第十六話 家族
ユリウルス暦 10月 1日
ロキはベットの上で、仰向けのまま目を開けた。昨日の記憶も整理完了だ。視界が晴れ、白黒に見えた部屋の中がハッキリと色を帯びて視認できるようになる。ふと、腹のあたりで蠢く温もりを感知した。目線を移すと、そこには犬のように蹲る少女が、くっついていた。布団は十分に被っていたはずだ。実際、ロキは布団を被る事なく寝ていたのだ。なのに、彼女は寒そうに、そして、ロキを温めるようにして眠っていた。この少女の行動の意味が、理解できなかった。単に寒かっただけなのか。一先ず起き上がる。眼前には洗面所へ続く部屋に、出入り口が見える。茶系の木材と深緑の花柄模様の壁紙はこの部屋に、落ち着きを与えつつも明るさは与えなかった。ベットを降り、靴を履く。そして玄関の方を見る。覗き穴程度しかない質素なドアだ。ロキはこの日、何をするつもりなのか既に決めていた。故に、躊躇いなく金色のレバーハンドル式のドアノブに手をかける。
ガチャ–––キィ–––
ロキは部屋を出た。三等客エリアから続く廊下は、昼夜問わず煌びやかだった。だが、廊下にはあまり人影はなかった。思わずロキは懐中時計を開ける。今は、八時頃だ。もう明朝というわけでは無いのに、未だ人がいないのはやはり富を持つ者たちの余裕故の結果なのだろうか。にしても、奴隷の姿もない。だが、今はそんな事を考えても答えは依然として出ては来なかった。陽光差し込む大きな窓を横切りながら、ロキが向かった先は、本屋だ。一応、彼は今まで放浪していた中で、ついでに路銀も稼いではいた。見窄らしい麻布の腰巾着には120テルタがジャラジャラを音を立てる。これなら、何か購入することも可能だろう。彼は目の前にある本屋を見る。開店の札が掲げられ、入り口の横のガラスショーケースには、上等な羊皮紙や本が美しい角度を持って展示されている。
ガチャン––––チャランチャラン
軽やかな玄関鈴が響く。店内は真ん中と壁際にびっしりとメルバウの本棚で満たされていた。そして店の端にはアカシアの足場が置かれている。天井の丸い電球が縦に連なった照明や、鯨の装飾がぶら下がっている。このような海そのものを模した物や少し暗い雰囲気を見ると、ここはSINのような、上品さと艶めかしさを彷彿とさせる。ロキは本棚の本を眺めつつ奥へ向かう。歴史、政治、経済、思想、聖典、あらゆる学問に関する著書がズラリと重たい威圧感と威厳を持って陳列されていた。
ふと、奥の方を見る。アカシアの足場のそばにある本棚に、「幼児教育」という看板を掛けた本棚を見つけた。ロキはそれに釘付けにされた様に大股でドッドッとそちらへ向かった。設けられたスペースは小さかった。本棚一つ分ほどだ。他のものは二つも三つもであったので、これを見ると、何だか拍子抜けだ。ロキは早速本棚の端から読み漁っていった。
本から得られた情報はとても、簡単そうに思えた。手をよく握ってやり、よく話をする事、単純だ。幼児心理学に基づく行動原理なども把握できた。これなら、円滑な育児ができ、己も、本にあった「いくめんぱぱ」とやらの一員だろう。ロキは漸くレジ打ちにいた。横にも縦にも大きなレジスターは、ガシャガシャと喧しく鳴り響く。だが彼はレジスターの音に気を止めることなく、レジ打ちの娘を見る。娘もやっと帰るのか、と半ば呆れた仕事ぶりで彼を見送った。幾つかの養育本と、幼児心理学、絵本を脇に抱え、ロキは店を出た。窓の方を見ると、陽光は南中していた。廊下には、未だ人影はない。どこかに人はいないのだろうかと、彼は気になり、一旦甲板の方に赴く事にした。
鴎の声と波の音が調和する爽やかな甲板で、ロキは潮風を浴びた。昨日のような華やかさと陰湿さが無く、ここはひたすらに、海の寛大さのみがあった。
「あら!?そこのお兄さん!」
「––––?」
反射的に、右手の方を見る。そこはいくつかのベンチやテラス席があり、その内のテラス席の方から、獣人の女性たちがロキを手招きしている。ロキとは顔見知りではなかったが、何の気無しに、彼は誘われるがまま歩んだ。
テラス席には六人がけのベンチと白いテラス傘に貫かれたテーブルとなっていた。獣人達は五人おり、互いに対面して座っていた。テーブルには編み物や本などが置かれ、まさに女子会とも言えるだろう。獣人の娘達は金の腕章を付けても尚明るい笑みを浮かべている。ロキは促されるままベンチに座る。すると、リスの獣人の娘が前のめりになり、耳を揺らして言う。
「貴方、ティナちゃんと一緒にいる子の、『ロキ』君だよね?」
「あぁ。」
そう言うと、娘達は歓声を上げる。
「最近ティナちゃん来てないけど、何かあったの?」
「壊血病だ。」
「まぁ!大変ね––––でも、あの子『御守り』付けていなかったものね」
リスの娘がそう言うと、他の娘達も頷く。
「御守りとは。」
ロキがボソリと尋ねると、隣にいた黒兎の娘が一本の数珠を見せる。質素な茶色の物であったが、半透明で綺麗だ。
「私達獣人は年齢関係なく、御守りを着けるの。氏神様が、私達を守ってくださるように」
「ティナは着けていないな。」
「そうなの––––最近では、生きる為に信仰を捨てて、手を血で汚す同胞が増えつつあるわ。神を捨てて、錬金術師になる者もいる」
「錬金術師に。」
「えぇ。錬金術師は今の所、聖道師に匹敵するほどの力を持っている。だから、その力で一矢報いろうとする勢力も出来つつあるわ」
ロキは納得していた。昨今、獣人への偏見や差別というのは深刻さを増している。魔物の派生、野蛮な獣、言われようは様々だった。ロキが旅をしている道中でも、獣人の奴隷や貧困民は多かった印象がある。そして、その差別の筆頭は聖導師だった。ロキは鋭い目付きで彼女らを見る。
「報いに、行くのか。」
「いいえ、そんな気は無いわ。アタシ達は孤児だから、家族として北でのんびり、静かに暮らしたいの」
渇望するように遠い目をし、雀の娘が言う。ロキは一筋の紐を辿る様に口が動く。
「家族は誰でもなれるのか、どんなものだ。」
ロキにしてはやけに饒舌であった。その様に半心驚きつつも、雀の隣にいた烏の上品な娘が滑らかな口調で話す。
「家族は––––何とも言えないけど、繋がりが大切なのよ。ほら、手を出してみて」
ロキは手を翳す。黒の手袋に厚く装着された灰色の手の甲冑は、やけに重々しく思えた。だが、娘がその大きく黒い手に優しく添えると、じんわりと温もりが伝播していく。異なる二人の血管が、一つに繋がったかのように。そして娘は優しく話す。
「今、私達は温もりという線によって繋がっているわ。同じ様に、家族というのも線で繋がっているわ」
「––––そうか。」
ロキにはイマイチ分からなかった。だが、家族というものは認証するためのものは物質としては、存在しておらず、互いの認識によって成り立つという風に解釈していた。
ガタッ––––
「もう行くの?」
ロキが頷くと、皆は寂しそうに微笑み、見送った。
ロキが再び三等客エリアへの廊下を歩いている時には、窓の外の太陽は南中していた。この頃になると、僅かばかりだが、人も増えつつあった。高級雑貨店で談笑する夫婦や老婦もいた。だがその内、ロキが目を見張ったのは、ある母子だった。随分と着飾った母親で、綺麗な服を着た小間使いまで率いていた。そして、店の前で紳士と談笑していた。慎ましく口元をフリルのついた扇で隠し微笑む彼女の背後には、例の小間使いと、これまた綺麗な服を着た幼女がいた。その子は母の手に触れようと近寄るも、小間使いが後ろに引っ張るせいで、掴めずにいた。ロキはこれを見て、先程の話を想起し、不審に思った。家族という繋がりがあるのなら、母自らが手を引くであろうに。幼女の構って欲しいと懇願するような丸い目を顧みること無く母は笑っていた。
自分とあの少女も、家族なのだろうか。そして、ウラドとティナとも。
彼では答えられなかった。彼はまた虚無の心を持って母子を眺めた。
「お兄ちゃん!」
背後から不意に、甲高く純粋無垢な声がした。ロキは振り返る。するとそこには少女がロキに抱きついて来た。薄桃色の愛らしいコートを着て、ブラウンの革ブーツ、ベージュのネックウォーマーを身につけた子だった。あまりにも変容した姿に、一瞬知らぬ子だと錯覚するほどだった。抱きついて離れない少女を抱き上げる。
「その子、ずっと探してたんだよ。ロキ。どうやったら、子供に懐くのか知りたいよ。」
そう言って、眼前からウラドが来た。ウラドはいくつかの衣服を束にして脇に抱えていた。そして、少し呆れたようにロキが見ていた母子を見ながら、小声で言う。
「あまり他所の家族を見るのはやめた方がいい。目立つよ。」
「あれが家族といえるか。」
ウラドはあまりの事に拍子抜けし、少し歪んだ顔で、彼を見つめた。ロキ自身もつい出た言葉に困惑を覚えていた。ウラドは一瞬だけ、あの母子を見て、息を吐き、先を行くように歩き始める。ロキは少女を抱えたまま後を追う。
トントントントン––––ドンドン
軽やかな足音と、重厚な足音が小玉する。晴れかやかな廊下から、質素で寂しくなった三等客エリアの廊下を、二人は沈黙のまま歩む。ロキは答えを待った。だがウラドは答えようかと思案していた。彼も家族という枠に入ってはいたが、それでも、それを言語化することは出来ずにいた。浸かり切っていたあの環境を、言葉にできるものだろうか。もう、何年と昔の話だったのだから。だがふと、何か、頭に降り立ったような感覚がした。冴えた頭で、ロキの方へ振り返る。そして、淡々と息のこもった声で言う。
「家族は一つでは無かったな。」
ロキは一瞬目を見張るも、直ぐに調子を戻す。少女は、ロキの温もりですっかり眠ってしまっていたので、何の反応もなかった。
「単語は一つだ。」
「その通りだ。でも、一つではなかった。今の僕ではこれが精一杯だ。」
「–––––お前は、家族か。」
「–––––––」
ウラドは何も答えなかった。ロキも何も問えなかった。彼が先を歩んでいく。答えが知りたかった。このどちらにも付けない宙ぶらりんな状態は、彼を思考難儀に陥らせるには十分すぎる不安要素であった。姿が遠のく。
「んむぅ––––」
突如ロキの右肩で何かが動く。顔を向けると、少女が目を細めて少し顔を上げた。ロキは彼女を両手で持ち上げる。
「––––お前は、家族か。」
少女は突拍子のないロキの質問に、つい首を傾げる。だが直ぐに手を彼の差し伸べる。
「だっこ」
両手で肩を叩く。せがむ彼女を見て、ロキは少女を抱き締めた。彼の気も知らずに、彼女はまた寝息をかいた。その小さな体の呼吸音が、耳に残る。それがやけに彼を妙な感覚に陥れる。ウラドによってもたらされた疑問が、この子によって掻き消されていくような。名状し難い感覚だったが、思考はクリアになっていった。ロキは懐中時計を開ける。時間は13時。思った通りの時間だった。時計の彼女も変わらずこちらを見つめるだけだった。
夜、ウラドとティナが眠る中、ロキは本を読んでいた。
親とは、子を守るもの。では、ロキはこの子供を守るのか。
子供には、感情豊かにいること。
『感情の露出は禁じられている。お前も、それを厳守せよ。』
頭の中、刹那に、そんな声がした。女の声だ。一体、誰なんだ。
感情の露出は、禁止されている。しかし、それでは–––
ロキは妙な感覚に陥る。守らねばという使命感と、その命令に対する抵抗感、これは、何だ?
彼は、頭を抱える。何かが、ちぎれる気がした。
精神バイタル異常検知
問題箇所の除去を術式により開始
途端に、ロキは眠りに入った。
個性術式 限定解除




