第20話 狩人 上
ユリウルス暦 875年 11月 1日
ウラドらは目的地『ヨレネス』に到着していた。ヨレネスの宿には巡礼者や商人が押し寄せ、食堂では賑わいを見せている。そこの端の席で、ロキ、ティナ、ウラドは早い朝餉を済ませようとしていた。ティナが眠たそうに目を擦りながら、チーズリゾットを食べている隣で、ウラドは淡々とした目で話す。
「今回は、ヴァルーヴァルだ。北の大陸ではよく見かける。大きな体格で、鹿のような姿をしている。」
ティナはモグモグと膨らんだ頬で頷く。その時、ロキが少しだけ右手を挙げる。
「テナナはどうする。」
ウラドは少し俯き、顎を触る。確かに、今の彼女は自衛の手段があるようには思えない。この状態は足手纏いに等しい。ウラドは顔を上げる。
「あの子は宿の留守を任せよう。連れて行くには危険だ。」
「なら、お前も残れ。俺とティナで行く。」
ロキは突拍子のない事を言った。テナナとの友好関係はロキの方が構築できている。にも関わらず、何故そんな選択をするのだろうかと、ウラドは疑問に思った。だが、彼がそう言うのなら、何かあるのだろうとウラドは彼の真剣そうな眼差しに驚きつつも、淡々とした口ぶりは変わらなかった。
「––––わかった。ついでに何か勉強でもさせるよ。」
そう言い、ウラドは席を立ち、部屋に続く階段の方へ歩いて行った。二人はそれを見送ると、互いの小銭入れから硬貨を取り出して、会計を済ませた。妙に静かなこの二人に、群衆の何人かは興味深そうに観察していた。
––石門の外––
石門を出て、少し歩くと、山が見えてくる。そこはもう、少しだけ雪を被っている。二人は商人も通らないような細い道を歩く。雪に覆われた土は、木漏れ日を反射して白銀に輝いている。時折木々のゆらめく音を見れば、白兎や狐があちこちを走り回る。バキッと音がしたなら、リスが木々に飛び移っているのだった。豊かな白銀の森で、二人は大股で雪を踏み締めながら進む。その時、唐突に、ロキが話始める。
「お前が、外へ出かけた時、ウラドが、妙な魔法を使っていた。」
外、というとここに来る前に滞在した港沿いの街のことだろう。あの時は、確かに「外に出る」といって森に行っては、石像を掃除していたし、その時にウラドが迎えにきていたのも把握していた。だが、『妙な魔法』、その一言を聞いて、ティナは耳を動かし、首を傾げる。そのような魔法を見た事はなかった。彼のボソボソと話す低い声を注意深く耳を傾ける。ロキは凍てつく空気を吸い込むながら話を始めた。
「あの魔法が展開された時、式を分析しようとしたが、不可能だった。まるで個人で勝手に構築したような式だった。奴の、人間にしては膨大な魔力が街全体に流れ込んでいた。あの魔法、見た事はあるか。」
ティナは呆気に取られた。確かに、彼の使う魔法はティナでは理解できないような複雑で理屈めいたものばかりだが、それでも、魔力が街全体に広がるような魔法は見たこともなかった。だが、ふと閃いたものがあった。彼女は何度も瞬きをし、耳を執拗に動かす。
「見た事はないです。ですが、『個人しか使用できない固有の魔法がある』と言うのは本で読んだことがあります。」
固有の魔法、もしかして、ウラドには、他者では真似できない魔法を既に得ているのか。ロキは鋭い目つきで前を見た。
「そうか。」
「–––––もしかして、この話しをする為に?」
ロキはそれきり黙り込んだまま歩いた。ティナはそのまま緊張のこもった目で考え込む。実際、彼の言う魔法が『奇妙』と評価されるのは、彼女でも理解できていた。魔法というものは使用者によって放たれる魔力量によって規模も威力も左右される。あの街から森までは近いとは言っても、宿から反対側の森まで魔力を広げられると言うのは、彼の持つ魔力は凄まじいことの証明だ。ティナはその事に驚愕し、眼を大きく開け、乾燥した唇を軽く舐める。
ポォォォォォォォォォ––––
甲高く、間延びした笛の音がした。森全体に響いている最中、ティナの耳はそば立って動いた。北西の方角をティナはバッと見る。未だ笛の音は響く。ティナはロキを見ながら言う。
「行きましょう!」
ロキは頷き、二人は走り出した。
動きづらい雪の上、二人は走った。ティナはまた器用に木々を飛び移り、ロキは大股で力強く雪を踏みつける。笛の根が強くなっていく。白銀の世界、変化の無い視界で、唯一、何か影が見えた。ロキは速度を上げ、走った。
ポォォォォ––––
笛はまるで何かを呼んでいるようだ。影は大きくなっていき、明瞭な形を帯びていく。大きな角、毛並みのある何か。ティナの耳には、笛の音を他に何か装填する音も聞き取っていた。他に何かいるのか?
「他にも何かいるようです。あの大きいのは、鹿でしょうか!?」
ティナの甲高い声が頭上から聞こえる。ロキは神経を尖らせたまま彼女を一瞥し、また前を見る。形状は鹿だろうが、やけに大きい。ここからでも2mはあるように感じる。確信した。あれが、ヴァルーヴァルだろう。ウラドからの情報と同じだ。黒く乾燥した木々の隙間から、奴はこちらを見ていた。目と目がある。ここからもう2m程しか距離が無い。そして、奴はロキだけを見ていた。気付かれているなら、早めに手を打たねば。
「ティナ!」
ティナは白銀の杖を強く握りしめて念じる。すると、杖は鋭い槍のような、はたまた矢のように変形した。彼女は天に跳び、槍を構える。奴の黒い目が、ティナを捉える。この状況でも尚逃げないのは、何故だ?
「止まれ!!」
ビュンッッッッ!!
ティナは声と同時に槍を投げてしまった。ロキはハッとした顔で槍を見たが、それは既にヴァルーヴァルに向けて鋭く飛んでいた。
ダァァァァァァン–––––!!!!
銃声がした。間延びした音が森の中を轟く。放たれた銃弾は槍を弾き返す。カキンッと高い金属音と共にそれはヴァルーヴァルの足元に落ちる。奴は弾かれた槍とその音に恐れ慄き、深い森へと逃げて行った。ティナはそのまま雪の上に着地し、ロキの側に寄る。ロキは声の方角を見た。一時の方角の木の上に、確かに人がいた。その人は木から降り、猟銃を持ったままこちらへ近付く。青年だ。白い厚手のコートに身を包み、茶色の皮ブーツを履いた黄緑の目をした青年だった。彼は煙草を蒸しながら、生意気そうに話す。
「お前ら、馬鹿かよ。あいつを見た瞬間に突っ込みやがって。」
少年は煙草の煙をロキに向けて吐く。ロキは何ともない様子だったが、後ろにいたティナは不快そうに咳き込む。ロキは生意気な青年に冷静な振る舞いを見せる。
「お前も、奴を狙っているのか。あの笛の音もお前なのか。」
「いや、違う。あれは奴の鳴き声だ。んで、俺は魔法動物を狩って金を得る猟師だ。奴の皮は良く売れるんだ。でも、奴は魔力に敏感だから、こうして様子を伺ってたんだよ。」
そう言い彼はわざとらしく舌打ちをする。随分と立腹しているようだ。咥えた煙草を動かしながら、猟銃をカチャンとボルトを引き、薬莢を吐き出させた。ロキは彼を凝視する。煙草のやけに煙臭い匂いに混じって微かに良い匂いがする。ここらに定住しているのだろう。ベルトに下げられたステンレスカップや、弾丸の数を見るに、やつを討伐するためにそれなりの準備をしているのがわかる。そうやってまじまじと観察するロキの様子を見て、青年は眉間に皺を寄せ一歩下がる。そんな彼を他所に、ロキは淡々としていた。
「協力しないか。」
「––––はぁ?」
青年は呆れた反応を見せる。当然だろう。自分の仕事の邪魔をされた挙句、突拍子もない提案が出て来たら、流石に困惑する。だが、ロキは本気だった。彼の知識量、経験からして、協力しておいて損のない人材だと確信しているのだ。ティナは杖を握ったままロキの背中に引っ付き、青年を見る。確かに、体つきや猟銃の古さからして、それなりに経験者ではあるそうだが、それでも目付きは悪く、人情のある人間だとは思えなかった。
「わ、私達は肝臓部の採取ができれば、十分なのです。確かに、取引という点では矛盾してません!」
虎の威を借る狐、いや、猫だろうな。彼女は体格のあるロキからひょっこりと顔を出してそう言う。青年は頭を掻きむしって溜息をつく。真っ白な息が空気を漂い消えていく。彼は猟銃の革紐を肩に掛け、呆れた眼差しで言う。
「付いてこい。アジトに案内する。」
三人は歩き出した。
森の中、雪に紛れて、少し大きな空洞があった。そこには特に何か視界を遮るものはなく、中が丸見えだった。ティナは興味深そうに尾を振って先を歩いていた。青年はロキの隣で煙草を蒸す。
「あの白猫、明るい奴だな。腕章も耳が無かったら、単なる小娘だぞ。」
「会った時には腕章は無かったが、ここに来る前の街で、他の奴隷から得たそうだ。他の仲間は腕章を外したがっていて、ここに来る前、少し揉めた。」
ロキがそう言うと、青年は鼻で笑う。
「能天気な奴だな。そのお仲間ってのは。俺は嫌いだな、そういうやつ。」
そう言って、彼は少し屈み、中に入った。ティナは問題なくそのまま入ったが、ロキは背が高いのでしゃがむような姿勢で入った。
洞窟の中は、岩特有の冷たさが蔓延しており、外と変わらない寒さだった。ティナとロキは疼く焚き火のそばに座った。
「それで、ヴァルーヴァルを狩れるんだな。」
ロキが対面に猟銃を持って座る青年を見ながら尋ねる。
「出来るぞ。奴は魔力に敏感だ。ヴォルテーと比べたらそうでもねぇけど。やはり観察しているうちに、奴を仕留めるには罠を張るべきだと判断している。」
「罠–––確かに、逃げ足も早そうでしたね」
「罠は原始的な物を使う。魔力も一切使わないものをな。お前らは、奴をその罠まで誘導するんだ。俺一人じゃ難しかったが、この人数なら出来るだろう。」
二人は頷いた。青年は二人を見て作戦の理解度に確信を抱きつつ、続ける。
「それと、奴は目が聡い。真っ白な雪の上に罠なんてものを置いていたら、すぐにバレちまう。だから、狩りは夜に行う。いいな?」
「了解です」
ティナは小声でそう言った。
少しして、2人は一旦宿に戻るため、森の入り口あたりまで戻って来ていた。木漏れ日の境目の所で、青年は立ち止まる。
「んじゃ、明日、夕方に森で。」
「はい。もしかしたら、別の方と来るかもしれません」
「構わねぇけど、2度は説明しないからな。」
念押すように、青年は強く言う。心得たとティナが頷くと、青年は軽く手を振って洞窟に戻った。少し荒っぽい振る舞いだったが、人情はあるように思えた。二人はまた雪道を踏み締めながら、宿に戻った。
––宿––
「なるほどね、協力者か。」
部屋の中、薪が火に焼かれて悲鳴を上げながら、ウラドは床に座っていた。すぐ側にはテナナも座っており、何だか親子のようだ。床に開かれた本は、どうやら魔導書のようで、今日一日中、錬金術などを教えていたそうだ。あのような理屈ばかりの本を読ませて、果たして理解できているのかは、定かでは無かった。ティナが暖炉のそばでスープをかき回して夕餉を作る中、ロキは口を開く。
「明日は、ウラドとティナで行け。」
「何故です?」
「ウラド、お前があの日、使った魔法は『対象の位置を特定できる』魔法だろ。」
ティナは驚愕し、思わず彼を見る。ウラドは驚く素振りすら見せず、寧ろ、ロキに対して感心すらしていた。彼は本を手に取り、言う。
「確かに、その通りだ。僕の固有魔法は、『ある特定の条件を満たした人物』を特定できる。ただそれだけだ、でも、発動条件は僕にも分からない。ある日、出来たことがあったから、あの時も使ったんだ。––––でもまぁ、その魔法を見破られたのは、ベリアールと君だけだ。何かあった時、合流できる可能性があるのは、僕とティナでの行動だ。良いよ。行こう。」
ウラドは特に嫌がることなく承諾した。そのあとは、ロキが青年から受けた説明を一字一句間違えることなく伝えた。狩りは明日の夜。その日は新月で、あらゆる夜行性の魔法動物も活発になりやすい日だった。




