や術式などを発表するんだ。僕も新しい術式の為に色々と素材が欲しくてね。依頼で頼んだりもしたんだ。」


教会主催、どうりでウラドが存在を認識できていなかったわけだ。ウラドは腕を組みながら、足を組む。


「依頼–––と言うことは、オカミーのツノも?」


ベリアールはニコッと笑って頷いた。


「まず、君は今まで通り、依頼をこなして素材提供をしてもらう。今回の式は錬金術にも関連づけたいから、理論提供もよろしく!」


ベリアールは呑気に笑いながらピースサインもした。その様に、ウラドは嫌悪するように目を細める。資材提供ならまだしも、理論まで提供すると言うのは、手の内を開かせと言われているようなものだ。ウラドは溜まった疑問と不快さを押し出すように溜息を吐きながら言う。


「その、新しい術式とは、なんだい?」


ベリアールは勢い良く立ち上がり、暖炉横の赤いサムラッチ錠のドアの前まで大股で歩く。そして、金色のレバーハンドルに手をかけながら振り返る。


「おいで。僕の研究室まで案内する。」


ウラドはソファに座り込んだまま考える。研究室は、彼の領域、彼の思考そのものだ。残酷で倫理観のない空間の渦中に入り込んで、自分の正気を保てるのだろうか。しかし、今はただ気になって仕方がなかった。ウラドは恐る恐る立ち上がり、歩み寄る。ベリアールはそんな彼の手を握りながら部屋から出た。


部屋の廊下は、ウラドも初めて通る。モルフォや骨格、透明標本が壁を彩っている。延々と長い廊下を歩いていくと、曲がり角を右に曲がる。そして、辿り着いた。茶色のドアの前に。ベリアールは、胸ポケットから金の鍵を取り出し、鍵穴に差し込む。


ガチャ–––キィ


ウラドは恐る恐る入る。だが、すぐに拍子抜けしてしまった。小部屋のように狭いが、本棚が多く、窓辺には机と椅子、そして、その上には大量の紙束やフラスコも置かれていた。窓の外は陽光が差し込んでいる。温かな部屋の中、ベリアールは部屋の真ん中に置かれた机にもたれかかる。ウラドはこの部屋の研究室特有の陰湿さのなさに思わず、目を丸くする。


「君の作り出そうとしている術式は、ここにあるのかい?」


「そうだよ。」


「一体、何なんだい?」


すると、ベリアールは珍しく術師の神妙な顔をして話し出した。


「ウラド。君の錬金術は、どういった条件で魔法として完成するんだい?」


ウラドは呆気に取られる。


「自然現象などといった理論と合致すれば、それは錬金術として完成する。逆に、イメージのみのものは形にすらならない。」


「そうだったね。そして、それは術師も似ている。理論上の計算と、現実性が合致した時、それは魔法としてこの世に実現される。」


ベリアールは一冊の本を指で呼び出す。すると、ウラドの背後の本棚から、金色の表紙がゆらゆらと泳ぎながら、彼の手元に止まる。


「ティナって、ものすごく足が速いんだよね。それだけじゃない。耳だってものすごくいい。あれは多分、獣人の中で最もだろう。でも、それは、人間では成し得ないものだ。何故だと思う?」


ウラドは目を泳がせながら答える。


「そもそも、獣人と人間では筋力量に違いがある。生物学的に定められたものを、どうにかするのは、もはや無理に近い。」


「その通り、最早『神の領域』だろう。そして、その領域に踏み込み、扱えるのは魔道士の中でも限られている。」


ウラドは目を細める。ぐるぐると、頭の中で考えが踊り狂う。


「何が言いたいんだい?」


「聖導師の魔法の解釈は『神の加護』つまりは、信仰心という感情とイメージ、神への知識によって構築されている。それを、論理的に、現実的な観点から、再解釈する。」


ウラドは驚き、目を丸くする。


「つまり–––!神の領域に人間が踏み込むことになるのか!」


「そう。神の業と言われ、理論すらなっていなかった奴らの魔法を人間の領域にまで落とす。生物学的に、数学的に、『加護』を解釈する。そうだな–––」


ベリアールは本を手元に置きながら、足首を組む。そして、詠唱する。


         【生体術式(バイオロジック)


「––––とでも呼ぼうかな。」


ウラドはゾッと湧き出た感情をそのまま声に乗せて叫ぶ。


「それは!『聖典の実現』ということか?!そうなれば––––」


「聖道師の魔法の解釈は完全に覆る。神の力が『人間の理論によって可能』となる。彼らの権力は、またカタコンベに逆戻りだ。」


ウラドは湧き上がる興奮を抑えきれず、前のめりになって笑みをこぼす。今この場にいるのは、魔道士界の未来なぞ気にもしていない、純粋に聖導師を引き摺り落とそうとする魔導士(あくま)だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ