第十五話 揺れ動く
出航して、一週間が経過しようとしている。北の大陸【アイデース大陸】まで、あと二週間の船旅だ。
ユリウルス暦 875年 9月 30日
ロキは椅子に座ったまま目を開けた。寝ていた訳ではない。ただ目を瞑っていると、記憶の整理がつきやすいのだ。俯けていた顔を上げて、ロキは辺りの部屋を見回す。椅子の横には簡易キッチン奥には出入り口、キッチンの前にベットだ。壁紙などは花柄だが、落ち着いた色合いで、ベットもテーブルも木目だった。二段ベットの下にはウラドが大の字になって寝ていた。ティナは顔は見れないが、上段で丸まっていた。時折動く尾は何だか元気がない。魔力指数が低い。生命危機なのか。ロキは懐中時計を開ける。今は六時か。写真の彼女は口角を上げたままだ。この行動が何なのかは、ロキでも見当がつかなかった。
「おはよ。」
不意にガラガラな声がした方を見る。ベットの下からウラドが欠伸をしていた。彼は漆黒の髪を適当に手櫛で直しながら、魔法でポットの中を水で満たし、湯を沸かし始めた。ロキはその無駄のない一連の出来事を眺めた。
「無詠唱で出来るものなのか。」
「いや、最初のうちは話しながら練習したさ。こう言うのはイメージが重要だ。それに湯が沸く仕組みは錬金術師たちで検証済みだから、魔法でも出来る。」
ベットの上で靴下を履きながら、ウラドは言う。魔力探知では、ウラドとポットとは魔力の線のようなもので繋がっており、その線を伝って魔法を発動させている。いわば、脳神経のような要領だ。ロキは淡々と言う。
「ティナが魔法が使えないと言うのは残念だったな。」
それを聞いた時、ウラドは手を止めてロキをじっと見た。赤い目は辺りの色を掻き消すように目立って見え、こちらを石にしようとしているかのようだ。ロキは見事、その目によって固まり、彼を凝視する。そして、ウラドは配慮するように小さな声で言う。
「そんな事は無い。」
何か言い聞かせるような強い言い方ではあった。残念だという事を隠したいのか、そうで無いのかはこの一言では判断しかねる。あれからだいぶ時が経ち、もう昼近くにまでなったがティナが起きる事はなかった。ロキは椅子に座ったままティナを見る。あの時のまま蹲っている。まるで死んでいるようだ。最初、ウラドは本を読んでいたが、ベットを注意深く観察するロキを見て、次に時計を見て事態を把握した。ガタッと音を立てて立ち上がり、上段の手摺りに触れ、除くようにして言う。
「ティナ?」
ウラドが少し揺さぶる様にして彼女に話しかけると、ティナは痛々しい唸り声を上げてゆっくりとこちらに寝返る。
「何だか––––身体が怠くて–––」
無力感で満ちた声でそういうと、彼女は目を擦る。ウラドは風邪かもしれないからと彼女を浮かして、自分が寝ていたベットに下ろした。しゃがみこむ彼を見下ろしながら、ロキは今までの記憶を辿る。船に乗ってもう一週間は経過するが、特に誰かと接触したという事はなかった。だが、ティナは猫の習性のせいでか、よく甲板へ散歩に行っていた。
「まさか、散歩とかで貰ってきたのかな?」
ウラドは立ち上がり、手で顎を撫でる。ロキは淡々と無表情で応える。
「症状は。」
「倦怠感と––––これは?」
そう言いウラドはティナの口を開かせる。口の中が異様に腫れている。
「こんなことあるのか、単なる風邪程度で。」
ウラドは焦燥満ちた厳しい顔つきで首を振る。そして振り返って言う。
「これは、『壊血病』だ。」
【壊血病】
主に船乗りなどが発症する病。倦怠感、口内の出血などの諸症状を引き起こす。暫くすると、そのまま衰弱死する。そのタイミングは今ではわからない。
ウラドは薬箱を召喚する。箱を開けるとガタガタと荒っぽく引き出しを開け閉めする。いくつかの薬草を適当に手に取り、更に、木箱の端にある取手を掴み開ける。まるで隠し扉の様に開かれると、中には薬研などの道具が収納されていた。ロキはその様を唯々眺めていた。ロキには薬学の知識がなかった。その状態でやる気だけ見せても、邪魔なだけだろうと判断していたのだ。ウラドはその棒立ちするロキに向かって吐き捨てる。
「果実類が必要だ。出来れば沢山の種類が良い。」
「あぁ。」
ロキは適当な返事で部屋を出て行った。
こんな事を言うのは不謹慎かもしれないが、船内は豪華そのものだ。三等客が多い廊下ではそこまでの華やかさは無かったが、共通エリアに行くと、赤い絨毯が床を覆う。広い廊下を迷いながら歩いていくと、あるエリアに到達した。本屋や雑貨店などが壁を埋め尽くしている。だが、厨房などに行けば良いのだろうが、その様な場所は一切見当たらなかった。もっと船底の方なのだろうか。ロキは辺りを右往左往し、最終的にはまた歩き出した。
船底は、三等客室のエリアよりも遥かに下にまで続いており、行くほど暗く、静かになっていった。流石のロキも、ここまで歩けば少し座りたくもなった。船底にある数々の木箱や荷物カバンの山の中で、座った。四方八方木箱と荷物の山だ。ジジジ、と淡く光る灯は船底の太陽のようだった。すると、視界の端に、何かいるのが分かった。その方を見てみると、奥の荷物の影に怯えるようにして少女が覗き見していた。痩せ細った体に土塗れでノミ塗れで、服の形を留めていないようなボロ服を着ていた。ロキは彼女の方を冷たく見ながら話しかける。
「食べ物がある場所を知らないか。」
少女は黙ったままだった。この子供は一体どこの人間なのだろうかと考えたが、枝の様に細くなった腕を見た。金の腕章、奴隷か。ウラドが話していた。貧困層の子供や誘拐された獣人、難民などが辿る道、下等生物の証で家畜同然に扱われる存在らしい。もしかしたら、彼らは上の階層の乗客の私有物なのか、それとも逃げてきたのかはわからないが、少女の渇望の目、恐怖の目を見ればどっちでも納得がいく。ここに長く留まる必要はない。ロキは立ち上がり、また歩き出した。
ドンドンドンドン–––テチテチテチテチ––––
分厚く思い足音に重なる様に、裸足の音がする。ロキは振り返ると、先ほどの少女が止まりきれずロキの太腿にぶつかる。少女はか弱そうにロキを見上げる。彼女の目に映るのは長い前髪に隠れて見える威圧感のある目だった。肩をすくめる少女を前に、ロキは何も言わなかった。ふと、前方から香辛料の香りが漂い、何かを焼く音が聞こえる。その方を見る。部屋は見当たらないが、確かに音がする。少女はロキの腰ベルトを掴む。流石にこうも密着されると、歩きずらい。ロキは少女を抱き抱える。左手で難なく持てるほど軽く小さい。
「この人を知らないか。」
懐中時計を開ける。少女はジッとそれを見るが、すぐの首を振る。
「親は。」
「海の上」
察しはついた。ロキは懐中時計をしまい、廊下の先へ進んだ。音が大きくなっていく。匂いや音からして厨房だろう。次第に男が料理に関する指示で飛び交う声が響く。早く肉を出せだの、煮込みが甘いだの何だか神経質に怒鳴っているのが聞き取れる。右手の入り口の方に灯りがついている。ロキはそこに向かう。
「––––ここは、厨房か。」
ロキの淡白な声に、厨房にいた数人の男たちは一斉に彼を見た。皆白い服を着ており、肉や魚を焼いている。そのうち大柄で細長い帽子を被った巨漢がこちらに来る。
「何の用だ。」
「三等客の一人が壊血病になった。果実類の提供を求める。それと、この人を知らないか。」
巨漢は無愛想に眉間に皺を寄せながら魅せられた懐中時計を見て手をパッパと振る。
「果実類か–––今晩は舞踏会が開かれる。あんまり持っていくなよ。あと–––」
そう言い少女を指差す。
「その汚いネズミは入れるな」
「––––ネズミ。」
「そこのガキだ。ネズミはは厨房の食料を食い荒らす。クソみてぇなもんだ。お前さんもここで待ってろ」
「あぁ。」
ロキは冷め切った目でそう答え、少女はロキの胸元の甲冑に手を掛けて俯いた。暫くすると、巨漢は少し小さな麻袋に果実を詰め込んでやって来た。
「林檎にパイナップル、特に檸檬を多く入れといた」
「あぁ。」
ロキは袋を受け取ると、感謝も言わずにその場を立ち去った。巨漢はその無愛想で無礼な後ろ姿に舌打ちをし、またあれこれと怒鳴りを交えた指示を出し始めた。
船底の入り口は三等客エリアの下とはいえ、そのエリアの入口とは真反対にある。そして、ロキが上へ戻った時には辺りは暗く、月明かりが窓辺から差し込んでいた。そしてそれを遮るようにしてシャンデリアの明かりが船を彩っていた。ロキは遠回りではあるが、また昼間に通った道を通ろうと歩き出した。雑貨店から入った舞踏会場は煌びやかな音楽と灯の中、老若男女問わず皆々上品にペアダンスに興じる。正装すら着ていないロキはある意味浮いており、女性達は下品なお方だと、陰で言っていた。その舞踏会場の入り口は二つあり、一つは雑貨店への入り口、もう一つは甲板へと繋がる入口だ。ロキは少女と袋を抱えてその出入り口へ目立たないように端に沿って歩いた。
壁際に沿ってグルリと回り込むようにして歩いているが、ダンスに疲れた令嬢達は紳士達と共に会話に興じている。ロキにしてみればわざわざ着飾ってまでする必要は無いのではと思いつつも、彼らの前を通り過ぎようとする。すると、一人の桃色のドレスを身に纏った若い女性が顔面蒼白で震え上がって叫ぶ。
「奴隷よ!!」
甲高い声でそう叫ぶ彼女の声に釣られ、他の面々もこちらに寄って来た。そして金の腕章をつける少女を見るなり、どよめく。一人の初老がロキに怒鳴る。
「貴様、こんな所に 『ゴミ』 を持って来るな!!」
「この子供を知っているのか。」
皆黙り込み、互いに目を配る。おそらく親もいないのだろう。だがここで、ロキは疑問になる。ここにいる者達は、この少女を人間とは認識できていないのか。一体どのような基準で、神経で人間の形をした者をそんな風に呼べるのか不思議でならなかった。ロキは初老の太々しい全身を視界に収めつつ反論する。
「俺は、長居する気は無い。退いてくれ。」
何の感情すらも篭ってはいないが、鋭い眼線は単なる人間にとっては威圧的に感じるのだろう。初老はたじろぎながら、スティックを地面に幾度も突き刺す。
「なら、早く行ってくれ!穢らわしい!」
着飾った皆皆は口元をハンカチや扇やらで隠しながら、ロキの前から少しずつ離れていく。ロキは怖がって泣きそうな顔でくっつく少女を抱き直すと、威圧的な足音で歩き出した。彼の肩幅のある威圧的な背後を、皆はマジマジと嫌悪と困惑で見送った。
ガチャン––––––バタン!
甲板にも人がおり、シャンパン片手に談笑していた。明日になれば、ティナやウラドともここに入れるのだろうか、そして、この子供も、などと考えながら、反時計回りで甲板横の廊下を歩く。ロキは少女を見る。少女は恐怖の薄れた、興味に満ちた目でこの船の先を見る。先には、果てしなき暗き海が広がる。この船の後ろには、あの街があり、少女の、もしかしたら、自分の故郷があったのかもしれないのだと思うと、何だか、まだあそこにいるべきだったような哀愁と、もう何年も回って何もなかったのだという諦めに近しい感情で顔が濁る。
「––––––?」
「–––––帰ろう。」
少女にも、自分にも言い聞かせるように、淡々と言い、彼は三等客室へ戻った。
ガチャ−−−−
「持ってきた。」
「やっとか。」
呆れた口調でそう言い、ウラドはロキから袋を受け取る。その時、彼は小汚く縮んだ少女を見る。腕章がある時点で奴隷か、下等生物という烙印を押された難民が少数民族なのだろう。もし誰かの奴隷ともなれば面倒なのだが、今はそんなことを言っていられない。単なる壊血病なのに、症状は酷くなっている。風邪や感染症の類の可能性すら出てきつつある。ウラドはその場に突っ立っていたロキに目を向けず冷たくあしらうように言う。
「子供の責任は、君がしてね。」
ロキは返答こそしなかったが、そのつもりは充分あった。少女はここでも邪魔者なのだろうかとロキにくっつく。ロキはそんな彼女の気も知れずに少女を窓辺の椅子に座らせた。
ウラドが薬草を煎じたり、すり潰したりしている間、ロキは自分の短剣で林檎の皮を黙々と向き続けていた。その様をじっと見つめていた少女がロキに向かっていう。
「お兄ちゃんは、どこから来たの?」
「–––––東の大陸。」
「の、どこの國?」
「–––––––」
長い記憶の中、様々な國と、地域を見てきた。だが、彼は生まれた時の事も、成長の過程すらも憶えてはいなかった。ウラドも、返答のない彼の様子で何となく察した。だが、助け舟は出さなかった。沈黙と沈思の時間が流れる。不意に、なにか思い出した。ロキは淡々と話し始めた。
「俺は−−−海辺で目を覚ました。それ以前は解らない。」
少女は首を傾げる。海という存在を知らないのか、それとも故郷すら認識できていない事へ疑問を感じているのだろうか。少女は足をブラブラと前後に振りながら、今度はウラドの方を見た。ウラドは会話に入ろうとはせず、キッチンで湯を沸かし、レモンの汁をコップに三分の一ほどにまで搾っていた。レモン、蜂蜜、湯と混ぜていく。出来上がった物を背後で耳をぺったんと畳んでいるティナに飲ませる。ティナはチビチビとそれを飲んでいくが、次第に顔がしわくちゃになっていく。ティナの顔色は時間と共にマシになっていったが、ロキは反対に、あの舞踏会での民衆の振る舞いに疑念を抱き続けていた。少女は床で犬のように丸まって寝ていた。ロキは無意識に彼女を上段のベットに寝かしつける。すると、その様を横目で見ていたウラドが薬草を薬箱にしまいながら、クスッと鼻で笑う。
「人情はあるみたいだな。」
「––––お前もな。」
そう言って、彼を見下ろす。丁寧にティナに掛けられた布団、テーブルには彼女がよく使う櫛、髪飾りが置かれている。ウラドは自身の照れ臭さを隠すように顔を背ける。
「僕は手の届く範囲で善行をしただけだ。それより、その子、どこの子なの?」
「親はもう死んでるそうだ。奴隷か。」
「いや、奴隷だったら腕章の他にタグがついているはずだ。豚とかにつける番号みたいなもの。それがないのを見るに、難民だろうね。」
「東の大陸での難民というのは、あるのか。」
「知らないのかい?大陸の東にある小国では民族間での紛争が起きている。恐らくはそこだろう。」
「そうか。–––––子供はどんなものなんだ。」
「知らずに拾って来たのか。それこそ子供だな。」
ウラドは馬鹿にするように鼻で笑う。ロキはそれに間髪入れずに反応する。
「お前に、子供がいたのか。」
ロキは、突飛な発言をした。急で湾曲を描くような話の突き方に、ウラドも困惑と驚きで目を見張る。彼の妙に鋭い勘に感心しつつも、嫌なことを聞かれたと溜息をつく。一瞬手を止め、また、手を動かす。コッコッと、薬草の小箱がしまう拍子に当たる軽い音が響く。
「僕の生まれは北の大陸の北西だ。でも、もう國は無くなっているだろうね。」
「家族は–––」
「もういない。随分と前に死んだよ。」
吐き捨てるような口振だった。もう、これ以上は聞くなと言った態度だった。その悲しみと塞ぎ込んだ気持ちを滲み出す背中を凝視しながら、ロキは沈黙のまま少女を抱き上げた。この揺れ動く思考を止める事は、ロキには出来なかった。
ロキは丸まって眠る少女の隣で布団も被らずに、目を閉じた。ウラドも同じように布団を被る事なく、ティナの手を握って眠りについた。




