第26話 資格
ユリウルス暦 875年11月6日
街は未だ瓦礫で埋もれており、時折、死体やその破片が見つかる。唯一無傷だった教会には、絶望に伏す信者達が押し寄せ、この暗い数日間を乗り越えようとしていた。
ウラドは教会にいた。礼拝堂には神々の子の壁画が描かれており、その足元に、床に敷かれた一枚の布の上で病床に付す者や、眠りに着く者もいた。その様を眺めながら、独り、長椅子に腰掛けていた。伸ばした足は膝置きに触れており、彼の目は疲れで虚になっていた。
「ウラド兄」
ふと横を見ると、テナナが彼の古びたコートを掴んでいる。大きな藁カゴには衣服が山積みになっており、小柄な彼女はそれを頭に乗せてバランスを保っている。まるで最初に会った頃のティナのようだ。くるくるの癖っ毛がカゴでぺたんこになっている。彼女に教わったのだろうか。ウラドは疲れた目はなんともならなかったが、彼女の方の身体を向けて言う。
「どうした?」
「これ、黒服のお姉さんがリョウジュー持ってる人にだって。湖のニシガワにいるっていってた」
そういって差し出したのは、白い便箋だった。封蝋は押されていない。流石にそんな余裕もないか。ウラドは便箋を見せて軽く頷く。するとテナナは少し前のめりになって小声で言う。
「お兄ちゃんここにいる?」
ウラドは軽く天井を見る。
「いや、ここ数時間はいなかった。街の巡回だろう。何かあったのか?」
ここ最近、テナナはロキを避けていた。彼が絵本などを勧めても、彼女は首を横に振って断る。そして必ずのようにウラドのそばにいたがるのだ。その度にウラドが暇つぶしに読んでいる本のあれこれを聞いてくるのだ。肝心のテナナはそのままカゴを乗せて左手の廊下から出ていった。独りポツンと座り込むウラドはふらりと立ち上がり、教会の表玄関から外に出た。
ドアを開けるとすぐに隙間を割り込むようにして木枯らしが吹き込んできた。冷たいそれに体が一気に冷え込む。外には瓦礫の鉄橋作業に勤しんでいた男達が瓦礫に座り込み、女達は大きな鍋をかき混ぜながら昼餉を示そうと金鍋を叩いている。ガコンガコンと鳴り響く音をうるさそうに聞き流して、ウラドは石門の方へ歩いた。石門も瓦礫で崩れかけ、あちこちに巨石が転がっている。だがその上にも雪が積もりつつあった。森の雪道を自身の杖を頼りに進む。
数十分歩いた頃、漸く湖に到着した。ここも木々が荒れ果てたように横たわり、奥行きも見える。湖も水が追い幅に減っており、細波がなければただの大きな水たまり程度にしか見えない。ここが元の湖になるには少なくとも数ヶ月は要するだろう。その時、彼は青年との会話を思い出していた。彼は、家族の仇として、聖道師を殺して来た。そして、その手助けとして錬金術が使われた。
「変わらないな。」
なんだか淋しさと、妙な納得をしながら、彼は淡々と歩き始めた。
また暫く雪を吹きつけながら歩くと、ふとやけに陽光の差し込むところを見つけた。特に人工的に作られたわけではなくまるで用意されたかのような景色だった。暖かい陽光に包まれ、側の畑や薪もある。山奥の家らしい出たちだった。ウラドは少し降り坂になった地形を滑り降りる。そして玄関前に立つ。誰もいないのだろうか、磨りガラスの先は視認できない。見たところ郵便物を入れるようなものも無い。
「お前か。」
振り返るとそこには青年がいた。彼は猟銃とバラした鹿肉を抱えている。側の面長の白い猟犬もウラドに挨拶する。
「教会から連絡があった。」
便箋を見せて言うと、青年はあぁ、と生返事しながら家の鍵を開ける。2人は中に入る。家の中は右手には階段と階段下にはコートや猟銃をしまう棚、左手には台所、奥には居間になっている。ロキはダイニングの方に向かう。
「君の家、配達物入れる所無いんだね。作るべきだよ。」
そう言うと、青年は居間の正面の暖炉にしゃがみ込む。ポケットから青色のマッチ箱からマッチを取り出して火をつける。
「そんなもの作ったら、誰かが爆弾とか入れるだろ?」
それをいった途端、ウラドはつい黙ってしまった。青年もそのことに気づいたのか半笑いする。
「まだ抜けてないんだね。」
「––––あぁ。ダメだな。」
青年は苦い笑みを見せつつウラドに茶を振る舞う。彼は一口啜る。青年も正面に座る。
「んまぁ、奥さんと仲良く暮らしてれば、そのうち治るだろう。」
「あぁ、でも–––今でもなんとなく、俺でいいのかは悩む。」
「何故?」
手紙を読みながら、青年は掠れた声で笑う。
「ここに来るまで、沢山の仲間が死んだ。名前も忘れちまう程。俺は沿岸部の地域での奇襲作戦で生き残った。」
眼を紅茶に注ぐ。虚な眼だけが写って揺らいでいる。
「生き残った俺は、また奴等を殺す為に歩き続けた。その途中会ったのが、今の女房だ。」
「へぇ、それで、殺しの世界から抜け出せた訳だね。」
「だが、俺は、この選択を生きる資格があるのかわからない。」
ウラドは頬杖をする。この手の相談はベリアールの方がうまい。故に彼は何と答えるべきかわからなかった。そのまま彼は紅茶に砂糖を二つ程放り込みながら話す。
「『資格』なんて、人間が定めた空想に過ぎない。あるないなんてものもね。居たければ、居ればいいさ。」
「–−––そうだな。」
青年は軽く頷いた。
「手紙は、女房からだ。2日後、帰ってくるらしい。だから、お前らとあの変人連れてこいよ。飯振る舞うぜ。」
ウラドは軽く笑う。
「行こうかな。–––僕も帰るよ。」
そう言い残し、ウラドは帰路に着いた。
教会に戻ると、皆礼拝堂の地べたに座り込んでいる。それを横切り、左手の廊下に向かった。廊下は北らしい壁に囲まれた渡り廊下で、窓からはあの広場や庭の畑の痕跡が見える。日は沈んでしまい、空には桃色や茜、紫が混在している。そのまま医務室のドアに触れる。
ドアを開けると、そこには重篤患者が眠るベットがずらりと列なっている。左手奥から1番目のベットがウラドなのだがその隣には品のある茶髪の女性がいた。その隣にはロキもいた。
「ロキ。お知り合いができたのかい?」
ロキは振り向くと、女性も少し体を傾けてウラドを見る。女性の慎ましい微笑みが燦々と輝く。
「ロキさんのお知り合いでしたか。確か、ウラドさん、ですよね?」
「えぇ。」
「主人にはお会いになりましたか?」
ウラドはそれを聞き、困惑して首を傾げる。少し思考すると、ハッと目を見開いて言う。
「もしかして−––!」
彼の妻はにこやかに微笑んだ。妻帯者であることはわかっていたが、まさかここまで美人だとは思わなかった。ウラドは流石に驚きのあまり空いた口が開かない。それに、仏頂面なロキと話ができると言うのは相当人付き合いが上手いのだろう。ウラドは愛想笑いを薄く浮かべる。
「そういえば、彼から誘いがきまして。」
「えぇ!私がしたいと言ったんです。是非いらしてください。」
「ウラド。『タダより安いものは無い』ぞ。」
ロキはカタコトではあるが、東の慣用句を言う。だがウラドは頰を摩りながら窓の方を見る。
「確かに、誘いそのものは良いが、流石にこの様な出来事があってすぐにでは、相手の負担が多い。」
「安心しろ。ウラド。食材はベリアール持ちだ。」
「行くぞ。」
–––2日後–––
深い森の中、ポツンと家が一軒ある。そのには小さくではあるが、灯が灯されており、家からは談笑が溢れている。暖炉の前では彼の妻やティナ達が仲良く話し込んでいる。東の調味料や、北の料理など随分と盛り上がっている。その声を聞きながら、青年は玄関の前で煙草に火をつける。彼の耳にはやけに、出会った彼女の声が鮮明に入り込んできていた。
***
ユリウルス暦 871年
雪が淡く降り注ぐ酷寒の中、青年は猟銃を構えて虚な睨みをしていた。冷たい夜空の上に、自身の白い息が遮る。ここから数キロ離れた防空壕では、大半の同胞が惨たらしく聖導師によって殺された。生き残ったのは、自分と、この3匹の猟犬だけ。最早、ここで一矢報いるしかない。この世界で安住する奴等を葬る為に。
「ぜってぇ、殺してやる!聖道師全員−––!いてっ!」
彼は不意に痛みを感じ、腹を握りしめる。どちらにしても、この怪我では動けない。付近のスラムに行くしかない。彼はゆっくりと木の幹に体を擦らせながら立ち上がる。猟犬たちは皆彼にくっついて労わろうと寄り添う。
ゆっくり、ゆっくりと山道を歩く。やけに降る雪が冷たく、責め立てる様な気がした。自分だけ生き残ってしまった。獣人の同胞も、錬金術師の同胞も、皆もういない。ならせめて、一矢報いて、それで死のう。彼らの元へ行こう。あの世で待ってくれている仲間と酒でも飲もう。死ねば、もう、こんな失い続けることもないのだ。
ドサッ–−–
もう、足が動かない。意識も朦朧としている。ふと、山道の下あたりから、誰かいる。茶色の塊の様にぼんやりと見える。
「あ!貴方!大丈夫?!」
はっきりと聞こえる女の声、あぁ、女の声なんて久々に聴いた気がした。皆もう、血気と殺意に溢れて優しさなんて微塵もなかった。だから、彼女の声も、笑顔も、何もかもが、暖かく、手放したくない様に思えた。
***
フゥーッと彼は煙草を蒸す。冷たい夜空の上に、白い煙が遮る。
「感傷に浸ってるとこ、邪魔するよ。」
そう言いながら、ウラドが玄関から出てきた。片手には酒を握っている。一つの瓶を手渡され、青年は一瞥すると、そのまままたタバコを蒸す。
「俺には、身分不相応な幸福だ。」
青年はふと溢す。ウラドはまたチマっと酒を飲む。沈黙と葛藤の様なものが喜びに満ちた彼らと壁を作りつつあった。その中、ベリアールも玄関から出てくると、すぐそばに座る。
「あの女性美しい個体だ。大事にしなよ。」
ベリアールはなんの気無しに酒を飲みながらいう。だが青年の顔は芳しく無い。
「俺だけ、幸せな道に立っている。そんな資格ないのに。」
すると、ベリアールは笑った。豪快に。
「資格ねぇ。人間ってそういう道理とか気にするよね。資格なんて、捨てたり拾ったりでしょ?」
「そんな軽いもんなんかじゃねぇ。死んだ仲間の中には、自分の夢とか幸福も捨てて来た。なのに––––」
「言ってるだろう。『資格は捨てたり拾ったり』だ。君達は一度捨てた。でも君は途中で拾った。ただそれだけだ。」
はっきりそう言うと、またベリアールは玄関に寄りかかる。そして次にウラドが酒を覗き込みながら少し酔った口調で言う。
「今はもう、聖道師が台頭して日が長い。君はもう、幸福になるべきだし、なるしかない。」
「そうだよ。死人なんていない者に気を取られるのは時間の無駄だよ!他の奴らの分も幸福になりなよ。」
青年はそれを聞き、少し身が軽くなったのか酒をクイっと飲み干した。顔が少し赤くなる彼をゲラゲラとベリアールは笑う。
「彼女に会ってから、俺は、死ぬのが怖くなった。死ぬことを誉とすら思ってたのに。」
「良かったね。戻って来れて。」
「あぁ。」
青年は肩の荷が降りた様に柔らかく穏やかな笑みで、夜空を眺めた。
そうして軽く酒を嗜みながら長く3人は語らった。
故郷の話、東の事、彼の話を、二人はひたすら聴いては賑やかに笑った。
–––翌日−––
ウラドは石門の端で嘔吐していた。汚い胃液が地面に飛び散る。ティナ達はひと足先に帰宅したベリアールの元へ行っていた。
「飲み過ぎた。」
「きったね。」
半笑いしながら、やってきたのは青年だった。青年も少し顔色が悪い。ウラドは何度か吐いた後、口元を拭きながら語気を強めて反論する。
「北の酒は強いんだよ。そう言う君は?」
「––––頭が痛ぇ。」
そう言い頭を抑える仕草をする。今は猟銃は持っていないようだ。側には面長の猟犬が控えており、青年の方を見上げている。彼はその犬を撫でると、少し安堵したような面持ちで話す。
「猟犬も、聖道師を狩るために訓練した奴なんだ。コイツらの余生のためにも穏やかに暮らそうと思う。」
「そうだったのか。」
「あぁ。首輪の術式によって意思疎通できる。で、コイツらに聞いたら『残りをしぶとく生き抜きたい』らしい。」
「そうか。」
「そういや、お前名前なんだ?」
青年はニヤけながら煙草に火をつける。ウラドは乾燥した唇を舐める。
「色んな知人には『ウラド』と呼ばれている。」
青年は頷きながら蒸す。その時、猟犬はヴァン!と一声あげる。青年は犬の方を見ては、惜しむように煙草を地面に捨て足で踏みつけた。
「俺は––––ヨルファネーゼ。『ヴェリトール・ヨルファネーゼ』だ。お前ももし、名前を忘れたんなら、ヨルファネーゼを名乗れ。」
「なんで?血縁でもないのに。」
「戦いを続けているとな、自分の名前を忘れちまったり、孤児で名前すらないガキもいた。この『ヨルファネーゼ』もそういう奴のために作られた仲間内での名前だ。」
憐れむように目を細める。ウラドも心底彼らが可哀想に見えた。どれだけ抗っても、何も変わらない。進むだけのこの世の中が疎ましくも思える。だが同時に変わらない世界で変わる事の出来た彼になんとなく安堵した。青年は犬を撫でながら言う。
「猟師ってのは、共に狩をしたもの皆を家族として歓迎する。だから、お前も身内だ。」
そう言い、彼は一つの麻布の袋を手渡す。怪しみながらそれを開けると、中には真っ赤な宝石のような物が入っていた。これは、魔法石だった。これ程純度の高いものはそうそうない。ウラドは青年を見る。よくよく見ると、彼の腰にも同じ宝石の装飾があった。まるで守りのように。
「––––そうかい。」
なんだか、ウラドの中で、物凄い安心感が押し寄せて来た。彼自身が何者なのか、なんと無く決まった感覚だった。彼は宝石をコートのポケットにしまうと、そのまま歩き出した。
この後、この事件は長年盤石な地位を保持していた聖道師界隈だけでなく、魔導士界を震撼させる。
ユリウルス暦785年の『ヨレネスの奇跡』である。




