第十九話 廃れ
ユリウルス暦 875年 10月29日
ウラド一行は、長い野宿の末、目的地『メレスト』の一つ手前の『ピレット』に到着した。皆皆、寒さと疲労ですぐにでも宿に行こうと、街中の店を無視して宿のある方へと歩いていた。だが、ウラドの中で、違和感が巡っていた。街の中には至る箇所にクーポルの形をした木製の建築物が見られた。まだ、建築途中のものもあるようだ。ウラドはそれを見て、軽く舌打ちする。
「ここも、随分変わったね。」
吐き捨てるように嫌味を言うと、ティナが不思議そうに彼を見つめた。その時、広場の前からある男の声が響く。ティナとロキがその方を見ると、そこには木箱に乗って自信満々に何かを宣伝する男がいた。黒装束に、銀の十字架、修道士か。彼は大きく身振り手振りをしながら、神の偉大さと、その他の宗教の否定を叫んでいた。群衆は彼の言葉に見惚れ、道の真ん中で立ち止まって聞く者もいた。だが、ウラドと商人達だけは全くの無関心を貫いていた。
「昔は、あんな虫は居なかったのに–––行こうか。余計に疲れる。」
そう言って、ウラドは早足で奥へ行ってしまう。ロキも興味なさそうに歩いていたが、ティナだけは、何だか、目が離せなかった。他の神を、何故否定するのか、彼女には理解出来なかった。
「お札入りませんかー?」
ふと、甲高い男児の声がしたので、広場の反対の左手の方を見てみると、銀の十字架を首に掛けた黒装束の少年が、一枚の紙を翳して商売をしていた。木箱を3つほど繋げた程度の安っぽい造りだったが、彼の周りには人だかりがあり、繁盛しているようだ。買った者は、若い娼婦に、老人、奴隷など、様々な人種が入り混じっていたが、皆満足そうに、安堵の表情を浮かべていた。ティナは耳を揺らしながら、少年のいる屋台へ歩み寄る。
「それは、何ですか?」
ティナが、少し屈みながら謙って尋ねると、少年はティナの白い毛並みの耳を見て、直ぐにギョッとして立ち上がる。他の者達も同様の反応だった。少年は聖典を胸元に抱きしめながら叫ぶ。
「獣人に札なんて売らないよ!早く帰ってくれ!」
他も軽蔑の睨みを見せる。唯一、奴隷だけは、彼女に同情して、少しだけ肩に触れようとしていた。
「あんた、腕章はどうしたんだい?」
微かに尋ねる奴隷は、直ぐに、自分の腕章をとって、ティナの左腕に着けた。ティナは彼等の軽蔑の眼差しに慄き退く。奴隷はまだ同情の目を向ける。泣きそうに耳を畳む。だが、その時、人を掻き分けながら、何かが近づいて来た。
「ティナ!どこにいるんだい!?」
ウラドの声だ。彼は人をどかして、辺りを見回す。軽蔑の目が驚愕の目となり、ウラドから離れる。少年はそのまま固まって動かない。ウラドは少年を睨みつつも、すぐにティナの腕を強く掴む。
「さぁ、帰るよ!」
そう言って、二人は、あの屋台から離れて行った。響めきも、軽蔑の小言が彼女らを突くが、ウラドは一切、それらに耳を傾けなかった。
宿に戻ると、受付にいた翁は目を丸くしながら、タバコを蒸す。
「旦那、随分な血相ですな」
「そうかい。」
ウラドは雑にそう言うと、そのまま食堂を通り過ぎて、2階の階段を上がって行く。木の軋む音がやけに煩かった。2階に上がって、部屋に入ると、すぐにウラドはティナの腕を離す。ティナは痛そうに腕を撫でる。部屋にはテナナをあやすロキが暖炉の横に座って、ウラドとティナを交互に見る。もどかしくティナは目線を逸らす。ウラドはベットに座ると、苛立つ自分を抑えるように水を飲んだ。
「聖導師は碌なものじゃない。それに、またぼうっとして、変な騒ぎまで起こして。」
「ご、ごめんなさい。あの少年の売っていた札が気になって」
耳を縮めてそういう彼女を見下ろしながら、ウラドは思い出す。あの札、前にも見た事があった。深くため息を吐いて、ウラドは俯いて言う。
「あれは、【贖罪符】だ。人間が持っている罪を、すべて無かったことにする札だ。」
「罪−−−–?」
「人は、生まれた時から罪を持っている。欲深い罪、生まれてから犯す罪、それらを精算しないと、神の下には行けない。でも、贖罪符さえあれば、罪は帳消しになるんだ。」
困惑して見るティナを他所に、ウラドは嘲笑していた。
「愚かだよね。人間って、自分可愛さに犯した罪を、誰かの力で精算しようとしている。本当に–––人任せにも程がある。馬鹿な生き物だよ。」
彼のその笑みが、何だか、人間の欲深さを喰らってせせら嗤う蛇のように見えて仕方がなかった。
翌日
ウラドはテナナを連れて、買い出しに出ていた。街は来た当初と変わらず賑わっており、広場の方では、万聖節の支度であったり、弦楽器で音楽の練習をしていたり、余裕そうで、何だか忙しない。ふと、また奥の方を見ると、あの少年がまた札を売っていた。だが、その側には、地にひれ伏して懇願する親子がいた。テナナはウラドを見ながら、その方向を指さす。あの光景だけが、目を釘付けにする。ウラドはテナナの手を強く握り、その場に立ち止まる。親子は何度も頭を下げる。子の方はとりあえず真似しているだけのように思えたが、幾度か頭を下げたのち、母の方が立ち上がり、子を連れて、路地裏の方へトボトボと歩いて行った。二人の横を軽く会釈しながら通る。よほど精神的に辛いのだろうな、とウラドは同情しつつも、ある種軽蔑していた。そんな札程度のもので救われているのなら、何故救世主なんていう存在があるのか。何故、与える者とそうでないものを区別するのか。
彼は屋台からそれなりの距離にいた。屋台を見ていた後、何の気なしに広場の方も見る。広場の中心には、何か銅像があったであろう台座しかなかった。ウラドは、何だか淋しさのような、感情に、包まれつつも宿へ戻った。
ガチャン
「ただいま。」
ウラドは買い物袋を窓近くに置く。部屋の中には、絵本を読み漁るロキ––––だけだった。ウラドは部屋全体を見ながら言う。
「ティナは?」
「外に出た。場所は分からない。腕章をつけていた。誰から貰ったかは判らないが、北での獣人の扱いは酷いものだ。今後はつけておくべきだろう。」
「そうか。」
ウラドはため息をつく。腕章のことなんて今はどうでもよかった。それよりも、外に出ている、大方人助けにでも行っているのだろう。温情のある子とは分かっていても、流石に限度がある。ここの連中は、獣人への差別も根強いようだし、迎えに行くしかない。
「ティナの魔力は俺でも探知出来ない。見つけられるのか。」
「–––僕なら、出来る。」
ウラドはそう言うと、杖を召喚した。確かに、彼女の魔力は人並み以上に薄く、ウラドでさえ、遠くに行って仕舞えば探知は難しい。故に、この魔法しかないと彼は確信していた。ロキは何をする気なのかと、目を丸くして凝視していた。
ウラドは杖を、トンッと突く。そして、詠唱する。
【フェルミエーレ】
刹那、ウラドの魔力は地面に薄らと波打って広がった。ロキを通り越して、街へと広がる。凪のようになった魔力が暫く彼の沈黙と同じになる。ロキの目には、そんなふうに写っていた。この魔法は、一体何なのだろうか。そう思っていた矢先、ロキから見て左後ろの方が、波打つ感覚がした。途端にウラドは目を開き、杖をしまって部屋から出で行った。残されたロキは、彼の魔法の式に関しての分析を始めていた。
宿を飛び出して、ウラドはティナの足跡を辿る。暖色の淡い煙が、地面で草花のように揺らめく。彼はそれを人混みから避けながら、丁寧に辿って行く。角をいくつも曲がり、大通りからそれで行き、やがては街の石門を出て行く。石煉瓦の道が失せて、馬車の車輪の跡がつく土道に変わって、しばらく道なりに歩いた。足跡を辿って着いた場所は、森の中だった。茂った背丈のある草をどかしながら、彼は進む。足跡が重なっている。相当ここに寄っていたのだろう。辺りには木の根に埋もれる石像が辺りに捨てられている。石板や兎の置物、あらゆる物が成れ果てになっている。ウラドはやはり新たな神に対しての怒りが込み上がっていた。昔は、この捨てられた神が、篤い信仰の対象だった。森や川、雪、あらゆる人間と隣接する要素が、尊重され、こうして神として扱われていた。なのに、今ではもう、彼らは用済みどころか、悪として認識されていた。人間の都合で神すらも捨てられる人間の性根の悪さに、彼は辟易としていた。
森の深部へと辿り着くと、大きな木漏れ日の中、ティナがいた。彼女は捨てられた石像の周りに、何かしていた。
「ティナ。」
ウラドが話しかけると、ティナは耳をピンッとそばだてて振り返る。彼女は白銀の杖で、石像の周りに花畑を出していた。美しい花達だ。各々の色合いのドレスを身に包んで風と共に踊っているようだ。ウラドは石像に近づく。真っ直ぐと立てられた石像は苔を纏っている。ティナは悲しげに話す。
「この神達は、私たち獣人も崇拝していました。昔は、人間達も崇めていたんですね」
「あらゆる自然には、神がいる。確かに、人間も信仰していた。でも、彼らは自分たちを苦しみからは救ってくれない。だから、捨ててしまったんだろう。」
「–––何故、今の神は、このような、昔からいる神などを受け入れないのでしょうか?」
ウラドは黙り込んだ。答えることはできなかった。ウラドはティナの手を握り、優しく言う。
「帰ろう。君が、捨てられた神々を受け入れている限り、彼らは生き続ける。神とはそういうものだ。」
二人は森を出て行った。神々は、二人を見ていた。何だか哀愁漂う背中を見せつつも、感謝と謝罪を滲ませていた。




