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彷徨える貴方  作者: 黒井基治
第二章 北の大陸【アイデース大陸編】
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第24話 狩人〜ティナ〜

森の中、風景も何も変わらない中、彼女は必死に走り出した。どれほど走ったのかはわからない。だが、それでも希望を持って走った。ティナの蹴り飛ばされる雪の音と、彼女の荒い息だけが聞こえる。黒い木々が延々と見える。この空間には、『果て』があるのだろうと、彼女は見込んでいた。


「ウラドさん!ロキさん!テナナ!」


必死になって叫んだが、声は児玉もせずその場に潰えた。この名状し難いほどの大きな寂しさと先の見えない現状に、ティナは思わず脚が止まり、涙で溢れる。尾も地面に垂れ下がり、耳もペタンと折りたたんでしまっているが、何故かそれでも歩き続けた。雪がバフっバフと窮屈そうに踏みつけられる音をよく聞きながら途方もなく歩き続けている。ここはどうなっているのかと考えていると、ふと、ティナは奥の方に影があるのが見えた。ポツンと小さく、正体もわからないが、確かに影だった。ゆらり、ゆらりと動くそれをみて、ティナは光を見つけた蝿のように無我夢中で走った。


「あ、あの!!」


ティナは叫んだ。その時、その影もゆらっと振り返る。こちらを見ているのだろうか。ティナが安堵を交えて手を振ると、影の形が途端にはっきりと見えた。


「あの人、頭に−−−」


途端に、グワんと空間が歪んだ気がした。妙だな。そう思っているうちに、ティナはその場に受け身も取れずに倒れ込み、そのまま気絶してしまった。


***

「––––!!」


ティナは目を覚ました。彼女は仰向けで横たわっていた。意識がハッキリしてくると、辺りはやはり暗かった。小動物が突いた木の中の巣、地面には蓬などといった野草に時折乳白色のツノを持った集団のオカミーは目を光らせて駆け回っている。空はあの空間の様に薄暗くなった膜の様ではなく、美しい天の川であった。それを見て、ティナは懐かしそうに言う。


「ここ、ウィルバーレだ。でも、何で今更」


そういった瞬間、溢れる懐かしさと望郷が押し寄せる。だが、同時に疑問もあった。彼女は一先ず振り返る。確かにスラムはあった。森から見ると汚いトタン屋根や木の古ぼけた板で作られた質素極まりない家屋が密集している。その傾いた窓からは、小さな蝋燭の火が揺らめいていた。


「お父さぁぁん!––––どこなの!」


ふと、スラムの方へ脚を踏み込んだ時、また背後から子供の声がした。泣き声と嗚咽の混じった声だった。


「女の子?」


こんな森の中、子供が一人でいるのは少し危険だ。ここらはグリムも出る。ティナはその方へ走って行った。


スラムから森の奥へ走ると、確かの誰かいた。大きな木々に囲まれて、獣人の少女がトボトボと歩きながら泣いている。肩まである白髪の子供だが、耳はぺたんと倒れ込んでしまっていた。


「ねぇ、どうしたの?」


ティナは哀れに思い、背後から、彼女の肩に触れた。だが、フッと肩が透けて触れられない。ティナはその事に物凄く驚愕した。手をよく見ると、淡く透き通っている。まるで自分が幽霊にでもなった様だ。そして同時にこの少女、彼女が自分である事に気づいた。何故だ。一体何が起きている。混乱して思わず一歩退く。少女ティナはその事に気づくわけもなく、唯々泣いていた。ここは、もしかして自分の記憶なのだろうか。だが何故『今』記憶が出てきているのだろうか。それは定かではなかった。しかし向こうの記憶が、随分と懐かしく思え、今はただ見つめ続けたくなって、つい、そんな疑問を揉み消して見ていた。


幼い自分は、この時、丁度父から獣人として狩や森の知識を教わっていた。本来なら女である自分は、逆に繕いものを教わるはずなのだが、父はそれに加えて狩も教えていた。今後の稼ぎにもなると言って。だが年端もいかない娘が、森の中で夜でもまともに動けるわけでもない。こうして泣きじゃくっては、近所の獣人達に宥められる日々だった。このまま父に、森へ行かせるのをやめさせてくれれば良いのにと、何度思ったか。


「お父さんの足音、聞こえないよぉ––––」


今は、恐らく猫としての聴覚を鍛える訓練をしているのだろう。猫である我々は高い聴力を持っており、猫の獣人の間でも、狩として耳は重宝する。幼い頃からこうして夜中の森に置き去りにして、かくれんぼをするのだ。大抵は親類であったりだが、やはり皆隠れるのがうますぎるので見つけられなかった。ティナは同情の目を向け、彼女を眺めた。


「耳に『気』を流すのってどうやるの–––?」


『気』、皆は気があるとかないとかよく言っていたが、何が基準なのか見当もつかなかった。ティナは一種のオーラや、風格なのだろうかと思っていたが、そんなものが見えたりしたことは無かった。そんなことを考えている中でも、幼い自分は暗く、梟やオカミーの低い声や子犬の様な声を聞きながら、父から教わった事を、また復唱していた。


「耳に『気』を流す。生き物には『気』があるから、その気をぶつけて場所を認識する−−−−」


そう言いながら、耳に触れる。ぴょこぴょこと動く耳はそれからも動くが、何も変化は無かった。


「あの時から、私は本当に猫なのか、わからなくなったな–––」


刹那、空間は少し歪み、黒い膜の様なものが漂って視界を遮った。膜は次第に水の中を漂う煙の様になり、彼女を覆う。その中、彼女は流れる煙と共に、何人もの声が耳の中に傾れ込んで来た。


「ねぇ!そこの籠とって!」


「気を聞き取るんだ」


「おねぇちゃん!気はね−−−」


「こいつは本当に9つの命があるのか?」


「稼ぎを得るには獣の−−−」


どれもこれも、聞いた事のある一言だった。ティナはこの一言が嫌いだった。悪意のある一言、自身の欠点を穿り返す一言。ティナは思わず耳を力一杯に塞ぐ。だがそれでも、記憶は惨たらしく彼女の眼前に流れる。


「猫としてはダメだな」


「耳以外は猫なのよねぇ」


    どうしてこんな事も出来ないのだろうか


「獣人が街を出歩くな!」


「別に何もしなくて良いよ。」


     それじゃ、私は何をすれば−−−


「あんた、腕章はどうしたんだい?」


「汚い猫だね!死んだ方が世の為さ!」


   何故、こんな目に遭わなくちゃいけないの


「こんなところに獣人が死んでるよ、汚いねママ」


「あの子、錬金術師としての–––」


       私には、何ができるの。


「死ぬ場所くらい考えなさいよ、迷惑ね」


ティナはその場に跪き、耳を塞ぐ。大粒の涙が、彼女の苦痛の顔を流れる。


「もう−−−−もう、やめて」


      自分は、何も出来ないのか。


         「ティナ。」


その一言が響くと、途端に、あたりが静かになった。ティナはゆっくりと目を開け、顔を上げる。だが、依然として目の前は煙の中だ。あの声は、ウラドだ。いつも自分を呼ぶ時は、淡々とそう呼んでいた。呼ぶ声は冷たいが、彼はよく、一人で出かける私を探し当てていた。時折、無性に一人になりたくなる私を、よく見つけ出していた。その度に、あぁ、彼は置いて行かないんだな、何故だろうか、人が嫌いなのに、私と共に旅をするのが嫌だと言っていたのにと、思う。だが、それでも見つけ出してくれた。彼は、確かに人間だ。耳も羽毛も、鱗もない。ただの人間だ。聴力視力において劣っている彼が、なぜ私を見つけられるのか?


「––––魔力?」


ティナはハッとする。獣人の『気』は『魔力』ではないのか。自分の魔力は見える。だが、彼の魔力は見えない。魔力が近距離でしか探知できないのだとしたら?彼は、遠くから私を見つける時、魔力を()()()()()()()のか?ティナは立ち上がり、涙を拭き、もう一度耳を澄ませる。数々の罵詈雑言、失望の声の流れに逆らって、ゆっくりと歩く。


「君は−−−−」


「––––!」


ティナは右を見る。確かに、今、彼の声が聞こえた。


「ウラドさん!」


返事が無い。だが、確かに聞こえた。ティナは荒波に逆らう様に歩く。躓きそうになれば、白銀の杖を取り出して雪道を突き刺しながら進む。駄目だ。声が遠くなって来ている。もっと、もっと耳を研ぎ澄ませないと、どこにいるのかさえも分からなくなる。ティナは耳に全神経を注ぐ。手足の感覚も、煙が身体を通過する滑らかな感覚も、全てを取り払っても、耳だけは残さないと。次第に、彼女は魔力を耳に注ぎ始めた。杖を握っていることで、流れは更に速くなる。


どこだ!?彼はどこにいる!?彼の元へ、彼の隣へ、そう願う程、魔力は呼応する様に彼の声を拾おうと先へ先へと伸びて鋭くなり耳へ音を入れ込む。


コン−−−−


不意に、おりんが鳴った様な金属の音がした。刹那、辺りに響き渡っていた声が止んだ。彼女は困惑した。空からは粉雪が降り始め、彼女の髪を濡らす。


「ロキやティナが居てくれれば−−−−!」


ウラドの声がした。北東の方角だ。ティナは走った。不思議なほどに耳の調子が良い気がした。彼女の魔力が耳に流れ込み溢れる度、彼の足音、声、息、杖が地面に当たる音、全てが聞き取れた。そして、閉ざされた空間は、次第に動き始めた。


黒い幹の木々が並ぶ中、右手にはあの狩人が使っていた洞窟を横切った。やっと、あの空間から出られたのだろうか。そして、そのまま走る。走り続けていると、枝の上や木の根元には血塗れで死に絶える修道士達が無惨に横たわっていた。木々は折れ、斬り倒されている。ティナはふと、ウラドの声の方角を凝視する。


「この方角は––––湖?」

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